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03 ある大貴族の思惑

 時を遡る事数週間前、アレクとミナは王宮にある騎士団長の執務室で、上司と対面していた。


「ヴィルヘルミナ・バードラ。貴官の部隊に新たな指令が下った」


 話しているのはエーダルス王国直轄領の騎士団長、エルヴィン。数多の戦で勇名を馳せた猛将である。既に五十に近づこうという歳だが、厳格に鍛えられた肉体と精神は、全く老いを感じさせない。


「貴官は自身の指揮する第十二連隊、四百名を連れてカヒーナ領に赴き、既に着任している兵と共に治安向上にあたること」

「はっ!」


 勢いよくミナが応じる。アレクはミナの後方で直立不動の姿勢のまま、二人の会話を聞いていた。


「血気盛んな貴官の事だ。このような任務は不服かと思ったが、その反応なら、どうやら杞憂だったようだな」


 エルヴィンが満足そうにうなずく。


「どのような任務であろうと、祖国の為に働くのであれば、この身を惜しむつもりはありません」

「うむ、よく言った」


 二人の打てば返すようなやり取りを見ながら、アレクは心中複雑な気分だった。故郷を飛び出して五年、まさかこのような形で帰還する事になるとは思っていなかった。


「長きにわたる戦乱にも終止符が打たれ、我々は勝利した。しかし、本当に苦しいのはこれからとなるだろう。外敵が去った今、我々は荒れた国内の安定に力を振るわねばならん。その中でも重要視されるのがカヒーナだ。貴官の任務は重要だぞ」

「全力を尽くします!」

「よろしい。カヒーナ領について、詳細は君の副官に尋ねたまえ。彼はカヒーナの出身だ」


 アレクは思わず声を漏らすところだった。これまで自分の出身についてははぐらかしていたし、騎士団の中で知っている者などほとんどいないはずなのだ。


「そうだろう? アレクサンドル・アトラズ」


 フルネームで呼ばれ、アレクは観念するしかなかった。


「はい。おっしゃる通りです」

「そうなのですか? アレク、どうして今まで隠していたのです?」


 ミナが尋ねた。


「別に隠していたわけではありません。ただ話しそびれていただけです」

「私達ももう五年近い付き合いだというのに、意外とお互いの事を知らないようですね」


 ふふ、とミナが微笑んだ。


「では、出立の準備に入りたまえ。それとアトラズ副長、貴官にはまだ別に話があるので、残るように。以上だ」


 ミナが退出した後もアレクが直立不動で待っていると、エルヴィンは重々しく口を開いた。


「アレクサンドル・アトラズ。十五歳で直轄領騎士団に志願し、一兵卒として入団。初陣から華々しい戦果を挙げ、その後も上官のヴィルヘルミナ・バードラと共に活躍。五年後には新設された第十二連隊の副官にまで上り詰めた。末端からの出世としてはほぼ最速だな。見事なものだ」

「ありがとうございます」


「兵士に志願するものは、大抵は食うに困った者か、出世を狙ったあぶれ者だ。だが貴官は意外にも教養に溢れ、貴族子弟からの受けもよかった。その理由が地方の名士の息子だったため、とはな」


 アレクがどう答えるか迷っているのを感じ取ったか、エルヴィンはかすかに笑った。


「別に、それについてどうこう言うつもりはない。しかしそのまま実家にいれば、今より裕福な暮らしもできただろうに、何故志願などしたのだ?」

「名士の息子と言っても、自分は次男ですので。兄は健康そのものですし、家を継ぐことはまずありません。それに、家業にはうんざりしていたんです」

「なるほど、ヤクザの跡継ぎは嫌か」


 出てきた言葉に、アレクは思わず息をのんだ。


「裏社会に染まって生きるより、国の為に命をかける事を選んだ。貴官の志には敬意を表する。ヤクザの事は気にしなくていい。どんな家にも事情はあるということだ。バードラについてもな」


 エルヴィンの気配から察するに、どうやらここからが話の本番らしかった。


「彼女は、ある有名な大貴族の隠し子でな。貴官も噂は聞いているかもしれんが」

「少しは、耳にした事があります」


 いわく、その大貴族は既に妻を迎えて子もいたが、ある時、平民の娘に手をつけた。関係は密かに続き、娘は妊娠し、子を産んだ。それがミナだ。しかし残念な事に、出産の際に母親は体が耐えきれず、ミナが母の顔を見る前に亡くなった。


 大貴族は一人残ったミナを歓迎し、自分の家に迎え入れようとしたが、彼の妻とその両親が激怒した。自分達の家を蔑ろにする行いであると、生まれた娘を実家もろとも抹殺しようとする勢いだったという。


 困り果てた大貴族は、なんとか妻達をなだめ、ミナを遠い親戚のある弱小貴族に預けた。それがバードラ家だった、という話だ。

 ミナは表向きはバードラ家の娘として育てられているが、大貴族はミナを諦めておらず、いずれは何とかして自分の下に迎え入れたい、などという話もある。


「彼女も父親については知っているが、親に頼らずに生きたがっているようでな。それでうちの騎士団に志願し、自力で実力を示してきた」

「確かに、見事な活躍だと思います」

「個人的な感想なら、私もそれで済ませている。しかし、ついに親が口を挟んできてな」


 はぁ、とエルヴィンは小さく溜息をついた。英雄エルヴィンもこんな疲れ顔をするのか、とアレクは驚いたが、表情には出さないようにつとめた。


「血の繋がった者として、娘の活躍は喜ばしい。しかし、いつまでも危険な前線に置いておきたくはない。早めに安全な役職を用意してやりたいので、どうか娘を説得してくれ、とこうきたわけだ」

「……つまり、将来的には隊長を騎士団から引退させ、カヒーナの領主にしたい、という事でしょうか」

「話が早い、君のような部下を持って彼女は幸せだな」


 エルヴィンは薄く笑った。


「治安向上の名目で一年か二年、彼女にカヒーナで仕事をさせる。そこでの働きを評価し、彼女にカヒーナの領主の役職を与えよう、というわけだ。ちょうどあそこの領主は高齢で子供もおらん。老後の面倒は見てやる必要があるが、それほど問題もなく入れ替える事ができるだろう」

「しかし、カヒーナは危険な場所です。ある意味では、最前線よりも命を狙われる事になりかねないのでは」


「そこで、君の助けがいる」


 エルヴィンは人差し指をアレクに向けた。長年剣を振り続けたその手は、肌が革を張りつけたように分厚かった。


「君に彼女の副官として、治安向上のみならず、町の有力者との交渉を補助してもらいたい」

「自分に、ですか? しかし、自分はこの通りの若輩者で」

「カヒーナのヤクザ・ギルド、それも頭領の次男となれば、カヒーナの表も裏もよく理解している事だろう。先の戦役で数々の手柄を立てた英雄だ。領主や騎士団に対して敵意を持つ者達も、君になら心を開いてくれるのではないか?」

「それは……そうならいいとは思いますが……」


 予想以上の大任であった。アレクの立ち回り一つで、ミナだけでなく、任務に参加する部隊全員の命運を握る事になりかねない。相手は金の為なら幼子も投げ捨てるヤクザ共だ。戦でのやり取りとはわけが違う。

 果たして自分にどれだけの事ができるのか。そもそも『できません』と断れる話ではない。


 顔がひきつるのを必死に押しとどめようとするアレクに、エルヴィンは打って変わって優しく声をかけた。


「それと、先ほど話した大貴族殿からの依頼の件だが、他にももう一つあってね。『もし見つかればでいいのだが、娘に良縁を宛がってやってほしい』だそうだ」

「りょう、えん……? はあ……?」


 いきなり話題が変わり、アレクはついとぼけた声を出した。


「ご自分が貴族のしがらみで苦しんでおられるせいか、大貴族殿も、婿殿の身分等には、特に拘りはないらしい。任務が滞りなく完了したならば、私はバードラ君の婚姻相手として、君を推すつもりでいる」

「はい?」


「君は彼女の事をどう思うかね?」

「は、それは、その、バードラ隊長は実に優秀な指揮官でありまして、その剛力は並みの男を遥かに超えて、武器を持たせればその冴えは素晴らしく……」

「仕事面の話はいい。私的な面での話だ」

「それは、はい、その、素敵な女性だと思いますが……」


 自分でも何を言っているか分からないまま、アレクは頭に浮かんだ言葉を口にした。話の急展開に、完全に思考が追い付いていなかった。


「それは良かった。カヒーナ領主と町の名士の息子の婚姻、中々相応しい話だ。頑張ってくれたまえ」


───・───


 結局、その時のアレクは勢いに飲まれたまま、二つ返事で引き受けてしまった。


 だがこれは、下手をすると戦場を生き抜くより難しい任務かもしれない。

 ゲオルグに連れられたまま、実家の門をミナと共にくぐりながら、アレクは今更ながら思うのだった。

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