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エピソード 2ー3

 そんな――と、悲鳴を上げそうになる。予想外の質問でボロが出ることは危惧されていたけど、決められた動きをこなすだけなら及第点だとお墨付きをもらっていた。

 なのに、いきなり三十点は予想外だ。

 でも、お姉様に三点と言われたときのように気を抜いたりはしない。


「なにぶん若輩者ですゆえ、なにか失礼があったのならご容赦ください」


 未熟だから許して! と、礼儀よく訴えかける。


「なるほど、報告にあったとおりだな」

「ええ、本当に。紫月も面白い子を見つけたものね」


 さきほどまでの圧力が霧散して、穏やかなやりとりが聞こえてきた。

 お父様が「驚かせて悪かったね、少し試させてもらったよ」と笑った。続けて、お母様からは「聞きたいこともあるでしょう。まずはお掛けなさい」と席を勧められる。


 私は戸惑いながらも、それを表には出さずに席に座る。

 ひとまず、第一関門はクリアできたと思っていいのかな? まだ会食は始まってすらいないというのに、私の精神力はギリギリのところまで削られている。

 このままへたり込みたい気分だけど、妹のためにと歯を食いしばった。


 お父様は桜坂 深夜しんや

 黒髪に黒い瞳、一見すると地味な容姿にも見えなくないけれど、顔立ちは超イケメンのおじさまである。さすが、紫月お姉様のお父様、といった感じだ。


 続けてお母様は桜坂 深雪みゆきアメリアという。

 ブロンドの髪に、澄んだ青い瞳。紫月お姉様の産みの親のはずなのだけど……どう見ても二十代前半くらいにしか見えない。物凄く綺麗なお姉さんだ。


 この二人に気に入られないと、私の、妹の将来はない。なにから話せば良いかなと考えを巡らせていると、お母様がふわりと笑った。


「さあさあ、そんなに堅くならないで。今日は無礼講だから、もっと楽にしてちょうだい」


 私は微笑みで応じつつ、無理難題来たよ! と心の中で悲鳴を上げる。

 無礼講とは、礼儀作法や身分差を無視しておこなう宴会のことである。その言葉通りなら、私は素の態度で二人と接しても構わないということになる。


 でも、それは罠だ。

 想像してみて欲しい。無礼講の席で、上司が部下にお酒をつぐだろうか? あるいは、上司のグラスが空なのを放っておいて、部下は許されるだろうか?


 無礼講とは、身分差を気にせず振る舞ってもかまわない宴会ではない。上司が部下に、身分を関係なく自分を慕っていることを証明させる宴会なのだ。

 ――と、シャノンから教えられた。


 正直、私に宴会のことは分からない。でも『身分差は気にしなくていいよ』が、『身分差に関係なく気にして欲しい』という解釈になるのはなんとなく分かる。

 だから、この無礼講も言葉通りの意味ではないだろう。


 じゃあ、この場合の答えはなんだろう? 純粋に、お父様とお母様を慕っている自分を見せれば良いのだろうか? そんなことを考えていると、お母様がクスクスと笑う。


「この娘、目がせわしなく動いてるわね」

「実に興味深い。あれこれ深読みしているようだな」


 二人が話し合っているけれど、私にはなんのことか分からない。どう対応すればいいのだろうとテンパっていると、お母様がもう一度「楽になさい」と口にした。

 その言葉には私を気遣うほかに、そうしなさいという明確な意思が込められていた。


「分かり、ました」


 彼女の言葉に逆らってはいけない。そんな本能に従って、努めて身体の力を抜いた。その瞬間、お母様が楽しそうに笑い声を上げた。


「見ましたか、あなた。この娘、わたくしの意思を明確に読み取りましたわ」

「なるほど。未熟だが愚かではない、か。紫月が言ったとおりだったな。澪、おまえの素質は十分に見せてもらった。今回の試験は合格だ」

「……え?」

「よかったわね、澪ちゃん」


 二人から掛けられていた圧力が消えている。

 私は安堵からテーブルに倒れ込みそうになり――寸前のところで踏みとどまった。試験が終わったとしても、二人との会食が終わった訳じゃないから。

 そうして緊張感を保つと「今度こそ、本当に合格」とお母様が呟いた。


 今度こそ、本当に――と言うことは、さっきの合格は嘘だったと言うことかな? というか、本当に合格という言葉が本当に合格という意味だと信じてもいいのかな?

 私はちょっと疑心暗鬼になってしまう。


 でも、お母様はくすくすと上品に笑って、ウェイターに視線で合図を送った。

 ほどなく、私達の席に料理が運ばれてくる。

 さっきのは最初の試験で、次はテーブルマナーの試験とか言うのかな? そんな風に警戒していると、お父様が「ほどほどにがんばりなさい」と言った。


「……ほどほど、ですか?」

「澪、キミが私達の娘となる以上、財界人としてのマナーは完璧に身に付けなくてはいけないよ。だけど、それは今日じゃなくてもかまわない」

「澪ちゃん、現時点での貴方のマナーは落第点もいいところよ。だけど、マナーを学び始めてから、まだ三週間しか経っていないでしょう? その成長速度は目を見張るものがあるわ」


 二人は手元のスマフォに視線を落とした。

 それを見て気付く。私のスマフォに入っているアプリに表示された私のステータスは、過去のデータを含む、家庭教師の先生への聞き取りで算出した私の成績表だ。

 それほど分かりやすいデータを、紫月お姉様が両親に見せていないはずがない。


 つまり、将来性を加味しての合格。それを理解した私は、また紫月お姉様に助けられちゃったなと独りごちた。それから二人に「ありがとうございます」と頭を下げる。


 こうして、二人との会食が始まった。試験が終わりという言葉は真実だったようで、二人は私に至らぬところがあっても笑って許してくれた。


 二人は庶民の暮らしに興味があるようで、実家のことをいくつか質問された。それから、妹のことを聞かれ、妹のためにバイトをしていたと話したら妹想いだと褒められた。

 そうして、私達は少しずつ打ち解けていった。


「しかし、ある娘を養子に引き取って欲しいと、紫月からお願いされたときはなにごとかと思ったよ。なんせ、いきなりのことだったからね」


 ワインが回って口が軽くなったのか、お父様がおもむろにそのようなことを口にした。


「えっと……ごめんなさい。ご迷惑でしたよね?」

「ん? あぁいや、驚きはしたが、迷惑とは思っていないよ。澪、キミの人となりを知ってからは特にね。ただ、紫月はあまり同世代の子供に興味を示さなくてね。だから、キミを引き取って欲しいと言われたときは本当に驚いたんだ」


 お父様がそういうと、お母様が頬に手を添えて「本当にね」と同調した。


 なんか、提案したのが紫月お姉様だったから驚いた、みたいに言ってるけど『この子をうちの子にして欲しい』と娘が女の子を連れてきたら、誰だって驚くと思う。

 やっぱり、庶民と財閥の人間のあいだには価値観の違いがあると思う。


「親バカと思われるかもしれないけど、紫月は小さい頃からとても賢くてね。同世代の子供と遊ぶのは退屈だといって、友達を作ろうとしなかったんだ」

「わたくし達は、紫月ちゃんがあなたを連れてきたこと、とても嬉しく思っているのよ」


 二人は私が、紫月お姉様の友達になることを期待してるみたいだ。

 だから私は少しだけ胸を痛めた。悪役令嬢となって、彼女の代わりに破滅する。そんな私が、彼女のよき友人になれるとは思えないから。

 だけど、それでも――


「私は紫月お姉様に大きな恩があります。だから、私が妹として紫月お姉様に出来ることがあるのならなんだってします。それに、紫月お姉様と仲良くしたいって、心から思ってます」

「……そうか、キミは良い子だな」

「紫月ちゃんと仲良くしてあげてね」


 二人は目元をそっと拭って笑みを浮かべた。



 こうして、両親との初めての会食は無事に終わった。

 そして帰り際。

 お父様が思い出したかのようにカードを差し出してきた。


「澪、キミにクレジットカードを渡しておこう。なにか欲しいものがあればそれで買いなさい。月に百万まで使えるから、それを超えるようなら相談するといい」


 私は咽せた。

 来年から高校生になる、それも義理の娘のお小遣いが月に百万円。しかも、それを越えるようなら相談しなさいって、相談したら使ってもいいの?


 お父様がこんなことを言ってるけど、止めなくていいんですか? と、お母様に視線で問い掛ける。彼女は私の言いたいことを理解してくれたようで、お父様をきっと睨みつけた。


「あなた、妹さんのためにがんばって、そのうえ紫月のためならなんでもするなんていう健気な娘に、たかだか百万しか使わせないつもりですか?」

「ふむ、深雪の言うとおりだ。カードの二、三枚……いや、ブラックカードを作るべきか」


 違う、そうじゃないよ!


「あ、あの、ちょっと待ってください。私にそんなカードを渡されても扱えません。それにブラックカードってたしか、限度額がないんじゃありませんか?」


 私がそう尋ねると、お母様がふふっと笑った。


「勉強不足ね、澪ちゃん。ブラックカードの限度額は多くても数千万程度よ。限度額がないカードなんて、中学生の女の子に渡すはずがないじゃない」


 ブラックカードって限度額があったんだ、知らなかった。というか、月に数千万程度なら、中高生のお小遣いとして常識の範囲みたいに言わないで欲しい。

 ……桜坂家では常識の範囲なのかな?


「私、分不相応なカードは受け取れません。でも、桜坂家の娘として当然のことだというのなら努力します。だからまずは一枚だけ……使わせていただけますか?」

「ええ、もちろんよ。毎月限度額まで使える程度にはがんばりなさい」


 お母様がお父様の手からカードを受け取り、それを私に手渡してくれた。私はそれを大切に受け取り、手提げ鞄の中にしまう。

 こうして、私はちょっぴりだけ桜坂家の令嬢らしくなった。



 両親に認められたことで、私は正式に桜坂家の養女となった。でもそれは、私の行動に桜坂家の娘としての責任が伴うようになった、ということでもある。

 私はその責任の重さを考えながら、いままで以上に気を引き締めて日々を過ごした。そうして私が桜坂家の子供となってから一ヶ月と少しが過ぎ、ついに入試の日がやって来た。


 試験当日の朝。

 私は身だしなみを整え、中学の制服に袖を通した。だけど、なんだかしっくりとこない。冬休みの後は学校を休んでいたこともあり、しばらくぶりだからだろうか?

 そんな風に首を傾げていると、それに気付いたシャノンさんが声を掛けてくれる。


「澪お嬢様、どうかいたしましたか?」

「うん、なんかこの制服、変じゃない?」

「いいえ、問題はありません。違和感があるのだとすれば、澪お嬢様が変わられたからではありませんか? この一ヶ月で外見はもちろん、立ち居振る舞いも美しくなられましたから」

「そうなのかな?」


 自分では分からないと小首をかしげる。


「それよりも澪お嬢様、そろそろ気持ちを入れ替えてください」

「あっと……そうだったね」


 私は一度目を瞑り、自分は桜坂家のご令嬢、悪役令嬢だと自己暗示を掛ける。

 素の振る舞いを変えることはまだ出来ていないけど、こうして自己暗示を掛けることで悪役令嬢らしく振る舞うことが出来るようになった。

 私はパチリと目を開き、それから肩口に零れ落ちた髪を手の甲で払った。


「そろそろ試験会場に向かうわ」

「かしこまりました」


 シャノンを伴って玄関へと向かう。

 玄関を出ると、リムジンのまえで紫月お姉様が出迎えてくれた。


「澪、分かっているわね?」

「……ええ。わたくし、紫月お姉様の顔に泥を塗るような真似はいたしませんわ」


 悪役令嬢ムーブ。いまは悪役令嬢のお仕事中だと自己暗示を掛けている私は、紫月お姉様の立ち居振る舞いを真似て微笑みを浮かべた。


「上出来よ。いまの貴女なら試験に落ちることはないでしょう。だけど、悪役令嬢としてヒロインの前に立ちはだかるにはただ合格するだけじゃダメ。それは分かるわね?」


 私はこくりと頷く。これは悪役令嬢である私のミッションだ。ヒロインの壁になるべく、要求された数値まで成績――ステータスを伸ばしてきた。

 後は、その実力を試験で発揮するだけだ。


「どうか、安心して家でお待ちください。必ず、ご期待に応えて見せますわ」


 私がそう口にすると、紫月お姉様は目を瞬いて――それらか思いっ切り破顔した。


「ええ、信じているわ。行ってらっしゃい、澪」

「はい、行ってまいります」


 私は微笑みを残し、優雅な仕草でリムジンへと乗り込んだ。

 試験を受けるのは、都内にある財閥御用達の私立高校。その学園に入学する三人の攻略対象の誰かと、ヒロインをくっつけるのが私の使命だ。


 でも私は、まだヒロインや攻略対象の名前くらいしか知らない。本当は頭に入れておくべきことがたくさんあるけれど、まずはこのミッションをクリアするのが最優先だった。

 試験に合格したら、原作乙女ゲームのシナリオについても勉強しよう。そんなことを考えながら試験会場で席に着いた私の耳に、周囲の雑音が耳に入ってくる。


 試験を心配する友人同士の会話や、見覚えのない令嬢に興味を示す人達の会話。でも、いまの私には必要のない情報だと意識から閉め出した。

 ほどなく、試験官が入室し、軽い説明の後にプリントが配られた。



 午前の試験は無事に終わった。自己採点ですべて満点――なんてことはさすがにないけど、目標の成績には十分届いていると思う。その程度の手応えは感じていた。


 それよりも問題なのは、昼休みが一時間近くあるということ。

 入試に必要なことを優先的に勉強したいまの私は張りぼてのお嬢様だ。だから他人と接点を持ちたくないのに、なぜか周囲の人達から注目を浴びている。

 それに気付いた私は、休み時間のたびに、予習をしているから私に近づくなというオーラを出すことで事無きを得ていた。けど、昼休みはそうもいかない。

 誰かに話しかけられるまえに昼食を食べ終え、すぐに人気のない中庭へと退避した。


「うわぁ……さすが、財閥の子息子女が集まる学園だね。なんというか……規模が違うよ」


 中庭に庭園があった。

 いや、そりゃ中庭なんだから、庭があるのは当然だと思うかもしれない。

 でもそこに広がるのは、学校の中庭と聞いて思い浮かべるようなちゃちな庭じゃなく、観光地にありそうな立派な庭園である。


 すごいなぁ~と感心しながら庭園の中を歩く。そんな私の耳に、女の子の話し声が聞こえてきた。すぐに背筋を正し、自分は悪役令嬢のお仕事中だと暗示を掛けなおした。


 手の甲で、肩口に零れ落ちた髪をさっと払う。優雅に、そしてしたたかに振る舞う。私はいつでも邂逅できる準備を済ませたけれど、声の主達は近付いてこない。


 来ないのなら、あえて接触する必要はない。踵を返そうとした私の耳に、「なんとか言ったらどうなの、庶民?」と相手を侮辱するような声が聞こえてきた。


 もしかして、イジメの現場? こんな、試験の真っ最中なのに?


 さすがにあり得ないと思いたい。

 だけど私は、シャノンから言われたことを思いだした。


 言い方は悪いけど、この学園はお金とコネさえあれば入学できる。

 よって、この学園に通う人間は三種類いる。

 財閥の子息子女としてたゆまぬ努力を続ける者達と、財閥の子息子女であることしか誇るものがない者達。そして、優秀であることを理由に入学した庶民の子供達である。


 ゆえに、財閥の子息子女であることしか誇るものがない者達は、成績優秀な庶民に嫉妬し、その生まれを見下す傾向にある。

 もしかしたら、そういった女の子が、庶民の女の子に絡んでいるのかもしれない。そう思って曲がり角から顔を覗かせると、そこには予想通りの光景が広がっていた。


 壁際に人影が一つ。

 二人の女の子が、その人影を取り囲んでいる。

 テンプレ過ぎて溜め息しかでない。

 関わるのはまずいから、さっさと先生を呼んでこよう。そう思った瞬間、足元に落ちていた木の枝を踏んでしまう。その枝が折れて、思いのほか大きな音が鳴った。


「――誰っ!?」


 曲がり角の向こうから警戒する女の子の声が響いた。

 ここで慌てふためいて逃げるなんて、桜坂家の令嬢には許されない。必死に頭を働かせた私は、逃げずに対応するという選択をした。

 私が桜坂家の悪役令嬢であることを強く意識して、意を決して彼女達の前に姿を晒した。


「ずいぶんと騒がしいわね。一体なにごとかしら?」


 肩口に零れ落ちた黒髪を手の甲で払いのける。胸の下に添えた左手は服の生地を強く握り締め、押し寄せてくる恐怖に耐え忍んだ。


 不安なのは相手も同じはずだ。実際、相手も突然の乱入者に動揺しているようだった。でも私――おそらく私が身に付ける公立の制服を見て嘲るような表情を浮かべた。


「貴女、見ない顔だけど、私達の邪魔をするつもり?」

「生意気な態度ね。名を名乗りなさい」


 女の子を虐めていたとおぼしき二人の女の子が詰め寄ってくる。

 私が学んだ財界のプロトコール・マナーは、声を掛けるのは目上から、である。

 これは、そうしなければ、財閥の人間に売り込みを掛ける者が群がってくるから、という理由に他ならない。あくまで原則であり、絶対にそうしなければならないルールではない。


 ただ、それを踏まえても、彼女達の態度は私を完全に見下している。これを見過ごせば、桜坂家の名を汚すことになってしまう。

 だけど――現時点では、相手の家柄の方が上位である可能性も否定できない。相手が上位であった場合、ここで異論を唱えるのは逆効果だ。恭介さんに突っかかったときのように、相手の身分も考えずに食ってかかり、紫月お姉様に迷惑を掛けることは許されない。

 だから――


「あら、ごめんなさい。名乗るのが遅くなってしまったわね。わたくしは桜坂 澪よ。寡聞にも貴女達のお名前を知らないので、伺ってもよろしいかしら?」


 相手が万が一に目上でも、この聞き方ならば問題はない。そして、相手が私の想像通りに目下だったのなら、いまのセリフはこういう解釈になる。


『桜坂家の娘であるわたくしに向かってそのような無礼な物言いをするなんて、潰されたいのはいったい何処の家の小娘かしら?』――と。


 私の想像通り、相手は桜坂家の名前を聞いて青ざめた。二人は慌てて「さっ、桜坂家のお方だとは知らずに大変失礼いたしました!」とペコペコ頭を下げ始める。


「気にする必要はないわ。それより、そろそろ試験が再開される時間よね?」

「そ、そうでした。お先に失礼いたします!」


 実際にはまだ余裕のある時間だ。けど、ここから立ち去りなさいという意図は正しく伝わったようで、彼女達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 それを見届けた私は大きく胸をなで下ろす。


 ……通用して、よかった。桜坂家のご威光様々だね。相手が上位の家の子、あるいは同等の家の子だったら絶対に面倒事になってたよ。


 桜坂財閥の序列は第三位。

 それに、私の養父は先代理事長の息子で現理事長の弟。

 つまりは分家に当たる。


 私が養子であることを除いても、私と同等以上の子供はそれなりに多い。もちろん、その全てがこの入試会場にいる訳ではないけれど……決して無視できない人数だ。

 それに当たらなかったのは本当に運がよかった。


「あの、助けてくれてありがとうございます」


 控えめな口調でお礼を言われる。

 そういえば、絡まれている女の子が残っていた。それを思いだした私は、再び悪役令嬢を意識して、「大丈夫だったかしら?」と振り向いた。

 振り向いて――その頭上にクエスチョンマークを飛ばした。


 あれ、この子、何処かで、見た、ような……?

 光の加減で緑にも見える黒い瞳。栗色の髪に縁取られた小顔には人当たりのよさそうな顔。可愛らしい顔立ちだけど、いくら思い返しても、その顔に心当たりはない。

 気のせいかなと思った直後、彼女の制服が目に入った。

 あれ、この制服、まさか……?


「私、柊木 乃々歌って言います」


 あぁああぁぁぁぁ、この子、ヒロインだっ!?

 なにやってるの私、悪役令嬢がヒロインを助けてどうするの!?


 お、落ち着け。冷静になるのよ、私。

 私の役目はお邪魔虫になって、ヒロインと攻略対象の関係を焚きつけること。ヒロインとはどうせ知り合うことになるんだから、ここで知り合うだけなら問題はない。

 問題なのは、ここで仲良くなってしまうことだ。


「助けてくれてありがとうございました。あの人達に、ここは庶民が来る場所じゃないって詰め寄られて、私もそうなのかもって不安になって……だから、その、ええっと……助けてもらえて、すごく嬉しかったです!」


 キラキラ笑顔がすごく眩しい。

 いまのやりとりだけで、この子がヒロインに相応しい性格の持ち主なんだって理解する。私がなにも知らずにこの娘と出会っていたら、きっと仲良くなっていただろう。


 でも……ダメ。

 私がヒロインと仲良くなったら、悪役令嬢の役目を果たせない。

 役目を果たせなければ、恩人の紫月お姉様に仇で返すことになる。原作乙女ゲームのバッドエンドになって、日本に未曾有の金融恐慌が訪れることになる。

 そうなったら、雫のことを救えない。

 だから、私は彼女を突き放さないといけない。


「勘違い、しないでくださる? わたくしは貴女を助けた訳じゃないわ。ただ、この学園の生徒を目指すに相応しくない人達が目障りだっただけよ」


 腰に手を当てて、ツンと逸らした顔で乃々歌ちゃんを見下ろした。その視線には、この学園に相応しくないのは貴女も同じだという意思を込める。

 そんな私の意思が伝わったのだろう。乃々歌ちゃんは不安そうな面持ちになる。


 急に財閥の家の孫娘だと言われ、財閥御用達の学校の入試を受けることになり、周りが価値観の違う人ばかりで不安に思っているのだろう。彼女の背景を知る私には、彼女と同じような境遇でここにいる私には、いまの彼女の心境が手に取るように分かった。

 そんな彼女を突き放すことに酷い罪悪感を覚える。

 だけど、私は心を鬼にして、そこから更に一歩を踏み出す。


「貴女も目障りよ。庶民かどうかなんて関係ないけど、貴女の立ち居振る舞いがこの学園に相応しいとは思えないわ。貴女がこの学園に入学するつもりなら、この学園に合わせるのは人として当然の礼儀でしょう? そんなことも分からないから、あの子達に見下されるのよ」


 そんな風に突き放されるのは予想外だったのか、乃々歌ちゃんはぽかんと口を開けた。可愛らしいけど、令嬢としてはやっちゃいけない表情だ。


「なに、その間の抜けた表情は。淑女はそんな顔をしないわよ」


 なんて、偉そうな口を利いているけど、私だって庶民だし、立ち居振る舞いは張りぼてもいいところだ。それなのにずけずけと彼女を傷付けて……すごく胸が痛い。


「さて、試験があるからわたくしは失礼するわ」


 私はそう言い放ち、踵を返して彼女から逃げ出した。

 表面上は取り繕えたはずだ。でも、内心はボロボロだった。こんな調子で、悪役令嬢としてやっていけるのだろうか? そんな不安に苛まれながら、私は午後の試験に挑んだ。



 不測の事態は生じたけれど、午後の試験も無事に終わらせることが出来た。そうしてお屋敷に帰ると、エントランスホールで紫月お姉様が出迎えてくれた。


「おかえり、試験はどうだった?」

「試験は、大丈夫だと思います」


 トラブルはあったけど……と心の中で呟く。


「……そう。解答は問題用紙に写してあるわね? 採点してあげるから貸しなさい。それと、今後の話もあるから……そうね、夕食前にわたくしの部屋に来なさい」

「分かりました」


 解答を写した問題用紙を手渡して、私自身は部屋に戻る。

 一息吐いて、身に付けていた制服を脱ぎ捨てた。代わりに身に付けるのは、シャノンが用意してくれたお嬢様風の……というか、お嬢様の服。


 上は刺繍を施したブラウスにカーディガン。下はハイウエストのスカートに、ガーダーベルトで釣ったニーハイソックスという私の定番になりつつあるコーディネート。

 紫月お姉様のファッションと少し違う辺り、私の容姿や趣味を反映しているのだろう。


 それらを身に付け、最後に鏡のまえで身だしなみをチェックした私は、シャノンさんが用意してくれた紅茶を片手にしばしの休息。頃合いを見て、紫月お姉様の部屋へと向かった。


 お姉様がいるのは寝室の方ではなく、その隣にある執務室。部屋を訪ねると、執務椅子に座ったお姉様が、物凄い勢いで答え合わせをおこなっていた。


「お姉様、すごすぎじゃないですか?」


 答えがあっているかを確認するだけとは言っても、尋常な速度じゃない。問題と答えを完璧に理解していなければ、これだけの速度は出せないだろう。

 紫月お姉様が試験を受けていたら、首席で合格していたかもしれない。


「……ん? あぁ……そうね。わたくしはほら、二度目の人生だから」


 少し物憂げに語る。そういえば、紫月お姉様のまえの人生はどんなだったんだろう? 聞いてみたい気もするけれど、気軽に聞いてはいけない気もする。

 なんにしても、二度目の人生だからと言っても、本人の努力がなければ成長もない。紫月お姉様もまた、私がこの一ヶ月ほど続けたような努力をずっと続けているのだろう。

 そんなことを考えていると、採点する紫月お嬢様の手が止まった。


「うん、予想よりもよい点を取っているわね。これなら、壁となってヒロインの前に立ち塞がるに相応しい成績を取れていると思うわ。もしかして、本番に強いタイプなのかしら?」

「ほんとですか?」


 これがゲームなら、要求ステータスを満たした時点でミッションは達成だ。でも現実はそうじゃない。試験当日に風邪を引くこともあれば、ヤマを大きく外すこともある。

 紫月お姉様からのお墨付きは私に大きな安堵をもたらした。


 だけど、安心している場合じゃない。今回のミッションは、悪役令嬢のお仕事の始まりにしか過ぎない。これから本格的なミッションが始まるはずだ。

 だから――


「紫月お姉様、後回しにしていた授業をすぐに受けさせてください」

「いい心がけね。手配は終わっているから、今日から授業を再開なさい。ただそのまえに、原作乙女ゲームのストーリーや、最初のイベントについて説明しておくわね」

「あ、はい。お願いします!」


 私はメモを取るべく、スマフォのメモ帳を開こうとした。でも紫月お姉様が、アプリの方に詳細を送るから、メモは取らなくても大丈夫だと教えてくれた。

 私は紫月お姉様の話を聞きながらアプリを開き、そこに表示されるメッセージを確認する。


「まず、攻略対象はメインが一人とサブが二人よ。他にも隠し攻略対象なんかがいるけど、私が目指すルートにはいまのところ関係ないから気にする必要はないわ」


 言われて、アプリに表示されたプロフィールを確認する。メイン攻略対象の雪城ゆきしろ琉煌るき。それからサブ攻略対象の桜坂 恭介と、同じくサブ攻略対象の月ノ宮(つきのみや) りく

財閥、序列一位の雪城家、二位の月ノ宮家、三位の桜坂家。日本の三大財閥のご子息の三人が乙女ゲームの攻略対象で、金融恐慌を回避する鍵となる人物のようだ。


「攻略対象が三人ですか。目指すルートは誰のルートでもいいんですか?」

「三人のルートならどれでも金融恐慌は回避できるわ。ただ、妹さんに治療を受けさせることを考えると、メイン攻略対象である琉煌のルートを目指す必要があるわ」

「分かりました」


 結果的に、私が目指すのは琉煌さんのルートに限られる、ということだ。

 それを受け、アプリに記載される琉煌さんの情報が更新された。

 琉煌さんには病弱な妹がいて、その妹のことを殊更可愛がっているらしい。だから、その妹と仲良くなるイベントを発生させると、琉煌さんのルートが解放されるそうだ。

 なお、妹と仲良くなるイベントは文化祭で発生すると書かれていた。


「文化祭ですか。ずいぶんと先ですね」

「ええ。それまでは、素っ気なくされるイベントが続くはずよ」

「なるほど。では、本番は文化祭から、という訳ですね」

「そうなるわね。ただ、琉煌ルートでハッピーエンドを目指すには、ヒロインを中心に、三人を結束させる必要があるの。だから、サブ攻略対象とのイベントも無視は出来ないわ」

「……難しいですね」


 誰か一人の好感度を上げまくれば、簡単にハッピーエンドに向かうような乙女ゲームも珍しくはないのだけど、この世界の元となる乙女ゲームはそう簡単じゃないらしい。

 みんなで力を合わせ、金融危機に立ち向かう――といった感じだろう。


「じゃあ、最初のイベントはいつ始まるんですか?」

「入学式の日にある、新入生歓迎パーティーよ。いま詳細を送るわね」


 紫月お姉様が自分のスマフォを操作すると、再びアプリの情報が更新される。

 アプリを確認すると『新入生歓迎パーティーで、月ノ宮 陸と踊れ』というタイトルのミッションが表示された。その文字をタップして詳細を確認する。


 原作乙女ゲームの舞台となる蒼生学園は、入学式の後に新入生歓迎のパーティーがおこなわれるらしい。そのパーティーで乃々歌ちゃんは陸さんと再会し、再会の記念にダンスを誘われる。それを邪魔して、代わりに陸さんと踊るのがミッションのようだ。


 文字通りのお邪魔虫。人がよさそうな乃々歌ちゃんに嫌がらせをすることになる。

 それを理解して胸がチクリと痛んだ。


「……澪、出来るわね?」

「やります」


 拳をぎゅっと握り締めて頷いた。攻略対象とくっつけるために必要だから――なんて言い訳にもならない。これからやろうとしているのは悪いことだ。

 だけど、それでもやらなくちゃいけない。

 私は妹のために悪役令嬢に徹すると決めている。


「……ところで、再会の記念に――ということは、既に二人は出会っているんですか?」

「ええ。貴女には試験に集中してもらうために教えていなかったけど、ヒロインは試験会場で差別意識の強いお嬢様達に絡まれて、そこに登場した月ノ宮 陸に助けられているの」

「ヘ、へー、ソウナンデスネ」


 思わず片言になってしまった。間違いない、乃々歌ちゃんを助けたあれのことだ。もしかして私、いきなり原作のストーリーをねじ曲げてしまった?

 どうしよう? 本当なら報告するべきだけど、ここでイベントをぶち壊したことを打ち明けて、『じゃあ、貴女に悪役令嬢は無理ね』と切り捨てられたら妹が救えない。


 それを避けるためには黙っているべきだ。

 だけど、本当にそれでいいのだろうかと自問する。紫月お姉様は私を信じて悪役令嬢を任せてくれたのに、私が彼女に不義理を働いても許されるのだろうか?

 ……ダメだ。

 私は悪役令嬢だけど、その魂までも悪に染まるつもりはない。


「あの……実は、そのイベント、私が介入してしまったかもしれません」


 叱責も覚悟の上で打ち明ける。

 だけど、紫月お姉様の反応は私の予想と違っていた。


「ええ、知っているわよ」

「……はい?」

「虐められているところに遭遇してしまったのでしょう? 不幸な事故だけど、その後の対応はギリギリ及第点ね。……わたくしに隠さず報告したことも含めて」


 ゾクリと寒気がした。

 


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