夢見がちな復古主義者を反面教師にした女王陛下
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
私こと孫小喬、先日の総選挙においては台湾島や金門島に住まう全国民の期待を背負う形で中華民国大総統に就任出来て、正しく光栄の極みで御座いますよ。
そして就任直後に執り行われた首脳会談は、新米の大総統である私にとって忘れられない一時となりましたね。
今だからこそ話せる事で御座いますが、就任間もないタイミングでの首脳会談は正直に申しますと気が重かったので御座います。
何しろほんの少し前まで、私は単なる若手の政治学者に過ぎなかったのですからね。
それに加えて会談の御相手が中華王朝の愛新覚羅紅蘭女王陛下なのですから、緊張と気後れの念も否応なしに高まるばかりでしたよ。
何しろ愛新覚羅紅蘭女王陛下は、清朝最後の皇帝である宣統帝の孫娘という御立場と皇位請求権を駆使される形で中華王朝を興された「建国の母」と申すべき御方。
そしてその中華王朝にしても辛亥革命から数えて数十年振りに大陸に誕生した君主制国家であり、その装いも中華の歴代王朝の伝統と格式を色濃く受け継いだ復古的な物なのですから。
マルクス主義を掲げていた旧体制時代に博物館として用いられていた紫禁城を王城として整備し、そこで政務に勤しむ王族や文武百官が伝統的な漢服や満州服を着こなしている。
そう申せば、その独特な価値観と美学に対して私が気後れしてしまったのにも御理解頂けるでしょう。
ところが、そうした気後れは首脳会談の当日に雲散霧消してしまったのです。
より厳密に申しますなら、会談の席で愛新覚羅紅蘭女王陛下に謁見した直後の事でした。
「御初に御目にかかります、孫小喬大総統閣下。この愛新覚羅紅蘭、閣下の御就任を心より御慶び申し上げます。」
仕立ての良い伝統的な満州服に、物腰柔らかで上品な拱手礼。
それらの全てが、清朝の後継国家にして歴代王朝の伝統と格式を継承する中華王朝女王としての誇りと自負心に裏打ちされた物である事は一目瞭然でした。
威厳も貫禄も充分過ぎる程なのに、それらに付き物なはずの威圧的な雰囲気だけは、この女性君主からはまるで感じられなかったのです。
その代わりに存在するのは、慎ましやかな気品と穏やかな包容感。
恐らくは彼女の持つ謙虚で慈悲深い美徳が、自ずとそうさせるのでしょうね。
「閣下の御噂は丞相の楽永音より色々と聞き及んでおりますよ。台北大学の修士課程ではゼミ友でいらっしゃったとか…此度の閣下の御就任を、後漢末期に呉の国を治められた御先祖様もきっとお喜びでしょう。」
そして気品ある笑顔たるや、旧来の知己のような親しささえ感じられたのですよ。
「そう仰って頂けると喜ばしい限りで御座います、陛下。私もこれで、故郷に錦を飾れた心持ちで御座います。」
こうして会話は弾み、いつしか私は陛下の事を昔からの知己のように感じられるようになっていたのです。
それは私の学生時代のゼミ友が陛下の腹心でもあるからという親近感がなせる業でもあり、また陛下の人好きのする包容力の賜物でもあったのでしょう。
そうして私はいよいよ、以前から気になっていた疑問に切り込んだのです。
「中華王朝の国政や文化におかれましては、歴代王朝の伝統と美徳が色濃く反映された形になっているとお見受け致しました。この点につきまして、陛下の心掛けていらっしゃる点をお聞かせ頂けたら幸いです。」
この質問をお聞きになるや、陛下は我が意を得たりとばかりに満足そうな微笑を閃かされたのです。
「よくお聞き下さいました、孫小喬大総統閣下。それはひとえに、過度に復古主義に走る事なく、現実の国民や現代の国際社会との折り合いをつける事ですよ。閣下にお聞きしたいのですが、前漢の時代に新を建国した王莽についてどのような印象をお持ちですか?」
「王莽で御座いますか…確か、周代の政治を理想とする急進的な改革者だったかと。」
正直に申しますと、王莽につきましては肯定的な評価を下しにくいのです。
確かに王莽は、質素倹約に努める堅実さと儒者として孝と仁を尊ぶ美徳を持っていました。
しかしいざ新の皇帝に即位すると、時代にそぐわない周代の治世に倣った国策を行ったり官位名や地名を無闇に変更したりと、国政を混乱させた末に財政困窮と臣下の離反を招いてしまったのでした。
そんな私の意向を察せられたのか、陛下は静かに切り出されたのです。
「王莽にも古き良き時代への憧れがあり、理想があったのでしょう。しかし王莽が理想とした周の全盛期は、新の時代よりも数百年から千年も過去の事ですからね。」
「コンピューター等の存在する現代に、北宋の時代の制度をそのまま復活させるような物で御座いますね…」
私の一言に、陛下は我が意を得たりとばかりに頷かれたのです。
「幾ら高邁な理想と模範例があったとしても、国民の実情や現実の社会にそぐわなければ、それは単なる夢想家の誇大妄想に過ぎないのです。君主は理想と現実の均衡を取り、常に現実の民達の幸福を考えねばなりません。そういう意味では私にとっての王莽は『夢見がちな理想主義者』という人物像であり、反面教師にさせて頂いているのですよ…」
「夢見がちな理想主義者…」
謙虚で淑やかな口調とは裏腹の手厳しい評価に、私は思わず唖然となってしまったのです。
この御方にとって、民達の方を正しく見ていない為政者は許されざる存在なのでしょう。
「ですから私は、王政復古を行う際にも『王莽のようにはなるまい』と心掛けているのですよ。権力の暴走を防ぐ為に立憲君主制を導入致しましたし、日本やイギリスといった他の君主制国家との協調を願って君主号も王号を用いていますからね。唯一無二の皇帝などという存在は、今日の国際社会にはそぐわないのです。」
「古きを温ねて、新しきを知る。そうした理想と現実の調和が、陛下の仁政の礎となっているのですね。」
同席させて頂いた時間は決して長い物では御座いませんでしたが、此度の会談は新米の為政者である私にとって、「国政とは何たるか」を再認識する良い機会となりましたね。
あの謙虚で仁愛に満ちた女王陛下と次に会談出来る時が、今から楽しみで御座いますよ。