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エピソード 3ー1

 序盤は塩対応でほとんど絡まないはずのメイン攻略対象からダンスに誘われた。しかも、私と対立するはずの乃々歌ちゃんと陸さんが私を庇っている。

 悪役令嬢と対立することで結束するはずの人達が、私を理由に対立を始めた。

 こんな展開は想定の範囲外だ。


 私が乙女ゲームの悪役令嬢に転生した普通の女の子なら、破滅へと続く原作のストーリーから外れたこの展開を歓迎したはずだ。

 すべては誤解だと笑って、彼らの仲を取り持つ。そうして優しい彼らの友達になって、面白可笑しい高校生活を送る。それはきっと、とてもとても幸せなことだろう。


 でも私は、乙女ゲームの世界に迷い込んだだけの女の子じゃない。難病を患った妹を救うため、自らの意思で悪役令嬢になった。

 ゆえに、悪役令嬢の破滅回避を望んではいない。


 私は敵となって立ちはだかり、最後は彼らの成長の礎となって破滅する。

 それが私の望み、なんだけど――と、私は現実を直視する。


 いまも、彼らは私を理由に睨み合っている。


 あまりに、あまりにも原作乙女ゲームの展開と現実の状況が乖離している。いまの状況はまるで私がヒロイン、琉煌さんが悪役令嬢のポジションになっているかのようだ。


 このままじゃ妹を救えない。

 ここから、原作の展開に戻す奇跡のごとき一手が必要だ。このズレにズレた状況を挽回する奇跡のごとき一手が――なんてっ、そんな都合のいい手があるはず訳ないでしょう!?


 琉煌さんに味方すれば、琉煌さんルートを阻害することになる。だけど、陸さんや乃々歌ちゃんに味方すれば、私が悪役令嬢として彼らと対立する展開から外れてしまう。

 そしてどちらを選んだとしても、三人が仲良くなるという展開を阻害する。


 正直、この状況に陥った時点で詰んでいる。

 だけど、それでも! 私はこの状況をなんとかしなくちゃいけない。そうじゃなければ雫を救えない! 泥臭くても仕方ない。いまの私に手段を選んでいる余裕なんてない!

 私が悪役令嬢として突き進むための一手が必要だ!


 ……そうだ。この状況を一気に覆す奇跡の一手なんて存在しない。そんなありもしない手を考えようとするから、この状況を詰んでるなんて思うんだ。

 奇跡の一手は打てずとも、次に繋げる一手なら打つことは出来る。


 最悪なのは、陸さんと乃々歌ちゃんが、琉煌さんを敵に回すこと。日本の三大財閥のトップ、雪城財閥の次期当主と対立すれば、いかなヒロインとて潰されるだろう。

 その事態だけは、なにがなんでも避けなければいけない。


 覚悟を決めた私は、睨み合う彼らの間に割って入り、私を護ろうとしている乃々歌ちゃんや陸さんに一瞬だけ顔を向け、冷笑を浴びせて背中を向けた。


 そうして琉煌さんに向かってそっと右手を差し出した。私をダンスに誘いたければその手を取りなさい――という意思表示。それを理解した彼は「一曲お相手いただけますか?」と私の手を取った。答えはイエス。私は悪役令嬢らしく微笑んだ。


「キミはそれでいいのかい?」

「桜坂さん……」


 背後から、陸さんと乃々歌ちゃんの戸惑う声が聞こえる。私は空いている左手でドレスの裾をぎゅっと握り締め、琉煌さんの手を取ったまま、肩越しに彼らへと振り返った。


「おかしなことを聞くのね? 雪城家の次期当主とも言うべき琉煌さんと、なんの力も持たない貴方達。どちらと仲良くした方が得策かなんて、考えるまでもないでしょう?」


 簡単なことだった。

 どちらの味方をしても、原作乙女ゲームの展開を歪めてしまうのなら、私が彼ら全員の敵になればいい。そうすれば、私は正しく悪役令嬢になれる。

 これがいまの私に打てる最善手。


 だから、だから目を逸らすな! 笑え、悪女らしく!

 いまの私は悪役令嬢だ!


「――わたくしの前から消えてくださる?」


 虚勢で胸を張って、見下すように言い放つ。

 陸さんや乃々歌ちゃん、それに琉煌さんまでもが目を見張った。

 無理もない。

 雪城家の次期当主に楯突いてまで手を差し伸べてくれた相手に、感謝するどころか嘲りの笑いを向ける。いまの私がどれだけ醜いかなんて考えるまでもない。

 だから、乃々歌ちゃんも陸さんも、そして琉煌さんも、みんな私に愛想を尽かせばいい。


「桜坂さん……僕はただ、キミを助けようと」

「――おあいにく様ね。桜坂家の娘に助けなんて必要ないわ。月ノ宮の末席でしかない貴方がわたくしを助けようだなんて、分不相応な考えは捨てるべきね」


 身の程を知りなさいと言い捨てて、陸さんと乃々歌ちゃんから背を向ける。そうして、琉煌さんには媚びた微笑みを浮かべて見せた。


「……おまえ」


 琉煌さんの表情が引き攣っている。

 もう権力に意地汚い女だって幻滅しちゃった? でもおあいにく様。私の予定をむちゃくちゃにしたんだから、ここから連れ出すくらいの仕事はしてもらうわよ。

 私は有無を言わせず彼の手を取って、「さあ行きましょう」とエスコートを促した。

 それからダンスフロアへと移動するあいだ、琉煌さんは無言だった。だから私は、ダンスフロアに到着すると同時に彼のエスコートを振り払った。


「……どうした?」

「私が権力に執着した女と知って幻滅したのでしょう? 自分から誘った手前、責任を持って踊ろうとしてくださる心意気は素敵だけど、義務感で踊られるのは迷惑よ」


 陸さんと乃々歌ちゃんの悪意は私に向いた。ここで私と琉煌さんの関係も絶ってしまえば、大筋で原作の展開に戻すことが出来る。だから、無理に踊る必要はない。


 ――はず、だったのだけど、琉煌さんに再び腕を摑まれ、強く引き寄せられた。つんのめった私は、彼の腕の中に飛び込んでしまう。彼の反対の手が私の背中に回る。

 ……え、なにこの状況、琉煌さんに抱きしめられてるみたいじゃない。そう思って驚くのも束の間、彼が私の腕と腰を取り、音楽に合わせてリードを始める。


「ちょっとっ、踊る必要はないって、そう言ったでしょっ」

「いいのか? 桜坂家の娘が、ワルツ一つ踊れないのかと馬鹿にされるぞ?」

「くっ、この――っ」


 悪役令嬢としてのプライドを刺激され、反射的に彼のリードに合わせてステップを踏む。

 だけど――っ。


 ナチュラルスピンターンのステップ、歩幅が大きいっ! そのまま加速して、ダブルターニングロックから……スローアウェイオーバースウェイ!? なに考えてるの? 高校生に入ったばかりの相手に、それも示し合わせもなく踊らせるような難易度じゃないでしょう!


 なのに、彼のリードは更に高難易度に、更に激しくなっていく。

 紫月お姉様の特訓がなかったら、いきなり転んでるところだ。

 馬鹿なの? 信じられない、このドS!


 声を大にして文句を言いたい。

 ――けど、みんな見てる。琉煌さんと私、有力財閥の子息子女である私達のダンスをみんな見てる。桜坂家の娘を名乗る身として、恥ずかしいダンスは見せられない。


 私は必死に彼のリードに食らい付いていく。彼がさきほどのことをどう思っているか、これからどうするのが正解か、考えることは山積みなのに、いまの私には余裕がない。

 それでも、私は無理矢理笑みを作って微笑んで見せた。


「……思ったよりも踊れるのだな」


 これが余裕あるように見える!? と、余裕がある振りをしておきながら、心の中で理不尽にも叫んだのはここだけの秘密。私は口を付いて飛び出しそうな罵声を必死に飲み込んで、彼に向かってクスリと微笑みかける。


「あら、わたくしを誰だと思っているの?」

「ああ、たしかウェイトレスだったな」


 ――しまっ。

 思わずステップを踏み違えた。とっさに挽回しようとするも重心の移動が追いつかない。躓くと思った瞬間、琉煌さんにぐいっと抱き寄せられた。

 ――これ、ならっ!

 彼の支えを起点に足を出し、素早く体勢を立て直した。すぐに次のステップを踏み、何事もなかったかのようにダンスを続ける。


 ……どういう、こと?

 動揺を誘ったのは、権力に意地汚い娘に恥を掻かせるのが目的じゃなかったの?


「……すまなかった」


 困惑する私に、琉煌さんが口にしたのは謝罪の言葉だった。


「なぜ、貴方が謝るの?」

「おまえが困っていると思ったんだ」


 ナチュラルスピンターン。続くステップを踏みながら考えを巡らせ、彼が陸さんに圧力を掛けた理由が、私を護ろうとした結果だと気が付いた。

 たしかに、さきほどの私は想定外の事態に困っていた。琉煌さんはそんな様子を見て、陸さん達から私を助け出そうとダンスに誘い、それを阻止する陸さんに権力を振りかざした。


 ……そっか、そうだよね。

 琉煌さんは、庶民の乃々歌ちゃんと恋仲になるメイン攻略対象だ。そんな乙女ゲームの主人公が、理不尽に権力を振りかざす、悪役みたいな真似をするはずがない。

 私を気遣う眼差しに、思わずドキッとさせられる。


「あり――」


 感謝の言葉を告げようとして、寸前のところで踏みとどまった。

 琉煌さんが権力を振りかざしたのは私を護ろうとしたから。それが分かれば、陸さんや乃々歌ちゃん達と分かり合うことが出来るだろう。

 だけど、私は悪役令嬢だ。

 彼らと敵対するべき私が、琉煌さんと分かり合う訳にはいかない。


「ありがとう――と言うとでも思った? 桜坂家の娘であるわたくしに、そのような気遣いは不要よ。それに言ったでしょう? わたくしに必要なのは権力だって」

「それは、桜坂家の養子だからか?」


 意味深な笑みを浮かべる彼は私の素性を疑っている。

 いや、楽観的な考えはやめよう。

 紫月お姉様は数時間で私の素性を調べ上げた。琉煌さんがお礼をするためにバイト先を訪れたのなら、私の素性なんて疾うに把握しているはずだ。

 すべて知られている前提で対応する。

 ただし、こちらから手の内を晒す必要はない。


「……なんのことを言っているのか分からないわね」

「妹の入院費を稼ぐためにバイトをしていたのだろう?」


 雫のことまで把握している。つまり、私が佐藤家の娘であり、駆け落ちをした桜坂の孫娘ではないということまで突き止めている。


 その事実を公表されたら、私は非常にまずい立場に立たされる。

 でも、この状況は詰みじゃない。

 彼が私の素性を知ったのはいまじゃない。もし素性を暴露して私を貶めるつもりなら、絶好のタイミングはいくらでもあった。つまり、彼の目的は私の糾弾じゃない。

 私を脅すとか、なにかしらの目的があるはずだ。


「……なにが目的なの?」

「目的? おかしなことを聞くな。妹の件で借りを返しに来たと言っただろう? 養子であることに対して口さがない者もいるだろう。だが、俺と懇意だと知れば黙るはずだ」


 私はパチクリと瞬いて、それから眉を寄せた。


「……まさか、わたくしの地位を確立するためにダンスに誘ったの?」

「雪月花のメンバーを目指しているのだろう?」

「そう、そこまで知っているのね」


 想像以上にこちらの行動が筒抜けだけど、やはり私の素性をバラすつもりはないようだ。

 少なくとも、いまのところは。


 その上で、どうすれば良いかを考える。私が雪月花のメンバーに選ばれることだけを考えれば、琉煌さんと懇意になるのは有効な一手と言えるだろう。


 いきなり私をダンスに誘ったときはどういうつもりかと思ったけれど、彼は恩返しとして、ちゃんと私の欲しいものを与えようとしてくれていた。

 私が悪役令嬢を目指していなければ、の話だけど。


「せっかくの申し出ですが、わたくしに助けは必要ありませんわ」


 彼が仲良くするべきなのは、私ではなく陸さんや乃々歌ちゃん。善意を無下にすることで嫌われるかもしれないけれど、それは望むところだ。

 文句なら好きに言いなさいと胸を張れば、彼は「知っている。だから、これはちょっとしたお節介だ。《《切り札は取っておいた方がいいだろう?》》」と笑う。


 どういうこと? 文脈的に、助けは必要じゃなかったと知っているということだよね? 私は虚勢を張っているだけなのに、どうしてそういう結論に至ったのかな?

 なにか誤解されてる? それとも、私が知らないなにかを知っている?


「……なにを知っているというのかしら?」

「とぼける必要はない。雪城家の情報収集能力を以てすれば、これが罠だと気付くのは造作もないことだ。とはいえ、さすがは桜坂家の娘だと褒めておこう」

「琉煌さんにそこまで言っていただけるなんて光栄ですわ」


 そう言って妖しく微笑んでみせる。

 なんのことか分からない――なんて内心はおくびにも出さずに。



 その後、琉煌さんとのダンスを終えた私は、早々にパーティー会場を退散。無事――とは言いがたいけれど、私はひとまず最初のイベントを乗り越えた。

 そうして自宅に帰った私は制服姿のままでベッドにダイブした。


「あぁ~疲れた」


 悪役令嬢となって紫月お姉様の代わりに破滅する。雫の命を救う代償なのだから大変だとは覚悟していたけど、まさか初日からこんなに波乱続きとは思わなかった。

 今日くらいはゆっくりと休みたい。そんな願いも虚しく、シャノンが現実を突き付ける。


「澪お嬢様、今日の一件で紫月お嬢様がお呼びです」

「……分かった」


 初日から盛大にやらかした。紫月お姉様に合わす顔がないけど、呼び出しに応じない訳にはいかない。私は覚悟を決めて紫月お姉様が待つ彼女の部屋へと足を運んだ。

 ノックをして部屋に入れば、部屋着とは思えないほど上品な、お嬢様風の洋服に身を包んだ紫月お姉様が、書類を片手にソファに身を預けていた。


「色々と想定外のことがあったようね」

「……申し訳ありません、紫月お姉様」


 言い訳はせず、彼女に向かって深々と頭を下げる。


「頭を上げなさい。想定外の事態だけど、この件で貴方を責めるつもりはないわ。ただ、シャノンからの報告だけじゃ分からないこともあるから、詳しい話を聞かせてちょうだい」

「分かりました」


 紫月お姉様の勧めに従って、制服のスカートを押さえてソファに腰を下ろす。ローテーブルの上に二人分のお茶菓子を添えるシャノンの姿を横めに、私は姿勢をただした。


「なにからお話しましょう?」

「そうね。まずは順を追って、乃々歌が話しかけてきたところから説明してもらおうかしら」

「はい。まずは――」


 私はまず、先日の一件で突き放したつもりの一言が、乃々歌ちゃんにはアドバイスと受け取られていたこと。それが原因で感謝されていたことを打ち明ける。


「……あぁ、ヒロインはポジティブだからね」


 紫月お姉様がしみじみと呟いた。

 どうやら、彼女の打たれ強さは原作乙女ゲームの設定通りのようだ。私は続けて陸さんが接触してきた理由について打ち明ける。乃々歌ちゃんを助けた現場を見られていた。と。


「そう。彼は財閥特待生の地位を笠に着た人が嫌いだから、乃々歌を助けた財閥の令嬢、つまり貴女に興味を持つのは当然とも言えるわ。でも……」

「琉煌さんの件ですね」

「ええ、一体いつ知り合ったの?」


 実は――と、最後のバイトで彼の妹に出くわしたことを打ち明ける。妹さんの忘れ物を届けて琉煌さんに出会い、妹の体調不良に気付いたことで彼に感謝されたということも。

 それを聞いた紫月お姉様は思わずといった面持ちで天を仰いだ。


「それ、ほぼヒロインが琉煌のルートに入るときのイベントよ。そんなことがあったのなら、琉煌が貴女に興味を抱くのは当然ね」

「――重ね重ね申し訳ありませんっ」


 反射的に立ち上がって頭を下げる。

 知らなかったとはいえ、紫月お姉様の計画をむちゃくちゃにしてしまった。それも、私が最後に一度だけ、バイトに行きたいとワガママを言ったせいだ。


「頭を上げて、座りなさい」


 彼女の言葉に従って顔を上げ、ソファに座り直す。


「バイトに行く許可を出したのはわたくしよ。それによって生じた不測の事態についても、責任はわたくしにあるわ。だから、貴方が謝る必要はない。だけど――」


 彼女の瞳が細められた。

 その先は言われるまでもないと、私が続きを口にする。


「紫月お姉様も、私も、この件で失敗する訳にはいかない、ということですよね?」


 責任の所在なんて関係ない。私のミスだろうが、天変地異が原因だろうが、失敗すれば取り返しのつかないバッドエンドを迎えることに変わりはない。

 だからなんとしても、軌道修正を測る必要がある。


「分かっているのならいいわ。じゃあ、琉煌と踊った理由を訊かせてもらいましょう」

「それは皆の敵意を私に向けるためです。私が悪役を演じることで、陸さんや乃々歌ちゃんの敵意が、琉煌さんではなく私に向くと考えました」

「なら、琉煌と踊ったのもそれが理由かしら? シャノンの報告によると、貴方達はとても楽しげに踊っていたように見えたそうだけど……彼に惹かれたから踊った訳じゃないと?」

「あり得ませんっ!」


 バンとローテーブルに手を突いた。


「感情的になるのは図星だからじゃない?」

「……いいえ。たしかに、琉煌さんはメイン攻略対象に相応しい方だと思いました。でも、そんな浮ついた感情で、妹の命を危険に晒したりしません!」


 私が悪役令嬢になったのは、戸籍の改竄にまで同意して家族との絆を手放したのは、雫の命を助けたかったからだ。決して、財閥の子息と恋仲になるためなんかじゃない。

 そう睨みつける私と、紫月お姉様の視線が真正面からぶつかり合った。

 紫月お姉様と無言で睨み合う。

 最初に視線を外したのは紫月お姉様の方だった。


「……どうやら本心のようね。琉煌に惹かれる人は多いから、貴女の覚悟を確認しておきたかったの。貴女の覚悟を疑ったことを謝罪して、さきほどの言葉は撤回するわ」

「い、いえ。疑われるような行動を取ったのは事実なのに、私こそすみません!」


 紫月お姉様が前言を翻したことで我に返る。

 想定外の問題ばかり起こしているのは私の方なのだ。見捨てられないだけでも感謝しないといけないのに、疑われて逆ギレするなんて恥ずかしいと頭を下げる。


「お互い、不測の事態に直面して冷静じゃなかったようだし水に流しましょう。ただ、シャノンが楽しそうに見えたと報告したことは事実なの。あなた達がダンス中にどんな話をしていたか教えてくれるかしら?」

「それなんですが、実は――」


 私が佐藤家の娘であると琉煌さんにバレたこと。その上で、彼に糾弾する意思がなさそうなこと。ダンスを踊ったのは、私の地位の確立が目的だったらしい、ということを打ち明けたのだが――


「貴女が佐藤家の娘だとバレた?」


 私の話を聞いた紫月お姉様は目を細めた。


「雪城家の情報収集能力を以てすれば、これが罠だと気付くのは造作もないことだ。と言っていました。一体なんのことでしょう?」

「……ああ、なるほどね。さすがは雪城財閥の次期当主と言ったところかしら」


 琉煌さんと同じような反応。

 ……私だけが知らないことがあるような気がする。


「どういうことか、説明してくれませんか?」

「そうね……いえ、いまはまだやめておくわ。貴女が知ると不確定要素が増えるから」

「……そう、ですか」


 よく分からないけど、その方がいいといわれれば、雇われの身としては黙るしかない。


「ではせめて、今後の方針についてのアドバイスをくださいませんか? 琉煌さんと乃々歌さんを接近させる方法とか、考えた方がいいですか?」

「いいえ、琉煌と乃々歌を近付けるのは後でいいわ。乃々歌は琉煌の妹と仲良くなっていないし、いまの彼女じゃそもそものステータスが足りていないから」

「妹の件は分かりますが、ステータス、ですか?」


 彼女の成長を促すべく、私自身がステータスを伸ばしている。そんな状況で今更かもしれないけど、現実の恋愛でステータスを重要視するのは違和感があると首を傾げた。


「雪城財閥の当主夫人には、相応の能力が必要なのよ」

「……あぁ、そっか。そうですよね」


 雪城財閥の当主夫人ともなれば、様々なパーティーにも参加することになる。いまの乃々歌ちゃんでは……たしかに荷が重いだろう。


「だから、そっちはしばらく様子見よ」

「しばらく、というと?」


 もう少し具体的なことを知りたいと、私は疑問を口にした。紫月お姉様は「あまり、貴女にプレッシャーを掛けたくないのだけど……」と溜め息を吐く。


「覚悟は出来ています」

「分かった。なら教えておくわね。中間試験が終わった後、校外学習でイベントがあるの。そのときに、貴女には乃々歌を虐めてもらう」


 乃々歌ちゃんを虐める。心の中で言葉にするだけでも胸が痛くなる。自分が悪事を働いているのだと再確認させられる。それでも、私は前に進むしかない。


「分かり、ました」

「……澪」

「大丈夫、覚悟は出来ているって言ったじゃないですか」


 紫月お姉様がなにかを口にするより早く、私はそう捲し立てた。


「澪、聞きなさい。貴女が覚悟を決めたことは疑ってないわ」

「え、ええ、もちろんです。だから――」

「――だから、平気だって言うのは違うでしょ。貴女が傷付いていることも、それを我慢していることも、わたくしはちゃんと分かってるつもりよ」

「紫月、お姉様……?」


 弱い自分を見せることは許されないと思っていた。だから、紫月お姉様に私の弱さを理解していると言われ、なんて答えればいいか分からなくなる。


「悪事を働くことに罪悪感を抱かない悪人は求めてないわ。罪悪感に押し潰されるだけの善人も同じよ。罪悪感を抱きながら、それでも前に進める貴女だから必要なの」

「……罪悪感を抱いても、いいんですか?」

「当然じゃない」


 紫月お姉様が優しく微笑んだ。

 弱味を見せてもいいんだって理解した瞬間、大粒の涙が零れ落ちた。慌てて目元を手の甲で擦るけれど、涙は次々にあふれてくる。


「……そっか、辛かったのね」

「はいっ、私、乃々歌ちゃんに、酷いことを……っ。あんなに、慕ってくれてるのに……っ」


 彼女には悪いところなんて一つもない。それなのに、私は彼女のことを傷付けた。言い訳のしようなんてない。私は悪い女の子だ。

 そして、なにより悪いのは――


「澪、辛いのなら降りてもいいのよ?」

「いいえ、私は降りませんっ!」


 ――悪いことだと分かっていながら、それをやめようとしないことだ。私はあふれる涙をそのままに、紫月お姉様をまっすぐに見つめた。


「私は、悪役令嬢です。自分のためにそうすると決めました。だから、このお仕事からは絶対に逃げません!」

「……分かった。なら最後まで付き合いなさい。大丈夫、貴女は悪くない。破滅するのは貴女だけど、地獄に落ちるのは私だけよ」


 紫月お姉様が茶目っ気たっぷりに笑う。

 そうして手の甲で涙を拭う私に「校外学習のイベントまでもう少し日があるわ。だから、いまは他のイベントに集中なさい」とハンカチを寄越してくれた。


 私はそれを受け取り、涙を拭う。

 そのあいだに、紫月お姉様が自分のスマフォを操作した。

 ほどなくして、私のスマフォにアプリ更新の通知が届いた。指で操作してアプリを開くと、ミッションの欄が更新され、四つのミッションが表示されていた。


 1、更新された目標値までステータスを上げろ。

 2、歪んだストーリーの軌道修正を図れ。

 3、雪月花のメンバーになれ。

 4、ファッション誌のモデルになれ。


「一気に増えましたね」

「原作乙女ゲームの本編が今日からだからね。とはいえ、雪月花のメンバーになれと言うのと、ファッション誌のモデルになれと言うのは以前から言ってあったでしょ?」

「それにステータスを上げろというのも目標が変わっただけですね」


 目標値は高くなっているけれど、前回に比べればそこまで無茶な数値じゃない。前回は私が未熟すぎたせいで大変だったけど、今回は悪役令嬢と同じ成長速度だからだろう。

 中間試験の結果で、上位二十%――五十位以内が目安らしい。

 ここまでは特に驚く内容じゃなかった。だけど、ストーリーの軌道修正について詳細を開いた私は首を傾げる。自分の把握していない問題が書かれていたからだ。


「悪役令嬢の取り巻きの扱い、ですか?」

「ええ。入試の日に、貴方が乃々歌を庇って敵に回した娘達がいたでしょう? あの子達は本当は、悪役令嬢の取り巻きになる子達だったのよ」

 

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