2話
タマとナラに村があると言われて歩き出して、實の体感で数時間が経過しているが一向に森しか見えず、大きめの石が出てくるタイミングで小休憩を挟んでは歩いて、少し休んでは歩いてを繰り返していた。
道のりはさほど長くはなくても、83歳の老体には山を数時間歩くだけで限界を迎えそうになっていた。歩き慣れている山ならまだしも、全く知らない森。警戒心を持ちながら歩いているから余計に体力を消耗していた。
それでも歩き続けるしかない。森の中で一夜を明かすわけにはいかないから。
──日が傾く前には村に着きたいと願った實だったが、村の門らしきものの前に着いた頃には空はオレンジ色に染まりきっていた。
ハアハア。
と息を切らしながら先に進む實。門らしきものをくぐったにも関わらず、まだ森の中を進んでいた。
次第に、この先に本当に村があるのだろうか。神は嘘をついて試練を与えているのか。
そう思ってしまっていた。
少しだけ休憩を挟みたいが、今このまま座って休んでしまえば重い腰をもう一度上げることは困難になる。それがわかりきっていたから、日が落ちる前に村の中へと休まずに先を急いだ。
相変わらず森の中を進んでいた實。
そんな實も前に一軒の趣のある家が見えた。木でできた家で、周りは蔦で覆われていて、見るからに人の気配のない家だった。
それでも微塵もない可能性に賭けて壁か扉かもわからないところをノックする。
「誰かいませんか?」
当然のように中から返事はなかった。
同じことを2回ほど繰り返して、何も反応を得られなかった實は、ため息を吐きながらまた先へと進んだ。
森の中をさらに進んでいくと、奇妙に開けた場所に出た。
切り株があったり、今まで通ってきた道と比べて草丈が低かったり、人か若しくは獣がすみかとしている痕跡があった。
切り株を作ったのは断面を見る限り人間であるが、表面の乾燥具合から切ってから何年も経っていることだけは窺える。だとすればこの場所に住み着いているのは獣の可能性が高い。
そう考えた實はさらに森の中を進む。その頃にはもう黄昏時を通り越して空が青紫色に変色していた。
もう日が沈む寸前。
何も手持ちがない状態での野宿、それすなわち死を意味する。
このまま村に辿り着かなかった時は草間にでも隠れるとするかと考えていると、實の前に1人の少女が現れたのだった。
少女は實の存在に気がつくことなく、木の根元付近で何かをしていた。おそらくキノコでも採取しているのだろう。
そう思いながらゆっくりと少女に近づいて實は少女の背後に立った。
「そこの君。悪いがベリア村までの道を教えてもらってもよいか?」
限界を迎えそうになっていた實。
日が沈んだことも相俟って少女は熊のような怪物に遭遇してしまったと思い込んだ。
耳を塞ぎたくなるくらいの大きな悲鳴を上げながらその場で意識を失う少女。何が起きたのか理解できていなかった實もまた困惑しているのだった。
「もしもし。大丈夫ですかな?」
老人の集会で一次救命処置について最近習ったばかりの實はうろ覚えながらの手順を思い出しながら少女に声をかけたのだった。
「もしもーし!」
そもそも半分間違えているが、この後の手順も何1つ思い出せない實だった。實が覚えていることはただ1つ声をかけて起きているか確認をするということだった。
「もしもーし! 大丈夫ですかな!」
どれだけ声をかけても反応がなかった。
脈をとって生死の判定を行うことは頭に入っていたが、生まれてこのかた脈を測るということをしたことがない實にとっては生死の判断は重いものだった。
どうするべきか悩んだ末に實が取った行動は少女を背負って村を目指すということだった。
もう日が沈んでしまって暗い夜道になりつつあったが、この少女が死んでしまったら寝覚めが悪いと内心は嫌であったが運ぶことを決意した。
村の正しい位置も知らずに。
決して重たくはない少女であったが、83歳の老体に疲労も加味されてまるで漬物石を何個も運んでいる気になっていた。
ハアハア……。
息は切れるばかりで、次第に汗も視界を遮るだけでは飽き足らず、顔を伝って顎から垂れていた。
汗を拭いたくても少女から手を離してしまったらそのまま落としてしまう、そんな気がして気持ち悪いが汗を垂れ流すしかなかなかった。
生えている木を頼りにしながら真っ暗な山道を進んだ。真っ暗なだけあって、普通に歩くことができなくなっていて、足を擦りながら木の根で躓かないようにして、歩くと言うよりもはや身体を引きずりながら進んでいた。
──背負って歩くこと約10分。
何も変わらない山の中を歩いていると、近くの草むらでガサガサと音が鳴った。實はもちろん野生動物だと思い、大きめの木に身体を隠した。木の影からこっそり覗くように見ても、一寸先は闇であり、ただ暗闇があるだけに過ぎなかった。
ただでさえ疲労で息を切らしていた實。足を止めていても心拍数は上昇し続ける一方だった。それでも實は耳を澄ませて獣の足音を拾うとしていた。
夜の静かな世界では音は思ったよりも響く。
こちらは物音を立てないように身動きを取らず相手が動くのを待ってずっと隠れた。
だが、相手は實を標的にしているかのように動きを見せず、こう着状態になっていた。
動いた方が負け。
それを感じ取っていた實は息を殺して、まるで元からそこにあった物のように微動だにせず直立していた。腕の震えは少なからずあったが、相手から見える位置ではないことは確か。バレていないだろうと信じながら。
「誰かいるのか?」
声をかけてきたのは男だった。
若そうな声人なら前に出てもいいかもしれないそう思って木の影から身体を出すと、そこには剣を持った猿ような毛深い生物がいた。人間だと思っていた手前何も言えなくなった實。ただ立ち尽くすことしかできなかった。
それでも、この少女だけは守らなければと、見えないように背中に隠した。
「見ない顔だな。どこからきた?」
「に、日本という国だ」
「聞いたことない国だな。こんなところで何をしている?」
「この世界の神に連れてこられたんだ。ベリアと言う村に向かえと言われている」
人外かもしれない生物に話しても無駄かもしれないと思いながらもなす術もなく全て正直に話した。
「ベリア村に何の用だ」
猿のような生物、実は、顔のように見えていたのはお面だった。男はそのお面を取って素顔を露わにした。
だが、ここは森の中の暗闇。かろうじて見えるのは輪郭のみ。この時の實はまだ彼が人間であることを知る由はなかった。




