004 少女の奇行
玄関から元気に外に飛び出したエリカ。
おれの目にも、その景色が映し出された。
((いったいどこなんだ…………ここは?))
どことなく中世のような印象を受ける街並み。
──とはいえ、おれたちの住む世界の多くは、現代でもこういった中世の街並みがルーツとして色濃く残っている国がほとんどだ。だから正直な話、現代か中世か──ということを正確に見分けるのは困難でもある。
あえて言うならば、おれが資料で見たちょっとした違いをはじめ、あきらかに『現代でなく中世だと感じる違和感』があちこちに散見できるのだ。
おれは魔王を倒すため、勇者として何年も世界各地をまわって旅してきた。
だからこそわかる。
世界のあらゆる国々の文化を経験して、触れてきたという豊富な知識と、実体験をもとにした感覚。
そのおれから見ても、ここは現代とは思えない街並みをしている。
もちろん、こんな街に立ち寄った記憶もないし、おれの知識を持ってしても、ここがどこなのかわからない。
すると家を出たばかりのエリカが、その場で立ち止まり目を閉じた。
精神を集中する彼女。
((なんだ……? 何をしているんだ、この娘は?))
エリカが立ち止まれば、おれも自動的に立ち止まることになり、エリカが目を閉じれば、おれも目を閉じるしかない。
結果的に、おれの意思とは関係なく、おれの目の前は真っ暗になる。
しばらくして、ゆっくり目を開けながらエリカが言った。
「──あっち。数百メートルくらい先……。赤いバッグを持った……女の人。……黄色いワンピース! ……急がなきゃ!」
「(……は? 突然立ち止まって目を閉じたかと思ったら、今度は何を言っているんだ?)」
「……でも、そのまえに────」
おれが困惑していると、エリカはカバンからメモ帳とペンを取りだして、つらつらと何やら書き始めた。
おれもエリカの目をとおして、彼女の書いている文字は確認できる。
知っている文字──
この世界の文字だ。
この世界は、ひとつの言語で統一されている。
読めて当然といえば当然だが──
彼女がメモ帳に書いた文章は次のとおりだ。
【頭のおかしくなった友人が、今日の夜23時36分に、西地区のスミスさん家に泥棒に入るって言ってました! 一家を皆殺しにするらしいです! 10人家族なので、被害が心配です! どうか彼に罪を犯させないでください! ──通りすがりの一般人より】
((……なんだ、この文? 友人? さっき母親に言っていた友達のことか? 今から会いに行くんじゃないのか……? それに──そもそも、いつそんな話を聞いたんだ? おれがエリカの身体に入るまえ……? それにしては、さっきまで平然と笑顔で朝食を食べていたし、何かおかしいぞ……))
さらにおれは考察を続ける。
((それ以前に、夜の23時36分って……。なぜそんな分刻みなんだ? というか……そんな中途半端な時刻に泥棒と殺人をする予定を立てて、しかも友達にバラすヤツなんているのか? それより何より『通りすがりの一般人より』って……どんなセンスだよ……?))
おれがいろいろと推測していると、エリカは書いたメモ帳を切り離して、元気よく走り始めた。
「まずは警察に行かなきゃ……!」
((……警察? 何をしに行くんだ? まさか、そのメモを渡す気か……?))
警察は基本的に、街の中心部に大きな警察署本部を構えていて、各地域に小さな部署や発出所をいくつも設置していることが多い。
おれの知っている街は、どこも街のいたるところに警察の拠点があった。
この街にもあって当然だろう。
すでに何度も行っているのか、エリカは地図を調べることもなく、警察所を目指して走っている。
そして彼女がたどり着いたのは、西地区にある小さな発出所。
エリカは、まるで泥棒のように壁にぺたりと背をつけて、コソコソと入り口から発出所の中を覗きまわっている。
「(いや……。それだと、おまえが泥棒にしか見えないから……)」
おれはツッコミを入れたが、相変わらず声は出ないので、エリカには聞こえていない。
どうやら中に人がいないか確認しているようである。
建物の規模から考えて、せいぜい待機している警官は1~2人。多くても3人といったところだろう。
留守を確認すると、エリカはニヤリと悪そうな笑みを浮かべてから、発出所の中へと侵入する。
警官はすべて警備に出ているようで、室内には誰ひとりいない。
無人の部署内部を、慣れた様子で歩きまわるエリカ。
そして彼女は、いちばん奥のテーブルの上に、先ほど書いたメモの紙を置いて、そのままそそくさと発出所をあとにした。
「(……っていうか、なんでコソコソしてたんだ? 別に警官がいても、直接渡せばいいだけ──って……そういえば『通りすがりの一般人』とか名乗ってたな)」
おれは考察を続ける。
「(身元がバレたくないのか? それとも、嘘……? まさかデマで警察を振りまわして遊んでるわけじゃないよな……?)」
先ほど母親とのやりとりを見ていたおれとしては、アレが嘘ではないと信じたいが──。
俺が困惑していることなど知る由もないエリカは、思いのままに行動する。
次にエリカが向かったのは、最初に『あっち』と指さした方向だ。
「(たしか『黄色いワンピースを着て、赤いバッグを持った女性』とか言っていたな)」
おれは意味が分からず、ただエリカの中から、その動向を見守っていた。
しばらくエリカの行動に身を任せて、無言で景色を眺めている。
すると前方から歩いてくる女性がおれの視界に入った。
その女性は黄色いワンピースを着ており、赤いバッグも持っている。
「(ほ……本当にいた……!?)」
彼女の予言どおり、本当に『黄色いワンピースを着た赤いバッグの女』が現れたのだ。
驚くおれをよそに、エリカはその女性のほうへと小走りで向かっていった。
「……す、すみません! ちょ、ちょっと道がわからないのですがっ⁉」
エリカは、その女性の前に立ちふさがって進行を食い止めると、いきなり道を尋ね始めた。
突然絡まれて、女性は困惑している。
「ど、どうしたの? ……迷子?」
「えーと……。そ、その……。迷子というほどでもないのですが……」
おれはエリカの中で、全力でツッコむ。
「(迷子じゃないなら、なんで道を尋ねてんだよ!?)」
いくら子供とはいえ、さすがにエリカの行動が怖かったのか、黄色いワンピースの女性は後退りしながら言った。
「ご、ごめんなさい……。私……あまり道に詳しくないから……」
そしてワンピースの女性が、その場から逃げようとすると、すかさずエリカは背後に回り込んで、粘着気味に絡んでいく。
「そ、そんなこと言わないでください……! あとちょっとだけでいいので、わたしの話に付き合ってくれませんか⁉」
この時おれはエリカの言葉に違和感を覚えた。
「(……ちょっとだけ? 話に付き合ってほしい? ……待てよ? さっきの迷子の話から、いきなり話の趣旨が脱線しすぎだろ……? 何を考えてるんだ、この娘は……?)」
怖がる女性を取り逃がさないように、しつこく絡み続けるエリカ。
見ているおれも、さすがにワンピースの女性のことが少し気の毒になってきた。
「(この娘……。まさか母親の前では猫をかぶっているだけで、本当はいたずらっ子なのか……?)」
おれがそんなことを考えていると、すぐ脇にある大通りの向こうから、一台の巨大なトラクターが走ってくるのが見えた。
そのトラクターは大きな音を立てながら、おれたちの目の前を猛スピードで通過していく。
「(危ないなぁ……。こんな田舎の一般道で、あんな運転して……。しかもあの大きさだ。下手したら大事故だぞ……!?)」
おれがそんな文句を口走っていると、突然エリカが予想外の行動にでた。
「……あ。もういいです。それじゃ……」
「……え? あ、その……はい…………」
黄色いワンピースの女性も、エリカの不自然な引き際に困惑していた。
そのまま何事もなかったかのように、その場を立ち去るエリカ。
おれはエリカの中で、ひとりつぶやいた。
「(いったい何なんだ……この娘? ひょっとしてヤバいヤツなんじゃ……?)」
エリカがワンピースの女性のもとを離れ、数十メートルほど走ってきた歩道の上──
突然その場で足を止めたエリカは、先ほどの黄色いワンピースの女性がいたほうを振り返って笑顔で言ったのだ。
「────事故に遭わなくてよかったね」