08 決着
エルグリーズ一家の構成員は武闘派揃いで有名だが、さすがに数でも装備でも上回られては勝ち目がない。兵士にはろくに怪我人が出る事もなく、ヤクザが次々と取り押さえられていった。
腕に覚えのある男達が次々と倒れ捕らえられていく様を、ヘクトールは信じられないものを見るような顔で眺めるばかりだった。
「さあ、後はお前だけだ。これ以上面倒を起こすな」
アレクは言い放ち、悠然と歩を進めた。アレクとしては最後通告のつもりだったが、ヘクトールには逆に火をつける結果となったようだった。
「ち、畜生!」
我に返ったヘクトールは、腰に提げていたナイフを引き抜いた。倒れていたミナを引っ張り上げ、ミナの首筋にナイフを突き立てる。
「動くな! 動くんじゃねえ! 俺に手を出すな!」
金切り声が倉庫に響き、周囲の動きが止まった。唯一アレクだけが激情を抑え込みながら、努めて冷静に口を開いた。
「もうよせ。そんな事をしても無駄なのは、自分がよく分かっているだろう」
「うるせえぞ、飼い犬野郎! 一歩でも近寄ってみろ、こいつの体を血まみれにしてやらあ!」
「それはこっちの台詞だ。その人に少しでも傷をつければ、お前どころかカヒーナが灰と化すんだぞ」
言われた事の意味を図りかねて、ヘクトールが眉をしかめた。
「その人の本名は、ヴィルヘルミナ・バードラ・キュクレイン。エーダルス王国宰相ルドルフ・キュクレイン閣下のご息女だぞ」
「な……!?」
ヘクトールの顔が、驚愕と悲哀と恐怖で醜く歪んだ。
ルドルフ・キュクレイン。彼こそ現在エーダルス王国を動かす最高権力者の一人である。たった一代で権力の座を登りつめ、彼が一言口にするだけで何百という組織が動き、何万という人間が彼の為に動く。カヒーナがどれだけ広大で、ヤクザ・ギルドがどれだけ強力な組織であろうと、彼の前には狼を前にした蟻でしかない。
その娘であるミナに何かがあれば、果たして彼はどういった行動に出る事か。アレクの言葉通り、カヒーナの命運を握る女だと言えた。
動揺するヘクトールとは真逆に、ミナは目を閉じ、落ち着いてゆっくりと息を吐いていた。やがて彼女の近くから、ぶちり、ぶちりと奇妙な音が聞こえてくる。
ヘクトールが音に気が付いた時、ひときわ大きな音と共に、ミナの両腕が左右に大きく開かれた。
なんと、ミナは自らの腕力のみで、手首を縛っていた荒縄を引きちぎってしまったのである。
ヘクトールが驚愕の声を出すより早く、ミナはヘクトールの右手首を掴んだ。
力をこめて握りしめると嫌な音を立てながら手首が捻じ曲がる。
「ぎいいぃーっ!」
ヘクトールの口から悲鳴が上がり、ナイフが手から落ちる。
次の瞬間、ミナの体が急回転した。
見事な動きだった。とても両足首が縛られていると思えない、鮮やかな体さばきで、ヘクトールの体は人形のように振り回され、地面にたたきつけられた。
断末魔すら出せずにヘクトールが失神したのを確認し、ミナは軽く一息ついた。
「皆さん、助けに来ていただき、ありがとうございます」
今夜の騒動の終幕を告げる一声に、兵達は勝どきを上げて応えた。
「さすが隊長! 手足を縛られた程度じゃ止められねえ!」
「ヤクザなんぞこんなもんよ! せめて鎖で縛ってからかかれってんだ!」
周囲で兵達がやいのやいのと騒ぐ中、アレクはミナの下に近づいた。
「隊長。お怪我は?」
「大丈夫。私もマリアンナも、どちらも無傷です」
「了解。縄を切りますから、動かないでください」
アレクはナイフを手に持ち、ミナの足元に屈んだ。ミナに傷をつけないように、慎重にナイフを動かしながら、来てからずっと頭に浮かんでいた疑問をミナにぶつけた。
「今回の件、エルグリーズの連中から、やろうと思えばいつでも逃げ出せましたね?」
ミナの返答はなかった。
戦時中のミナの活躍を間近で見てきたアレクは、ミナの実力を誰よりも知っている。たとえ素手であっても、ミナならばこの程度の連中は全員叩き潰せるし、先ほど引きちぎったように、荒縄程度の拘束でミナを止める事はできない。
ならば、ここから逃げ出さなかった理由は、ミナが自分の意思で戦うのを止め、わざと捕まったからだ。
屈んだアレクの姿勢からは見えないが、ミナがどういう表情をしているか分かる。答え辛くて目をそらしている事だろう。
「どこの連中の仕組んだ事か、懐に入り込んで調べようとしたんですね?」
「あは、あはは……やっぱりバレてましたか」
いたずらを見つかった子供のように、ミナは笑った。
「あんまり心配させないでください。万一の事が起きたらどうするつもりだったんですか」
「本当に危なくなれば、強行突破するつもりでした。アレクなら絶対助けてくれると思っていましたし」
「マリアンナに説明しました?」
聞く前から答えが分かっていた質問をすると、ミナは気まずそうに口を閉じた。
「思い付きで決めましたね? マリアンナがどれだけ心細かったか。あの顔を見なさいよ」
「その、マリアンナに話してしまうと、こちらの考えがバレてしまったかもしれませんし。ごめんなさい、マリアンナ」
「い、いえ……」
座りっぱなしのまま、マリアンナは答えた。その顔を見れば、やっと恐怖から解放されたことで、ほとんど放心状態のままになっている。
直感と思い付きで行動を決め、それを文字通り力ずくでどうにかしようとするのが、ミナの悪い癖だった。しかも実力が並外れている為、大抵どうにかしてしまう。
だがその為に何も知らぬ側は振り回され、フォローで手一杯になるのだ。
「……マリアンナ、君の縄も切るから、動かないように」
「はい……」
アレクはマリアンナの方に体を向けて、丁寧に縄を切っていった。
「アレク。怒ってますか?」
アレクの背中越しに、ミナが尋ねた。
「怒ってません」
「嘘です。怒ってますね? 二度はやりませんから、機嫌を直してください」
「だから怒ってません」
「もう……」
いじわる、と言いたげな口調で、ミナは呟いたのだった。
───・───
ミナを捕えたエルグリーズの構成員は、第十二連隊によって、無事に全員逮捕された。今回の計画の首謀者は誰であるか、彼らには厳しい責めが待っている事だろう。
しかし、果たしてどこまでエルグリーズを追い詰める事ができるか、アレクはさほど期待していなかった。仕事は下の者に任せ、失敗したら知らぬ存ぜぬで通すのがヤクザのやり方だ。既にはヘクトール達全員が一家から破門されており、エルグリーズは無関係である、という通達が出ていてもおかしくない。
今回はヘクトールを実行犯として捕まえる事ができた事で、満足すべきだろう。エルグリーズの勢力を削る事ができ、ミナ達第十二連隊の力を示す事もできた。
「これからの事を考えましょう」
エルグリーズの構成員が連行されて行くのを横目に眺めながら、アレクはミナに言った。
「おそらく、これからもヤクザ・ギルドの攻勢は苛烈になっていくものと思われます。今回は言ってみれば挨拶がわりの一撃を読んで、反撃を食らわせただけですからね。すぐに第二、第三の動きがあるでしょう」
「確かに、ヤクザは想像以上に恐ろしい連中のようですね」
ミナも頷いた。
「まさか初日から私を拉致しようとするとは思いませんでした。ヤクザ・ギルドの力を実感しましたよ」
ヤクザ・ギルドという、長い歴史の中でカヒーナに築かれてきた組織を、外から来た者が相手をするのは難しい。これまで王国から派遣されてきた大勢の者がヤクザに挑み、ある者は散り、あるものは迎合し、手下となった。
だが、ミナをそうはさせない。ミナやミナの家族の為だけではない、アレク自身の為にも必ず彼女を守ってみせる。アレクは密かにそう誓った。
「私達だけでカヒーナ全体を相手にしないといけないとなると、かなり大変そうですね。何か手を考えないと」
「それについてなんですが、隊長。少し考えてる事がありまして」
「何か、案があるのですか?」
「はい。隊長がお気に召すかはわからないんですが、悪くない計画だと思います」
「私が気に入らない、とは?」
アレクの言い回しに、ミナは首をかしげる。
フレデリクと話していた時に、頭に浮かんだ計画だ。上手くいくかどうかは分からないが、やるにはまずミナの承認を得なければ始まらない。
アレクは自分の考えを話し始めた。