010 因果がもらたした災厄
◇ ◆ ◇
エリカは草原のまんなかに座り、ぼーっと空を眺めていた。
おれも彼女と同じ空を見つめながらつぶやく。
「(やっぱり、ここに来ようとしていたんだな……)」
ひとりになりたいとき、彼女はここに来る。
そして空を眺め、天に向かって叫ぶのだ。
だが今回は、ただ何時間も空を眺めているだけだった。
まえに来たときは、あんなに空に向かって叫んでいたのに。
今朝、あの警官に遭遇したのが原因だろう。
エリカは余計に元気がなくなってしまったように見える。
あたりは暗くなっており、冷たい風がエリカを通しておれに伝わってきた。
すでに時刻は18時を回っており、もうエリカにとっては帰る時間でもある。
おれはエリカに語りかけるように言った。
「(エリカ。もう今朝の予知のことは忘れろ。早く帰らないと母が心配するぞ)」
相変わらず彼女には届いていないが、それでもおれは言葉を続けた。
「(確かに、あの警官の手柄になるのは癪だ。だが毒ガスで死ぬはずだった大勢が、おまえのおかげで助かることも事実なんだぞ。たとえ別の事故が起こるのだとしても……。どうせ誰かが犠牲になることを避けられないなら、もうおまえひとりでどうこうできる問題じゃないだろ?)」
無言で空を眺めているエリカ。
当然おれの言葉に対して、彼女の返事はない。
あたり一帯は、これ以上ないほどに静まり返っている。
沈黙に耐えきれなくなったおれが、エリカの中で独り言のように喋った。
「(だいたい今朝の予知は、あのクソ警官が無理やりおまえにやらせたことじゃないか。もう気にするなよ……)」
すると、おれの言葉が届いたかのようなタイミングでエリカが立ち上がった。
((……ん? おれの声が聞こえたのか⁉))
だがエリカの視線は、ただ前だけをぼーっと見つめているだけで、俺に向けた言葉は返ってこない。
「(気のせいか……。ぬか喜びさせるなよ……)」
おれはガックリと肩を落として、ため息をついた。
同時にエリカがトボトボと歩きだす。
どうやら帰宅する気になったらしい。
そこそこ長い道のりを歩いて、ようやく家までたどり着いたエリカ。
だが、どこか様子がおかしい。
いつもは家に母がいて、鍵は開いているはずの時間だ。
だが鍵が閉まっていて、玄関のドアが開かないのだ。
家の窓も真っ暗で、家中の電気がついていないように見える。
エリカは不可解に感じながらも、インターホンを押してみた。
だが、それでも返事はない。鍵も開かない。
本来なら母がいるはずなので、何か反応がなければおかしいのだ。
「……お風呂にでも入ってるのかな?」
エリカはそうつぶやいてから、玄関の前に座り込んだ。
それから数分。
ふたたびインターホンを鳴らすエリカ。
だが、やはり反応がない。
「……おっかしいなぁ?」
いたって平静を装った言葉を口にしてはいるが、エリカの中では不安が膨らみ始めていた。
さらにエリカは数分ごとにインターホンを押してみたが、いつまで経っても母の反応はない。
エリカの中の不安は次第に大きくなっていく。
「……おかあさん? ……おかあさん⁉」
声を荒げるエリカ。
気づけばエリカは無我夢中で家のインターホンを鳴らし続けていた。
すでにエリカが戻ってから1時間ほどが経過している。
エリカは慌てた様子で、あたりをキョロキョロと見まわす。
そして、そこらじゅうにいる通行人全員に訴えるように叫んだ。
「……あ、あのっ! 家の玄関っ……開かないんですけどっ……⁉」
一瞬、数人がエリカのほうへ視線を向けたが、すぐに見なかったことにして、その場を離れていった。
結局、誰もエリカのために足を止めることはなかったのだ。
とおりすがる人が入れ替わるたびに、エリカは何度も呼びかける。
「……わたしの家っ……! いつもは鍵が開いてるはずなんですけどっ……!)」
しかしエリカを気にかけてくれる人は、ひとりもいなかった。
誰もが冷たいというわけではない。
エリカが本当に困っていることを誰も理解していないのだ。
彼女が何を訴えているのか、誰もわかっていないだけなのである。
エリカもパニックになっていて、自分が言っていることを整理できていない。
おれはエリカの中で必死に彼女に語りかける。
「(エリカ! もっと詳しく言わないと! そんな抽象的な言葉じゃ誰も気づいてくれないぞ!)」
いくら呼びかけても誰ひとり自分を気にかけてくれない現実に絶望したのか、とうとうエリカは叫ぶことを辞めてしまった。
エリカは唇を噛みしめてから家の裏庭へと向かうと、そこらへんに落ちていた大きめの石を手に取った。
そしてなんと彼女は庭から見える家の窓を、その石を叩き割ったのだ。
おれはエリカの行動力に感心する。
「(……こういうところは度胸あるよな)」
そしてエリカは割った窓から家の中に入り込んだ。
部屋は真っ暗で静まり返っており、人の気配も感じない。
また、少なくともエリカの視界から見える範囲には、明かりはひとつも確認できなかった。
真っ暗な中、エリカは手探りで照明のスイッチを探す。
さすがに自分の家なので迷うこともなく、最短ルートでリビングの電気をつけることに成功した。
するとエリカは、いつも母と食事をしていたテーブルのまんなかに、1枚の紙が置かれていることに気づいた。
恐るおそる、その紙を手にするエリカ。
そして彼女は手を震わせながら、そこに書かれた内容を口にした。
「す……少し出かけてきます……。すぐ帰ってくるので心配しないでください…………母より……」
誰もいない部屋のまんなかでひとり、母が置いていったメモらしき紙を手に持ったまま、何もない一点を見つめているエリカ。
最初はどうしていいかわからず放心状態だったエリカだが、20時を過ぎたあたりで助けを求めるための行動に移った。
まず玄関の鍵を開けて、表通りに飛び出したエリカ。
先ほどは、あれだけ声を出して呼びかけたにもかかわらず、誰も振り返ってくれなかった。
それでもエリカは、また声を張り上げる。
ほかに方法が思い浮かばないのだ。
エリカが無我夢中で助けを求めていると、今朝の警官とは別の警官が声をかけてきた。
「どうかしたの、君?」
「お、おかあさんが……帰ってこないんです……!」
エリカから事情を聞いた警官は、まず家の状況を確認して回る。
彼女が割ったと言った窓。そして母が残したと思われるメモ。
ひと通りの現場検証を済ませてから、その警官がエリカにやさしく語りかける。
「ひとまず応援を呼んで、この家の警備をしてもらおう。窓も割れちゃってるしね」
警官はしゃがみ込んで、エリカの目線に合わせて言葉を続けた。
「捜索願を出すことになるかもしれないけど、まずは何か情報があるかもしれないから、署のほうで少しお話をきかせてもらってもいいかな?」
エリカは力なく首を縦に振った。
◇ ◆ ◇
場所は変わって、最寄りの警察署──
「ああ! 君、例のメモの子ね!」
警官の言葉にドキっとするエリカ。
身元確認を行ったことで警官が彼女の正体に気づいたのだ。
今朝の出来事のせいでエリカの警戒心は強まっている。
そして、もはや警察全体に知れ渡っていることを再認識することになった。
だが今回の警官はエリカを利用しようという下心はなく、これまでのメモの件についてお礼を口にしただけで、そのまま彼女の身元確認は終わった。
「さて……。それじゃ、いったん君は家に帰りなさい。私が送ってあげるから」
割れた窓などは、応援に駆けつけた警察の人が技術者に協力をお願いして、簡単な補修をしてくれたそうだ。
戸締りもしてくれて鍵は現在エリカの手元にある。
不安そうなエリカを励ます警官。
「大丈夫だよ。われわれが、かならず見つけるから!」
「はい……。よろしくお願いします……」
エリカは、そう答えてから警察署をあとにした。
その帰り道。何台ものパトカーと救急車がサイレンを鳴らしながら、エリカの横を通り過ぎていく。
「……なんだろう?」
その物々しい様子を見ながら、エリカが無意識に言葉を漏らした。
それに対して警官が詳しく答える。
「ああ。数時間前に近くの銀行に強盗が入ってね。その場にいた人たちを人質にとって立てこもっていたんだよ」
さらに話を続ける警官。
「ついさっきかな。署を出る少しまえに、現場の状況が知らされたんだがね。逃げれないと覚悟した犯人が暴走して、持っていた銃で次々と人質を撃ったらしくてね。何人も死傷者が出たみたいなんだよ」
「そう、なんですか……」
エリカはそう口にしながら、不安そうな顔で通り過ぎていくパトカーと救急車を見つめていた。
◇ ◆ ◇
エリカの家──
母親のいない静まり返ったキッチン。エリカはいつもの席に座って、ひとり寂しそうにうつむいている。
「……おかあさん」
どんどん弱々しくなっていくエリカ。
おれは自分の無力さを思い知った。
「(こんな……ひとりの女の子も守れなくて、おれは……何が正義の使者なんだ!)」
おれがいくら自分を戒めたところで、彼女の何が変わるわけでもない。
しばらくするとエリカは無言で自分の部屋へと向かって、そのままベッドに潜り、深い眠りについてしまった。
そして翌朝────
警察からエリカに母親の死が伝えられた。