001 魔王と勇者
「きさまの悪事も今日までだ! 魔王!」
「よくここまでたどり着いたな、勇者よ」
ここは魔王城。王座の間。
今──
おれは世界中の人々の期待を背負って、魔王の前に立っている。
「きさまのせいで大勢の人々が苦しんできたんだ……! おれは決して許さないぞ!」
「ふふ……。だったらどうするというのだ?」
数年まえ──
おれは魔王を倒して世界を救うために、勇者として旅立ったのだ。
「決まっているだろう……! ここできさまの息の根をとめて、このおれが世界に平和をとり戻す!」
「……おもしろい。やってみるがいい」
これまで700年の長きにわたり、何人もの勇者が魔王に挑んできたと言われている。
だが誰ひとりとして、魔王を討ちとれる者はいなかった。
「これまで貴様を葬ろうとして叶わなかった勇敢な者たちのかたきだ……!」
「ふふ。魔王と勇者が敵対することなど、今に始まったことではなかろうに。それに……わたしとて、何の抵抗もなしに殺されてやるつもりなど毛頭ない」
「だったらこのおれが、今日をきさまの命日にしてやる!」
おれは小さいころから勇者になることが夢だった。
このおれが世界を救うのだと──
このおれが魔王の悪の手から人々を護るのだと──
ずっと、そう心に誓って生きてきたのだ。
「きさまのような悪は、世界にとって不要な存在だと思い知るがいい!」
「あはは! 活きがよいのだな。今回の勇者は」
「ぬかせ……! 人々を脅かす邪悪な存在め!」
ここまで長い道のりだった。
勇者になることを決意したあの日から──
おれが勇者となってから、魔王のもとにたどり着くまでに費やした歳月は3年。
力を磨きながら世界各地を転々とし、その先々で助けを求める人々を探しては、救いの手を差しのべてやる。
そうやって、おれは旅を続けてきたのだ。
困っている人々を助けてやるのが、勇者としての使命である。
その代償としておれが手に入れたのは、数えきれないほどの感謝と人望。いわば勇者としての勲章であり名誉だ。
おれは目を閉じて、人生を思い返しながらつぶやいた。
「……長かった。しかし、これでようやくおれの旅も終わる」
「ふふ……たしかに。おまえがわたしを殺しても。おまえがわたしに殺されても。どちらにせよ、おまえの旅はここで終わるわけだ」
「だまれ! きさまがおれに殺されて終わる以外の未来など存在しない!」
おれは魔王に凄んでみせた。
すると魔王は、つかみどころのない不敵な笑みを、このおれに向けてきたのだ。
その表情に紛れて、わずかに愁いのような感情が見え隠れしているようにも見える。
このおれを前にして怖気づいたのか。
それとも今になって命が惜しくなったのか。
これまでさんざん世界を恐怖に陥れてきた張本人が、まさかこの期に及んで命乞いなどしないと思うが──
「きさまのような救いようのない悪は、このおれが天に代わって裁きを与えてやる! いまさら言い訳などするなよ、魔王!」
「……ふふ、そうか。いささか、わたしも疲れた。それでは、さっさと決着をつけようか────勇者よ」
堂々たる風格で王座の前に立つ魔王に向かって、おれは身を低くかがめて自慢の聖剣イフェイオンをかまえた。
このイフェイオンは、伝説のレアメタル『オリハルコン』によって作られている。魔族にダメージを与えられる唯一の鉱石だ。
まるで空間ごと凍りついたように、長い沈黙があたり一帯を支配している。
「最後に名を聞いておいてやる」
「……ガーベラ」
魔王は、まるで琥珀のようなその美しい瞳をおれに向けて、自らの名を口にした。その瞳の色は彼女の長い赤髪の美しさを、よりいっそう際立たせている。
相手が名乗った以上、こちらも応じるのが礼儀というものだ。
「コランバイン────。覚えておけ。きさまを地獄におくる正義の使者の名だ!」
魔王ガーベラは無言のまま、その瞳を細めて妖艶な笑みを浮かべた。
緊張がはしる。
そして次の瞬間────
おれとガーベラは、ほぼ同時に攻撃に転じた。
ガーベラは右手を前に突きだし、聞いたことのない言語で何やら詠唱を口にしている。
一方、おれはイフェイオンを手に、魔王のもとへと一直線に飛びかかっていた。
落ちついた表情で悠然とかまえるガーベラ。
その右手には魔力が集約している。
(くっ……! ま、間に合わないか────⁉)
切っ先がギリギリ届く程度では駄目だ。
致命傷を与えられるくらい深く踏みこんでから斬らなければ、こちらがやられてしまう。
もう仕切りなおすのは不可能。やるか、やられるかだ。
一刀両断──
おれはすべての力をふり絞って、全身全霊の斬撃をガーベラの左首筋へと叩きこむ。そして勢いに任せて、そのままガーベラの右脇へと突き抜けるように彼女の身体を強く斬り裂いた。
その瞬間、まるでスローモーションのように、時間がゆっくりと流れていくように感じた。
ガーベラの右手に集約していた魔力は周囲へと拡散して、その効力を消失する。
あたりにはガーベラの鮮血が飛び散り、彼女の身体は後方へと倒れこんでいく。
「か、勝った……!」
だがおれは、その結果に強烈な違和感を覚えていた。
あの間合いで、ガーベラの魔力を撃ち込まれなかったのは奇跡に近い。
おれは地面へと仰向けに倒れているガーベラを見下ろしながら、先ほどの一騎打ちの記憶を思い起こす。
(……撃てなかった? それとも……撃たなかった、のか?)
口からも真っ赤な血を吐き出し、身体中を震わせながら悶え苦しむガーベラの姿。
その傷口は深く、もはや彼女は虫の息と言ってもいいほどの重症を負っている。
どちらにしろ勝ったのはこのおれだ。それが真実。それが正義。それでいい。
こんな生きる価値のない愚かなゴミクズに、同情するだけ時間の無駄なのだ。
「……ふん。魔王のくせに血は赤いのだな。汚らわしい……!」
おれは手に持ったイフェイオンを逆手に持つと、ガーベラの腹部めがけてその剣を力強く突き刺した。
内臓や骨が壊れる音とともに、ガーベラの悲鳴があたり一帯に響きわたる。
「ぐはぁあああぁあああっ……!」
ガーベラの黄色い瞳は小刻みに震え、その大きく見開いた目には、じわりと涙があふれている。
首を仰け反らせた反動で、頬を流れ落ちるガーベラの涙。
おれは一度イフェイオンを引き抜いてから、ふたたび剣をガーベラの腹部へと勢いよく突き刺した。
「かはぁああっ……⁉ あ……あぁああっ…………ぁあ……あ……!」
「すぐには殺さん……! これまできさまのせいで苦しんだ人たちの痛みを、その身をもって味わってから死ね!」
よだれを垂れ流して、身体中を痙攣させながら、悶えくる苦しむガーベラ。
傷口からは彼女の真っ赤な鮮血が噴きだし、その顔は汗と涙にまみれている。
「そ、そんな……⁉ お……お、お願い……。も、う……許して……! いっそ……ひ、ひと思い……に、殺し…………て……」
ガーベラは俺の腕にすがるようにしがみついてきた。
そして蚊の鳴くような声で、泣きながら必死に懇願してきたのだ。
「許してくれ……? さんざん悪行を働いておいて、いまさらどの口が言っている!」
「ち、ちが……き、聞いて…………わた、し……は────」
次の瞬間おれは、もう一度イフェイオンを引き抜いて、さらに力を込めて同じ場所へと突き刺した。
ガーベラの身体がびくんと大きく跳ねる。
「うあぁあああああああああああああっ…………⁉」
「悪が……言い訳をしようとするな、見苦しい! きさまのような外道には、言い訳をする権利などないのだと知れ! 聞くだけ時間の無駄だ!」
おれはガーベラのお腹に突き刺したイフェイオンを、強引に前後左右に動かして傷口を広げていく。
そして泣き叫ぶガーベラの腹部から、内臓を引きずり出すようにしてイフェイオンを引き抜いた。
痛々しいガーベラの絶叫があたりに響きわたる。
「あぁあっ……⁉ あっ……がぁああああああああああああっ……!」
「いいか⁉ きさまは悪だ! わかったら世界に懺悔しながら痛みを受けいれろ! そして自らの罪を後悔しながら死んでいけ!」
おれはイフェイオンを、さらにガーベラの傷口に突き刺すべく振り上げた。
その時────
「そ……それ以上、ガーベラ様をいじめるなぁああああっ……!」
突然、背後から聞こえてきた第三者の声。
おれは慌てて振り向いた。
殺し損ねたモンスターの生き残りかと思ったのだ。
だが、そこにモンスターの姿は確認できなかった。
「……気のせいか?」
すると次の瞬間、おれは足に小さな衝撃を感じた。
おれの視線が自然と足もとへ向く。
「なんだ、こいつは……?」
そこにいたのは、まるで幼児のような小さなモンスターだった。