要は行きたいから行く
一章開幕です
「お嬢様、先触れが届いております」
「珍しいわね。ありがとうカタリナ。誰からかしら」
ジークと婚約を結んでからひと月ほど経った日、サロンにて妹のイリアと遊んでいると、カタリナが手紙を持ってきた。
中を開けると、内容はジークが午後から侯爵邸を訪れるという話だ。
「午後からジークが来るみたい。到着したらガゼボに案内してくれる?」
「お言葉ですがお嬢様、ガゼボは午後から若様がクラリス様をもてなされる予定でございます」
「あら、それならサロンでお出迎えしましょうか」
久々にガゼボでお茶したかったが致し方あるまい。
私はお兄様の味方でありクー様の味方なのだ、その二人の蜜月を邪魔するほど無粋ではありません。
「イリア、姉様午後からお客様をおもてなししないといけないのだけど、お母様と一緒にいてもらってもいい?」
「や!イリア、ねえたまといる!」
ソファに座る私の膝の上にいる妹に問いかけてみたが、拒否されてしまった。
私やお母様同じプラチナブロンドの髪を撫でてあげると、気持ちよさそうにエメラルドの瞳を持った目を細める。
「私も一緒にいてあげたいけれど、そうも言ってられないの。ちょっとだけ我慢できる?」
「うー……」
そんなうるうるとした目で見つめられると罪悪感が凄い。
ジークなら文句は言わないだろうけど、それお家的にどうなんだ?
私がお兄様とクー様の茶会に混ざるようなものだと考えると、やっぱりダメな気がするんだよなぁ。
「カタリナ、どうしよう……」
「ジークフリート様にお願い申し上げるしかないかと」
「そうよね……そうするしかないわね」
私にも甘いんだけど、イリアにも甘いんだよなうちの使用人たち。
いやまあ私を含めアルバート侯爵家の全員がイリアに甘いんだけど。
私は前世の記憶があるから我儘に育っているなんて事は無い……はずだけど、イリアが今後どうなるか分からないので、いつか厳しく言わなければならない日も来るのだろうか。
「わかりました。では姉様はイリアと一緒にいます。ですが、ジークフリート様が訪れた際はいい子にしているんですよ」
「あい!」
「ジークに一緒にお願いもしましょうね」
貴族の娘とはいえまだ二歳。貴族令嬢である以上、マナー教育は付き纏うものだが、礼節について説くにはまだ早すぎる気がする。
アレの厳しさと辛さが身に染みて分かっている以上、来たるその時のことを思うと、どうしても自分と一緒にいる時は甘やかしてしまう。
「それじゃあ色々と準備しないとね。ソフィー、頼めるかしら」
「かしこまりました〜」
「姉様も準備しないといけないから、一度部屋に戻るけれど、イリアも一緒に行きましょうか」
小さな頭をこくこくと振るのを見るとまたほっこりする。
前世の私の記憶は未だ思い出せないが、なんとなく懐かしい気持ちがするのは、私に妹がいたということなのだろうか。
「いらっしゃいジーク」
「お邪魔するよ」
昼食を軽めに済ませ、二時間ほど経過してからジークは侯爵邸を訪れた。
予定通りサロンに案内して貰い、私とイリアは中で出迎える。
「ごめんなさい、本当はお母様に預けるつもりだったのだけれど、どうしてもって言うからイリアも一緒にいてもいいかしら」
「もちろん構わないよ。ステラの妹なら僕も歓迎さ」
案の定ジークは容認してくれたが、先程からイリアがジークを見つめる目が鋭いものになっている。
心無しか頬も膨らんでいるような……。
「やめなさいイリア、はしたないわよ」
「むーっ」
「大丈夫だよ。それにこの歳なら可愛いものじゃない?」
「それはそうなんだけど……やっぱり今からでもお母様に預けてこようかしら……」
何を言い出すか分からないので、不発弾を抱えているような気分になる。
頼むから余計なことは言わないでくれ。
「本当に大丈夫だよ。というかそうされるとイリア嬢に嫌われそうだから、出来れば隣に置いてあげて」
「わかったわ。ありがとう」
ジークが寛容な人でよかった。
「さて本題に入ろうか。今日ここに来たのはステラを誘いに来たんだよ」
「私を?」
「そう。もう少しするとエヴァンテ公爵領へ戻る必要があってね。折角だし領地の人たちにステラを紹介しようと思って」
「それは……」
どうなんだろう。
婚約したとはいえ、実際に婚姻を結ぶのは学園を出てからになる。今からでも十年は先の話だ。
その間に紆余曲折があって婚約が取り消される可能性がないとは限らない。
そうなってしまった場合、お互いの経歴に傷が付く事になる。
私は別に構わないが、一度結んだ婚約を破棄した公爵家嫡男というレッテルは一生ジークに付き纏う事になる。
天眼で十年後がどうなっているか見るのも手だが、生憎とそこまで先の未来を見れるほど私の魔力も未来視の精度も高くない。
それに自分の未来を見てしまい、決まったレールをなぞりながら生きるのは性に合わない。
「んー、なんだかステラは勘違いしてる気がする」
「……どうして?」
「案外普通の事だよ?領地に婚約者を連れていくの」
「あら、そうなの?」
「そもそも伝聞で勝手に公表されるからね。割と色んな人が知ってるものだよ」
そういうことならば問題ないだろうし、私自身行きたいか行きたくないかと言えば結構行きたい。
立地の関係でアルバート侯爵領とエヴァンテ公爵領では気候も、育っている作物も、他国との交易で得られる品も変わってくる。
無論そういった作物や交易品は王都に流れてはくるものだが、前世は運送がトラックや飛行機だったのに対し、こちらは馬車しか選択肢がない。
なので、食品類は結構鮮度が違う。
前世でも配送距離における鮮度の差はあったものだが、こちらではそれ以上に差があると言える。
食中毒などの心配は生活魔法のおかげであまりないのは救いか。
「ならそのお誘い受けるわ。話を聞いた時から一度行ってみたかったのよね。いい機会だと思う」
「本当!?ありがとうステラ!」
「こちらこそ。訪れる日程が決まったら早めに教えて」
「もちろん!」
ちなみにアルバート侯爵領では水産業が、エヴァンテ公爵領では農業が盛んだったりする。
特にエヴァンテ公爵領では小麦や大豆などの畑作物や、野菜、農畜産物の生産がかなり強いらしく、一度訪れて新鮮な食事を楽しみたかったのだ。
ふと隣を見ると、ぷぅーという音が聞こえそうなくらいまで頬を膨らませたイリアがジークを睨んでいた。
私の視線に気付くと、目に涙を浮かべながら上目遣いで見上げてきた。
「ねえたま、ないないする……?」
「ないないしません。少しの期間だけ外泊してくるだけだから泣かないで」
イリアは可愛いなぁ!
胸に抱き寄せて頭を撫でてあげると、胸に顔をうずめてくる。
その様子を微笑ましいと言わんばかりの表情でジークが見ていることに気付いた。
「僕にも四つ下の妹がいてね、イリア嬢を見てるとなんだか妹を見ている気になるんだよ」
四つ下の妹かぁ、それはさぞかし可愛いのだろう。
スカーレット様が艶やかなワインレッドの髪を持たれていたから、ジークの妹の髪もワインレッドなのかな?
どちらにせよ、エヴァンテ公爵領を訪れる際に顔を合わせる事にはなるだろうし楽しみだ。
「ただどうも、僕に婚約者が出来たって聞いて警戒しているみたいで。お兄様に相応しいか見極めてやるーなんて言っててさ」
「ふふ、兄・姉好きの妹はどこも同じということかしらね」
「ははっ、そうかもね」
その後はそれぞれの妹談義で話が盛り上がり、公爵領の美味しいものについて聞いたり、侯爵領のそれについて聞かれたりしていると、気がつけば日が沈みかけていることに気付いた。
また追って連絡する、とその場は解散する。
イリアは途中からずっと私の胸に顔をうずめて狸寝入りをしていたが、私がイリアを褒める度にピクリと体が反応していたので、非常に分かりやすい。
ジークもそれには気付いていたようで、二人して温かい気持ちになった。
イリアも当初のジークへの警戒は薄れ、最後にはジークに向ける視線も棘が無くなっていたみたいでよかった。
ただやっぱり、私が王都を離れることに対しては不満げだったけれど。
ジークの妹は十五話に登場させ忘れてたりしてました。