011 力の正体
◇ ◆ ◇
エリカの草原──
おれが勝手にそう命名した地の中心で、エリカはひとり寂しそうに空を眺めていた。
おれは力なくつぶやく。
「(昨日の今日で、またここに来ることになってしまうとは……)」
昨日マーガレットの件で訪れたばかりだったが、母親があんなことになってしまったのでは無理もない。
警察の話によると、エリカの母親がいたのは昨日の強盗殺人があった銀行。
エリカの母親は大量殺人による被害者のひとりとなってしまったのだという。
この日エリカは警察から母親の死を知らされたあと、放心状態となってしまった。
そして虚ろな目をしたまま、エリカの草原まで歩いてきたのだ。
いつものように草原の中心に陣取り、空を眺めたり、泣いたり、母やマーガレットの名を言葉にしたり──
そうしているうちに日は暮れかけていた。
「おかあさん……」
何度も母のことを口にしては涙を浮かべるエリカ。
長いことエリカと行動を共にしていたせいか、おれに彼女の感情までもが伝わってくるようになっていた。
もちろん今のエリカの感情も、リアルタイムで流れ込んでくる。
とてつもなく深い、後悔の感情だ。
「(……エリカ)」
おれは無意識に彼女の名を口にしていた。
それからしばらく落ち着いていたエリカだったが、夕焼けの赤い色がエリカの心を刺激したのか、彼女は唇を強く噛みしめると、また弱々しい言葉を漏らし始めた。
「……わたしのせいだ…………。わたしが……マーガレットとおかあさんを……殺した…………」
地面をぼーっと眺めるエリカの瞳からは、とめどなく涙があふれかえっている。
おれは何と言葉をかけていいのかわからず、彼女の中で言葉を失っていた。
「ぐすん。おかあさん……おかあさん……」
すると突然エリカが口元を押さえながら嗚咽した。
「……うっ⁉ ……うっぷ…………」
何かを吐き出せるほど食べ物を口にしていなかったエリカは、ただ胃酸だけを口から吐き出していた。
「(お……おい! 大丈夫か、エリカ⁉)」
いくらおれが心配しても、おれの言葉がエリカに届くことはない。
「はあ……はあ……! ……うっ…………ううっ……!」
もはや胃酸すらも吐けなくなったエリカは、その場で這いつくばるようにして身体を震わせていた。
「ご……ごめんなさい…………ごめんなさい……」
エリカは泣きながら、空を見上げて何度もつぶやく。
「ごめんなさい……マーガレット! ごめんなさいっ……おかあさん! わたしはっ……わたしは────」
ひとり空に向かって何度も語りかけるエリカ。終わることなく繰り返される懺悔の言葉。
「神様っ……! なんでマーガレットとおかあさんを連れてっちゃったの⁉ なんで……わたしじゃなかったの……?」
エリカは、ひたすら空に訴え続ける。
「お願いです……神様。わたしはどうなってもいいから……マーガレットとおかあさんを返して……。代わりに……わたしが死ねばよかったのにっ……!」
涙を流すことができない今のおれは、代わりに彼女といっしょに心で泣いた。
そしておれも空に向かって、誰にも聞こえることのない声を張り上げて精いっぱい叫んだ。
「(くそっ……! 何なんだよ、この不条理な世界は! エリカが何か悪いことしたのか⁉ 彼女は誰よりも人のために行動していたじゃないか! その仕打ちがこれなのか⁉)」
エリカの懺悔は数時間にも及んだ。
おれの心ですら、これほどえぐられているのだ。
彼女の心の痛みは想像を絶するものだろう。
エリカは涙も枯れ果て、疲れ切っている。
そして空を見上げたエリカが、まるで何者かに語りかけるように言葉を口にした。
「なんで……。なんで、わたしにこんな力をくれたの………? ねぇ……答えてよ! ナタス!」
((……ナタス? エリカに力を与えた人物だと……?))
エリカの発言から判明した思わぬ真実。
彼女の予知は生まれながらのものではなかったのだ。
誰かが力をエリカに与えた──。
おれは警戒心をあらわにする。
((ナタス……何者だ?))
すると突然どこからともなく声が聞こえてきた。
『くくく……。いつぞやの小娘か』
((な、なんだ……この声は⁉ どこから聞こえてくる……⁉ こいつが……ナタスなのか⁉))
取り乱すおれをよそに、エリカがナタスに問いかける。
「ナタス! これまでいくら呼びかけても返事をくれなかったのに……! あの力……。あれは誰かの死を回避しても、結局ほかの誰かが死んじゃうの?」
するとナタスは彼女の問いに答えた。
『くくく。いかにも。誰かの死をなかったことにすれば、発生するはずだった死の不幸は別の誰かに襲いかかる』
ナタスの姿は見えない。
エリカの視界を通して、おれの目に映っているのは、どこまでも広がる夕刻の赤い空のみ。
おれの警戒心が、より強まる。
((どこから語りかけてるんだ……⁉))
一方エリカはナタスの言葉を受けて動揺している。
「そんな……。なんで……なんでわたしに、そんな力を…………」
『無論、おまえに世界の摂理を教えてやろうと思ったまでだ。いかに正しい行いをしようが、そんなものは無駄なのだとな』
『すでに発生することが確定している不幸を取り消すことなど不可能。当然、死も例外ではない』
「そ……そんな…………」
絶望するエリカ。
((こいつが何者なのか知らんが……なぜエリカに世界の摂理を教える必要がある……? 何なんだ……こいつは?))
おれがお得意の推理をしていると、今度はナタスのほうからエリカに問いかけてきた。
『それで……覚悟は決まったのか? もう正義の無意味さを知ったのなら、いまさら断る道理もあるまい』
((……覚悟?))
おれがそう思ったつぎの瞬間──
ナタスが衝撃的なことを口にした。
『おまえは最強の魔王になれる素質を秘めている。いいか? おまえは魔王となって、この惑星を支配し、人々を不幸に陥れるのだ』
「(なっ……⁉ ま、魔王だとっ────⁉)」
思わずおれは驚きの声を張り上げた。
するとその直後、予想だにしていなかった事態が起こった。
なんとエリカにさえ聞こえていないはずのおれの声に、ナタスが反応したのだ。
『ぬ……⁉ 誰だ……そこにいるのは!』
おれの心臓がドクンと激しく鼓動した。
((なに……っ!? おれの声に反応した……⁉ エリカに聞こえていないからと思って油断していた……! 大声を出す感じで喋ったのがマズかったのか⁉))
まさかの展開に、おれは動揺している。
魔王という単語が登場したこともそうだが、エリカにすら気づかれていないおれの存在を、彼女以外に気づかれるとは思っていなかったからだ。
ナタスが周囲を警戒して黙り込むと、おれの存在に気づいていないエリカが不思議そうに首を傾げた。
「……え? 誰かいる……? 何を言ってるの……ナタス?」
しばらくナタスは様子をうかがってから、落ち着いた口調で語り始めた。
『……まあいい。どうやってわれの思念に割り込んだのか知らんが……何かできるわけでもあるまい』
おれは言葉を発しないように注意しながら、その動向をエリカの中で見守ることにした。
しばらく考え込んでいたエリカが口を開く。
「……本当に魔王になれば、わたしにもっとすごい力をくれるの?」
『無論だ。ただ、われが与えてやるのは力ではなくキッカケだ。おまえの中には、とてつもない魔力が眠っておる。その力でこの惑星に大量の魔物を召喚し、人間どもを絶望に陥れるのだ」
おれは声を漏らさないように、心の中でエリカに呼びかける。
((何を考えている……エリカ⁉ 魔王になるなど言語道断だ! そんなヤツのたわごとに騙されるな!))
だがエリカにおれの言葉が届くはずもなく、彼女は魔王になった場合の恩恵についてナタスに問いかける。
「その魔物たちは、わたしの言うこと……聞いてくれるの?」
『当然だ。召喚した魔物どもは、魔王であるおまえに絶対的な忠誠を誓う。たとえ捨て駒にしたとしても、歯向かうことなどない』
「…………そう、なんだ」
おれはエリカに届くように必死で念じる。
((そんな話、聞いちゃ駄目だ────エリカ! そいつはおまえを利用しようとしているだけだぞ!))
だがおれの声が聞こえていないエリカは、ナタスにさらなる質問する。
「わたしが魔王になることで、あなたは何か得があるの?」
するとナタスは隠すことなく答えた。
『魔王となったおまえが、この惑星の人間どもを支配し、強制的に不幸を与え続けることで、われの力は増幅するのだ。いちばんのごちそうは死への恐怖だな』
((こいつ……。人が不幸になることよって力が増幅するだと……? しかもエリカを魔王にする力があるってことは、魔王以上の存在なのか……?))
おれの中で、いろいろな予測が膨らんでいく。
話を聞くかぎり、魔王となったエリカが人々に恐怖を与えることで、それがナタスの力に還元される。
つまりナタスは自分の力を強化させるために、エリカを魔王に仕立てあげようとしているのだ。
おれは心の中でエリカに願う。
((やめろ……エリカ! 魔王なんかになるんじゃない!))
だがやはり、おれの想いが彼女に届くことはなかった。
静かに言葉を口にするエリカ。
「決めたわ」
そして彼女は答えた。
「ナタス。わたしを────魔王にして」