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アンリ1


 カイルが男性ではなく女性で、死んだはずの双子の妹のセレナだったと調査を命じた部下から報告を受けたとき、アンリの心に浮かんだのは「やっぱり」という納得感。疑惑が確信に変わっただけだったはずなのに、アンリは心の奥底でその事実を喜んでいる自分がいることに気付き、戸惑いを覚えた。

 その数瞬後には、セレナに対する自身の感情の正体を自覚する。


 しかしアンリは、それからというものセレナにどう接すればいいのかわからなくなってしまった。

 これまで誰かに好意を抱いたことがなかったアンリにとって、それはまぎれもない「初恋」。

 セレナに抱いていた好ましい友情が、鮮やかな色を帯びて恋情へと姿を変えていく一方で、これほど近くにいるのに本当のことを隠されているという関係性が鋭いナイフとなってアンリを傷つける。

 セレナの育ってきた環境を思えば、真面目な彼女が他者に真実を打ち明けることなどできるはずがないことはアンリも理解していた。だけれども、理解するのと受け入れるのとでは全くの別問題だった。

 仕方がないことだとわかっているのに、本当のことを言ってくれない彼女に対して怒りにも似た感情が湧いてきてしまい、ぎこちない態度を取ってしまった。

 そんな狭小な自分にもイラついてしまい、アンリはほとほと困り果てていた。

 頭と感情とがちぐはぐな状態を、アンリは16年生きてきてこのとき初めて経験したのだった。


 そして、アンリの苦悩に比例するように、セレナの様子も悪化の一途を辿る。ただでさえ食が細かったのに、以前にも増して食べる量が減り、顔色も優れない。薬も服用するほど辛いのに、自分には全く弱音を吐かないどころか頼ろうともしてくれない。

 調子が悪いんだろう、と訊いても「どこも悪くありません」と否定するセレナに、アンリの不満は爆発してしまい、気付けば深いため息とともに冷たい言葉を投げつけてしまった。

 ハッとした時には、もう遅かった。目の前の彼女の傷ついた表情に、アンリは後悔の渦に飲み込まれる。誤解を解こうと口を開いたアンリを、セレナはこれまで聞いたことがないほどの強い口調で黙らせた。


「優しくされると辛いんです。……自分のことは自分でできますから、僕のことは放っておいてください」


 シャッと間仕切りのカーテンを引かれ、セレナの姿が見えなくなる。これ以上話したくないという彼女の拒絶に、アンリはそれ以上言葉を発せられなかった。

 衣擦れの音が聞こえて少しして部屋は静かになる。その静寂に包まれた室内で、アンリは項垂れ頭を抱える。

 どうして、セレナのことになるとこうも上手くいかないのだろう。

 これまで自分は、王子という立場で人付き合いも社交もそれなりにやっていたはずなのに。冷たい、怖い、近寄りがたいと言われていたのは知っていたが、だからといって公務に支障をきたすことはなかった。

 なのに、セレナが相手だと感情の制御がきかなくなる。

 誰よりも大事にしたいのに、大事に思っているのに……。

 何もかもが思い通りにできない自分の不甲斐なさに嫌気がさした。しかも、幸か不幸か明日からは公務でしばらく王宮に帰ることになっていた。

 セレナのことはギャスパーやクラスメイトによくよく頼んでいるけれど、それでも不安は消えない。自分が不在の間に彼女に何かあったら、と思うと体がすくんでしまう。

 できることならセレナを王宮に連れていきたいくらいだった。


 どれくらい頭を抱えていただろうか、すっかり静まった室内にかすかな声が響いて、アンリは顔をあげる。

 しくしく、ひっくひっくと、すすり泣きのような呼吸音と、とぎれとぎれに聞こえてきた悲痛な声に、気付けばアンリの足はカーテンの向こう側へと進んでいた。


「痛い……、痛いよ……お兄さま……、ごめ……なさ……」


 ベッドの上、セレナはシーツに包まった体を縮こませ、何度も「ごめんなさい」と苦しそうにうなされていた。そのあまりにも痛ましい姿に、心臓が締め上げられる。


「ごめんなさ……おに……さま……痛い……、苦しい……」


 きつく閉じられた瞼の端からはぽたぽたと涙が伝い、色が変わるほど食いしばった唇は苦し気に歪んでいた。アンリはベッドの傍らに膝をついて、セレナの体に手をかざして治癒魔法をかける。今の自分には彼女の体の痛みしか取り除くことしかできないのが心底悔しかった。


「大丈夫だ」


 この声が彼女に届くとは思わなかったけれど、言わずにはいられない。


「もう大丈夫だ」


 もう、苦しまなくていいと、少しでも彼女の背負う荷を軽くしてやりたい。兄の死を背負い、自分を殺して生きる彼女の心の苦しみを癒したいと強く思った。



 体調の不安定なセレナを置いて学園を留守にすることに後ろ髪を引かれつつ、アンリは朝早く王宮へと帰った。ジャラジャラと飾りのついた重たく堅苦しい正装に着替えさせられ、隣国から来た王子だか王女だかをもてなす昼餐会に出席、その夜は社交パーティー、その翌日は国の資料館や美術館に彼らを案内をさせられ、とひたすらこき使われた。

 王宮に戻った昼下がり、ようやく一息つけると思ったのに王妃から隣国の王子と王女とお茶をするから付き合えと呼びつけられてしまう。拒否権などあるはずもなく、アンリは渋々三人とテーブルを囲んだ。さっきまでずっと一緒にいた二人と話すことなどなかったアンリは、聞き役に徹していた。


「――ところで、アンリ殿下はご結婚のご予定はないのですか?」


 斜め向かいに座った王子に前触れもなくそんなことを尋ねられたアンリは、表情を変えずに「予定はありません」と冷たく返す。


「この子ったら、魔法にしか興味がなくてつまらないのよ」

「そんなことございませんわ、王妃殿下。女性からしたら浮ついた殿方よりも、アンリ殿下のように硬派な方の方が好感を持てると思います」

「あら、そうかしら。王女殿下のように素敵なレディにそう言っていただけるなら母としても心強いですわ」

「妹はずっとアンリ殿下にお会いできるのを楽しみにしていたんです」

「まぁ、嬉しい! ねぇ、アンリ」


 お茶会と聞いたときに感じた嫌な予感が的中してしまった。最初から自分と王女の仲を取り持つ算段だったのだ。

 内心で盛大に溜息を吐いてから、アンリは口を開く。


「私には身に余るお言葉でございます」

「まぁ、アンリったら照れてるのね」

「……」


 ときに女性は自分に都合の悪い話を聞かないものだ、と国王がしみじみとつぶやいていたのをアンリは思い出し、これ以上何を言っても無駄だろうとアンリは口を噤み、当たり障りのない返答に徹した。



「――んもう! さっきのお茶会での態度はなんなのですか!」


 茶会を終え、王妃に連行された先の国王の書斎でアンリは説教を食らう破目になった。頭から蒸気を出す王妃と、それをなだめる国王を見ながら、考えるのはセレナのことだけ。

 懇意にしている魔導士長に頼みこみ、毎晩セレナが寝付いた頃合いを見計らって転移魔法で寮に飛ばしてもらい苦しんでいるセレナに治癒魔法を施していた。

 口論とさえ呼べないような喧嘩別れから、一言も話せていないこの現状をどうにかしたいのに、この公務が終わらなければ学園に帰れないというやるせなさに苛立ちは募るばかり。そんな中で、さっきのお茶会を開かれて自分でも大人げないと思いつつも子どもじみた対応をとってしまったとは思っている。


「アンリ、聞いているのですか?」

「私はそんなだますようなことはやめた方がよいと言ったではないか」と、隣に座っていた国王が王妃を窘める。

「だって、最初から伝えていたらお茶会に来なかったでしょう⁉」

「アンリとて子どもではないのだ、出ろと言えば出ているだろうに、なぁ」

「それが必要な公務なら」


 第二王子という自分の役目を放棄するつもりはないし、それこそ国のために政略結婚を強いられたとしても、受け入れる心づもりはあった。――以前の自分なら……。


「――ただ……」

「……ただ?」


 珍しく自分から発言をしようとするアンリを、王妃と国王は興味深げに注視する。


「結婚相手は自分で選びたい、と思っています」

「まぁっ!」

「おぉっ」


 感嘆の声をあげた二人は互いに顔を見合わせて目を見開いた。


「あなた! 聞きまして⁉ アンリが! あのアンリが……! ねぇ、あなた!」

「あ、あぁ、もちろん聞いたとも! そうか、そうかそうか、あのアンリがなぁ!」


 あのアンリとは一体どのアンリなのか。

 疑問が浮かぶも、尋ねたところで墓穴を掘りそうな気がするから黙っておく。頭ごなしに反対されずにほっとして、さっきまでの苛立ちはいくらか緩和されていく。

 自分がセレナ以外の誰かと結婚するなど考えられなくなっていることに、さっきのお茶会での会話でアンリは改めて痛感した。


「――アンリよ、もしやもう決まった相手がいるのではないか?」


 王妃とはしゃいでいた国王がこちらに顔を向ける。これまで結婚に関して何一つ口にしなかったアンリが、このようなことを突然言い出したのには訳があると思い至ったようだ。

 国王の真剣な眼差しを受け、アンリは居住いを正した。


「実は、そのことについてご相談がございます――……」


 何事かと息を呑んだ二人に、アンリは伝えるべき事情を静かに話し出した。

 その間も、アンリの心を埋め尽くすのは、セレナだけ。

 早くセレナに会いたい。会って、謝って、自分の想いを伝えたい。もう、カイルとして自分を偽らなくていいと、心の枷を取り払ってやりたい。

 アンリの頭に清らかな美貌がはっきりと浮かぶ。

 思えば一目惚れだったんだろう。

 初めてセレナに会った日のことを、アンリは思い出していた。


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