6話
スルツキのトマトを食べた感想として、酸味が強いこと。それに皮の硬さ、無駄にみずみずしいことを實は思い浮かべていた。
この皮の硬さみずみずしさ、原因はやはり土壌。水捌けの悪い粘土質の土壌が水分を無駄にトマトに流していることが原因だと考えた。さらに土壌の硬さが根の成長を妨げてトマトの茎を大ききすることを妨げている。土壌の改良はすぐにはできないから今できることは水を減らすこと。それしかない。
實はアンナと楽しそうに話しているスルツキに尋ねた。
「スルツキ青年。このトマトはどれくらい水やりをしているんだ?」
野菜を育てるにあたって水やりをすることが当たり前だと思い込んでいるスルツキは不思議そうに實に答えた。
「毎日あげてます。量は少なめですけど」
「それが原因だ」
「どう言うことですか? 野菜を育てるのには毎日欠かさず水やりをしないといけないんですよね?」
「ああ、水を必要とする野菜は少なからずある。同じナス科の野菜でもピーマンは水が少なかったら苦味が増して、ししとうなんかは水が少ないと辛味が増す。だがトマトはそうではないんだ。トマトの出身は南米のアンデス。この地域は雨の降る量が少なくて野菜を育てるには水不足になるようなところ、そこで生まれたトマトは少ない水でも生きられるように進化を遂げているんだ。だから、トマトを育てる時は水は少なくていいんだ。それにこの畑。粘土状の土が広がっておるから水捌けも悪くなっておる。掘れば水が沸いてくるこの畑では水やりは必要ないかもしれん」
スルツキは話について行くことができずに眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。スルツキがそんな顔をしているとはいざ知らず、實はまだまだ話を続ける。
「これだけ水が出てくる土地であれば水を必要とする野菜を育てる必要があるかもしれん。オクラなんかは水がなければ皮が固くて食い物にならんからオクラなんかもいいのかもしれん。もしトマトをしたいのであればこの土壌の上層と中層を入れ替える必要があるかもしれん。少しでも水捌けをよくしないとトマトは皮が固くなるは酸味が強くなるはで水爆弾と言われるほど商品にならないものしかできんぞ」
話を終えてスルツキの方をようやく見た實。腕を組んで首を傾げるスルツキ。ここで初めてスルツキが話についてこれていないことを知った。
そうか。日本でいたから南米という言葉が通じるだけで、アンデスもこの地域にはないからわからなかったのだな。だが、日本ではそういうことになっておるから説明のしようがないのでは。
問題は話の内容が多すぎて頭で理解できなかったことだが妙な勘違いをしている實。この村からほとんど出ないスルツキには他国名はほとんどわからない。ナンベイ、アンデス、知らない国の名前かな。とスルツキは思っている。それくらい話が入ってきていなかった。
「あのヤマさん。話が難しすぎて全然理解できていないのですが、水やりはとにかくしなくていいってことですか?」
「ああそうだ。トマトはあまり水を必要としない植物なんだ」
「でもそれじゃ枯れてしまいませんか?」
率直な疑問だった。スルツキは今の今まで植物には水を与えて育てると先祖代々言われてきたことだからトマトも同じように育ててきた。それを真っ向から全て覆されたことになる。簡単に受け入れることはできなかった。
「枯れない。育てている野菜でもそんなにやわではない。何もしなくても育つやつは育つ。ワシたち農家は野菜を育てるのではなく、育つ野菜をよりよく育つための手助けをしているだけなんじゃ」
トマトを植えてある畝の土を掴んで、それをバラバラにほぐしてスルツキに見せつけた。
「露地で栽培をするのであれば水やりなど必要ないこともある。雨や地面から湧き出す水で野菜は頑張るのじゃ。この土にも水っけはあるじゃろ。トマトはこれだけあれば十分じゃ」
「こんな少しの水だけで大丈夫なのですか?」
「ああ。トマトも根を張って水がある方向を勝手に見つけるから大丈夫じゃ」
實のことを信じていないわけではない。異世界人が作ったトマトの味を知っているから、異国の地から来た實の言っていることは正しいと思う。だけど、今までの努力が覆されることが納得いかなかった。だからと言って實に苛立っているわけではない。何が正しいのか、何をすればいいのか、それがわからなくなってしまっているのだ。
スルツキは葛藤していた。
どちらを選ぶべきなのかを。
祖父に教えてもらったトマトの栽培方法。15年前に亡くなった祖父が最後にと教えてくれた方法だった。もし、實の言っていることを実践しようとするものなら祖父を裏切ったことになってしまわないだろうか。
スルツキの葛藤の原因はそれだった。
祖父は間違っていない。そう信じたい。
だけど、異世界人のトマトの味が忘れられない。あのトマトを作るのなら實の言っている通りにするのがいいかもしれない。
「……わかりました。水を減らしてみます。他に変えた方がいいこととかありますか?」
「この脇芽。これは取らないとつるボケを起こしかねない」
「ワキメ? ってなんですか?」
新規の農家に指導するときには通じないことがあることは知っているが、まさかトマト栽培を続けてきた農家がこの言葉を知らないとは思っていなかった實。困惑するが、指導をしていた時のことを思い出しながらスルツキに言った。
「トマトの根から繋がっている茎を主茎と言う。その脇から生まれている葉はこの先実をつけるものになるから傷の1つもつけない方が良い。主茎から葉の分かれ目のできる新しい葉。これが脇芽だ。これはできれば早いうちに摘み取るのが理想だ。トマトがこの脇芽ばかりの成長をさせようとするから肝心な実ならなかったりおいしくならなかったり。弊害も多い。だが、この脇芽を放っておいてもトマトは育つし、この脇芽からもトマトができないわけではない。それでも美味しいトマトを作ろうと思うのなら取っておくべきだ」
「なるほど。これを取っておいたら美味しいトマトができるのですね。でも、それだと食べる量が減ったりしませんか?」
「ああ、減ってしまうよ。その分は畑を広げるなりするしかない。水やりの時間がなくなったから少し広げても面倒は見られるじゃろ」
「確かに。今までは水やりのことばかり考えていたので、水やりがなくなれば時間ができます」
「わしも……」
手伝うと言いかけていたが、こんなことでは村長から認められることはないだろうから手伝えることなんて何1つない。せいぜいできて今から口出しすることくらいだ。今まとめて全部言われたところで理解は追いつかないだろうし、簡単にできることではないだろう。土壌改良は時間をかけて行うものだから。
それよりも、實はトマトのことに夢中になりすぎていて、村長との約束を忘れていた。思い出した頃にはもう日が天頂まで登っていた。残り時間は5時間程度。實の中での焦りは激しさを増して行く一方だった。
實は考える。
この先をどうしようか。
予定では草刈りについて畑で解説をしているつもりだったが、なんせトマトに夢中になりすぎたせいで時間を大幅に使ってしまい、残り時間も少ない。
草刈りしか手がないのに、5時間で草刈りの効果を示すのは難しい。
鍬を使った草刈りを教えられるといいが、もし仮にこの異国の地でも鍬を使った草刈りを行っていたならば、實はなす術もなくこの村を追放される。
初めは敬っていた神の存在も、次第に苛立ちを覚えるようになっていた。
神の命によってこの異国の地に斡旋されたのに、どうしてこんな扱いを受けなければならないんだと。
この地の神なら最初から受け入れる体制を取っといてくれと。
思いながらも神を憎むことはできずため息を吐くことしかできなかった。諦めてスルツキに草刈りのことについて尋ねた。
「スルツキ青年。畝間に草が少ないが草はどうしているんじゃ?」
「ああそれは、俺くらいしかしていないのですが、毎日草を抜いているんです。小さな草は小さいうちに抜いてしまう。祖父にそうやって教えられてきたので」
「ルキ兄ちゃんは村で1番の早起きなんだよ。誰よりも先に畑に来ているから1番おいしなトマトなんだよ」
他のトマトは食べていないが、手間をかけているのは確かだ。毎日草抜きをするなんて今の歳では絶対にできない。アンナの言う通り、この異国の地では美味しい方なのかもしれないな。
そう思った實。
スルツキの行動を否定したくはないが、もっと楽な方法があるのにとも思った。
わざとらしく咳払いをして注目を集めて、ようやく本題について話を始める。
「スルツキ青年。君のやっていることは間違っていないが、草を抜くのは手間だ。じゃから草を抜くのではなく、刈ってみるのはどうじゃ」
「刈るですか? でも、それだとすぐに生えてきませんか?」
「それは抜こうが刈ろうが同じじゃ。地面に日の光が当たる限り草というものは生えてくるのじゃ」
「日が当たると? 土の中に残っている根が原因じゃないんですか?」
「それも原因じゃが、土に日を当てなければ草は生えてこないんじゃ。だから、草を生やしたくなければ土には日を当てないことだ。だが、畑をしていればわかるがそんなことはできん。いくら高性能の防草シートを敷いたところで隙間から草は生える。だから草は刈る。抜いて根を残さないことがいいとされているが、草を抜いてしまうことでそのさらに下にあった草の根や球根を日に当ててしまい別の草を生やす原因にもなんじゃ。そして、草を刈るときにも注意が必要じゃ。スルツキ青年鎌のようなものはないか?」
「鎌ですか? この村にある農具はせいぜい鍬くらいですよ」
「では鋏はないのか?」
「鋏ならあります。収穫するとき用ですけど……」
「もう1本ないのか?」
「ありますけど……まさか草を鋏できるのですか?」
「そのまさかじゃ。トマトは深くも根を張るが、広くも根を張る。苗の近くの草を抜いてしまうとトマトの根を傷つけてしまうかもしれない。じゃから苗付近の草は刈る方がいいんじゃ。鎌がないのだったら、鋏で切ってしまうのがいい。それで、その切った草を苗の周りの置いておくと自然のマルチににもなる。微生物が分解すれば窒素の肥料にもなる。一石二鳥の効果があるから実践した方が良い」
「なるほど。美味しいトマトを作るためにはそういったことをしないとダメなのですね」
「ああ」
ああとは言ったものの、實自身はトマトを作ったことはない。この知識も農業仲間のトマト農家に聞いた話を言っているだけだ。
草を刈ったり枯らしたり、方法を知ってはいるが、実は實は地道に草抜きをしていた人間だ。
ここまで自信満々に話してきたが、この頃になってようやく本当にこれでよかったのだろうか。そう思い始めていた。普段は滅多にかくことがない冷や汗も若い頃のように流れ始めていた。
「では早速そうします。向こうのトマト畑はまだ草刈りの途中だったので」
走って實の前から移動するスルツキ。實も追いかけようとしたが、走って行く姿を見て追いかける気持ちが削がれてしまった。
「アンナ。あとでスルツキところまで案内してくれ」
「うん。わかった」
アンナにそう言って、實はトマトの葉を観察していた。
病気や虫喰われはない。健康的で丈夫に育っている。
この世界にも虫はいるはずだから、虫除けに酢をお勧めするのも悪くはない。効果は短いが、残りの時間でできることといえばそれくらいだ。
だが、スルツキの畑には虫がいなかった。
他の畑をアンナに案内してもらってもいいが、なんせ村長があの態度。スルツキ青年に快く受け入れられたのは奇跡。この奇跡が何度も起きることはない。つまり、ここ以外で実践ができない。役に立った証明にはならない。行き着く先は追放。
實に見えた未来は、追放されて森の中で鈴を鳴らす未来だった。
農業において1日でできることなんて草刈り以外ないだろ。そんなすぐに野菜が育つわけないだろ。そんな万能な肥料があるのならどんな農家だったて使うし。使えない農業が成り立たなくなるだろ。
次第に村長に向けての怒りが込み上げてきていた。だが、それを口にすることはなく、心の中で怒りをぶちまけ深呼吸とため息を続けて吐いた。
ウジウジしても仕方ない。できることをやろう。と誓った。
手始めに、ここまで尽くしてくれたアンナの手助けをしようとアンナに尋ねた。
「アンナの両親は仕事を何しているんだ?」
「お父さんは畑と薪を集める仕事をしているよ。畑は冬の間だけだから今は薪を集めているよ」
「その間畑は休ませているのか?」
「うん。草を生やしたらそれが肥料になるって教えてもらったよ」
實は驚いた。
それも大きな口を開けながら。
なぜそんなことをしたのかというと、緑肥という考え方がこの異国の地にもあるとは思っていなく、本当になす術がなくなってしまいそうだったからだ。
「他に困っていそうな農家を知らないか?」
「そう言われてもな……私は畑の手伝いなんて滅多にしないからな……」
「誰でもいいから」
「誰でもって言われても……子供の話なんて大人は聞かないから誰でもは紹介できないな……」
村長のあの反応を思い出したらアンナの話を聞く大人は数少ないだろうなってことは想像できる。
タイムリミットはもう迫ってきているというのに、有用だと証明できることは何1つできていない。
もし、アンナが言っているように、子供の話を全く聞かない大人が一定数いるのなら、スルツキの話を信じる大人も少ないってことになる。そうなれば……。
實の頭には追放の2文字しか浮かんでいなかった。
「ヤマ顔色悪いけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫じゃ。歳じゃからな動きすぎるとすぐに体調を崩すんじゃ」
「そうなんだ。歳をとると大変なんだね」
少女に心配されるわけにはいかない。追放の話もアンナなら問題を起こしそうだから話さない方がいい。もし追放をされたらすぐにでも鈴を鳴らすのだから。存在そのものが幻覚だった。そう思わせておく方がいい。悲しい別れ方だけはしたくない。
身を引く覚悟をもう決めていた。追放される未来しか見えないから。




