016 世界の中心で悪をさけぶ。
◇ ◆ ◇
世界の中心──
世界樹。
おれとキザリスは世界樹の目の前に大きな穴を掘って、ガーベラとクフェアの遺体を埋めた。
そして、その場所に彼女が愛用していた武器『魔杖アマリリス』を突き刺す。
「……本当に死んでしまったんだな」
「左様でございますね」
おれとキザリスは地面に突き刺さったアマリリスを眺めながら、そう言葉を交わし合った。
魔杖アマリリス──
これが彼女の墓標だ。
おれたちはガーベラのために祈った。
彼女がやってきたことが悪であることは疑いようのない事実だ。
世界中の人々を恐怖に陥れてきたのだから──。
しかしその真の目的は人々の命を救うことだった。
未来に失われるはずのひとつの命。それを護るために不特定多数の大勢にイレギュラーな不幸を強制的に与えて回避する。
死という大きなひとつのマイナスを、小さな多数のマイナスに分散して相殺するのだ。
もちろん死という概念も、価値は人それぞれであることを、おれは知っている。
むしろ死を願うような者もいるのだ。
きっとガーベラもそれを知っていたはずだ。
なかには安楽死のほうが幸せだと思えるシチュエーションもあるだろう。
絶対に楽しみや幸せにありつけないような状況下に陥ってしまったのなら、あるいは楽にしてやるほうがその者のためでもあるのかもしれない。
だが劣悪な環境、不幸な境遇によって、五体満足の人間が死を望むことを、おれは認めたくない。
なぜなら、それは環境や境遇さえ変えることができれば、生きたいという気持ちが必ず芽生えるからである。
ガーベラもきっと同じ思いだろう。
だから、きっと彼女は人々を救い続けたのだ。
だがそんな彼女の真実を知る者は、おれたちを除いてほかには誰もいなかった。
なぜなら知られた瞬間から、ガーベラの目的が無意味と化してしまうからだ。
おれたちは700年もの間、悪を演じきったガーベラの想いが、人々に伝わらないことがとても悔しい。
だから、おれたちだけでも祈るのだ。
来世でガーベラが幸せになれるように──と。
おれはアマリリスを眺めながら言う。
「なあ、キザリス。ガーベラは天国にいけたのかな?」
「私は天国というものが存在するのかどうか見当もつきません」
さらにキザリスは、おれから目をそらして話を続けた。
「……ですが、ガーベラ様は魔王です。そして無関係の人々に恐怖や、ときには被害を与え続けてきたことも事実なのです。もし天国というものがあるのだとしても……きっとガーベラ様は──」
正論を口にするキザリスに、おれは思わず反論する。
「だけど……ガーベラは自分を犠牲にして大勢を守ってきたじゃないか! ……それじゃ何か? 天国ってのは一見いいことをしているふうに見せかけていれば、自分のことしか考えてない偽善者でも行けるところなのか? ……当時のおれみたいな」
「そうは言っておりません。ただ……いくら我々が理想論を口にしようとも、それによって世界の理が変わるわけではない──ということは確かです」
キザリスは言葉を付け足す。
「……そもそも私には、天国というものがあるのかどうかすら知りえないのですよ」
おれはキザリスの隣で空を見上げながらつぶやいた。
「……誰だよ。こんな理不尽な世界を作り上げたヤツ」
「私に言われてもわかりません」
あれからどのくらい時間がたっただろう。
おれたちは夜空をバックに、ただ無言で世界樹を眺めている。
あたりを支配する静かな時間。
しばらくして最初に静寂を破ったのはキザリスだった。
「あなた様はガーベラ様を痛めつけて殺しました」
おれは思わず、顔を歪めた。
そんなおれの表情を確認してから、キザリスは続きを口にする。
「しかし──あなた様は、いまや世界で唯ひとりガーベラ様のことを理解しておられる人間でもあります」
おれは自分を戒めるように答えた。
「そうでもないさ。おれは完全にあいつを理解できていない。あいつは絶対悪の人間にさえも慈悲を与えようとしたが、おれは絶対悪の人間は許さない。それは今も変わらない。おれはあいつを尊敬するが、おれとあいつは根本的に違う人間だ」
ワンクッションおいて、おれは言葉を加えた。
「おれは……あいつほど出来た人間じゃない」
「むしろ、うわべだけ同調して安心しているような、自分の意見を持てない人間どもよりは、正直で好感が持てると思いますが──」
キザリスに天国の話をしたのは、結局ガーベラを殺してしまったおれ自身が救われたかっただけなのかもしれないが、それでもおれはガーベラのような者にこそ幸せは与えられるべきだと思ったのも事実なのだ。
ふたたび静まり返った空気は、すこし冷たく感じた。
これまでのこと。これからのこと。
いろいろと頭の中で整理して考える。
そしておれは、ひとつの未来を思い描いてキザリスに問いかけてみた。
「なあ、キザリス。おれが魔王になれる方法はないのか?」
「なぜ……突然そのようなことを?」
キザリスは困惑しているように見えたが、おれは構わず答える。
「ガーベラのやってきたことを無駄にしたくない。おれが……すべて台無しにしてしまった」
「最初に言いましたが……どちらにせよ、もうガーベラ様の心が限界だったのですよ」
「それでも証明したいんだよ。あいつがやってきたことが大勢を救っていたんだってことを──おれが証明したいんだ」
するとキザリスは少し沈黙してから、小さな声で答えた。
「ひとつだけ……可能性はあります」
「ほ、本当か⁉」
「はい。魔杖アマリリス。あの杖にガーベラ様の魔力が、まだわずかに宿っております。その魔力を体内に注入することができれば、あるいは……」
その時、突然おれの腰に収められていた聖剣イフェイオンが、まばゆいほどの光を放ち始めた。
「な……なんだ、と⁉ イフェインが──!」
しばらくしてイフェイオンの光が落ち着いてから、おれは剣を鞘から抜いて空に掲げてみた。
イフェイオンの輪郭を、薄い光の膜が包んでいるように見える。
「これは……」
おれはそっと目を閉じてみた。
イフェイオンの──
声が聞こえた。
風が止み、周囲が静けさに包まれる。
おれはゆっくりと目を開けてから、イフェイオンに語りかけるように言葉を口にした。
「…………そうか。おまえも、もう仮初の偽善には疲れたか──イフェイオンよ」
おれがそう言うと、聖剣イフェイオンを包んでいた青白い光が次第に強くなっていく。
それにシンクロするように、魔杖アマリリスが赤黒い魔力を放出し始めた。
「だったらおれと行くか? イフェイオン。これからは悪として────おれと共に生きよう」
そしておれはイフェイオンの切先をアマリリスへと近づけた。
するとアマリリスの魔力が溶け込むように、イフェイオンが切先から黒く染まっていく。
アマリリスの魔力は、さらにイフェイオンからおれの全身へと広がっていく。
そして白かったおれの衣装を真っ黒に染め上げ、黒かったおれの髪を真っ白に変化させた。
最後におれの胸元から青白い光が飛び出して、世界樹の根もとへと消えていった。
おれは目を閉じたまま、落ち着いた口調で語る。
「偽善ほど愚かなものはない。本物の正義を遂行するためには、相応の力と覚悟、信念、そして柔軟な思考が必要だ。おれには、もう正義を語る資格はない」
そしておれは、そっと目を開けながら続きを口にした。
「だったらおれは……偽りの悪を演じるまでだ」
黒から血のような赤へと変貌したおれの瞳を見てキザリスがつぶやく。
「おお……⁉ まさか、本当に…………」
おれが魔王になる方法を尋ねたときキザリスが言うのをためらっていたのは、きっとガーベラを殺した人間を主に迎えることに戸惑ったからだろう。
また、キザリスの反応から推測すれば、おそらく成功する可能性がほとんどなかったから、おれに教えたまでだったのかもしれない。
きっとキザリスは成功すると思っていなかったのだ。
驚いた顔でおれに語りかけるキザリス。
「これからはコランバイン様……と呼べばよろしいのでしょうか? ──我が主」
キザリスがおれの名を知っているのは、先刻の雑談の中で教えたからだ。
そしてキザリスはガーベラの後継者となったおれを正式に認め、おれの配下になる決断をしたのだ。
おれは答える。
「……その名は捨てる」
おれの反応を予想していたのか、キザリスにあまり驚いた様子はない。
続けておれはその理由を語った。
「エリカは人々に嫌われてでも、悪の道を歩み続ける覚悟でその名を捨てた。だったらおれも偽りの正義とともに、もう過去の名は捨てよう。偽善のおれは……もういらない」
少し嬉しそうにキザリスがおれに問いかけてきた。
「では、なんとお呼びすれば……?」
おれは白い髪の隙間から真っ赤に変化した瞳を覗かせて宣言した。
「おれの名はシオン。魔王シオンだ。それが、おれの新しい名前──」
「かしこまりました。シオン様」
目を閉じて、笑顔で深々とお辞儀をするキザリス。
おれは世界の中心である世界樹の前まで歩を進め、魔杖アマリリスの隣に立つ。
そして世界樹を見上げながら、エリカに話しかけるように叫んだ。
「世界樹よ! おれは人々に恐怖という名の不幸を与え続ける悪の存在として、未来永劫この世界に君臨し、人々の幸せを護り続けることをエリカとガーベラに誓おう──」
キザリスが、おれの姿にガーベラを重ねてつぶやく。
「シオン様……」
「ガーベラ。おれはおまえみたいに絶対悪すらも許せる存在にはなれない。だが、おれはおれのやり方で人々を護ってみせよう。おれが──おまえの代わりに世界の必要悪になってやる」
世界樹に誓いを立てるおれを、月の光が優しく包み込んでいるように感じた。
◇ ◆ ◇
ほぼ同時刻──
突然、空が血のような赤に変貌し、全世界を暗雲が覆いつくす。
世界中のいたるところでパニックとなる人々。
おれに勇者の称号を与えて送りだした王も空を見上げ、慌てふためいている。
「な、なんじゃ……⁉ どうしたというのじゃ……!」
この日──
全人類が真っ赤に変わり果てた空を眺め恐怖した。
『聞こえるか人間どもよ。おれは魔王。二代目──魔王だ。この惑星は、これより初代魔王ガーベラに代わり、このおれ──魔王シオンが支配する。いつ如何なるときもモンスターに襲われる恐怖と不安に怯えながら生き永らえるがよい────』
世界樹の前──
世界の中心から人類に向けて語りかけるおれを見て、キザリスが茶化すように言う。
「まるでガーベラ様のようですね、シオン様」
「そうか?」
「ええ。ガーベラ様も毎日のように、その場所に立って叫んでおられました」
「知ってるさ。おれだって、ずっとあいつの中で……あいつといっしょに見てきたんだからな」
おれは空の向こう側に向かって誓いを立てた。
「今度はおれがあいつに代わって、世界の中心で悪をさけび続けるさ!」