01 悪徳の地、カヒーナ
初夏だと言うのに、その日は朝から酷く暑かった。雲一つない青空に、太陽がこれでもかと大地を照らしている。
こんな日はできる事ならば外をうろつきたくない。不本意な仕事で歩くなら、なおさらだ。
アレクはそう思うが、仕事とあっては仕方がなかった。
アレクの所属する部隊、総勢四百名が、目的地に向かって列をなし、黙々と歩き続けている。周囲には木々も少なくなり、草原に変わりつつあった。日陰はないが、風が吹いているのがせめてもの救いだ。ついでに言えば、アレクは馬に乗っている分、末端の兵士よりはましだった。
「それで、アレク。その『ヤクザ・ギルド』というのは、一体どのような組織なのですか?」
青空から降ってきたのかと思うような、澄み切った声がした。アレクが顔を向けるとと、隣で馬を並べた女性が、真っすぐな青い瞳でアレクを見ていた。
細身の引き締まった体、凛々しく整った眉、引き締まった唇にすっきりと通った鼻梁、さらには丁寧に切りそろえられた黒の挑発まで、彼女の外見のすべてが、彼女の正義感に溢れた直情的な性格を、分かりやすく伝えてくるようだった。
アレクより一つ年上のはずだが、見た者は誰もがアレクより若いと感じ取るだろう。それは彼女全身に溜め込まれた生命力のようなものを、見ているだけで感じ取るからかもしれない。
「これから行くカヒーナ領は、あなたの出身だと聞いています。あなたが色々と知っているのでしょう?」
「ええ、まあ……」
どう説明すれば穏当か、アレクはダークブラウンの髪を軽くかきながら考えた。きっちりとした軍服のラインに負けない、たくましい身体の持ち主だ。顔も普段ならば、かなり整っていると言っていい。
しかし、今の彼は全体的に気落ちしていて、どうにも浮かない顔をしている。いわば地元の恥の部分を説明する為だった。
「カヒーナ領に古くから存在する、自治組織のようなものです。元々は上の手が回らない、民間のもめ事の調停をしたりしていたそうですが、長い歴史の中で勢力を拡大し、カヒーナの各産業や風俗、賭博の類を支配しています」
「つまり、裏社会の連中という事ですね」
「まあ、一言でいえばそうですが……」
「であれば簡単です。邪魔な連中は全員、我々が叩きのめしましょう」
女はさらりと答えた。
「……ミナ隊長、いつも思いますが、隊長は物事を簡略化しすぎです」
「アレク。あなたが変に考えすぎなのです。世の中は意外とシンプルなものですよ」
アレクの嗜めにも、女──ミナは平然としている。
アレクは心中気が重かった。確かにミナは先の戦で数々の功績を上げ、若干二十一歳で部隊を任されるようになった英雄だが、周囲がフォローしていないと何をしでかすか分からない、危うさもある女性だった。
果たしてミナがあの町に向かった時、何が起きるか。それを考えるだけでアレクの胸に不安の雲が広がる。
しかし、ミナはそんなアレクの心中など全く知る由もなかった。
「ヤクザ・ギルドがどんな歴史を持っていようが、どんな力を持っていようが、我々のやるべきことは変わりません。カヒーナ領の治安回復に貢献し、市民の安全を取り戻す事です!」
「それは、その通りです」
「でしょう? 頼りにしていますよ、アレク副長!」
ミナが嘘のない笑みを見せるので、アレクもまっすぐ答えるしかなかった。
やがて、目の前に立ち並んでいた山のふもとに、人工的な建築物の群れが見えてきた。
アレクの記憶にある風景と同じ、、カヒーナ領の町だった。
───・───
カヒーナ領、それはエーダルス王国北西部に位置する地方の一領土である。
元々は交通の便も歩く、王都からも遠いため、他領との出入りも少ない一地方だった。その為治安も悪く、住民は地域ごとに寄り合い所帯を作る事で自衛を図る事が多かった。
それらの組織はやがて時代を経るにつれて巨大化し、町全体に根を張った巨木へと変化していった。それがヤクザ・ギルドである。
中央から領主と騎士団が派遣され、町の行政を司るのが現在の地方行政のシステムであったが、カヒーナの民は産まれた前から存在するヤクザ・ギルドを重要視し、例え領主が相手であっても、歯牙にもかけないのが常だった。
これだけであれば、カヒーナ領は都から遠い、地方の扱いにくい厄介者として扱われるだけで済んでいた。しかし、カヒーナ領を挟んだ隣国との緊張、交通の便の発達、さらにはカヒーナ領で採掘される事が判明した希少鉱石の発見により、カヒーナの存在価値は日に日に増してきていた。
そのため、王国の権力者たちは、カヒーナに対して王都の影響力を強めようと考え始めていた。アレク達騎士団の一部隊が派遣されたのも、治安回復を図る為という名目とは別に、王都がカヒーナを握る為の最初の一手と言うべきものだった。
アレク達の部隊は、ひとまずは何の問題もなくカヒーナの町、スパーラに入った。そこで兵士たちをひとまず兵舎に預け、昼の休憩を取らせる事にした。その後、ミナとアレクも軽く食事を取ろうと、町に繰り出したのだった。
「さあ、行きますよアレク。祖国の命運は私達の活躍にかかっています!」
ミナが発奮する気持ちは、アレクにも分からないではない。だがアレクには気乗りしない理由があった。
スパーラの市場は記憶通りの活気だった。石造りの建物が広がる町で、市場からはあちこちから様々な種類の声が上がっていた。人の往来は激しく、様々な格好や人種の者が行き来している。
王都のような洗練された趣は欠片もないが、人々が発する熱気が塊となって町中を包んでいた。
「ずいぶん騒がしい街ですね……」
「今日は市場が開いてますから、特別ですよ。普段はもうちょっと落ち着いてます」
ミナはあっけにとられたような表情で周囲を見ていたが、不意に妙なものを見たように目を白黒させた。
「アレク! アレク!」
「何ですか一体」
「あそこ! あそこを見てください! 何ですかあの人達は!」
ミナの指さした先に顔を向けると、右前方の通りから、数人の女性が歩いて出てきたところだった。全員顔には濃い目の化粧を施しており、服は腰と胸に布を巻いて必要な個所を隠し、その上から薄布をまとっているだけだ。羽織っている薄布も体のラインが見える程に薄手で、素肌を晒していないというだけでしかない。
「ああ、踊り子ですよ。休憩中に食事にでも出てきたんでしょう」
「なんと破廉恥な。やはりこの町は、一度タガを締め直さなくてはなりません」
「いや、ですけどあれは、一種の宣伝ですから……」
アレクが子供の頃からある光景だった。王都であのような格好をしていれば、半日と持たずに都中に広まり、人相書きが出回る事だろう。ミナの反応は当然の事だが、この町の当然は王都とは全く違う。
まずはミナにそれを教える事が、アレクの第一の課題だった。知識なしに問題に対処しようとすれば、問題を解決するどころか、面倒を増やすだけだ。
そう思った矢先に、アレク達の耳に悲鳴が届いた。
続いて、テーブルや椅子が倒れ、皿が割れる音。最後に、前方にあった酒場の扉を打ち破って、男が飛び出し、表通りに転がった。
しょぼくれた顔の中年男だった。殴られた時に唇を切ったのか、口元から血がこぼれており、粗末なシャツが血で真っ赤に染まっていた。
何のもめ事だ、と思う間もなく、酒場の奥から柄の悪い声がした。
「ざっけんなよコラァ!」
「金も返さずに、この町で酒が飲めると思ったんかワレェ!」
現れたのは二人の若い男だった。どちらも品のない、暴力しか能のなさそうな顔をしている。二人とも黒地の羽織をしており、胸元に白糸で家紋の刺繍がしてあった。
天を支えんばかりに、大きく翼を広げた鷹の紋。アレクが子供の頃から見慣れている家紋だった。
明らかにヤクザの下っ端である。彼らの言葉からして、恐らくは借金の取り立てだろう。別に珍しい事でもない。彼らは暴力を見せつける事で、周囲に対し自分達の力を見せつけているのだ。
彼らの行動は外聞がよくないのは間違いないが、今ここで首を突っ込むとややこしい事になる。
「隊長、とりあえず行きましょう。相手する事はありませんよ……」
そう言って振り向いた先に、ミナはいなかった。
「おやめなさい! 昼間から天下の往来で暴力騒ぎなど、皆の迷惑ですよ!」
アレクが制止する間もなく、ミナは倒れた男とヤクザの間に立ち入っていた。