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エピソード 2ー2

「澪お嬢様、お加減はいかがですか?」


 ぼんやりと目を開くと、ベッドの天蓋が視界に広がる。その直後に降って下りた声に視線を向けると、ベッドの横に置かれた椅子にシャノンが座っていた。


「あれ、どうしてシャノンがここに? と言うかここは……私、どうしたんだっけ?」

「澪お嬢様は、恭介様の素性を知って意識を失われたのです」

「恭介さんの素性……あ、そうだ!」


 色々と思い出して飛び起きる。周囲を見回すが、恭介さんはもちろん、紫月さんの姿もない。どうやら私は、寝室のベッドで寝かされていたらしい。


「うぅ……あれから、どうなったの?」

「ご心配なく。特に問題にはなっていません」

「そっか……」


 安堵しつつ、自分のやらかしたことを思い返して深く反省する。

 紫月さんが侮辱されたと思って腹を立てた。でも、あの後のやりとりを考えると、恭介さんは紫月さんを心配して、その要因である私を排除しようとしていただけだ。

 私の軽はずみな行動が自体を複雑化して、紫月さんに迷惑を掛けるところだった。


「シャノン、お願いがあるんだけど」

「……なんでしょう?」

「これ以上、私が紫月さんに迷惑を掛けないように、色々と教えてくれないかな?」


 紫月さんに迷惑を掛けたのは、私が未熟だったからだ。そして自分の未熟さを自覚したとき、次にどうしたらいいかはバイトを通じて楓さんに教えてもらった。


 分からないことは分からないと打ち明け、次は迷惑を掛けないように必要なことを学ぶ。だから、色々と教えて欲しいとお願いする。

 そんな私をまえに、シャノンは目を見張った。


「……なるほど、未熟ではあっても、愚かではない……ですか。紫月お嬢様からの課題をどう伝えるべきか考えていたのですが、迷う必要はなかったですね」

「紫月さんからの課題?」

「まずはこちらへお越しください」


 シャノンがローテーブルのまえにあるソファを指し示す。私はベッドから足を下ろし、そこに置かれていたスリッパを履いてソファに腰掛けた。

 シャノンはそんな私の前、テーブルの上にスマフォを置いた。


「わぁ、先日発売されたばかりの最新機種だね。これはシャノンのスマフォ?」

「いいえ、それは澪お嬢様のスマフォです」

「え?」

「澪お嬢様のスマフォです」


 念押しをされた。

 だけど、私はママに買ってもらったスマフォを持っている。


「もしかして、桜坂 澪用のスマフォってこと?」

「そうなります。ただ、既存の回線もそのスマフォに登録してかまいませんよ。着信音を変えておけば、トラブルになることもないでしょう」


 なんと、一台のスマフォに二つの番号を登録できるらしい。それなら、一台のスマフォで、佐藤 澪の回線と、桜坂 澪の回線を使い分けられる。

 庶民的にはお金の無駄だと思うけど、他人を演じる上では必要なことだろう。


「回線の件は後で説明しますので、まずはアプリを開いてください」


 シャノンさんの指示に従って、桜花グループのアイコンをタップする。すると、まるで乙女ゲームのような画面が表示され、そこにデフォルメされたキャラが表示された。


 少しだけ青みを帯びた黒髪に、ほのかに紫色を滲ませた黒い瞳。

 何処かツンツンとした制服姿の女の子だ。


「この子、なんだか私に似てない?」

「それは澪お嬢様ですから」

「え、ほんとに私なの!?」


 ちょっとした冗談で、本当に私だとは思ってもみなかった。


「え、というか、どうして私をデフォルメしたキャラがアプリに?」

「それは、紫月お嬢様の証言を元に桜花グループが開発した、原作乙女ゲームのステータス画面です。横に各項目が表示されているでしょう?」

「えっと……あぁ、これだね」


 シャノンも原作乙女ゲームのことを知っていたんだと驚きつつ、言われたとおりに確認する。そこには、育成系の乙女ゲームなんかでありそうな数値が並んでいた。

 ただし、普通の乙女ゲームと違い、項目がすごく多い。

 体力、魅力、礼儀、道徳、数学、国語、理科、地理、歴史、芸術、外国語、情報……といった感じで並んでいて、体力には走力や持久力といった感じで、更なる詳細が存在した。


 その数値を眺めていると、私はあることに気が付いた。相対的に見て、私の得意科目は数値が高く、不得意科目は数値が低い。


「もしかしてこれ、私の実際の成績が反映されてるの?」

「中学の成績を反映した暫定的な数値ではありますが、それなりに精度の高いデータとなっているはずです」

「……なるほど。じゃあ、魅力が低いのは……?」


 女の子として、そこに追及せずにはいられない。


「魅力の詳細を見てもらえば分かりますが、ファッション関連に興味がなさすぎます。髪も自分で切っているようですし、化粧にも興味を持っていませんね? もちろん、家庭の事情があることは存じておりますが、今後は改善していただきます」


 容姿に無頓着なのが原因だと知って、ちょっと複雑な気持ちになった。元は悪くないと慰められているよりも、容姿に気を使えと叱られている気がしたからだ。


「改善って、具体的には?」


 小首をかしげると、シャノンがちょっと失礼いたしますと私のスマフォを操作した。私の数値に並んで、異なる二つの数値が表示される。


「これは……他の誰かのステータスですか?」

「ご明察です。総合的に高い方が、紫月お嬢様の原作乙女ゲームの記憶から算出した、入学時の悪役令嬢のデータで、もう片方は現在の乃々歌様のデータです」

「これが、現在のデータ……」


 悪役令嬢――つまりは原作乙女ゲームの紫月さんのステータスは、モラル回りを除けば総じて私よりも高い。とくに芸術や外国語回りは抜きん出ている。

 けれど、乃々歌さんの方は私と大差がない数値だ。負けている部分もあるけれど、逆に私が勝っている部分もある。平均すれば、ほとんど同じくらいだろう。


「ヒロインの乃々歌様は、悪役令嬢のステータスを目標にして成長いたします。そして、ハッピーエンドを迎えるには、高ステータスであることが必須なのです」

「それなら、乃々歌さんに勉強を教えた方がよくない?」


 遠回りしなくても――と、私は首を傾げた。


「原作乙女ゲームでは、ステータス差が多いほど補正が掛かるそうです。現実でその影響があるかは分かりませんが、悪役令嬢がライバルである必要はあるそうです」

「……そういうこと」


 越えるべき壁と言うのは、大抵の物語で設定されている。

 噛ませ犬の悪役令嬢に相応しい役割だ。


「という訳ですので、入試までに悪役令嬢のステータスに追いついてください」

「……え? この数値に追いつけって言うの?」

「はい」

「入試までに?」

「そうです」


 私は声にならない悲鳴を上げた。

 学業をおろそかにしたつもりはないけれど、バイトに重きを置いていた私の成績は決して優秀だとは言えない。総合的に見て、真ん中よりも少し下くらいである。


 対して、悪役令嬢のステータスは上の下と言ったところだ。

 それだけなら、まだ可能性は感じられる。だけど、礼儀や魅力、それに芸術の項目の差は絶望的である。これを入試まで――一ヶ月やそこらで埋めるのは不可能だ。


「……諦めるのですか?」


 私の内心を見透かしたかのように、シャノンが私に問い掛けた。

 ……そうだ。雫のためにも、ここで諦めることは出来ない。出来るかどうかは分からないけれど、私に選べるのは前に進むことだけだ。


「……家庭教師くらい、付けてくれるんだよね?」


 覚悟を問われた私は、そっちこそ準備は出来ているのかとやり返す。その瞬間、シャノンは猛禽類のようににやっと笑って見せた。


「当然、すべての分野においてスペシャリストをご用意しています。紫月お嬢様の代わりを果たすのですから、目標達成くらいは楽にしてもらわなければ困りますよ?」

「上等じゃない。この程度の目標、余裕でこなしてみせるから!」


 挑発に乗って啖呵を切った。

 そして私は、そのことを秒で後悔することになる。


「安心いたしました。澪お嬢様にこなしていただかなくてはいけないミッションは他にも多くあるので、これだけで一杯一杯だと言われたらどうしようかと困るところでした」

「……え?」


 売り言葉に買い言葉だっただけで、ステータス的に追いつくだけでも危ない。なのに、これよりさらにミッションがあるなんて、どう考えても無理だ。

 目を見張った私の前で、シャノンが再びアプリを操作する。

 するとアプリにスケジュール表のような物が表示された。


「優先度が高く、早急に澪お嬢様がこなさなくてはいけないスケジュールが書き込まれています。まずはご確認ください」


 言われたとおりに確認すると、三つのミッションが表示されていた。


 一つ目は既に聞かされた内容。期日までにステータスを目標値まで上げろというものだ。

 悪役令嬢を続けていく上でのチェックポイントのようなもので、一学期の中間試験ではこれだけ、期末テストではこれだけといった感じでハードルが上がっていくらしい。

 ただ、それらの数値は暫定的な物で、ヒロインの成長具合によっても変動するとあった。


 そして二つ目は、魅力関連のステータスを上げて、桜花ブランドのイメージキャラクターとして、ファッション誌のモデルを務めろという内容だった。

 どうやら一学期のあいだに、ヒロインがそのファッションを真似て、それに対して悪役令嬢がマウントを取る――というイベントがあるらしい。

 当然だが、そのイベントを発生させるには、私がモデルを務めている必要がある。

 そして最後のミッションにはNEWというマークがついていた。


「この『突発的な試験をクリアして、両親に認められろ』というミッションはなに? 詳細が書かれていないみたいだけど……」

「実は、恭介様が紫月お嬢様のご両親に進言なさったようです。澪お嬢様が桜坂家の養子に相応しいかどうか、ちゃんとたしかめるべきだ、と」

「し、仕事が速い……っ」


 さっそく仕掛けてきた。

 だけど彼は、私が紫月さんの害になると判断すれば、どんな手を使っても排除すると宣言していた。予想より動きが速かっただけで、横やりが入るのは予想できたことだ。


 落ち着いて考えよう。

 私が目指すのは、悪役令嬢になってその役目を果たすことだ。

 必要最低限の礼儀作法や知識を身に付けることも出来ないで、立派な悪役令嬢になれるはずがない。元々目標ステータスを達成する必要もあるのだからやることは変わりない。

 だから、今更慌てても仕方ない。私はただ、目標に向かって突っ走るだけだ――と、そこまで考えたとき、どうして恭介さんがそこまで心配するんだろうと気になった。


「……そういえば、紫月さんは恭介さんと仲がいいの?」

「紫月お嬢様が仰るには、乙女ゲームの攻略対象だそうで、敵対しているそうです。なので、いまは仲がよく見えても、決して油断は出来ないと仰っていました」

「……敵対?」


 私の抱いているイメージと逆なことに驚く。


「原作乙女ゲームがそうなので、お嬢様は警戒していらっしゃいます。ですが、人間関係が原作通りになるとは限らないのではないか――と、私は考えています」


 言われてさきほどのやりとりを思い出す。

 恭介さんが怒ったのは紫月さんのためだと思う。恭介さんが紫月さんを敵だと思っているのなら、敵に塩を贈るような真似はしないだろう。


「ありがとう、とても参考になったよ」

「それはようございました。それでは、勉強をがんばってください。貴女が紫月お嬢様のご期待に応えられることを、私は心から願っております」



 その日から、私は死に物狂いで勉強を始めた。

 条件達成までの期限は入試の当日――つまりは残り一ヶ月と少し。それまでに、ごく一般的な庶民である私が、幼少期から英才教育を受けている者達と肩を並べる必要がある。


 正直、無理だと思った。

 でも、出来るかどうかじゃなくて、やらなくちゃいけない。私は自主的に冬休みを延長し、紫月さんに付けてもらった家庭教師から集中的に学ぶことにした。


 朝起きたらまずは体力作り。悪役令嬢には体力も必要で、そもそもプロポーションを維持するには運動が必要と言うことで、トレーナーに従って運動をする。

 それからシャワーを浴びて朝食。

 それが終わったら、各分野を担当する家庭教師の先生から授業を受ける。


 バイトに力を入れていた私は、決して優秀な成績ではない。それでも、真面目に授業を受けていたという下地があったおかげか、一般科目は順調に伸びていった。

 他の授業に比べれば――だけど。


 というか、一般教養で物凄く手こずっている。私の考える一般教養と、財閥の娘として求められる一般教養の内容がまったく違っていたからだ。


 たとえば時事問題。

 私が考える時事問題というと、最近締結された協定の名前を答えろとか、その協定による影響を述べよとか、そんな感じの内容だ。


 でも、私が家庭教師の先生から最初に質問されたのは、先月、桜坂重工が開発した新技術についての見解と、その新技術により伸びるであろう分野について答えろ――だった。


 まず、桜坂重工ってなにを作ってるの? ってレベルなのだ。その桜坂重工がどのような新技術を作ったかなんて知るはずもなく、その影響がどの分野に及ぶかなんて見当もつかない。


 芸術関連の教養も似たようなものだ。クラシックの曲に対する解釈や、絵画に込められたメッセージ性の解釈を求められても分からない。

 ピアノを小さい頃に習ったことがあったので、ほんの少しだけ助かった――程度である。


 個人的に予想外だったのは、礼儀作法でも苦しんだことだ。

 バイトをしていた経験があるので、最低限のマナーは教えてもらった。だから、同じ中学三年生としては、礼儀正しい方だと思っていたのだけど、それは本当に甘い考えだった。

 私が学んだマナーと、桜坂家の令嬢に求められる立ち回りはかなり違っていた。


「澪お嬢様。貴女は桜坂財閥のご令嬢として振る舞わなければいけません」

「ごめんなさい!」

「やる気があるのは大変結構ですが、受け答えも淑女らしく振る舞わなくてはいけません。指先が揃っていませんし、動き出しも乱暴ですよ」

「――はい、先生」


 今度は、お淑やかに応じる。それを見た先生はこくりと頷き、「では、次は間違えずに出来ますね?」と圧を掛けてきた。


「はい、必ずご期待に応えて見せます」

「……本当ですか?」


 礼儀作法の先生に疑いの眼差しを向けられた私は「もちろんです」と応じる。その瞬間、先生は悪女のような笑みを浮かべた。


「そこまで断言するなんて、素晴らしい意気込みですね。当然、期待に応えられなかったときの覚悟は出来ているのですよね?」

「……え?」

「まさか、桜坂家のご令嬢ともあろう方が、根拠もなく出来ると言った……なんて、いえ、ごめんなさい。そのような恥ずかしい真似、澪お嬢様はなさいませんよね?」

「そ、それは……」


 私は視線を彷徨わせる。

 その直後、悪女のような顔をしていた先生が真顔に戻る。


「――と、揚げ足を取られかねないので、いまのように不用意な発言はお控えください。澪お嬢様の前向きな姿勢はとても立派ですが、自分の発言には責任が発生することをお忘れなく」

「わ、分かりました」


 こんな感じである。財閥の世界、怖い――というのが私の素直な感想だ。でも、悪役令嬢として君臨するには、身に付けなくてはならないスキルだ。

 私はもう一度お願いしますと、先生に更なる教育を求めた。


 そして夜は、部屋で自主的に復習をする。

 自室のテーブルにノートを広げて連立方程式を解いていると、アプリを通じてスマフォに着信があった。それが雫からの通話要求だと気付き、すぐにハンズフリーで要求に応じる。


「澪お姉ちゃん、いま大丈夫?」

「大丈夫だよ。それより、雫の調子はどう?」


 ノートに計算式を書きながら、雫の話に耳を傾ける。


「うん、体調はいいよ」

「……ほんとに?」


 雫の余命が三年程度であると、私が知っていることは伝えていない。

 理由は簡単。

 雫の余命を知れば、私は絶対に無理をする――と、雫が知っているから。


 私が雫の余命を知っていると言えば、雫はそのことと転院したことに関係あるかと聞いてくるだろう。でも、私から切り出さない限り、雫はやぶ蛇を嫌って話題にしないはずだ。

 そんな私の思惑通り、雫はあれからなにも追及してこない。


「そうだ、澪お姉ちゃん、聞いて聞いて。この病院、マッサージもしてくれるんだよ。部屋のテレビも大きいし、空調もしっかりとしてて、家にいるよりも快適なくらい」

「そっか。雫がリラックスできてるなら私も嬉しいよ」


 転院がストレスになってないと分かって安心する。そうしてノートに計算式を書き込んでいた私は、ふとペン先を止めた。


「雫、お見舞いに行けなくてごめんね?」


 転院以来、私は一度も病室に足を運んでいない。学校帰りに病院によっていたら、バイトに間に合わないというのが建前上の理由だ。


「大丈夫。病院で快適な暮らしをしてるから、澪お姉ちゃんは来なくて平気だよ~だっ」

「もう、雫ったら……」


 私を――顔を出せないことに後ろめたさを覚えている私を気遣っての言葉だろう。でも、寂しくないはずがない。雫にはあと三年ほどしか残されていないのだから。

 本当なら、一日でも多く側にいてあげたい。でも、私がここでがんばれば、雫の残された時間をみんなと同じように延ばすことが出来る。

 いま寂しい思いをさせても、それがきっと雫のためになると信じてる。

 だから――


「もう少し落ち着いたら、ちゃんとお見舞いに行くからね」

「……ん、待ってる」


 少しだけ寂しげな声。私はそれに気付かないフリをして「そろそろ切るわね、おやすみなさい」と通話を切った。続けて両親に電話を掛けて、今日も元気だよって報告をする。

 そして最後は、疲れ切って寝落ちするまでその日の復習を続ける。

 これが、最近の私の日課。



 そんな日々が二週間ほど過ぎた。

 最初のミッション、目標値までステータスを上げる期日である入試まで残り二週間ほどに迫っている。

 そんなある日。


「澪お嬢様、机で寝たら風邪を引いてしまいますよ」


 自室で机に向かってその日の復習をしていたはずの私は、シャノンに肩を揺すられてハッと顔を上げた。どうやら寝落ちしてしまっていたようだ。

 慌ててノートと時計を確認する。


「もうこんな時間っ。起こしてくれてありがとう」


 うっかり眠ってしまったせいで、今日の分の復習がまったく終わってない。慌てて勉強を再開しようとすると、シャノンが溜め息交じりに教科書を閉じた。


「シャノン、なにをするの?」

「そんなに根を詰めても効率が悪くなる一方ですよ」

「それでも、やらないよりはマシでしょう?」


 このままじゃ間に合わないと言うことはなんとなく分かっている。でも、出来るか出来ないかじゃない。私にはやる以外の選択がないのだ。

 そうして教科書を開こうとすると、シャノンが教科書を取り上げてしまった。


「澪お嬢様、紫月お嬢様がお呼びですよ」

「紫月さんが? もしかして帰ってきたの?」

「はい、さきほど帰宅なさいました。お部屋でお待ちですよ」

「分かった、すぐに向かうと伝えて」


 シャノンに伝言を託し、さっと身だしなみを整える。

 紫月さんと顔を合わせるのは、私がこの家に来た日ぶりとなる。私を迎え入れた直後、紫月さんは用事があると言って海外に行ってしまったからだ。


 私に希望を与えてくれた紫月さんには感謝している。でも、だからこそ、彼女から与えられたミッションに手こずっているいまの私は後ろめたさを感じている。


「……って、弱気になってどうするのよ、私。この二週間でしっかり成長してるって、紫月さんに証明しないとでしょ!」


 自分を叱咤して、私は紫月さんの部屋へと向かった。扉の前で深呼吸。丁寧に扉をノックをして、返事を待って部屋に入る。

 紫月さんはソファに腰掛けていた。私はいままでに学んだマナーと照らし合わせ、財界では目上の人から声を掛けられるのを待つのが一般的という法則に従って待機する。


「澪、久しぶりね」

「はい。ご無沙汰しております、紫月さん。その後、おかわりはありませんか?」


 気遣いたっぷりに答える私に、紫月さんは「三点」と辛辣なことを言った。


「……そんなに酷かったですか?」


 悔しさと情けなさ、それに恥ずかしさに耐えかねて、私は俯いて唇を噛む。


「まず、その反応が間違いね。いま程度の揺さぶりで素を晒すようじゃダメよ」

「す、すみません」


 三点と言われた瞬間、勝手に試験が不合格に終わったと思って気を抜いた。どんな状況でも気を抜いたらダメだと教えられていたはずなのに、私のばかばか、しっかりなさいっ!


「申し訳ありません。何処が悪かったのでしょう?」


 気を取り直した私は、背筋をただして問い掛けた。


「まず、その取引先の相手に使うような振る舞いをなんとかしなさい。ここは自宅で、貴女はわたくしの妹なのよ? あのときのように、わたくしのことは姉と呼びなさい」

「分かりました、紫月お姉様」

「あら、紫月お姉ちゃんでもかまわないのよ?」

「いえ、さすがにそれは恐れ多いです」

「……まあいいけど」


 あんまりよくなさそうな顔で言われた。もしかして、紫月お姉ちゃんって呼ばれたかったのかな? ……いや、さすがに、桜坂財閥のお嬢様がそんなことは思わないよね。


「それじゃ次。どうしてそんなにぎこちないのよ?」

「申し訳……いえ、ごめんなさい」


 姉と接する妹を意識して、謝り方を変えてみた。紫月お姉様はそれに小さく頷いて「口調を相手に合わすのはあってるけど、謝って欲しい訳じゃないわ」と笑う。


「澪、貴女はバイトでしっかりと接客をしていたでしょ? あのときの所作は綺麗だったじゃない。なのに、いまはどうしてそんなにもぎこちないの?」

「それはだって、あのときはお仕事中だったから……」

「なら、いまも仕事中だと思いなさい」


 紫月お姉様の言葉に私はハッとした。素の自分を変えるのは難しい。でも、接客中に相応の立ち居振る舞いをするのは既に一年ほど続けてきた。

 ウェイトレスのお仕事同様、いまは悪役令嬢のお仕事をしていると思えばいいのだ。


 私は紫月お姉様の振る舞いを思い返し、そこにネット小説で覚えた悪役令嬢のイメージを重ね合わせる。そうして、手の甲で肩口に零れた髪をばっと払った。


「ご機嫌よう、紫月お姉様。二週間ぶりかしら?」


 一瞬の沈黙を挟み、紫月お姉様に爆笑された、酷い。


「……拗ねますよ?」

「ご、ごめんなさい。でも、なんて言うか……ふふっ、すごくはそれっぽかったから、ギャップの差に思わず、ね。……うん、悪くなかったわ……っ」

「……悪くないというならせめて、身を震わすのをやめてください」


 実は馬鹿にしていませんかと、疑惑の目を向ける。


「嘘じゃないわ。ぎこちなさは残るけど、さっきまでよりはよくなっているわ。やっぱり、わたくしが見込んだだけのことはあったわね。――と、まずは掛けなさい」


 向かいのソファを勧められる。私はその言葉に従ってソファに腰を下ろした。

 紫月お姉様は私を見ると、小さな笑みを浮かべた。


「報告は受けているわよ。礼儀作法以外も、色々と苦戦しているみたいね」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていいわ。貴女が未熟なことは知ってるもの。それに、その不足を埋めようと、死に物狂いで努力していることも、その目の下のクマを見れば分かるわ」

「でも、試験に合格できなければ……」


 努力は裏切らない。それはきっと事実だろう。だけどそれは、努力すれば目標を達成できるという意味じゃない。努力したぶんだけ、自分が成長するという意味だ。

 だけど、努力で身につくものがあったとしても、合格できなければ雫は救えない。いまの私にとって、努力したなんて言葉はなんの意味も持たない。


 そして、今日まで一切の手を抜かずに努力を続けた私には分かっている。このまま努力を続けても、絶対にミッションの目標値まで自分の能力を上げることは出来ない、と。


 どうにかしなくちゃいけない。

 それが分かっているのに、いまの私にはその対策が思い付かない。このままじゃ、機会を与えてくれた紫月お姉様にも申し訳が立たないし、なにより雫を救うことが出来ない。

 どうしたらいいの――と、きゅっと目を瞑った。

 そんな私の頬に手のひらが触れた。驚いて目を見開くと、ローテーブルに片手を突いて身を乗り出していた紫月お姉様が、私の頬を撫でていた。


「紫月、お姉様……?」

「追い詰めてごめんなさい。本当は分かってたの。いまの貴女がどれだけがんばっても、この短期間でミッションを達成するのは無茶だって」

「……え? じゃあ、どうして無理な目標を……まさかっ、悪役令嬢の話や雫を救う手段があるって話は嘘だったんですか!? 私をからかったんですか!?」


 反射的に紫月お姉様の手を払いのけた。そうして紫月お姉様を睨みつけると、彼女は席に座り直してゆっくりと首を横に振った。


「落ち着きなさい。悪役令嬢のことは本当よ。それに、妹さんを救う手段があるのも本当。ただ、貴女には知っておいて欲しいことがあったの」

「……知っておいて欲しいこと、ですか?」

「貴女に課したのは乙女ゲームのイベントを元にしたミッションだけど、決してゲームのミッションじゃない、ということを、よ」


 なぜそんな当たり前のことを言われるのか、理解できないと首を傾げた。


「そんなの、言われなくても……」

「分かってる? なら、どうして目標を達成できないと知りながら、その目標を変えようとしなかったの?」

「……目標を、変える?」

「ミッションの期限は入試の当日まで。それは、貴女がヒロインの壁となって立ちはだかるためだけど……ヒロインが貴女のステータスを確認する方法はあるかしら?」

「それは……入試の結果で分かるんじゃありませんか?」

「試験結果の詳細は部外秘よ。もちろん、調べようと思えば調べられるから、出来れば目標点は取ってもらいたいところね。だけど、入試にない項目はどうかしら?」


 言われて目を見張った。


「体育は……入学までで問題ない。魅力関連も……ヒロインに出会うまでは誤魔化しが利きますね。教養は……面接があるから無視は出来ませんか」

「あら、面接なんて、質問内容をリークさせればいいでしょう」

「……は?」


 悪い顔をする紫月お姉様をまえに私は瞬いた。そうして戸惑う私をよそ目に、紫月お姉様はスマフォを取り出し、何処かに電話を掛ける。


「もしもし? 桜坂財閥の紫月ですが、理事長に繋いでくださるかしら?」

「……は、理事長?」


 私が思わず声を零せば、紫月お姉様は私を見て人差し指を唇に当てた。それからほどなくして、スマフォから紫月お姉様に挨拶する声が聞こえてくる。

 ずいぶんと下手に出ている感じだ。


「お久しぶりですね、理事長。今日はそちらの高校に寄付をさせていただきたくて電話を差し上げました。……え? ふふ、残念ですが、私は入学しませんわ」


 え、寄付? と、この時点から嫌な予感が脳裏をよぎっていた。

 そして紫月お姉様は、そんな私の予感を現実の物とする。


「ただ、私の妹がそちらの高校でお世話になる予定なんです。可愛い妹だから、最高の環境で授業を受けられるようにしてあげたくて。……ええ、そうです。それで寄付を」


 紫月お姉様はそこまで口にすると、表情は変えずに声色だけを不安げに変えた。


「ただ、妹は面接が苦手で、それだけが心配なんです。……あら、そうですか? それではお願いいたします。ええ、もちろん、このご恩は忘れませんわ」


 紫月お姉様は通話を切って、「面接の質問内容を送ってくれるって」と微笑んだ。

 その瞬間、


「お、思いっ切り不正じゃないですか――っ!」


 電話中は我慢していた突っ込みが私の口から飛び出した。


「心外ね。電話で言ったとおり、貴女が通う学校の設備を充実させるために寄付をしただけじゃない。それの何処が不正だって言うの?」

「だ、だって、面接の質問例を送ってもらうって……」

「ええ、そうよ。あくまで面接の質問例。過去問とか、何処にでも存在するでしょう? 毎年同じ内容を質問していたら、今年の質問内容と同じかもしれないけど」

「うわぁ……」


 納得しちゃダメな気がする。そんな私の葛藤を見透かしたかのように、紫月お嬢様は「なら、面接の質問例は見ないようにする?」と問い掛けてきた。

 そう問われて気付く。

 これは、雫の命を賭けたミッションだ。ズルイからなんて理由で、妹の命を危険に晒すなんてあり得ない。悪役令嬢になると決めたときから、私の覚悟は決まっていたはずだ。


「すみません、届いたら私に見せてください」

「あら、不正は嫌だったんじゃないの?」

「……不正じゃないんですよね? それに私が未熟な以上、手段を選んではいられません」


 本当なら小細工なんてしたくない。でも、これは私の能力不足が招いたことだ。目的を達成する能力もないのに、紫月お嬢様が差し伸べてくれた手を払いのけるのは愚かなことだ。


「ふふ、覚悟は決まったようね」


 その言葉に息を呑んだ。

 私はいまのいままで、出来るか出来ないかじゃなくて、やるしかないと思っていた。でもそれはつまり、出来ない可能性が高いと自覚していたと言うことに他ならない。


 でも、雫の命が掛かっている以上、失敗は許されない。出来ない可能性が少しでもあるのなら、どんな手段を使っても出来るようにしなければいけなかった。

 そして、ゲームではない現実のこの世界では、いくらでも裏技が使える。

 今回のことで、紫月お姉様はそれを教えてくてた。


「ありがとうございます。更新後の目標は必ず達成してみせます」

「必要なら、試験の問題も取り寄せられるわよ?」


 紫月お嬢様がそう言って小さく笑った。まるで、私のことを試しているかのようだ。少しだけ考えた私は、すぐに「いいえ、その必要はありません」と辞退した。


「あら、覚悟は決まったんじゃなかったの?」


 からかうような口調。

 これが試されているということはすぐに分かった。


「必要なら自らの手を汚す覚悟はあります。でも、更新された目標なら努力でなんとかなります。私が手を汚すのは、自分の力でどうにも出来ないときだけです」

「いい返事ね」


 私の答えに、紫月お姉様は満足気に微笑んだ。


「それじゃ、肝が据わった貴女に次のミッションよ」

「……え?」

「恭介兄さんの提案で、貴女が桜坂家の養女に相応しいかどうか、私の両親が試験をすることになったことを覚えているわね? その試験の日取りが決まったわ」


 忘れていた訳じゃない。両親との面会が入試よりも先にあるだろうことも予想していた。でも、まさかこんなタイミングでそのことを告げられるとは思ってもみなかった。。


 しかも、この目標は変えられない。

 両親から失格の烙印を捺されれば、雫を救うことが出来なくなる。

 そう考えただけでも手の震えが止まらない。


「……ちなみに、認められなかった場合はどうなりますか?」

「少なくとも、悪役令嬢にはなれないわね」


 予想通りの答え。だけど、そう……予想通りの答えだ。今回の一件に対する覚悟は既に出来ていたはずだ。動揺している理由は、このタイミングで言われたことに他ならない。


「紫月お姉様、さてはドSですね?」

「愚問ね。私の正体を忘れたの?」

「そう、でしたね」


 私の目指している悪役令嬢のオリジナルが彼女だ。

 目標は果てしなく高いけれど、私はその頂きにたどり着かなくてはいけない。

 どれだけ不安でも、私は成功し続けるしかない。だから――と、私は震える手でスカートの端を握り締め、紫月お姉様に向かって無理矢理に笑顔を浮かべて見せた。


「必ず、ご両親に認められてみせます」



 私が桜坂家の養子に相応しいかどうか、両親がその目で確かめる。その試験として、桜坂グループが経営するホテルで両親と食事をする、というミッションを与えられた。

 ということで、マナーを学ぼうとした私だけど、そこに現れたシャノンに捕まった。そうして着替えさせられると、そのまま車に放り込まれる。


「……何処へ連れて行くつもり?」

「ヘアサロンとエステ、それに自社ブランドの洋服店です」

「あ、あぁ、そっか。身だしなみもちゃんとしないと、だよね」


 まだ専門的なことは学んでいないけど、高級ホテルのレストランにドレスコードがあることくらいは予想出来る。


「……って、私、そんなにお金、ないんだけど」

「桜坂家のご令嬢がなにを言っているんですか? 先に言っておきますが、お店で値段を気にするような素振りは止めてくださいね」

「うぐっ、気を付けます」

「あと、今日からご両親との会食の日まで、夜更かしは禁止です」

「え!? がんばらないと間に合わないんだけど」

「では、夜更かしをする代わりに、努力で目の下のクマを消してください。それが出来ないのなら、健康的な生活でクマを消して、限られた時間で成績の方をなんとかしてください」

「……わ、分かったよ」


 どんな手を使ってもやるしかないと言うことだ。最悪、メイクアップアーティストを呼んでもらって、クマを隠してもらうという方向でなんとかしよう。


 ――と、そんな感じで、おしゃれカンケイも本格的にテコ入れを始めた。

 オシャレには憧れていたけど、私が思い描いていたのはもっとフワッとオシャレを楽しむことだ。こんな、綺麗になることに命を懸けるような想定はしていない。


 もちろん、テーブルマナーも忘れてはならない。マナーを身に付けるのは実践が一番と言うことで、朝昼晩の食事を使って、徹底的にテーブルマナーを叩き込まれた。

 もちろん、いままで通りに勉強は普段通りに続けつつ、だ。


 こうしていままで以上に忙しく、だけど健康にも全力で気を使った三日が過ぎ、ついに両親との会食の日がやって来た。


「澪お嬢様、髪型はハーフアップでよろしいですか?」


 シャノンを筆頭に、桜坂家のメイド達が私を着飾っている。髪や顔、それにお肌はもちろん、爪の先までエステで磨き上げられた私をブランド品が包み込んでいく。


 純金のチェーンで吊られた肩出しのブラウスは、暖かそうなグリーンに染めたカシミヤで、スカートは同じく暖かい生地を使った、赤のハイウエスト。足元はガーダーで吊ったニーハイのストッキングにブーツという出で立ちだ。


 そのコーディネートを用意したのはシャノンである。ファッションセンスを勉強中の私は丸投げしたんだけど、にもかかわらずお嬢様風のファッションは私の好みど真ん中。

 さすがと言うほかはない。


 私はその上にショールを羽織り、下は編み上げのブーツを履いてリムジンに乗り込んだ。いまの私を見て、中身が庶民の女の子だと見破る者はほとんどいないだろう。

 ……紫月お姉様みたいな、本物のお嬢様には見破られそうな気がするけど。というか。紫月お姉様に見破られるなら、ご両親にも見破られるのでは……?

 あぁぁ、そう考えたら不安になってきた!

 でも、やるしかない!

 絶対認めてもらうんだと意気込んでいると、リムジンが桜坂グループが経営するホテルのまえに到着する。すぐにドアマンがリムジンのドアを空けてくれた。


 冬の寒気がさぁっと吹き抜けた。地面に降り立ち、静かにホテルを見上げる。決して成金趣味じゃない。上品でありながら、高級感のあふれる高層ビルがそびえ立っている。


 いよいよ、桜坂財閥の先代当主の息子夫婦――つまりは私の里親とご対面である。

 ちなみに、二人は先代当主の息子夫婦という肩書き以外にも、お父様はこの桜坂ホテルの会長、そしてお母様は洋服を手掛ける桜ブランドの会長という肩書きを持っている。

 ほんと、なんというか……桁が違う。

 驚きすぎて、どうりでいつも家にいないはずだよと、妙な感心をしてしまったほどだ。


 とにもかくにも、私はドアマンの案内でホテルの中に足を踏み入れる。

 すぐに冬の冷たい空気が閉め出され、湿度の保たれた暖かい空気が肌を包みこむ。いまの一瞬のためだけに身に付けていたショールは脱いで、それをホテルの受付に預けた。

 預かり証はシャノンに手渡し、ベルマンに桜坂家の娘であることを告げた。


「お待ちしておりました、澪お嬢様。どうぞこちらに、最上階でご両親がお待ちです」


 ベルマンがあらかじめ呼んでいたエレベーターに乗り込んだ。正面はガラス張りで、そこから夜の街並みが広がっている。わずかに重力が増し、景色が見る見る小さくなっていく。

 わずか一分足らずで数百メートルを昇り、エレベータは静かに停止する。


 ぎゅっと目を瞑り、ブラウスの胸元に指を添えて深呼吸を一つ。私はエレベータが開くのに合わせて目を開き、滑るように廊下へと踏み出した。


 そうして案内されたのは最上階にあるレストランのVIPルーム。

 約束の十分前だけど、既に夫妻は到着しているという。私はそれを確認した上で部屋の前に立つ。ベルマンがノックをして、中の二人に私の来訪を告げた。


「入るように伝えてくれ」


 中から聞こえるのは、少し若い、けれど厳かな声。ベルマンは「かしこまりました」と応じると、私に「どうぞ、ご両親が中でお待ちです」と頭を下げる。


「ありがとう」


 私はかろうじて微笑んで、内心ではパニックになりそうな心を必死に押さえ込む。


 いまの私は桜坂財閥のご令嬢、悪役令嬢の澪だ。そう言い聞かせて、なんとか自分の平常心を保とうとする。私は意を決して部屋の中へと足を踏み入れた。


 二人は席に座って私を出迎えた。彼らが座る席の向かいに立ち、張り詰めそうなほどの集中力を発揮してカーテシーをおこなう。


「お父様、お母様、お初にお目に掛かります。紫月お姉様のご提案と、お二人のご厚意で養子にして頂くという栄誉に預かりました澪にございます。どうぞお見知りおきを」


 シャノンさんと相談して決めた挨拶だ。だから、挨拶に問題はない。問題があるとすれば、その挨拶を口にする私の立ち居振る舞いだ。

 指の先々まで神経を張り詰めさせて、一分の隙もないように挨拶をする。

 何度も練習した成果をここで発揮する。


 カーテシーは膝を曲げても腰は曲げず、まっすぐに夫妻の姿を視界に収める。

 さすが紫月お姉様のご両親というだけあって、二人とも品がよく、それでいて華やかさも持ち合わせている。そんな二人が顔を見合わせて頷きあい、視線を戻したお父様が口を開いた。


「三十点」

 

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