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83歳實さん。異世界へ行く!  作者: 倉木元貴


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1話

 春になると山から猪が、夏になると夜にはカエルの大合唱が、秋になると紅葉が一面に広がり、冬になると世界が変わってしまったかのように銀世界が広がる田舎。

 そんな田舎に御歳83歳になる老人が住んでいる。

 名前は山野實やまのみのる

 生まれてこの方この地から離れたことはないベテランだ。

 毎日の仕事として、朝はラジオ体操や乾布摩擦から始め、陽が天頂に登る前に農作業を行い、昼食を終えた後は山に入って薪を切ったり、山菜を採取して、陽が落ちる前に夕食をとり、風呂に入り、眠る。

 そんな暮らしを続けていた。

 毎日同じことの繰り返しでつまらないように思われがちだが、この年になると変わったことをする方がよっぽど気がかりなことが多いのだ。

 いつまで歩けるのかわからない身体。違うことに注力して歩けなくなっては本末転倒。

 田舎は車が資本で動くことができなくなったらこの街を離れないといけない。

 通える病院までも、徒歩換算なら40分。老人が1人で歩くには遠い。自転車だって坂道が多いから遠くへ行くには歩いた方が早かったりもする。そんな田舎。車がなければ何もできない田舎。

 だが、實本人は不便だが、この生活を気に入っている。ずっとこの生活を続けてきた慣れもあるが、自分の食べたい野菜を自分で作り、肉が食べたくなったら知り合いの酪農家や養鶏・養豚家から物々交換で肉をもらい。米は必要な分だけ精米し、いつも新鮮なものを食べている。

 その甲斐あってか、實は病気というものを知らない。風邪程度は何度か罹ったことがあるが、インフルエンザや流行りものの感染症を経験したことがない。

 そんな實でもどうして抗うことができずに月に1回病院には通っている。それは過労からくる腰痛だ。農作業でどうしても腰を曲げることが多くなっているのに合わせて、いつ死んでもおかしくない年齢。

 身体にガタが来ていない方が不思議だ。

 實本人も身体の動く幅が狭くなったり、重いものを持てがすぐに息が上がることで年を感じている。先が短いこともわかっているが、死ぬまで今まで通りの暮らしを歩みたいと思っている。不可能だろうなとも思いながら。

 

 ──そんなある初夏のこと。

 ゼンマイを隣の婦人の分も、といつもより大きめのカゴを腰に携えて、愛用している地下足袋じかたびとともにいつも通り山菜を取りに山に向かった。

 使い古した地下足袋は泥が落ちることなくこびりついているが、實はこの地下足袋がお気に入りであり、足裏についているスパイクが擦れるて効き目がなくなるまでは使っている。

 この地下足袋を売っているお店が車で30分かかると言うのも関係しているが。そろそろ替え時かもと思いながらも山の中でゼンマイを探していた。

 ゼンマイは理科でよく聞くシダ植物に分類されており、湿気と日陰が好きだ。だから實がいつも探している場所は川の近く。崖に生えていることが多いから、川を見下ろせる場所から目を凝らして茶色い棒が生えていないか見ている。

 もちろん辺りの警戒も怠らない。

 川があると言うことはここに水を飲みに来る動物もいる。鹿みたいな動物ならいいが、熊や猪に出会うこともある。

 山菜取りを昼間にしているのも野生動物との接触を減らすためでもある。食後にしているのも、ご飯の匂いに動物が近寄らないようにするためだ。

 だから、實は食料類をほとんど持っていない。緊急用のチョコレートをチャック付きの袋に入れて密封しているの以外。飲み物も甘いスポーツドリンクやジュース類よりも味のない水や麦茶にしている。

 それでも野生動物に会うことはある。基本は鹿や猿が多いがたまに猪に、遠くで熊に会ったことも。そんな時は鈴を鳴らしながら一旦距離を置く。これで今までも動物に襲われることなく山菜取りをできてきた秘訣だ。

 そして今日も山菜を取る。

 川のほとりでは川に落ちないように地下足袋を使って足場を作り、急な斜面ではザイルを使って安全を確保する。

 鎌とゼンマイどちらの手も使うから、急斜面でも足を踏ん張って身体を支える。

 歳をとるとこれが辛い。

 足の力が全盛期に比べると随分と落ちているから、両足で踏ん張る体勢を続けるのが辛い。数年前までは5メートルくらいの崖に生えているゼンマイならずべて刈ることができていたが、今は3分の1もできない。2回多い時には5回くらい休憩を挟まないといけない。

 山菜取りもそろそろ引退を迎えようとしているのかと思うこともあるが、小さい頃からゼンマイは好物で死ぬまで食べ続けると心に誓っている。

 そんなわけで山菜取りを引退する気はさらさらないのだ。

 だから……。

 

 “こうも大事な場面で足を滑らせてしまうんだ。”

 

 それは實が斜面を登っている時だった。まだ緑が光っている葉っぱが大量に落ちていて、そこに足を踏み入れると、まるで氷でもあったかのように派手に足を滑らせた。

 實は滑ったことに心を焦らせて、ザイルから手を離してしまい、ロープも掴ことができずに崖下に落ちてしまったのだった。幸いにもザイルはまだ崖に垂れ下がっている。ザイルのところまで行けば崖をまた登れる。

 そう思っていた實だったが、身体が動かなかった。

 まずは足の骨折を疑った。

 だが、足はどちらも動く。折れてはいない。どちらかというと、上半身が動かない。何かに引っ掛かっているかように。手はどちらも動く、動かないのは胴体だけ。それはつまり腰を折ってしまったと實は思った。

 前々から痛みを感じていた腰。

 腰から落下した自覚はあるから尚のことそう思った。

 腰を痛めていても腰をできるだけ使わない方法で起き上がることもできる。

 うつ伏せになり大きな石や斜面を頼りに腕で起き上がる方法だ。

 これなら起き上がれると思っていた實だったが、うつ伏せの体勢どころか身体を横に向かせることができなかった。

 特に、左側を向こうと身体を起こそうとすると、腰に激痛が走った。

 さすがの違和感に實も気づいた。

 この痛みは単なる腰痛じゃないと。實は上に着ていた服のチャックを外した。腰の痛みが感じる場所。ちょうどその真上に当たる場所。腹のへその右隣そこから生えているかのように真っ赤な木が刺さっていた。

 今の季節は夏でどこの木にも緑が生い茂っている。刺さるような木など少ないはず。實はそう思ってまずは骨折を疑った。

 だけど、上を見て全てを悟った。實の頭もとにあった木は周りの木とは裏腹に1本だけ季節が冬かのように枯れていた。木は表皮が爪で抉られているあとがあり、最近つけたばかりのシミも付いてあった。

 これは熊の仕業だと。

 この木で爪研ぎをしたのならここは熊がよく訪れる水飲み場。昼間の今は来ることは少ないだろうが、夕方になれば動き出す熊に見つかる危険性が高い。

 いち早くこのばをにけ出したい實だったが、腹に刺さった木が邪魔をして動けずにいた。

 助けを呼びたいけど、携帯は背負っている鞄の中。上半身が起こせないから鞄が取れない。鞄をずらしてなんとか携帯を取ることができたが、落下した衝撃で携帯は見るも無惨に折れ曲がっていた。

 電源なんて落としていないが、画面は真っ暗でどのボタンを押しても何も反応しない。

 絶望的な気持ちに苛まれながら空を見ていると、空から黒い影が一つ降ってきた。顔の隣に落ちてきたそれはさっきまで取っていたゼンマイだった。

 アク抜きをしていないゼンマイは食当たりの原因になる。だけど、そんなことを言ってられない。このまま多分死ぬ。最後に好きなゼンマイを食べて死ねるのならその方がいい。

 實は顔の隣に落ちてきた生のゼンマイを食べた。苦いと思いながらも歯でよく砕いて食べた。最後の食事にゼンマイを食べて實は目を瞑った。次第に足や手に痺れを感じてどちらも動きが鈍くなった。

 このまま死ぬのだ。

 もう何もする気力が起きなかった。薄れていく意識の中、昔のことを思い出していた。小学生の時の記憶や、今まで暮らしてきた記憶。それが走馬灯になって今この瞬間に起きていることのように蘇ってた。

 そしてこう思った。

 

 “悪くない人生だった”と。

 

 

 ──實が目を覚ますとそこはまるで雲の上にいるかのように全体が白く、霧のようなものが漂っていた。

 ここが天国なのだろうかと辺りを見渡していると、流れている霧の隙間から2人の子供が現れた。

 少年と少女。

 白い装束に身を包み、手には紐で結ばれている鈴を1個持っていた。實を見つめていた2人は同時にこう言った。

 

「「お初にお目にかかります。我々はこの世界の管理人、タマとナラと申します。山野實様。あなたは今さっきお亡くなりになりました。ですが亡くなってしまったのはこちらの不手際でした。元の世界に戻したいのですが、私たちの力ではどうしても戻すことができないのです。代わりに別の世界で残りの寿命を過ごすのはどうですか? 我々も精一杯補助をさせていただきます」」

 

 言い終わってから深く頭を下げる子供に實もつられて頭を下げた。

 ハッと気づき、何で頭を下げているのだろうと思いながら、子供たちに訊き返した。

 

「それよりも訊いてよいか?」

 

「「はい。何なりと」」

 

「ここはどこなのじゃ?」

 

「「ここは現実と死後の世界のはざまになります。死者のほとんどがここを通られて天国か地獄か、行き先を決める場所になっています」」

 

「ワシはどちらに行くのじゃ?」

 

「「山野實様。あなたは天国でも地獄でもない世界に行っていただきたく、この席をご用意させていただきました。もちろん任意ですので、断っていただいても構いません。その場合は我々を無視してこの先へとお進みください。この先に選別の門がございます。我々は行き先を決める権限を持っていないので、行き先についての詳しい場所はこの先でご案内されます」」

 

 子供達の背後を見ても霧か雲のようなものが延々と続いているだけ。歩いた先に本当にあるのかさえ怪しい。この世界も聞いたことのない世界。死者の世界と言っていたから無理もないが、寿命が残っているからと言ってどうしてワシなのだ。

 そう思った實は、子供たちにもう一度質問をする。

 

「それはなぜワシなんじゃ? ワシに何かして欲しいことでもあるのか?」

 

「「さすが山野實様。見抜く目を持ってらっしゃいますね。ここだけの話。実は我々が案内している世界は技術全般が未発達で、特に農業の分野では著しく低いのです。ですので、山野實様に農業の発達、ひいては技術全般の発達に寄与していただきたいと考えております」」

 

 また頭を下げている子供を見つめて、チクリと心を痛める實。ため息を吐きながらも引き受けることを心の中で決める。

 

「ワシがこれから向かう世界のことについて、どんなことでもいいから教えてくれ」

 

「「承知いたしました。我々がご案内する世界はウラジルク帝国という国になります。ウラジルク帝国の端の端。辺境で人もほとんどいない、ベリアと言う村になります。主食は米と小麦で二毛作栽培を行っています。その他の野菜は山野實様が過ごしていた地域と同等になってします。四季や気温も同程度のものになっていますので、過ごしやすい世界になっていると思います。ただ、湿度の方は、山野實様の世界より低いものになっていますので、乾燥が気になるかもしれません。我々の力が及ぶ範囲ではないので、大変申し訳ありませんが辛抱を強いてしまいます」」

 

「世界が違うのなら言葉も違うのではないか?」

 

「「そちらについては大丈夫でございます。こちらの方で山野實様の言葉が通じるように変えておりますのでご安心してください。その他不備も度々訪れると思われます。我々は世界に関与することができないので、これだけお受け取りください」」

 

 2人は同時に手を差し出した。2人の掌になっていたのは手に持っていた鈴だった。

 實は鈴を見つめて、さらに差し出す2人の圧に負けて鈴を受け取った。

 

「「そちらの鈴はいつでもこの場所に戻ってくることができる鈴です。山野實様には無理強いはしないので、嫌になればいつでも生活を終わらせることが可能です。嫌になった時には鈴を振りながら願ってください。選別の門までお送りできる品物になっています」」

 

 何も願わずただ鈴を鳴らしてみる實。チリンと鳴る鈴の音色は、どこにでもありそうな至って普通の鈴。

 こんなもので本当にここまで帰ってこられるのか。そんな不安を抱えながらもスボンのポケットに突っ込んだ。

 これは實の癖で、ポケットに入るものはとりあえず突っ込んでしまうのだ。

 それで何度も物を失くしているというのに性懲りもなく続けているのだ。癖だから一生治らないと自分に言い聞かせながら。

 

「ありがとう。もしもの時は使わせてもらう」

 

「「はい。では、別の世界へと案内させていただきます。こちらへどうぞ」」

 

 2人について行くと、白く、身体の倍はある観音開き扉に案内された。2人はそれぞれ右と左に分かれて扉を開けた。扉の先は森になっており、村がある気配は到底なかった。

 

「この先に村があるのか?」

 

「「はい。少し歩きますが、この先に目的としていますベリア村がございます。見られると騒ぎになるので遠いところからのご案内になっています。悪しからずご了承ください」」

 

 また深々と頭を下げる2人を前に文句など1つも言えない。それなら仕方ないと實は足を進める。不安と期待を握りしめながら。

 實が扉の外に出ると、それを待っていたかのように2人が實の名を呼んだ。

 

「「山野實様」」

 

 實は振り返って2人を見つめる。終始真顔で少なからず恐怖心を抱いていた實だったが、最後に2人は微笑みを浮かべながらこう言った。

 

「「最後になりますが、我々も微力ながらお手伝いをさせていただきます。先ほどお渡しした鈴にもう一つの力を加えました。必要になった物を鈴に願ってください。我々が山野實様がいた世界の物をお送りいたします。但し、私欲物は送ることができませんので、世界の発展に寄与するものだけを願ってください。それではご武運をお祈りします」」

 

「ありがとう。ワシなんかの力でできることは少ないが、こちらこそ微力ながら尽力させてもらうよ」

 

 2人は無言で頭を下げゆっくりと扉を閉めた。

 閉ざされた扉は下の方から塵となり木々を抜けて行く風に吹かれて空へと消えていった。

 實は向きを変え、村があると言っていた方向へ歩き出した。これから始まる終わりまでの人生を考察しながら。

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