道の始まり
大変お待たせしました。
ジークから領地への招待を受けた翌日。
私は、買い物を兼ねて市井への散歩に来ていた。
もちろん、カタリナとソフィーが後ろに控えてはいるが。
ウォロに未来視について漏らしたあの日から、自身への鍛錬の意味も含め、天眼の待機状態を二年間続け、少しづつ待機を続けていられる時間が増えてきた。
今となっては起きている時間はほぼ展開していても魔力切れを起こすことはなくなってきている。
だが、この二年間で私への危機というものはなく、実際に危機に直面して天眼が発動したときにどれくらい魔力が持っていかれるのかが不明なので、今もまだ続けている状態だ。
クー様を見つけたときに使用したのとはまた状況が変わるだろうから、不明瞭であるのは確かだ。
それに、いい加減この使用法にも名前を付けるべきなのかもしれない。
『危険感知』とか『危険予知』……はそのまますぎるしなぁ……。
「お嬢様」
自分の魔法に名前をつけようとして思考の海に沈んでいると、後ろのカタリナから声がかかる。
すぐさま浮上し後ろを振り返ると、表情こそ変わらないが周辺の温度が少し下がったように感じるカタリナがこちらをじっと見ていた。
私にはわかる。あれはカタリナが割と怒ってるときにだす雰囲気だ。この後のことを考えて小さな身震いをするが、何かしてしまったのだろうか。
「どうしたの? カタリナ」
「前を向いて歩いてください。歩行者の方にぶつかってしまいますので」
はっとして周りを見渡す。
シルクハットのダンディなおじさまがこちらを柔らかい表情で見つめている。カタリナとソフィーが頭を下げているのを見るに、私がぶつかりかけたのだろう。「申し訳ございません」と私も頭を下げる。
王都で滅多なことは起きないだろうが、絶対というのはあり得ない。注意が足りてなかったことを反省する。
「ごめんなさいカタリナ。忠告ありがとう」
「以後お気をつけください」
一旦命名は後回しにしよう。こういうのは誰にも迷惑がかからないよう腰を落ち着けた場所でやるべきだ。
◇◇◇◇
今日の買い物は婚約者一家の領地に行くということで、着るものや身に着けるものを一新するのが主な目的だ。私としてはあるやつでいいんじゃないかなぁと思ったりもしたものだが、やはり沽券に関わるらしい。
改めて貴族って本当に面倒くさいと思う。
そういえば、貴族の子女が出歩くのに護衛はいらないのかと、出発前にお父様に聞いてみたのだが、カタリナもソフィーも護身術を修めているらしい。彼女たちは侍女であり、護衛でもあるのだ。
最近カタリナがもう一人護衛に専任できる人員が欲しいとボソッと言ってたのをどこかで耳にした気がする。
あまり周りに人が増えて欲しくはないなぁと思いつつも、少しの期間かつ婚約者一家と一緒とはいえ王都にある侯爵邸を離れるので、不慮の事態に対応できる人員が必要になってくるだろう。お父様に伝えておくか。
そんなことを考えていると、ふと路地の角から曲がってこちらに歩いてくる女性が目に入った。
腰に長い剣を携え、紫がかった黒髪のロングヘアーをしている三白眼の長身美人。動きやすそうでラフな格好の上に、着物のようなものを羽織っていてかなり周りから浮いている。
この国にはいわゆる冒険者というものはいない。基本的には王宮騎士や、各領地であれば領主抱えの騎士団などが治安の維持を行っているためだ。
彼女はそういう騎士に見えないので、各国を渡り歩いている旅人だろうか。もしくは行商の護衛とかなのかな。
確か遥か東方の島にそういう、前世の日本のような文化の国が存在しているというのを地理の勉強をしていた際に聞いたことを思い出した。着物風の羽織も相まってどこか和の雰囲気を感じるので、そちらの出身なのだろう。
あの腰に携えている剣も、鞘の形や反り方から刀であることは見受けられる。
あまりじろじろと見るのも悪いと思い、彼女から目を離そうとした矢先
――――自分の魔力が動いた。
これまで危機が迫る状況というのがなかったので完全に油断していた。今すぐにでも彼女の方へ視線を向けようとしたが、流れ込んでくる情報に邪魔をされる。
場所はどこかの街の郊外だろうか。少し離れた場所に家屋が並び立っている。
往来には人の姿、そしてこちら側には腰を抜かして座り込んでいる私と、その私を守るかのように立っている先ほどの女性。女性の目の前にはもう事切れたのか、ぴくりとも動かない狼のような獣が三匹いる。
カタリナとソフィーがこちらに走ってきているのが見えたところで、その映像は途切れた。
「今のは……」
「……様!お嬢様!」
カタリナが声を張り上げ、ソフィーが私の傍に寄ってくる。
天眼中、顔の方向は女性の方を向いていたみたいで、無表情な彼女がこちらを見る目が冷たいものに感じてしまう。
「なにか、私の顔についているだろうか」
抑揚のあまりない声でそう淡泊に伝えられると、少しばかり体が強張ってしまう。私のその僅かな動作に反応したのか、ソフィーが私と女性の間に立つ。
彼女に落ち度は全くない。どちらかといえば、通りすがりの女性をじっと見た上でこのような態度を取っているこちら側が、この場においては完全に悪だ。
「いえ、美しい方だなと見惚れておりました。申し訳ございません」
何か言わなければと思って咄嗟に出た言葉だった。ナンパにも取られるような言葉が令嬢の口から出たことがおかしかったのか、彼女はふっと少し笑う。
「すみません……他意はないんです」
言ってから、少々顔が下向きになっていることに気付く。
これ以上何か言わない方がいいんじゃないかと思い始めてきた。どんどんとばつが悪くなってくるし、なにより喋る度にカタリナの私への目線が鋭くなってきている。
それでも、女性への警戒を一切緩めない辺り流石ではあるのだが。
「気にしてはいないさ。懐かしいものを見たと思ってな」
「懐かしいもの……ですか?」
「ああ。あの人もそのような瞳をしていた」
それだけ言うと女性は歩き出す。
なんでもなかったかのように数歩歩いたところで、何かを思い出したかのようにこちらを振り返った。
「それは道を整える力だ。この先迷っても、貴女だけは振り返ってはいけない」
踵を返し立ち去っていく。
何か言わなければと焦燥するが、さっきの失言が後ろ髪を引いており、中々一歩を踏み出すことが出来ない。
彼女は恐らく私の能力について知っているはずだ。今ここで彼女と別れるのは得策ではない。
「あの!」
頭で考えている最中に行動に移っていた。
今世では初めてなんじゃないかってくらいの声量が出ていたのだろう。自分で自分の声にびっくりした。
だが功は奏したようだ。彼女がまた立ち止まりこちらを振り返る。
「先ほどまでの発言、重ねてお詫び致します。初対面の方に礼節を欠いておきながら、虫のいい話ではあると自覚しておりますが、お願いがあります」
女性は黙ってこちらを見つめている。
深淵に覗かれていると感じさえするその三白眼に見つめられると、飲み込まれそうな錯覚を覚えるが、彼女が先ほど言った「迷っても、振り返ってはいけない」という言葉を自分の中で反芻させて迷いを振り払う。
「私の護衛として、雇われてはくださいませんか」