成長速度、予期せぬ事態
白く柔らかで温かい何かに包まれているようで心地よい。
微睡の中から誰かが俺に語りかける声が聞こえる。
――俺は何をしていたんだっけ。
ぼーっとする頭を働かせようとすると、前頭葉と目頭に刺すような痛みを感じて中断せざるを得なかった。
体も重く頭も働かない現状ではあるが、それでも身を包む何かに不思議と安心感を覚える。
きっと連日の淑女教育で疲れてしまったのだろう。
思考や意識は大人のものだとしても、体はまだ三歳になったばかりの幼女のものだ。
なんだっけ?肉体と精神の乖離による辻褄を合わせって言うんだったか。
眉唾な話だが、どこかそれをあり得る可能性だと納得した自分がいたんだっけ。
ダメだ。何か思考する度、海の底に落ちていくかのように何もかもが重く感じてしまう。
このまま落ちてしまおう。
きっと大丈夫、この温かさは死などではないのだとそう思い込み目を瞑る。
――――薄れゆく意識の中で、両親と兄の酷く不安な表情が見えた気がした。
◇◇◇◇
「ステラ……?ステラ!」
意識が戻り目を開いた時、最初に映ったのは不安な表情を浮かべ俺の手をぎゅっと握り、呼び掛けるお母様の声だった。
上体を起こそうとしても体に力が入らない。
ああ……そうか思い出した。突如視界と脳に大質量の情報を叩きつけられた後、吐血して意識を失ってしまった。
――――随分と心配をかけてしまったな。
「おかあ……さま……?」
「ええ、ええ、母ですよ。……よかった。本当によかった……!」
俺の手を更に強く、でも痛みを感じないくらいの力で握ったお母様は、その可憐な花のようなお顔をくしゃっと歪めて泣き出してしまわれた。
ごめんなさい。心配かけてごめんなさい。
水分を取りましょう、と俺の上体を支え、吸い飲みを小さな唇に宛がわれる。
こくこくと何度か嚥下すると、乾いた体に少し活力が戻った気がした。
「ごめ、んなさい……」
「謝らなくていいの。無事に目を覚ましてくれて……本当によかったわ」
優しく包むようにお母様が抱擁されるのをされるがまま受け入れる。
お母様に心配をかけ、あまつさえ泣かせてしまうなんて、俺はなんという罪を犯してしまったのだろうか。
更に三日ほど経過し自力で動けるようになった俺は、お父様の執務室でお母様の膝の上に抱かれながら、お父様と向き合っていた。
「急に顔を顰めたと思ったら、血を吐き出したんだ。何事かと思ったが、無事に目覚めてくれてよかった」
あの後酷く焦ったお父様が俺を抱えてお母様の元へ行き、お抱えの治癒術士を総動員して治癒魔法をかけ続けたらしい。
症状は脳への過負荷と魔力枯渇による昏睡状態だったそうだ。
「ごしんぱいを、おかけしました」
「大丈夫だ。こうして会話をしてくれるだけで私は嬉しいよ」
「ええ、後遺症は無いようでよかったです」
「病み上がりのところすまないが、何があったのか聞かせてはくれないか?今後二度と同じことが起きぬよう対策しておく必要がある」
俺は頷くと、あの時に起きたことを全てを二人に話す。
前頭葉に痛みが走ったこと。
肉眼で見えるもの以外に、本来肉眼では捉えられないはずの距離の情報を拾ったこと。
その情報の波を制御出来ず、捉える範囲がどんどん広がって行ったこと。
そして俺自身も、何故あのような事が起きたのかさっぱり理解していないので、その辺もしっかりと伝える。
全てを話すと、お父様はとても難しい表情でこめかみを抑え、眉間に皺を寄せる。
……なにかマズイことを言ってしまっただろうか。
お母様の方を見上げると、こちらもまた驚きを隠しきれないと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「……マリー、君が天眼を使えるようになったのはいつ頃だったか?」
「確か八歳を超えたあとです」
「……そうか。義母上もそれくらいからだったか?」
「そう聞いております」
――――天眼?
……確か全てを見通す目とかいう意味で使われていたっけ。仏教における五眼のひとつだった気がする。
言われてみれば確かにアレは天眼通に近い能力だったのだろう。
「ステラ、どうやら君はマリーや義母上よりも相当早く、天眼の魔法を使えるようになってしまったみたいだ」
「てんげんの、まほう」
「そうだ。マリーも義母上もその天眼の魔法を使用する事が出来る。とはいえ見える範囲は自身の周りだけであまり広くは無いはずなんだけれど」
「そのようなまほうが、あるのですね」
「ああ。そして切っ掛けだが、天眼の魔法が発動する直前に、何か考えていたりしなかったかい?」
問われ、思考を巡らせる。
確かあの時考えていたのは、淑女教育が実施される年齢が早すぎるな〜ってことと、もう二年したら魔法が使えるってことくらいだったはずだ。
「まほうについて、かんがえておりました」
「やはりか」
「?」
「これはあくまで私の予想でしかないが、魔法に思いを馳せたことで無意識に魔法が暴発したのだろう。魔力切れの原因はそこにある」
前世では魔法や魔力なんてものはなかった。だからそれらの事象についての経験は全くない。
ということは、魔法について一から学ばなければ今後も似たようなことが起こる可能性があると考えていいだろう。
もう一度あの視界と頭痛に苛まれると思うと、恐怖からか身震いをしてしまう。
そんな俺の不安を察したのか、大丈夫と言わんばかりにお母様にぎゅっと抱きしめられた。
見上げると天使のような微笑みを浮かべ、頭を優しく撫でられる。
きっとお母様には全てお見通しなんだろう。
「元より成長は早いと思っていたが、こんなトラップがあったとはな」
すみません、それはきっと俺だけだと思います。
「五歳からのつもりだったが、そうも言ってられぬな。体調が万全になり次第、魔法の勉強を始めよう。マリー、頼めるかい?」
「ええ、任せて」
てっきり魔法について詳しい先生を雇われるのかと思ったが、お母様にご指導していただけるみたいだ。
そういえば天眼の魔法はお母様とお婆様が使用出来るって言っていたが、お父様は使用できないのだろうか。
「私もルークスも天眼は使用できないよ」
言い当てられ、ドキリと心臓が跳ねる。
……もしかして顔に出てた?
「ステラはわかりやすいですから。今はまだいいけれど、今後のために少しずつ取り繕う練習もしないといけないわね」
「ぜんしょします」
お母様はふふ、と可愛らしく笑った。
そうかぁ……俺ってわかりやすいのかぁ……
「魔力や魔法については、確かに講師を雇うものだが、ステラの場合はまだ三歳だ。外部へ変に情報を漏らす必要もあるまい。それに天眼についてなら、マリーから直接聞いた方がいいだろう」
なるほど、確かにそうだ。
天眼が使用出来るのがどれくらいいるかわからないが、身内に使用者がいるのならば直接聞いた方が早い。
未だお母様の膝の上にいるが、見上げた後に出来る範囲で頭を下げる。
「ごしどう、ごべんたつのほど、よろしくおねがいします」
「あらまあ、これはご丁寧に」
ころころと笑うお母様の周りは、まるで花が咲いてるように見えるのはきっと気のせいではないのだろう。
予定より遅れてしまいました…!
魔力や魔法に関しては肉体年齢と同じステラ。
知らない事象に対して対応は出来ないものです。