06 二人での密談
今日の仕事を一通り終えて、アレクは私室のベッドに腰かけて一息ついた。
町の宿屋の一室である。本来ならば町の隅にある兵舎で寝泊まりするのだが、今回増援として派遣されたアレク達の部隊を泊めるには、部屋の数が足りなかったのだ。
そこで、アレクが顔なじみの宿屋を回り、寝床として一時的に借り受けたのだった。
色々とあって、今日はさすがに疲れていた。今後の問題も山積みだが、せめて夕食の前にひと眠りしたかった。
ミナがちゃんと帰還したか確認しないといけないな、と思った時に、ドアがノックされた。
「副長、今よろしいでしょうか」
従者のフェリクスの声だった。その声にはどこか緊張の影があった。
「大丈夫だ。どうした?」
「その、副長のお父上がこちらにこられています」
「なに!?」
予想外の内容だった。昼間に会ったばかりなのに、また来るとは思いもしなかった。
「お通ししてよろしいでしょうか」
「ああ、通してくれ」
ドアが開くや否や、フレデリクとその護衛三人が、部屋に入ってきた。入口にはまだ若い少年兵のフェリクスが、怯えた顔で立っている。ヤクザの強面に、だいぶ気圧されてしまったらしい。
「邪魔するよ」
部屋に備え付けの丸椅子に、フレデリクは腰かけた。左右と後方を囲うように、護衛が不動の姿勢で立つ。
まさに裏社会の大物然とした風格だ。しかしその姿を見たアレクの胸に去来した感情は、寂しさだった。
(父さん、痩せたな……)
昼間にアトラズの屋敷で見た時は気付かなかったが、首元や手からは肉が落ち、皺が深く刻まれている。歩くのにも杖を使い、背の曲がった姿はアレクの記憶よりも一回りは小さく見えた。
昼間に会った時は、敵となりうるミナと初めて会うという事で、かなり気を張っていたのかもしれない。五年の月日の長さを、否応なしにも感じさせた。
「お前と一度、親子として話がしたくてな……」
神妙な口調で言われると、アレクも拒む気にはなれなかった。
「フェリクス。ここはいいから、外でちょっと記録の確認をしててくれるか」
「は、はい!」
安心したと言った感じで、フェリクスはドアを閉めた。急ぎ足で離れていく足音を聞きながら、やがてフレデリクは口を開いた。
「五年ぶりか、大きくなったな……」
フレデリクのこんな優しい声を聴いたのは何年ぶりか、アレクにも思い出せなかった。
「改めて見たら、ずいぶんと頼もしくなった。見違えたぞ」
「父さんは変わってないね」
「ふ、寄る年波には勝てんさ」
フレデリクの微笑はどこか寂しげだった。
「ユリウスはわしに似て気性の激しい子だったが、お前は物静かで、柔軟な思考のできる子だったな。ユリウスはヤクザらしいヤクザになると思ったが、お前はどんな子に育つのか、全く想像がつかなかった」
「……」
「似合わんヤクザになるか、商人として名を上げるか、芸術家にでもなるか。お前の将来を、楽しみにしていたものさ」
(本当かよ……)
アレクは心中でひとりごちた。幼い頃の記憶は、父から兄と比較され、暴力こそこの世をのし上がるのに必要なものだと教えられてきた事ばかりだ。
果たしてどこまで本気で言っているのか、と思ったが、ここで揚げ足をとっても仕方ないので、アレクは黙って父親の話を聞いた。
「まさか、王都で騎士団に志願して、そこで出世するとは思わなかったがな」
「……それは、俺もだよ」
ミナと出会っていなければ、早々に野垂れ死にしていたかもしれない。
ほとんど何も考えず、徒手空拳で外の世界に出たアレクが最初に知ったのは、自分が恵まれた世界で生きていたという事実だった。町中に広がる父親の手がどれだけ長く、大きかったのか、毎日寝る前に実感していた。
それだけに、カヒーナを大事に思う気持ちは強くあった。
「昼に会った時にも言ったけど、俺達はこの町を壊したくてやってきたわけじゃない。カヒーナの価値はどんどん上がってて、国も欲しがってる。だからヤクザが仕切るカヒーナの現状は、王宮にとっては好ましくないんだ」
「お前の言いたい事は、分かる。だが……」
「ヤクザはこれまでずっとカヒーナを守ってきた、って言うんだろうけど、もう新しい時代が来てるんだよ。俺達は言ってみれば先遣隊だよ。仮に父さん達が騎士団と全面戦争を起こしたとしても、俺達が全滅すれば、また新しい騎士団が呼ばれる。それは騎士団に敵対するヤクザが滅ぶまで続くよ」
もはやカヒーナが国の直轄領となる流れは、誰にも止められないだろう。
ヤクザ・ギルドが鎬を削り、騎士団とも対立する今の姿を、王国は認めない。それを放置しておけるほど、カヒーナは無価値な土地ではなくなってしまった。
「重要なのは、これからのカヒーナをどうするかだよ。俺達に協力してくれなければ、ヤクザは滅びる。俺はそんなところを見たくてここに来たわけじゃない。だから意地は張らないで、これからどうするかをみんなで話そうよ」
フレデリクは目を閉じて、アレクの言葉を聞いていた。
例え家を出たとはいえ、実家は実家であり、故郷は故郷だ。親兄弟、見知った顔が落ちぶれる様を見たい子などいるわけがない。その気持ちが父にも届いてほしかった。
「……いや、まだわしらの負けが決まったわけではないぞ」
フレデリクは目を開けて、口元を自身ありげに吊り上げた。
嫌な予感がした。父がこの顔をする時は、大体悪い事を考えている時だ。
「何考えてるんだい、父さん」
「王国がどれだけ騎士団を呼ぼうが、結局この町に生きているのはわしらよ。わしらヤクザが、騎士団を手駒にすればよいだけの事」
「簡単に言うね」
「そりゃあそうさ。他の一家ならばいざ知らず、我らアトラズには、お前がおるからな」
嫌な予感が的中し、アレクは思わず天を仰ぎそうになった。
「正気かい、父さん? 立派に育った息子を汚職に誘ってるの?」
「お前の協力があれば、わしらは騎士団を相手に有利に事を進められる。お前の協力で騎士団がわしらに便宜をはかるよう動いてくれれば、アトラズが全てのヤクザ・ギルドを支配下に置く事も夢ではない」
あまりにも夢を見すぎた言葉だった。王国がどれだけ本気になっているか、未だにこの男には見えていないのだ。
「父さん、無茶いうなよ。大体、うちの隊長がそんなの許さないよ。ヤクザのトップが変わるだけじゃ、町の治安には変化がないだろ」
「うむ、だが、その隊長さんにもしもの事が起きたらどうだ?」
「……なんだって?」
剣呑な言葉に、アレクは鋭い目を父親に向けた。
「お前達が帰ってすぐにな、エルグリーズのもんが顔を出した」
「それは俺も見たよ。若頭のヘクトールだろ」
「ああ。あいつが言うのさ。治安回復の為などと嘯く中央のガキ共に、世の現実を教えてやりたいが、構わんだろうな、とな」
「な……!?」
「別に断る理由もないからな。お前だけは手を出すな、と言っておいたよ。あいつらの事だ、隙を見せれば隊長だってすぐに……?」
フレデリクは言葉を止めた。アレクは今度こそ天を仰ぎ、両手で顔を覆うようにして頭を抱えていた。
「おい、どうしたアレク。これはお前にもいい話だろう? あの隊長に何かあれば、次の隊長はお前だ。わしらでカヒーナを掌中に収めようじゃないか」
「こ、この……、クソ馬鹿親父……!」
呆れてそれ以上ものも言えなかった。ここまで胸襟を開いて本心を話しても、父親にはまったく理解できていない。ヤクザ同士の抗争と同レベルで考えている。
ふと大事な事に気付き、アレクの脳髄に稲妻が走った。ミナは今、町を散策しているのではなかったか。
「フェリクス! フェリーックス!」
立ち上がり、従者の名を呼びながら部屋の外に出る。廊下には、既に隣室から出てきていたフェリクスが、直立不動の姿勢を取っていた。
「話は聞いていたな!」
「はっ!」
「よし、隊長の現在状況を確認! すぐ見つからんなら、動かせる奴を片っ端から緊急招集して捜索! 俺の命令だと言え!」
「了解しました!」
すぐさま走っていくフェリクスを見やった後、アレクは部屋の中に顔を向けた。フレデリクは急変した状況についていけてないようで、困惑の顔を浮かべていた。
「お、お前、部下に盗み聞きをさせていたのか……」
「一応、これでも人を指揮する側の人間だからね。父親相手だからって、疑われるような事はできないんだよ」
アレクがフェリクスに言った、『記録の確認』とは、連隊で使用している一種の符号である。外部から人が尋ねてきた場合などに、秘密裡に会話の記録を取る事を意味していた。
ただの親子なら会話の盗み聞きなどされたくはないが、相手が敵対勢力のトップなのだから、アレクとしてもこういった手を取らざるを得なかったのだ。
フレデリクは歯をむき出しにして、怒りを露わにしていた。先ほどまでの穏やかな印象は消え失せ、暴力の社会に生きるヤクザの頭領としての顔になっていた。
「お前、そこまで堕ちとったのか! 親を裏切るとはな!」
「やかましい! そんな事言ってる場合じゃないんだよ! この町が灰になるかならないかの瀬戸際なんだぞ!」
自分を上回る剣幕に、フレデリクも思わずたじろぐ。そして話の詳細を聞くにつれて、フレデリクの顔は蒼白になっていった。