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012 魔王誕生の日

 ◇ ◆ ◇


 エリカの草原の中心には彼女ひとりだけ──。

 おれはエリカの中に意識として存在している状態だし、ナタスの姿もこの場には見えない。


 だから傍から見れば、エリカがひとりぽつんと立ち尽くしているようにしか見えないのだ。


 しかし今のおれにはエリカの姿が見えている。

 ナタスの声が聞こえてからというもの、なぜか自分の意識が入っている彼女の姿を、まるで空から俯瞰しているような視点で眺めることができるようになっていたのだ。


「(どういうことだ……? おれの意識がエリカから離れつつある……のか?)」



 あのあとエリカとナタスは少し昔話をしていた。

 そこで判明した事実がある。

 それはふたりの出会いが、今から5年ほどまえだったということだ。



 エリカは当時、仲が良かった友だちのひとりと毎日のように文通をしていたようだ。

 ある日、その友だちから届いた一通の封書。

 エリカは友だちからの手紙を毎日夜寝るまえに読んでいて、その日も例外なく夜になってから開封したのだ。


 いつもは何気ない日常の記録が綴られた手紙が一枚だけ入っているのだが、なぜかその日の封書には手紙がもう一枚入っていた。それはエリカに助けを求めた友だちからの手紙だった。

 その手紙には『パパもママも、みんな殺されちゃう』と書かれていたそうだ。


 だが夜も遅く、眠かったエリカは「どうせただの冗談だろう」と無視して眠りについてしまったのだ。

 その翌日。友だちは家族もろとも死体で見つかったのだという。


 どうやら父親がギャンブルで闇金に手を出して、沼に嵌ってしまったのだ。

 正常な思考もできなくなるほどエスカレートして、膨大に膨れ上がった借金を踏み倒そうとした結果らしい。


 家族全員が闇金の人間に監視されていて警察へ相談に行けなかったため、友だちはエリカを信じて手紙をよこしたのだ。



 もしあの時すぐに自分が警察に連絡していたら、何か違っていたんじゃないだろうか。

 エリカがそんなことを考えていると、突然どこからともなくナタスの声が聞こえてきたのだという。



 『力が欲しいか』────と。

 そしてエリカは、その力を受け入れて今に至るのだという。




 今エリカが胸の前で広げている両手のひらの上には、赤く光る小さな結晶が乗っている。

 これはエリカが魔王になることを決断したとき、ナタスの合図によって彼女の手の中に出現したモノだ。

 その赤い結晶をエリカに残して、ナタスの声は世界から消えたのである。



 おれは胸騒ぎを感じている。

((エリカ……))


 ナタスは言っていた。

 この小さな赤い結晶こそが、魔王に生まれ変わるための証なのだと。

 そして魔王になるための代償は────



「(エリカ! 今からでも遅くはない! 引き返すんだ!)」

 おれは必死に呼びかける。

 だがエリカを俯瞰して見れる状態になったところで、結局おれは意識体でしかない。やはりエリカにおれの声が届くことはないのだ。



 草原の中心で空を眺め続けているエリカ。


「……ごめんなさい。おかあさん……マーガレット……。ふたりが生きたこの世界を、わたしが守るから」


 そっと閉じたエリカの目からこぼれた涙は、頬を伝って流れ落ちた。


「わたしが不幸を引き受ければ……そのぶん、みんなに幸せが訪れるはず────」


 それがエリカの選択。エリカの覚悟だった。

 そしてエリカが考えていたことを、おれが知った瞬間でもあったのだ。



 おれは震える声でエリカに呼びかける。

「(や、やめろ……エリカ!)」



「だから……それで許してね────」


 真っ赤な空を眺めつづけているエリカの大きな瞳を、涙の光が膜を張るように覆っている。




 エリカは赤い結晶を胸に当て、目を閉じ、空に祈りをささげる。


 すると結晶はまぶしいほどの光を放ちながら、エリカの身体の中へと消えていった。

 直後、彼女の身体から赤い光が放たれる。


 真っ赤な光に包まれているエリカを見て、おれは言葉を失った。

 なぜなら金色だった彼女の髪が、徐々に赤く変化していったからだ。


「(エ……エリカ…………?)」

 おれは恐るおそる呼びかけた。


 エリカを包んでいた赤い光は収まり、周囲は静まり返る。

 そして、そっと開いた彼女の瞳は、緑色から黄色に変化していた。



 その姿を見たおれの脳裏にあるシルエットが浮かぶ。


「(エリカ……ま、まさか……おまえ…………?)」


 しかしおれは、その可能性を脳内から無理やり消去した。

 なぜならおれに、それを受け入れる覚悟が出来ていなかったから。


 おれはエリカの姿を無言でじっと眺める。

 どこか落ち着いている印象を受けるが、髪と瞳の色以外にエリカに変わった様子は見当たらない。

 きっと違う──。違うに決まっている。


 そうだ。そんなはずはない。

 エリカに限って、そんなはずは──




 しばらくするとエリカの中から、青く光る結晶が姿を現した。


「(こ、これは……さっきエリカの中に入っていった結晶か? なぜ赤かったものが青に変わっている……?)」


 そのまま結晶は地面に落ち、溶け込むように土の中に消えていく。

 そう。この草原の中心である大地に。




 『エリカ』

 おれがそう呼びかけようとした時────


「わたしは今──ここで『エリカ』の名を捨てる」


 彼女は確かにそう言い放った。


 その言葉が示す意味を想像し、おれはごくりと喉を鳴らす。



 青い結晶が溶け込んだあたりの地面に目を向ける()()()()()()少女。


 そこにはいつの間にか、小さな芽が生えていた。


「(……こんなところに木の芽なんてあったか?)」


 おれは、ふと思ったことを無意識に口走っていた。

 それはこの木の芽が妙に気になったからだ。


 だがおれの意識は、すぐにまた少女の言葉へと戻ることになる。

 なぜならエリカの姿をしたその少女が、とんでもないことを口にしたからである。


「そして……たった今から、このわたしは悪の象徴となろう────」



 おれに衝撃が走る。


「(ま、まさか……)」



 そう。

 おれも気づいていたはずだ。

 最初から。


 エリカの容姿が、魔王に瓜二つだったことを────


 おれは知っていた。



「(エ、エリカ…………やっぱりおまえが魔王……だったのか?)」



 おれの視線はエリカだった少女に釘付けになっている。


 そしてエリカから新たな存在へと生まれ変わった少女が、ついにその名を口にした。

「わたしの名はガーベラ。魔王────ガーベラ」



「(そ、そんな……。エリカがガーベラだったなんて……!)」


 おれは愕然としながら、ガーベラに変わってしまったエリカの姿を、ただ彼女の内側と外側から眺めている。


 するとガーベラは黄色く輝くその瞳を足元へと向け、小さな木の芽に語りかけるように言った。

「……エリカ。わたしは人々に恐怖という名の不幸を与え続ける悪の存在として、未来永劫この世界に君臨し、人々の幸せを護り続けることをエリカ(おまえ)に誓おう」



 木の芽のことを『エリカ』と呼んだガーベラ。

 おれの心臓が強く脈打っている。


「(エリカ……。ま、まさか…………この木の芽は……)」


 小さな芽を見つめていたガーベラの目から、一筋の涙が頬を伝って流れおちた。


 ガーベラはひとりつぶやく。

「さようなら……昔のわたし」


 このとき、おれの中にあった数々の謎が、すべてひとつにつながった。


「(……そうか。おれがこの場所を知っているような気がしたのは、ここが世界の中心────世界樹があったはずの地だからだ)」



 おれは思い違いをしていた。

 ここは、おれの生きていた時代じゃない。


 はるか昔──

 まだ魔王が存在していなかった時代。



 おれは魔王になるまえの人間『エリカ』の記憶を体験していたのだ。



 そして今から未来。

 おれが生きていた時代に、世界の中心的なシンボルとして、この場所に存在していたのが『世界樹』だ。


 その世界樹こそがエリカの命だったのだ。


 ナタスは言っていた。

 魔王になるための代償は、人間としての命を捨てること。

 人の命を捨て、魔王としての命を受け入れろ──と。



 おれのいた時代では、ここに大きな世界樹が存在しており、その上空に魔王城があった。

 おれが『エリカの草原』と名付けた、この世界の中心に────。



 おれは言葉を失い、ガーベラの中で放心状態となっていた。



 ここは、おれの知っている時代から700年まえ──

 魔王が降臨したとされる時代だ。




 今おれは、歴史的瞬間を目の当たりにしている。


 魔王誕生の瞬間────


 そして同時に、誰もが知ることがなかった魔王の心の内側を知ってしまったのだ。





「わたしは……! この世界にはびこる悪の存在となって、エリカが間違っていなかったことを証明してみせる」


 ガーベラは真っ赤に染まる空に向かって誓いを立てた。

 誰にでもない。ただ血のように鮮やかな赤色に染まった夕焼けの空に──。



 どこまでも続く赤い空の向こう側。



 魔王ガーベラの想いに重ねて、おれの頬にもひとすじの涙が伝って流れ落ちたような気がした。

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