04 放蕩息子の不本意な帰還
豪奢な部屋だった。長方形に区切られた部屋の中央に、複雑な紋様が刻まれた、木製のローテーブルが一つ、奧に執務机が一つ。ローテーブルには革張りのソファが並べられている。
奧には窓が開けられており、左右の壁には鮮やかな壁紙が貼られている。左側には絵画が複数並べられ、右側には大小さまざまな刀剣が、これ見よがしにいくつも置かれていた。
(相変わらず、よく分からん趣味だな)
中央のソファに腰かけながら、アレクは感想を抱いた。
部屋の主の中で、文化人として見られたいという欲求と、己の持つ暴を示したいという面子が、正面衝突を起こしているようだ。
豪奢といえば聞こえはいいが、美的感覚は正直田舎者のそれに近いのかもしれない。外の世界に出て、、王都の文化に触れたからこそ浮かぶ感覚であった。
ミナはアレクの隣に腰かけながら、アレクのように部屋の内装に興味を示さなかった。見ているのはただ一点、目の前にいる部屋の主だけだ。
ローテーブルを挟んで向かいのソファに、初老の男が腰かけていた。
オールバックの髪にいくつか白髪の筋ができており、顔の皺も深い。だがその鋭い目には、弱弱しさはかんじられない。
一家の一員と同じく、黒字の羽織を身にまとっている。その胸元にある紋章は、白糸ではなく金糸で刺繍がされていた。一家を統べる男だけが、着る事を許されるものだ。
カヒーナ領の東部地区を支配するヤクザ・ギルド、アトラズ一家の頭領、フレデリク・アトラズその人だった。
「なるほど、お話はよくわかりましたよ」
両腕を組んだまま、フレデリクが重々しく口を開いた。
「こちらにあいさつに来られる前に、ちょっとしたいざこざがあったと、こういうわけですな」
落ち着いた口調だが、この男の本心はそうではないと、アレクは見抜いていた。例え末端であろうと、一家の一員を愚弄された恨みはそうそう忘れない男だ。
「お互いの無理解が招いた結果、という事でしょう。見るに堪えない行いを止めただけですが、この町の流儀を知らなかったこちらにも非はありました。お互い水に流す事にしましょう」
対するミナも、発言に棘を隠そうとしない。どうやら第一印象は、お互いに最悪のようだ。これでアレクが無関係ならば、さっさと帰宅して忘れたいところである。
「てめぇ! オヤジに向かってなんだその口の利き方は! あーっ!?」
背後の扉近くに立っていた丸刈りの男が、吼えるような勢いで怒声を浴びせる。しかし当のミナは全く動じずに、アレクに顔を向けた。
「アレク、あなたのお兄さんはずいぶんと口が悪いのですね」
「オヤジ、というのはヤクザ・ギルドの長を構成員が呼ぶ時の、敬称の一つです。色々儀式的なつながりはあるんですが、血のつながりはありません」
「なるほど、先ほど話していたヤクザ・ギルドの繋がりというやつですね」
ふむふむ、とミナは頷いた。
一家としては、新任の騎士団のトップに力と恐怖を誇示しようとしているのだが、ミナは全く気にしていない。もっとも、ミナは戦場で大軍相手にも物怖じしない度胸の持ち主だから、それは当然の話だ。五年の間共に戦ってきて、彼女が恐怖に震える姿を見た事などほとんどない。
「とにかく、我らエーダルス王国直轄領より派遣されました、エルヴィン騎士団第十二連隊は、カヒーナ領の治安向上の任に当たる事になります。いずれ各地区の代表者ともお話させていただきますが、今回は少々問題もありましたし、先に挨拶させていただきました」
ミナが語る中、一家の一人が後ろから茶を運んできた。構成員としても若手らしく、アレクよりも年下に見える。だがその顔はずいぶんと目付きが悪かった。
若手の男が盆から茶を下ろし、ミナの前に置かれた時、カチャリと音を立てて茶がわずかにこぼれた。
「おいこらぁ! 舐めてんのかぁ!」
途端に、背後から怒号が響いた。兄貴分らしい男が若手の肩を掴み、思いっきり殴り飛ばす。
「がっ!」
若手はそのまま吹き飛ばされ、壁にぶつかった。兄貴分は駆け寄り、そのまま何度も若手を踏みつける。
「客人に対して粗相をしやがって! 親父の顔に泥を塗るつもりか! 分かってんのかこらぁ!」
「す、すんませんっ、すんませんっ!」
怒りをむきだしにして暴力を振るう男に、若手が必死に謝り続ける。その異様な光景は、兄貴分が疲れてやめるまで続いた。
肩で息をする兄貴分を眺めるだけ眺めて、ミナは眉をひそめた。
「そこのあなた方。話は分かりましたが、部下を叱るのは私達が帰ってからにしてください。見ている側としては気分がいいものではありませんし、部下に人前で恥を晒させるのはよくありませんよ」
「……隊長、あれは要するに、部下を躾けるという体で暴力性を披露して、隊長を怯えさせようとしてるんです。直接暴力を振るうと角が立ちますので、ああいう形を取ってるんですね」
「よくわからない文化ですね……」
小首をかしげるミナに、部屋にいるヤクザ達が困惑の表情を作った。ここまで反応が鈍い者を相手にするのは、彼らも初めての事だろう。傍から見ているアレクが、逆に申し訳ない気分になってくる。
さすがにたまりかねたといった感じの口調で、フレデリクが言った。
「アレク。お前な、さっきから聞いておればなんだその態度は。その隊長さんの肩ばかり持ちおって」
「そう思うなら、俺がいる前でこんな事やらないでくれよ。こんな古臭い手口、見てるこっちが恥ずかしいよ」
「お前、どっちの味方だ」
「今の自分は、第十二連隊の副隊長であります。当然、公私の区別はつけさせていただきます」
木で鼻を括った感の口調で、アレクも言い返す。
「お前、よくもいけしゃあしゃあと。そんな事でわしの跡を継げると思ってるのか」
「はぁ?」
思わず変な声が出た。この場がどういった場であるかも忘れる、突拍子もない言葉だった。
「何言いだすんだ、いきなり」
「言葉通りだ。アトラズ一家十代目はお前が継ぐ」
「バカいうなよ。さっきも言った通り、俺は騎士団で仕事してるんだぞ。大体うちには兄さんがいるだろ、ユリウス兄さんが」
「あいつはお前が家を出て行ってからすぐ、『男を磨いてくる』と言ってカヒーナを出た。便りも出さなくてなってもう三年になる」
「あのバカ兄貴……」
つい口に出た。確かに実兄のユリウスは、後先考えずに動く、猪突猛進という言葉がぴったりの男だった。だがまさかそんな事になっているとは、アレクも思ってもみなかった。
「そういうわけで、わしの後はお前だ。これまでは武者修行と思い、わしの下でまたヤクザの修行をだな」
「勘弁してくれよ。俺は今の仕事に満足してるんだ。どうせその内兄貴が帰ってくるよ。それまで待ってればいいだろ」
思わず手で追い払うような仕草をしながら、アレクは返答した。
「そうはいかん。他の一家も多くが世代交代を終え、精力的に活動しておる。奴らに対抗できる、若い力が必要なのだ」
「精力的に活動って、どうせ人を強請って銭を掠め取る仕事だろ? そんなのに人生使うの、俺は絶対にごめんだね」
「この親不孝者が!」
「親不孝? 言わせてもらうけどね、ヤクザ・ギルドの一応の理念は、町の治安維持と発展の扶助でしょうが。こっちだって目的は変わらないんだよ? 父さんがどう思ってようと、俺達はカヒーナの為にわざわざここまで来たんだ。それを厄介者みたいに言われる筋合いはねえってんだよ!」
つい伝法な口調になりながら、アレクはまくしたてた。売り言葉に買い言葉、互いに険悪な空気が高まっていく。
互いに罵声を発しそうになった寸前、パン、と空気が破裂する音がした。
皆の視線が音の発生した場所に集中する。ミナが胸元で両手を勢いよく合わせ、アレク達を半眼で睨んでいた。
「それでは、今日はこのあたりで失礼する事にいたします。これ以上争いを増やすのは、私達も望んでおりませんので」
ミナは立ち上がり、出入り口に向かった。アレクも後に続く。
「ええか、アレク」
アレクが外に出ようとしたところで、フレデリクが声をかけた。
「お前がどう思っていようと、お前はアトラズの血を継いだ、由緒正しいヤクザの子だ。それを忘れるな」