失ったもの
目が覚めると、薬のおかげか胃の痛みはほとんど消えていた。
それでもまだしくしくと鈍い痛みが燻っているのを感じながら、セレナは起き上がる。
(久しぶりに見たな……)
カイルを失ったときのことを夢で見るのはこれまでも時折あったけど、学園に来てからは初めてだった。あの夢を見た日は一日頭痛と吐き気に悩まされるのに、今日はなぜだかすっきりとした目覚めだった。
はっきりとは覚えていないけど、いつもの夢とは違うことがあったような気もするからそのおかげかもしれないと頭の片隅で思う。
後を引いてないことに安堵しつつも、すぐに昨夜のアンリとのことを思い出して気が重くなった。
ベッドから降りたセレナは、深呼吸を一つしてからカーテンを引く。
(あれ……いない)
いつものこの時間なら、アンリも起きているはずなのに。部屋にも洗面所にもアンリの姿はなくて拍子抜けした。
散々迷惑をかけた挙句、自分勝手なことを言って怒らせてしまったから、きっと顔も見たくないに違いない。
落ち込みつつも、これでよかったんだと自分に言い聞かせて身支度にとりかかった。
「え……公務?」
セレナは持っていたスプーンを落としそうになり、慌てて手に力を込める。それでもスプーンに乗っていたパンがぽちゃんとスープに落ちてしまった。お腹がまだ本調子じゃないため、温かいスープにパンを浸したものを少しずつ食べていたところだった。
紙ナプキンを一枚取ってテーブルに跳ねたスープをふき取る。
「そう、他国の迎賓でどうしてもでなくちゃいけないとかで、数日家に帰るって」
「家って言っても王宮だけどな」ぎゃははとジョシュアが笑う。
(そんなこと聞いてない……って、当たり前よね……)
ただでさえ避けられていたのだから、伝えてもらえなくても仕方がない。
それでも、ルームメイトなんだから、一言教えて欲しかったと思ってしまう。
「まぁ、そういうわけだから、休み時間はできるだけそっちに顔見に行くから安心して」
ギャスパーの言葉に、セレナはハッとする。
(そっか……、私はもう殿下のそばにいられないんだった)
昨夜、ずっとそばにいてくれたアンリを、放っておいてくれと冷たい言葉で拒絶した。
もう、あの優しい眼差しを向けられることも、魔法について話すことも、一緒に笑いあうことも、もう二度とできないのだ。
(自分から手放したくせに……)
とてつもない喪失感に、胸が締め付けられる。自分に泣く資格はないと、込み上げてくる涙を必死に抑え込んだ。
「そのことなんだけど……、二人ともそんなに気にかけてくれなくて大丈夫だよ」
いい加減自立しなくてはと思っていたセレナは、ちょうどいい機会かもしれないと二人に考えていたことを切り出す。
「でも……」
「最近クラスの人とも仲良くなってきたし、一人で行動するようなことはしないから安心して。――あっ、マルセル! 僕も一緒に教室行っていいかな?」
ちょうど食堂を出るところだったマルセルが目に入ったため声をかけると、マルセルは二つ返事で了承してくれた。
「じゃぁ、先に行ってるね」
まだなにか言いたげな視線を投げてくる二人を置いて、セレナはマルセルの元に駆け寄った。
*
その日、学園に来てから初めてアンリのいない日を過ごした。
どこか物足りないのはアンリがいないからだと気付くのに時間はかからなかった。
今朝、アンリが公務で数日いないことを知ったとき、ショックを受けると同時に気まずいまま顔を合わせなくて済んだと安堵した自分がいたのは事実だ。もっと言うと、アンリと離れることで胃痛もよくなるかもしれないと期待すらした。
だけど、あんなにそばにいて気まずい思いをしていたにも関わらず、アンリがいないのはとても寂しくて物足りない。胸にぽっかりと穴があいてしまったような、ずっと隙間風に晒されているような心もとなさに始終付きまとわれていた。
それでも時間は淡々と過ぎていく。
救いだったのは、授業というやるべきことがあるのと、クラスメイトがずっと一緒にいたアンリがいないセレナを気遣って話しかけてくれたこと。
ギャスパーとジョシュアと約束しているランチの時間以外は、クラスメイトのマルセルやイザックを初めとした友人が一緒に行動してくれたおかげで、学園で一人になることはまずなかった。
「じゃぁ、また明日ねカイル。おやすみ」
「うん、送ってくれてありがとうギャスパー。おやすみなさい」
長い一日が終わり、セレナは誰もいない部屋に帰り、宿題を終わらせて寝る支度を済ませる。
しんと静まり返った空間は、肌寒く感じるほどぬくもりがない。
(私ったら、殿下がそばにいることに慣れ過ぎてしまってた……)
そして、セレナの中に沸き起こってくる感情はただ一つ。
(殿下に会いたい)
そう思うことすら烏滸がましいのに。どうしたってその気持ちが溢れてやまなくて、自分のアンリへの気持ちを認めるしかなかった。
まさか自分が誰かに恋情を抱く日がくるなど、夢にも思わなかった。
だけど、この思いを告げることはこの先一生ありえないし、あってはいけないことだと、もう一人の自分が声をあげる。
自分は男で、デュカス伯爵家の跡取りだ。王子のアンリと結ばれることなど言語道断。
(私は……、私の手で死なせてしまったお兄さまの未来を……お兄さまが歩むはずだった道を生きなければいけないから)
これは、自分に科せられた罰だから。
まるで自分に呪いをかけるがごとく何度も何度も自分に言い聞かせる。
きりりと痛むお腹を守るように、セレナはベッドの上で丸くなった。