015 謝罪と許容
おれはキザリスから想定外の返事が返ってきたことに拍子抜けする。
「おれが……憎くないのか?」
おれはキザリスに、そう問いかけた。
キザリスは目を閉じて、昔ガーベラから聞いた言葉を口にする。
「──いつか。わたしが勇者に葬られる日が来ても、どうかその者を恨まないでやって欲しい」
そして今度は目を開けてから、キザリスは自分の言葉を付け足した。
「……そう、ガーベラ様から申しつかっております」
うっすらと涙を浮かべたその青い瞳の奥底に、長い年月を生きてきた年輪のような深みと慈悲のようなものが感じられる。
おれは過去のガーベラを見ていた時、彼女を慕うモンスターをたくさん目にしてきた。
だからキザリスの澄んだ瞳にもそれほどの驚きを感じなかったが、その時よりもさらに理性的ともいうべきか。
モンスターには知能がなく、暴れまわるだけの邪悪な存在──という、おれの常識は完全に覆されたわけだ。
キザリスはその瞳に悲しみのような感情を覗かせながらも、冷静さを欠くことなく語る。
「ガーベラ様は人間たちを愛しておりました。ですが──われらは人間が嫌いです」
表情を変えずに言葉を続けるキザリス。
「ガーベラ様が身を挺して救ってやっても、恩どころか仇で返す人間が、われらは大嫌いなのです」
おれは心の中でつぶやく。
(気持ちはわかる……。だが、それは──)
するとキザリスは、おれの思考を先読みするかのように答えた。
「もちろん予知によって助けられた人間が、それを知ることができないことも理解はしているのですよ。それでも──ガーベラ様を悪く言う人間を好きにはなれなかったのです」
ひと呼吸おいてから、キザリスはひと言つけ足した。
「……われらはガーベラ様が喜んでくださるから、人間を救う手伝いをしてきたのです」
おれにもキザリスの気持ちはよくわかる。
だからこそ、もう一度おれに対する気持ちをハッキリと確認した。
「キザリス。本当は……おれのことが憎いんだろ?」
今度はおれの目をじっと見つめて、言葉を返さないキザリス。
だが数秒後、彼は答えた。
「……ええ。憎くないと言ったら嘘になってしまいます。──が」
キザリスは正直な気持ちを口にしたあと、彼がガーベラの言葉を守る以外に、おれを許そうと思ったもうひとつの理由を明かした。
「先ほど……あなた様はガーベラ様のことを『エリカ』と呼びました。その名を知る人間に出会ったのは700年間ガーベラ様と行動を共にして初めてのことなのですよ」
おれは最初、あくまでキザリスはガーベラの希望に沿う行動をしているだけだと思っていた。
だがガーベラのことをエリカと呼んだおれに対して、もしかしたら彼女のことを理解してくれる存在だと想像したのかもしれない。
だからおれもキザリスにすべてを包み隠さず正直に話すことにした。
自分が勇者として魔王を討伐するために、世界各地のモンスターを殺しながら旅をしてきたこと。
魔王城のモンスターを皆殺しにしたこと。
ガーベラにも必要以上の苦しみを与えて、殺してしまったこと。
そしてガーベラにトドメの一撃を放った瞬間、過去の彼女に憑依してエリカとしての人生を追体験してきたこと。
するとキザリスも、おれに自分のすべてを話してくれた。
700年前、ガーベラの配下になるまでの自分。
ガーベラの配下になってからの自分。
その間に起こった心境の変化。
ガーベラへの想い。感謝。信頼。愛情──。
おれとキザリスは、お互いのことを話して、可能なかぎり理解しあった。
キザリスはおれのことを完全に認めてくれたわけでもない。
だがガーベラの過去を知り、その裏側にある真意を知り、ガーベラに理解を示しているおれのことを、少なくとも敵ではないと認識してくれたようだ。
お互いにガーベラを慕う者同士、いつの間にか彼女の話題を中心にいろいろなことを語り合っていた。
その過程でおれが気になっていたことも知ることができた。
ひとつ目は魔王討伐に向かった先代の勇者たちが、誰ひとり戻らなかった点についてだ。
ガーベラが人を殺さなかったことは、おれも知っている。
だが過去に討伐に向かった勇者たちは、帰らぬ人となったと人間界では伝えられてきた。
その真実を知りたかったのだ。
キザリスによれば、先代の勇者たちは全員ガーベラの手によって再起不能にまではされたらしい。
その後、記憶を消去されて近隣の街で生活できるように仕向けたのだという。
彼らはその街でひっそりと暮らしながら、息をひきとったという話だ。
ふたつ目はエリカが予知によって死を回避したあとに、別の誰かに押しつけらえた死は予知することが不可能なのか──という疑問についてだった。
さすが700年間、ガーベラの近くで彼女を見守ってきただけのことはある。
キザリスは知っていた。
結論から言うと不可能だったそうだ。
彼の話では一度ガーベラ自身が試したことがあったらしいが、察知できなかったという。
詳しい原因はわからないが、すでに決められていた死と違って、もともとなかったはずの死だ。
発生から間もないため、ガーベラの予知が反応できない可能性が高いとのことである。
そうなるとガーベラのやり方で、本当に死を完全に回避できていたのか──という疑問も湧いてくるが、これについても彼女はあらゆる方法で調べたとキザリスは言っていた。
死を回避したあと、さらに予知を試したのは、この疑問の検証の意味も含まれていたという。
そのあともおれたちはガーベラの話題で夢中になっていた。
だが、あることをふと思い出したおれは、話を中断して足もとに視線を向けた。
「そ、そういえば……クフェアは……?」
そう。おれが痛めつけた小さなモンスターだ。
それは探すまでもなく、すぐにおれの視界に入った。
「うわぁあああっ……⁉ クフェア……? クフェアぁああああっ⁉」
おれの足もとで、ぐったりとして横になっているクフェア。
身動きひとつしていない。
おれはクフェアの身体を抱き上げて、必死に呼びかける。
するとキザリスが控えめな声で言った。
「クフェアは……すでに息を引きとっております」
「な……なんで……?」
キザリスはクフェアの角に視線を向けながら答える。
「クフェアは……角を折られたら生きていけないのです」
「お、おれが……殺した…………?」
「……残念ながら、そういうことになるのでしょう」
泣きながら苦しむクフェアの姿と、必死でクフェアを護ろうとしていたガーベラの姿が、おれの脳裏に思い起こされる。
「うっ……ぷ……⁉ おえ……おぇええええええ」
おれの胃酸が口から逆流する。
続けておれの目から涙があふれてきた。
「くそっ……くそぉ……! なんだよ……これ⁉ これじゃあ、おれは……ただの虐殺者じゃないか……!」
自己嫌悪に陥っていたおれの姿を見かねたキザリスが、ゆったりとした口調で言葉を口にする。
「ガーベラ様は……あまりに長く、人々の悪意や憎悪といった感情をその身に受けすぎました。もう……その心がボロボロだったのです。つねづね『次で終わりにしたい』と申しておりました」
ガーベラが言っていたという『次』とは、自分を倒しに来る勇者のことだった。
続けてキザリスは、あえて言いたくなかったであろうひと言を口にした。
「ある意味で死ねることが、ガーベラ様にとって唯一の安らぎだったのかもしれません……」
キザリスは、おれに気を使った側面もあったのだろう。
いくら本当のガーベラの気持ちを知っていると言っても、おれが彼にとって嫌いな人間であることに変わりはない。
それでも、このおれに気配りをするとは──
おれのモンスターに対する勝手な思い込み。そして知ろうともせずに独断で罰しようとしていた偏見。まるで神にでもなったかのような独善的な思考回路。
この時おれは、自分がただの偽善者であったことを改めて思い知ったのだ。
せめて何かガーベラにしてやれることはないか、おれは考えた。
「なあ……キザリス。殺した張本人であるおれが言うことじゃないかもしれないが……ガーベラの遺体を世界樹のそばに埋めてやっても……いいだろうか?」
「もちろんでございます。きっとガーベラ様も喜ぶことでしょう」
おれはガーベラの遺体を抱きかかえて立ち上がる。
そしてキザリスに言葉をかけた。
「キザリスも……いっしょに来ないか? おまえにもガーベラに祈りを捧げてやって欲しいんだが……」
「そう言っていただけるのであれば……」
キザリスはクフェアを抱きかかえたあと、地面に投げ出されていたガーベラの武器『魔杖アマリリス』を拾いながら言う。
「クフェアもいっしょに葬ってやってくだされ。それから──魔杖アマリリスは私が持って行きましょう」
キザリスは空間転移の魔術が使えると言っていたが、そういった特殊移動の能力がない者のために、魔王城には物理的な地上への移動方法が用意されているらしい。
魔王城は地下の最深部に、地上へ降りるための出入り口がある。
そこは円形の穴になっており、普段はシャッターが閉まっていた。
そこから魔力を帯びた光が地上に放出され、ゆっくりと下降することができるようになっているのだ。
キザリスの空間転移によって地上へ降りれば済むことだったが、彼が魔王城を案内してくれると言ったため、おれたちは雑談をしながらゆっくりと城の最深部へと向かうことにした。
その途中で、おれはもう一度キザリスに謝罪する。
「キザリス。本当にすまなかった……」
「……もう過ぎたことです」
おれたちは最深部へ到着すると、お互いに顔を合わせてガーベラへの想いを再確認し合う。
そしておれは、キザリスと共に魔王城をあとにした。