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変化


 アンリへの思いは、胸に秘めているだけで、そばにいて優しさに触れられるだけでいいと思っていたセレナだったが、ネックレスをもらった数日後からアンリの態度に変化が見られた。


 どこか、よそよそしいのだ。


 どこに行くにも一緒なのは変わらない。だけど、話しかけてもそっけないし、話しかけられることも少なくなったし、なにより態度が冷たく感じる。

 初めは自分の気のせいだろうかと思ったセレナだったが、そうではないことがギャスパーによって決定づけられた。


「ねぇカイル。殿下となんかあった?」


 いつもの選択授業の時間。アンリとジョシュアと別れた後に、ギャスパーが口を開いた。


「え……なん、で……」

「だって、殿下の様子変だもん」

「やっぱり⁉ ギャスパーもそう思う⁉」


 セレナは思わずギャスパーの腕を掴んで言う。


「うん、だってさ、いつもならランチのときは我先にカイルの隣に座るのに、僕の隣座ってきたり、カイルがほかのクラスメイトと仲良く話してるのに放っておいたり……明らかにおかしいでしょ」


 まさにセレナも思っていたことを指摘されて深く頷いて同意する。あの課外授業以降、マルセルとイザック含めほかのクラスメイトたちとも話す機会が増えたのはよかった。だから、あわよくばこれを機にアンリとも打ち解けてくれればと思ったのに、肝心のアンリは会話に入ってこないどころか近づこうともしなかった。

 まるで「自分には関係ない」と拒絶している風にも見て取れた。


「それに、いつもキリっとしてるのに、最近心ここにあらず~って感じのこと多いから、喧嘩でもしたのかと思った。……まぁ、二人が喧嘩するところなんて想像もできないけど」

「それが……、僕にもわからないんだ。特になにかあったわけじゃないと思うんだけど……。もしかしたら殿下の気に障ることをしてしまったのかもしれない」


(あとは……迷惑かけてばかりだから嫌になったとか……?)


 心当たりしかなくて、セレナは落ち込む。


「そうかぁ。でも、もしそうだったらカイルのそばにはいないでしょ」

「殿下はきっと、責任を感じているんだ」

「責任? なんの?」

「僕のそばにいるって……守るって言った責任」

「いや、そんなばかな」と、一笑に付されてしまうが、セレナは首を横に振ってそれを否定する。真剣なセレナの顔を見て、ギャスパーの笑みは消えた。


「そっか……、一度殿下と話してみたら? なにか誤解があるかもしれないし」


 諭すように言われて頷いたセレナだったが、そんなことできるわけがないと内心では諦めていた。

 相手は王子殿下なのだ。


(どうして急に距離を取るようになったのかなんて、聞けないよ……)



 アンリのセレナに対する態度は日を増すごとにあからさまなものになっていく。セレナがなにかを話しかけても必要最低限の返事しかもらえず、会話が発展するどころか一言で終わってしまう。そんな日が続いたせいで、セレナは話しかけることも躊躇うようになり、二人の間には重苦しい空気が流れていた。


 なのに、アンリはセレナのそばから離れようとしない。


 それがなぜなのか、セレナには確かめる勇気はなく、時間だけが過ぎていく。


(お腹が痛い……)


 数日前から胃の辺りがキリキリと痛みだした。食事も喉を通らない。

 選択授業中に医務室で見てもらったら「ストレス性の胃炎だろう」と胃薬を処方された。魔法で痛みを取ることは可能だけど、それは一時的でしかなく根本的解決にはならないから治療は施さないとのこと。


「今日は休んだら?」


 付き添ってくれたギャスパーが心配そうに声をかけるも、セレナは「大丈夫」と意地でも休もうとはしない。


「ギャスパー、このことは殿下には言わないで」

「でも……」

「迷惑かけたくないんだ」


 こんな状態で体調不良を訴えたら、アンリに呆れられてしまう。

 セレナは制服の上から胸元にそっと手をあてて、アンリがくれた水晶のネックレスの存在を確かめるように形を指でなぞった。

 あの日から言葉通り肌身離さず身に着けていた。学校では始終制服の中に隠れてその姿を目にすることはないが、寮の部屋ではきらきらと輝くそれを見つめては溢れる喜びを噛みしめていた。


 この水晶は、アンリの自分に対する友愛の証だと思っていたセレナにとって、今のアンリの自分への態度は辛くてしかたがない。


(これ以上、嫌われたくない……)


「お願いだよ」


 なおも異議を唱えるギャスパーを安心させるように、セレナは必死に笑顔を浮かべた。



 夕飯後に部屋に戻ったセレナとアンリは、いつものように順番にシャワーを使い寝る準備を進める。アンリの後にシャワーを終えると、アンリがベッドに座っていた。最近は、先にシャワーを終えたアンリが仕切りのカーテンを引いてさっさと就寝してしまうのが常だったため、セレナはドキリとする。


(ど、どうしよう……なにか声をかけた方がいいのかな……)


 薬を飲むために用意した水の入ったコップを片手に、逡巡しつつも言葉が浮かばずに視線をさまよわせながらセレナは勉強机の椅子に腰かける。

 昼間の胃痛は鳴りを潜めるどころか、酷くなるばかり。正直なところ一刻も早く薬を飲んで横になりたかったセレナは、机と机の間にある間仕切りに手をかけた。


「あの、カーテン閉めますね……、おやすみなさい」

「――なにか、俺に話しておきたいことはないか」

「え……」


 セレナはカーテンを引きかけた手を止める。真っ直ぐこちらを見るアンリと目が合い、心臓が跳ねた。気に障らないよう、セレナは考えるふりをしてアンリの瞳から天井へと視線を移した。


(話したいこと……、聞きたいことならあるけど……)


 聞きたいことは一つしかない。ここ最近のアンリの冷たい態度の理由だ。

 だけど、それを聞く勇気がなくて「特にはありません」と返すと、眼差しが眇められ、鋭さを増す。その瞳は薄暗い屋内でも控えめな光を宿して輝いて見える。その青い瞳を怖いと感じたことはなかったのに……。アンリからの好意が揺らいでいる今、そこはかとない冷たさを宿した青色が、セレナの心を冷水に浸す。


「そうか……。そういえば、今日も食事をほとんど残していたが、調子が悪いのか?」

「い、いえ、どこも悪くありません。ご心配ありがとうございます」

「……どうして嘘をつくんだ。なんでもないならあんなに食事を残すわけないだろう」

「嘘じゃないです。実は、選択授業の時にギャスパーとお菓子を食べてお腹がいっぱいになったんです。食べ物を粗末にしたことで不快な思いをさせてしまったのなら謝ります」


 そう早口に言い切るも、アンリには盛大な溜息をつかれてしまった。


 夕飯は少しでも食べないとと思い、少な目で注文したものの、一口食べただけで胃が悲鳴を上げた。ほとんど残してしまったのは、確かに自分にも落ち度があったと反省している。

 それを責められたように感じて、セレナは苦しくなる。

 こうしてる間も、胃の内側からナイフで切りつけられているような激痛がセレナを襲っていた。


「全く……君はどうしてそうなんだ」


 心底呆れたように、アンリは吐き捨てた。


(どうしてって言われても……)


 責められ、呆れられ、セレナは無意識の内に痛むお腹に手をやる。

 やはり、自分はアンリの負担となっていたのだろう。

 情けなさや切なさが、痛みと混ざって心をかき乱す。


「申し訳ありません、殿下。無理に気にかけていただかなくて大丈夫ですので」

「違っ、俺は――」

「優しくされると辛いんです。……自分のことは自分でできますから、僕のことは放っておいてください」


 これ以上言葉を重ねたくなかったセレナは、間仕切りのカーテンを勢いよく引いて視界からアンリを消した。

 机の引き出しに隠していた薬を水で流し込み、ベッドに横になる。

 薄いカーテンの向こうで衣擦れの音が聞こえ、すぐに灯りも消えた。ベッドの中で丸まって痛みをやり過ごしている内に薬が効いてきたのか、眠気が勝ってそのまま眠りについた。



 数刻も経たないうちに、セレナは痛みにうなされていた。

 意識はあるのに、体が覚醒しない。痛みと息苦しさが、体を苦しめる。

 うんうんとうなされる自分を、どこか遠くで眺めている不思議な感覚だった。


『大変だ! 子どもが馬車に轢かれたぞ!』

『誰か、医者を呼んで来い!』


 視界が暗転したと思ったら、物々しい雰囲気の中にいた。切羽詰まった大人の声に、体がびくついた。すぐ近くで興奮した馬の嘶き。それをなだめる御者の声。集まりだす人々の悲痛な視線と声。


 今、自分がどこにいるのか、一瞬で理解する。


 そして、視界に入ったそれに息が止まる。


「っ……」


 すぐ目の前に横たわる、肢体。成長期を迎えていない、細くて小さな四肢がおかしな方向を向いている。そしてその下にじわじわと広がっていく真っ赤な海。


「おに……さま……」


 呼んでも、ピクリとも動かないそれに、セレナは地面が足元から崩れていく感覚にとらわれる。


「いや……、お兄さまっ……お兄さま! 目を覚まして! いやよ、いやっ! いやああぁぁぁっ!」


 目の前が、真っ暗になった。


『お嬢様が飛び出したんですって』

『それをかばった若さまが……』

『お可哀そうに……』


 ふと、後ろから馴染みのある声が聞こえて振り返る。

 いつの間にかセレナは自分の屋敷にいた。

 振り向いた先には、セレナが小さい頃から仕える使用人たち。セレナの姿など見えていないのか、声を潜めることもせずに話している。


『いくら瓜二つだからってお嬢様を若さまの代わりにだなんて……、旦那さまは一体なにをお考えなのかしら』

『跡継ぎを亡くして気が振れてしまったのよ』

『まぁ、私たちはお給金がもらえればなんだっていいわ』


 痛い、胸が痛い。

 痛くて、苦しい。

 まるで半身を引き裂かれるような痛みと喪失感。

 あのときのすべてを、体が覚えている。

 生まれたときからずっと一緒だった。十年間、一日だって離れたことなどなかった。

 そんな存在が、一瞬で消え去ったのだ。

 忘れられるはずがなかった。


「痛い……、痛いよ……お兄さま……、ごめ……なさ……」


 猫が、道路に飛び出して、気付いたら自分も飛び出していた。

 すばしっこい猫は、難なく道路を横切っていった。

 馬が、すぐそこまで迫っていた。


 衝撃を受けて、セレナは全身を打ち付ける。その痛みに目をぎゅっと閉じた。


 そして目を開けたら、兄のカイルが自分の代わりに馬車の下敷きになっていた。


 カイルが死んだのは、自分のせいだ。


 自分が飛び出しさえしなければ、もっとちゃんと考えていたら。


 兄は死なずに済んだのに……――。

 自分が、兄を殺した。


「ごめんなさ……おに……さま……」


 謝っても謝っても、それはなんの意味もなさない。

 兄はもういないのだから。


「苦し……よ……」


 どうして自分なんか助けたの。

 愚かな自分が死ねばよかった。

 そうしたら、こんなに辛い思いをせずにすんだのに。


 この期に及んでも、あのとき自分を助けた兄に恨み言を重ねる自分に辟易する。


 だけど、これは自分への罰なのだ。

 兄を殺した罪は、ナイフとなって胸に刺さったまま、私に痛みを与え続けている。

 これは、自分が死ぬまで背負っていくべき贖罪だ。


「痛いよ……、苦しいよ……」


『――大丈夫だ』


 痛みに苦しむセレナに、声が届いた。低く落ち着いた声音のそれを、知っている。

 知っているのに、思い出せないでいると、体が温かななにかに包まれたような心地になる。そして、少しずつ痛みが和らいでいった。金縛りにあっていたように強張っていた体が、ぬくもりによってほぐされていく。


『もう大丈夫だ』


 優しい声に(いざな)われて、セレナの意識は再び眠りについた。



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