3話
森の中で人間のような男に出会った實。相変わらずただ立ち尽くしていた。恐怖もあるが何より疲労で動きたくなかった。
「用と言われても、行けと言われたから目指しているだけで特に用などは……」
疲労もあり頭が混乱していた實。神に言われた農業開発の約束を早くも忘れていた。
「余計に怪しいな。お前名前は?」
「や、山野實。83歳だ」
「ヤマノ? 聞いたことない名だな」
「遠い異国だから仕方ないことではないか?」
猿の男は實の首筋に剣を向けた。剣を向けられたことに気がついたのは、首筋に冷たいものが当たってからだ。
「すまない。首にあるものを退けてはくれんだろうか? 背中に女子を乗せているので危なっかしいったらありゃしない」
背中の少女を見せびらかすように身体を向けるが、ここは暗闇、猿の男からも少女を確認することはできなかった。だが、確かの子供の手と足だけはあった。猿の男は諦めて剣を實の首から外し、ガサゴソと持ってきていた松明に火をつけた。この時に初めて2人は対面した。
猿の男は實の老けきった顔に化け物だと思い、反対に實は猿みたいな生物と思っていただけに人間だったことに衝撃を受けていた。
夜の森だと言うのに、互いに叫び合っていた。
そんな2人の叫び声を聞いて今度は少女が目を覚ますのだった。
「ここはどこ?」
「その声は、アンナか?」
男がそう言うと背中の少女が言葉を返した。
「その声はサムね。こんなところで何しているの」
「それはこっちのセリフだ。アンナこそ、こんな時間まで何をしている。村のみんなが心配しているぞ」
「明日の朝ごはんにキノコを取っていたの。夜までには帰るつもりだったのだけど、知らないうちに日が沈んていたみたい」
「だからいつも言っているだろ。森の中には1人で入るなって。今度からは誰でもいいから連れて行けよ」
「はーい。ごめんなさい」
この世界の人間同士の会話に置いていかれる實。ここは口出しをすべきではないと悟り、口を噤んだ。
「ところで。その人は誰なんだアンナ?」
少女は實に背負われていることに気がついていなかった。目の前の白い髪の毛に恐れ慄き實の背中から飛び降りた。それと同時に我慢していた声を盛大に出した。これがまた耳を塞ぎたくなるような大声で實は聞いただけでも身体をふらつかせていた。
「お前一体何者だ!」
少女が悲鳴を出したことで實への疑念はさらに深まり、實の首にはまた剣が向けられていた。
「さっきも言った通り、私は神によってこの世界に送られてきたただの人間です。どうかその剣を下ろしてください」
こう言う時は両手を上げることが決まっているが、年寄りの實。さらには今の今まで少女を背負っていたこともあって、腕の筋肉は限界を迎え、せいぜい上げられて肩までだった。
「何か隠し持っているだろ! 持っているもの全て出せ!」
ズボンのポケット、胸ポケット全てのポケットを漁って出てきたのは神に渡された2つの鈴だった。
「持っているのはこの鈴だけだが、この鈴は神からの預かり物、ワシ以外の人間が使ったらどうなるうのかは聞いておらん。触らないほうが良いと思う」
手渡しそうになった鈴を見せびらかすだけにとどめて、間違って鳴らさないようにと無意味手に力を入れていた。
緊張に疲労も加わって手は震えていたが、思ったよりも小刻みだったこともあり、音は鳴らないで済んでいたが、いつ鳴ってもおかしくない状態に實は改めて心拍数を上げていた。
「神からの贈り物ってのは本当そうだな。触れたら祟りでも起きそうだ。物騒なものは片付けてくれ」
ポケットに戻すことの許可も下りて安堵していた實。手の力を抜いてポケットに片付けようとしたその時に。
チリンッ。
鈴が音色を響かせた。
音を聞いて、やってしまったと焦る實。
だが、何も起きなかった。
それもそのはず、神と名乗った2人は鈴を振りながらあの場所に戻ることを願えと言った。何も願っていない實は鈴を振っても何も起きないのは当然だった。
何はともあれあの場所に戻されなかったことを安堵した實はここにきてようやくこの世界に来た理由を思い出したのだった。
「青年よ。この世界に連れてこられた理由を思い出した」
「それはよかった。理由もなく村に連れて行くことはできなくて、あいにく置いて行くことしかできなかったから」
一瞬焦って胸を撫で下ろすかのようにため息を吐いた實。視点を男に定め口を開いた。
「この世界の神に農業に従事するよう頼まれている。ベリア村に行って、日本の農業を広げてくれと」
實がそう言った途端に話の内容を信じられなかった男は目が点になって首を傾げていた。
「何おかしなことを言っている。死にかけの爺さんに農業なんてものができるか。お前を村に入れるわけにはいかない」
「神に言われた身なもんで村に案内されないのは困る。だからこうしてくれんか。1日だけ。1日でわしの知っている農法を披露する。その方法を見て村にとって有意義かどうか判断してくれ。このまま神の元に戻っても合わせる顔がないものでな」
實の提案に疑いの目を向けながらも男は頷くのだった。
「わかった。だが、俺は村に案内するまでだ。それから村長に面会をしてもらうがどう転んでも責任は取れないからな」
「ああ。それで構わんよ。もしダメだったら神に地獄にでも送ってもらうよ」
その時はその時だ。謝罪でもすればあの優しそうな神なら許してくれそうだ。罰のようなものがなければいいが。
不安を抱えながら空を見上げた。木々が生い茂り、空の星はほとんど見えなかった。
「しばらく歩くからついてこい」
實は内心思った。
まだ歩くのかと。




