エピソード4
1
「澪、ずいぶんと好き勝手やっているようだな?」
悪役令嬢としての地位を確立した。ようやくスタートラインに立ったと安堵した直後に恭介さんが現れた。紫月お姉様の従兄にして、桜坂財閥本家の跡取り。
紫月お姉様の害になるなら、私を排除すると公言してはばからない彼が。
絶対に敵に回しちゃダメな人なんだけど……そうだよね。私が悪役令嬢としての地位を確立したら、そりゃこの人が飛んでくるよね。
完全に失念していたよ。
でも、びびっちゃダメだ。紫月お姉様の恩に報いるためにも、雫の命を救うためにも、ここで恭介さんに潰される訳にはいかない。
だから胸を張れ。いまの私は悪役令嬢だ!
「好き勝手とは……なんのことでしょう?」
「俺が知らないと思っているのか? 協調性のない振る舞いをして、周囲の反感を買った。おまえは紫月の評価を大きく下げている。桜坂家の娘に相応しくない」
思った以上にハッキリと言われてしまった。反論をしたいけど、彼に屁理屈は通じない。なにより、彼の言葉が正しいことを誰よりも私が一番理解している。
それでも、なにか言うべきだと無理矢理口を動かした。
「……わたくしを養女にしたのはお姉様の意向です」
「だから俺に口を出す資格はない、と? 次期当主の影響力を舐めているのか? 俺にその程度のことが出来ないと思っているのか?」
やっぱり手強い。というか、この状況が私に不利すぎる。
でも、泣き言は言ってられない。このまま養女でいられなくなったら、私がやってきたことの意味がなくなっちゃう。雫のことが救えなくなっちゃう、だけじゃない。
雫のために多くの人達を傷付けた意味がなくなっちゃう。
そんなのは絶対にダメだ。
私は目的を果たす。そうして、私が傷付けた人達から罰を受けるんだ。
「恭介さん。事情はなんであれ、私は紫月お姉様の意向で養女になりました。そのわたくしをあっさり切り捨てれば、紫月お姉様は周りからどう思われるでしょう?」
「……俺を脅しているつもりか?」
彼の鋭い眼光が私を貫いた。
怖い。桜坂本家の跡取り息子の名前は伊達じゃない。無意識に半歩後ずさって、そのまま逃げ出したい衝動に駆られる。どうして、私がこんな目に遭うんだろうって泣きたくなる。
だけど、それでも――
私はスカートをぎゅっと握り締めて踏みとどまった。
――私は、私が傷付けた人達のためにも、ここで負ける訳にはいかないのよ!
「脅し? いいえ、事実を口にしたまでですわ」
「……ほう? そこで踏みとどまるか」
恭介さんがぽつりと呟く。
私は決死の覚悟で立っているのに、恭介さんはまるで余裕だ。
「澪、一つ教えてやる。たしかにおまえが言う通り、養子縁組を解消すれば紫月の汚点となることもあるだろう。だが、おまえを排除する方法はいくらでもある」
「それ、は……」
様々な悪役令嬢の末路を考えれば、彼の言葉が意味するところは明らかだ。
私を修道院に閉じ込める的なことでもいいし、政略結婚の体で何処かに嫁がせ、そのまま歴史から消し去ることだって出来る。少なくとも、彼にはその力がある。
彼は本気だ。
まずい。本格的にまずい。
私がこの舞台から排除されたらすべてが水の泡だ。
どうしよう? どうすればいい?
「なにやら困っているようだな」
追い詰められた私の耳に、そんな言葉が飛び込んできた。だけど、その声の主を目にした私は混乱する。介入してきたのが、琉煌さんだったからだ。
……どうして、琉煌さんがここに?
今度こそ、私の所業に愛想を尽かしたんじゃなかったの? そんな疑問を抱いて琉煌さんを見つめていると、その視線に気付いた彼は小さく笑った。
「おまえは、いつもそんな顔をしているな」
「……そんな顔って、なんですか?」
「鏡を見てみろ」
彼は素っ気なく言い放ち、私に背を向けた。
いや、違う。
正確には私を背後に庇い、恭介さんの真正面に立ったのだ。
「桜坂の次期当主は優秀だと聞いていたが、ずいぶんと一方的な物の見方をするのだな」
「……一方的だと?」
「ああ、そうだ。たしかに、口さがない連中が好き勝手に言っているのは事実だ。それを防げなかった――というのなら、たしかに澪は未熟だろう。だが、本当にそうかな?」
「なにが、言いたい?」
恭介さんが怪訝な顔をした。私のことは歯牙にも掛けていなかったのに、琉煌さんのことは警戒しているのが分かる。さすが、雪城財閥の次期当主だね。
なんて思っていたら、恭介さんの視線が一瞬だけ私を捕らえた。
「雪城家の次期当主は、ずいぶんと澪にご執心のようだな?」
「面白いからな」
「……面白い?」
こいつが? とでも言いたげな視線を向けられる。
やめて、私は別に面白くないわよ。
そうして憮然とした態度を取っていると、恭介さんは「ふむ。たしかに、噂を耳にしただけで、深く調べはしなかったのは事実だな」と顎に手を当てた。
「澪、なにか理由があるのか?」
もちろん、理由はある。でもそれを口にすることは出来ない。恭介さんしかいない状況なら一考の余地はあったけれど、いまここには琉煌さんもいるから。
とはいえ……と、私は恭介さんを見上げる。
せっかく話を聞く気になってくれているのに、ここで理由なんてないと言ったら元の木阿弥だ。前に進むためには、恭介さんを納得させる必要がある。でも、恭介さんには嘘も方便も通用しない。どんな理屈を並べたって、必ずそれを調べ上げられるだろう。
だとすると、私の事情を話す必要があるのだけれど……と、琉煌さんの背中を盗み見る。
……琉煌さん、まさかこれを想定して介入した訳じゃないわよね?
分からない。
でも、琉煌さんに知られる訳にはいかないのと同じくらい、恭介さんを納得させる必要があるのも事実だ。琉煌さんには手の内を明かさず、恭介さんを納得させなくちゃいけない。
でも、そんな方法がある?
恭介さんは鋭い人だ。でも、琉煌さんも同じくらい鋭い人だ。
共に私よりも迂遠なやりとりに長けている、そんな二人を相手取って、片方にだけ気付くような言い回しをする。そんな方法、そんな方法は……っ。
必死に考えるけれど、そんな都合のいい方法は思い付かない。
どうしたらいい? 琉煌さんに知られたら、私の計画は破綻する。でも恭介さんを説得できなくても、やっぱり私の計画は破綻する。
このままじゃ紫月お姉様の恩に報えない。
雫を、救えない。
……ダメ、そんなのはダメ。
私は雫を救うと誓った。
そのために、悪役令嬢として必要なことを学んできた。
紫月お姉様から学んだことを思い出せ! この世界はゲームじゃない。用意された二択がどっちも使えないのなら、第三の道をひねり出せ!
紫月お姉様から学んだことでしょう!
そうだ。嘘を見抜かれるのなら、私の発言の裏を取られるなら、それを利用しろ。恭介さんと琉煌さんが同じくらいハイスペックなら、その情報量の違いを利用すればいい!
「恭介さん。さきほど、俺に出来ないと思っているのか? と、そうおっしゃいましたね」
なにについて、とは言わずに会話を遡る。
これで、琉煌さんと恭介さんの持つ情報量に差が生まれた。
「あぁ、たしかに言ったが?」
「では、その問いにお答えいたしましょう。たしかに、恭介さんには可能でしょう。ですが、それでは貴方の本当の目的は達せられないでしょう」
恭介さんは私を排除しようとしている。その理由は紫月お姉様を心配しているから。
つまり、私はこう言ったのだ。
私を排除することは簡単だけど、それは紫月お姉様のためにならない、と。
さきほどの会話を知らず、恭介さんの本当の目的も知らない琉煌さんには分からない。
だが、恭介さんには意味が通じたはずだ。
もちろん、意味が通じたからといっても、その内容を信じなければ意味がない。けれど、私が紫月お姉様のためであるとほのめかした以上、彼は必ずそれが真実かたしかめる。
自身が持つその力を遣って、絶対に。
それまで、私が害されることはないだろう。つまり、この場を切り抜けることが出来る。
もちろん、彼を放っておけば、真実にたどり着いてしまうだろう。だけど、それについては紫月お姉様に相談することが出来る。恭介さんは明らかに紫月お姉様を心配しているのだから、味方に引き入れることだって可能なはずだ。
だから大丈夫。そう自分に言い聞かせてまっすぐに恭介さんを見つめる。恭介さんもまた私の真意を探っているようで視線が交差した。
そうして無言で見つめ合っているとほどなく、彼は「いいだろう。今日のところは引いてやる」と、そんな言葉を残して立ち去っていった。
それを見送ると、途端に緊張の糸が切れて足元がおぼつかなくなった。ふらついて手を伸ばすと、琉煌さんが私の身体を抱き留めてくれた。
刹那、その頼もしさに身を任せたい衝動に駆られた。だけど次の瞬間、自分がどういう状況にあるか理解し、慌てて彼の腕を振り払う。
「助けてやったのにご挨拶だな?」
「助けて欲しいといった覚えはありませんが……助けていただいたのは事実ですね。わたくしへの貸し一つとしておいてください」
「いいだろう。そのうち返してもらうとしよう」
高くついた。けど、彼がいなければ恭介さんを退けられなかったかもしれない。そう考えれば、まぁ……借りにしておくのが無難だろう。
だけど――
「どうしてわたくしを助けたのですか?」
「……どうして、とは?」
「わたくしが、救う価値のない悪女だと、いいかげん理解したのでは?」
「おまえ、俺を見くびっているのか?」
指を突き付けられた。
「見くびっているつもりはありませんが……おっしゃる意味が分かりません」
私はここまでずっと悪役を演じてきた。もちろん失敗もしたけれど、今回の私は美優ちゃんを、妹のような存在を蔑ろにした。
妹を大切に想い、美優ちゃんや瑠璃ちゃんを大切にする乃々歌ちゃんに惹かれる。そんな原作ストーリーを持つ彼にとって、いまの私は憎むべき敵のはずだ。
なにより、私はその行動について一切の弁明をしていない。
無実の人が必死に弁明したって、濡れ衣を着せられることがある。一切の弁明をしていない私が、他人に理解されるはずがない。理解されちゃ、ダメなんだよ。
そうして琉煌さんを見上げると、彼は「ついてこい」と不意に踵を返した。
「何処へ?」
「いいからついてこい。さきほどの貸しをさっそく返してもらおう」
「……ええ? いや、さすがにその程度で貸しを返そうとは思いません。その件は後ほどちゃんとお返しします。だから、せめて何処へ行くかは教えてくださいませんか?」
私はぼやきながら後に続く。そうして案内されたのは、特待生だけが使える施設の一つ、小さなパーティールームだった。
だが、今日は使われていないのか、その部屋は真っ暗である。
「……どうして、こんなところに?」
琉煌さんに限って不埒な真似はしないと思うけれど、それでも警戒はする。そうして入り口の前で振り返ろうとした私は、琉煌さんにトンと背中を押された。
たたらを踏んで、部屋の中へと踏み込んでしまう。
「なにを――」
と口にした瞬間、部屋の灯りが一斉に灯った。眩しさに目を細めた私の視界に映ったのは、飾り付けがされたパーティールーム。テーブルの上には色とりどりの料理が並んでいる。
加えて、テーブルの一番奥には16本の蝋燭が立てられたホールケーキ。
「澪さん、誕生日、おめでとうございます」
透明感のある声が響き、パンとクラッカーの音が響いた。紙テープが一杯飛んできて、私は思わずぽかんと口を開けた。そこに、柔らかな物腰でたたずむ六花さんの姿があったから。
「どうして、六花さんが……」
琉煌さんと同様、六花さんも私に愛想を尽かしたはずだった。
実際、体育祭の件から一度も言葉を交わしていない。敵対関係にまでは至っていなかったとしても、誕生日を祝ってもらえるような関係ではなくなっていたはずだ。
「……どういう、つもりですか?」
「どういう? お友達の誕生日を祝うのに理由が必要ですか?」
「なにを、言って……だって、私は……」
乃々歌ちゃんに酷いことを言った。乃々歌ちゃんのために頑張るみんなを馬鹿にした。クラスの嫌われ者のような立ち回りをしている。
そんな私の誕生日を、六花さんや琉煌さんが祝ってくれる理由なんてない。
なのに、六花さんはからかうように言い放った。
「悪役ぶっているのに、ですか?」
「――ちがっ!」
強く否定しようとして、とっさに口を閉じた。
その強い否定こそが、六花さんの言葉を認めているも同然だと気が付いたから。だけど、慌てて口を閉じた行動もまた、六花さんの言葉を肯定するも同然だった。
そうして唇を噛む私を見て、六花さんは小さな笑みを浮かべた。
「澪さんがなんらかの理由で悪女を演じているのは知っています。ですから、ご安心ください。クラスの皆さんに、乃々歌さんに、あなたの真意を伝えるつもりはありませんわ」
「ああ。俺もここだけの話にすると約束しよう」
六花さんと琉煌さんが宣言する。
もはや言葉もない。
私がなんらかの理由で悪役を演じていると確信している。一体どうしてと、視線を巡らせた私は、六花さんの後ろに立つ二人を見つけた。
明日香さんと沙也香さんだ。
中でも、明日香さんはどこか覚悟を秘めた顔で私を見つめている。
「まさか、貴女が?」
「……約束を破って申し訳ありません。どのような罰でも受ける覚悟です。でも、だけど、私のせいで、澪さんが悪者扱いされているのが我慢できなかったんです」
「そう……」
たしかに悪い手じゃない。
私がお題目にあげたのは、クラスメイトに事情を話せば、秋月家のプライドを損なうことになるという内容だった。だから、打ち明ける相手を限定するのは賢いやり方だ。
……私の掲げたお題目が本当だったなら。
どうして、こうなっちゃったんだろう?
私は妹を救うため、悪役令嬢として破滅しなくちゃいけない。それはいますぐじゃないけれど、来たるべきときに破滅するために私は悪女として振る舞った。
最初は善意を見透かされて苦労したけれど、ようやく悪女として認識してもらった。
――はずだった。
それなのに、こんな……いままでの苦労が全部水の泡じゃない!
もちろん、これで失敗という訳じゃない。ここから挽回することは十分に可能だ。でも、これは悪い兆候だ。雫を救うための道が遠のいた。
なのに、なのに――っ!
――私は、どうしてほっとしているの!?
私は、雫のためにすべてを投げ出す覚悟を決めた。だったら、この状況は悲しまなきゃ嘘だ! なのに私は、二人に理解してもらえたことを嬉しいと思ってる!
雫を誰よりも大切に思っているはずなのにっ!
「あの、澪さん。明日香さんを叱らないであげてください。もともと、澪さんがなんらかの理由で悪人ぶっていると教えたのは、わたくしなのですから」
六花さんの声でハッと我に返る。私が気分を害したと思っているのだろう。六花さんの後ろに立つ明日香さんと沙也香さんの顔色が悪い。
だけど、明日香さんを助けると決めたのは私だ。乙女ゲームの原作ストーリーのために必要だと理由を付けて、明日香さんのお見合いを阻止すると決めたのも私だ。
私のためを思い、私に叱られる覚悟で行動してくれた。
そんな彼女を責めるなんて出来るはずがない。
「安心してください。明日香さんを責めるつもりはありません。わたくしのためを思って、六花さん達に事情を話してくれたのでしょう?」
私の言葉に、明日香さんはこくこくと頷いて、その目元に涙を浮かべた。私に叱られるかもと、相当な不安を背負い込んでいたのだろう。
それでも、私のために行動してくれた。
こんなの、叱れるはずないよ。
それに、この状況は、私の弱さが招いたことだ。六花さんや琉煌さんに理解されて嬉しいと思ってしまった私はきっと、心の何処かで甘えていたのだろう。
だけど、それもこれでおしまい。
「貴女がたは勘違いしていますわ」
私は悪役令嬢だ。
自ら破滅して、妹が幸せに生きる未来を掴み取る。
それが私の望み。
だから今度こそ、私は悪に徹しよう。
私は髪を掻き上げ、悪役令嬢らしく笑い声を上げた。
――さぁ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。
2
私の目の前には、六花さんと琉煌さん、そして明日香さんと沙也香さんが立っている。私の誕生日を祝うために集まってくれた面々。悪役を演じる私を理解してくれる優しい人達。
そんな彼女達に向かって、私は高らかに笑った。
「わたくしが悪役を演じている? 笑わせないでくださいませ」
「……澪さん、どうしてそのように悪役ぶるのですか?」
最初に疑問を口にしたのは沙也香さんだった。私は彼女に視線を向け、なにを言っているの? と言いたげに首を傾げてみせた。
「悪役? 違いますわ。わたくしは根っからの悪女よ」
「本当の悪女は、自分で悪女なんて言いません」
「善人が、自分で善人だと言わないように?」
私の問いに沙也香さんが頷いた。
でも私は「本当にそうかしら?」と続ける。
「善人だと主張する善人や、悪人だと主張する悪人がいないと、本当にそう思う? 世の中には、そういった人達がいくらでもいるはずだけれど」
私の発言なんて証拠にならない。そんなふうに沙也香さんを煙に巻く。
今度は、明日香さんが口を開いた。
「実際、澪さんは私達を招いて、騎馬戦の練習をたくさんしたではありませんか! それは、乃々歌さんのためなのでしょう?」
「言ったでしょう。それは桜坂家の娘として、無様を晒さないためだと」
乃々歌ちゃんのためなんて思っていないと切って捨てた。そうして二人を黙らせれば、今度は六花さんが私の前に立ちはだかった。
「……では、乃々歌さんが妹のように思っている女の子のことなど、どうでもいいと?」
「しょせん、他人ではありませんか。この世界に、救いを求める声がどれだけあると?」
その全てを助けることなど出来ない。
なら、私が手を差し伸べるのは自ら大切に思う人間だけだ。そして、乃々歌ちゃんが大切に思う存在なんて、私にとってはなんの価値もない赤の他人だ。
だから、知ったことではないと切って捨てる。
だけど、その言葉に琉煌さんが反応した。
「では、おまえが手を差し伸べるのは、自らの妹、という訳か。おまえは、妹を救うために、紫月となにか取り引きをしたのではないか?」
核心を突かれた。
そこまでたどり着いているなんて、やっぱり琉煌さんは侮れない。だけど、いつかこんな日が来るかもしれないとは覚悟していた。だから、そのときの言い訳も考えてある。
「たしかに、私が養女になったことで、雫は病院を移れました。ですが、わたくしが紫月お姉様にお願いしたのはそれだけですわ」
嘘を吐くときは、真実の中に少しだけ嘘を交ぜる。
もちろん、これで私が悪人だと証明できた訳じゃない。でも、善人だとも証明されることはない。ここから悪人としての道を突き進めば、きっと道が開けるはずだ。
少なくとも、乃々歌ちゃん達には、私の好意がバレていないのだから。
だから――
「沙也香さん、明日香さん。わたくしが貴女達に手を差し伸べたのは、そうして恩を売っておけば、決してわたくしを裏切らない手駒に出来ると思ったからです」
「嘘です、そんなの信じません!」
明日香さんが即座に応じ、沙也香さんがこくこくと頷く。
二人は良い子だね。悪役令嬢の取り巻きだなんて一括りにしてごめんね。私は心の中で謝罪して、だけどそれとは正反対の言葉を口にする。
「そう。いまの貴女達のように、盲目的にわたくしを信じてくれる。期待通りですわよ」
私の言葉に、二人はショックを受けたように息を呑む。
悪役令嬢の取り巻きだから。そんな理由を捨て置いても、二人を側に置きたいといまの私は想ってる。だけど、六花さんや琉煌さんの認識を変えるためならば仕方ない。
私はそうしてすべてを敵に回した。
その直後、にわかにパーティールームの入り口が騒がしくなる。
「こちらは財閥特待生にのみ使用可能な施設となっています。許可のない一般生の方は立ち入れませんが、許可はお持ちでしょうか?」
「持ってないです。でも、私はここにいる人に用があるんです」
「申し訳ありませんが、許可がないのなら入室は許可できません」
外から聞こえてくるのは、施設の管理者と女生徒のやりとりだ。その聞き覚えのある声に、私はどうしようもなく嫌な予感を覚える。
そして――
「の、乃々歌、ダメだって言われてるじゃない、帰ろうよ」
聞き覚えのある声、二人目。彼女は、絶対にいまここで聞きたくない名前を口にした。
……いや、違う。これはチャンスだ。
乃々歌ちゃんとの誤った関係にけりを付ける。
そう覚悟を決めた私は、使用人の一人を呼びつけて、外にいる乃々歌ちゃん達に入室の許可を出した。それからほどなく、乃々歌ちゃんと夏美さんが使用人に案内されてきた。
「乃々歌、ここは財閥特待生にだけ使用が許された部屋なのよ。庶民の貴女に、この部屋は相応しくないわ。だから、さっさと帰りなさい」
「澪さん、ありがとうございます!」
……あれ? おかしいわね。いま私、かなり酷いことを言ったわよね? 覚悟を決めて、誤解する余地のない、冷たい言葉を言い放ったわよね?
なのに、その返事が、ありがとうって……どういうこと??
「乃々歌、私の話を聞いていた?」
「はい! 美優ちゃんの手術が成功したんです!」
「へぇ、よかったわね。わたくしには関係のない話だけど」
というか、ぜんぜん、これっぽっちも、私の話を聞いてないわね。
よくそれで、元気いっぱいに頷けたわね、この子。
「とぼけたってダメですよ! だって、手術を受けるように美優ちゃんを説得してくれたの、澪さんですよね?」
な――っ。と動揺しながらも、なんでもないふうを装う。でも、六花さんや琉煌さん、それに明日香さんや沙也香さんまでもが、興味深そうな顔で私達を見ている。
やめて、私の苦労が無駄になるじゃない!
「なんのことか、まったく分からないんだけど」
カマを掛けたって無駄だと髪を掻き上げた。
「どうして隠すんですか? 美優ちゃんにも、内緒にするように言ったんですよね?」
「――はあっ!?」
ちょ、ちょっと待って。
なんであの子、内緒っていったことを、乃々歌ちゃんに教えちゃってるのよ?
「あ、そういえば美優ちゃんから手紙を預かっています」
私はそれをひったくるように奪い取った。これを手にした時点で、美優ちゃんと私の接点を認めるようなものだけど、それは手紙が存在する時点で今更だ。
一体どうして、美優ちゃんが約束を破ったのか、確認する必要がある。
『澪お姉ちゃんのおかげで私は元気になったよ。それと……ごめんなさい。私の本当の名前は美優なの。だから、美羽との約束はなかったことにしてね。えへへ』
軽いっ! そしてあざとい! 手紙にえへへとか書く人、あんまりいないよ? というか、日本の将来すら左右されかねない秘密が、えへへで暴露されてしまった。
ちゃんと、秘密にしてねって、約束したのになぁ……
「あ、それと、もう一つの秘密はちゃんと秘密にしてるからね、だそうですけど。もう一つの秘密って、どんな秘密ですか?」
もう一つって、私の妹が病気だってことよね。
「貴女が知る必要ないわ」
「むぅ、妬けちゃうなぁ」
「こ、この……わたしが、必死に、なのに……こんな……」
妬けちゃうなぁじゃないのよ、妬けちゃうなぁじゃ!
乃々歌ちゃんが、美優ちゃんを心配する気持ちは痛いほど分かる。それでも、貴女の妹分なんて知ったことじゃないと、私がどんな思いで突き放したと思っているのよ。
なのに、こんな……っ。
「乃々歌、これ以上長居しちゃまずいよ」
「あ、うん。そうだね」
夏美さんに腕を引かれた乃々歌ちゃんが頷いた。
そうして私にもう一度視線を戻した。
「澪さん、あらためて、ありがとうございました。それと……私、ちゃんと分かってます。澪さんが本当はとっても優しい人だって、私、ちゃんと分かってますから」
嬉しい――とは言えない。
私はそっぽを向いて聞こえないフリをした。
「それじゃ、その……ありがとうございました。いつかまた、美優ちゃんに会ってくださいね。あの子、手術が終わってから、澪お姉ちゃんに会いたいって、ずっと言ってるんです」
乃々歌ちゃんはそう言うと、六花さんや琉煌さんに向き直った。
「あの、お騒がせしてすみませんでした」
「いいのよ、面白い話も聞けたし。ねぇ、琉煌?」
「ああ、そうだな。実に有意義な時間だった」
ニヤニヤと聞こえてきそうな感じ。でも、乃々歌ちゃんには意味が分からなかったのだろう。彼女は小首を傾げながらも、「それでは失礼します」と踵を返した。
その後を追って、夏美さんも退出していく。
だけど、部屋から出る瞬間、夏美さんが私の方を向いた。
「……その、澪さん。あのときは、理由も聞かないで責めたりしてごめんなさい。乃々歌の言う通りでした。澪さん、本当は優しいんですね」
そんな言葉を残して立ち去っていく。私は終始無言で、その背中を見送った。
そうして――
「で、なんでしたっけ? 『乃々歌のため? 勘違いですわ』でしたっけ?」
「手術のことなんて知らないとも言っていたな」
六花さんが扇で口元を隠して笑うと、そのセリフの後にニヤニヤした琉煌さんが続く。そうして、沙也香さんと明日香さんも、「やっぱり、澪さんはお優しいです」と口にした。
それに対し、私は返す言葉を持たない。
どうする? どうしたらいいの?
雫を救うためには、乃々歌ちゃんを中心に財閥関係者が団結する必要がある。そしてそのためには、私が悪役令嬢として破滅する必要がある。
だから、罪悪感と闘いながら悪役を演じてきた。
なのに、いまの私はすっかりいい人だ。このままじゃ破滅なんてできない。このまま私が悪事を働いたとしても、いまのようになにか理由があると思われるのがオチだろう。
かといって、実は悪役を演じているだけなんですと暴露するのは論外だ。
どちらも認める訳にはいかない。
たとえ、バレバレなんだとしても、その事実を確定させる訳にはいかない。
だから――
「か、勘違いしないでよね。乃々歌のためなんかじゃないんだから!」
私は全力で逃げ出した。
3
桜坂家のお屋敷。紫月お姉様の部屋にある大きなモニターに録画映像が映し出されている。そしてモニターに映るのはパーティールームで、そこにいる制服姿の女の子は私。
その私が顔を真っ赤にして叫んだ。
『か、勘違いしないでよね。乃々歌のためなんかじゃないんだから!』
その直後、紫月お姉様がリモコンを操作すると、逃げ出す私の静止画像になった。ソファに掛ける紫月お姉様は、その向かいの席に座る私に視線を向けた。
「見事なツンデレね」
「……いっそ、殺してください」
両膝に手をついて俯く。
「私は悪役に徹しきれないダメな子です……」
もはや弁明の余地はない。
というか、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した女の子達はみんな、破滅ルートから逃れようと必死なのに、どうして私はこんなにみんなから信頼されているの?
乙女ゲームの強制力は何処へ行っちゃったのよ。
「澪……正直に言うわ。貴女はトラブル体質というか、なんというか……貴女が頑張っているのは知っているけど、貴女が悪に徹するのは無理よ」
「――待ってください! 私はまだやれます!」
ここで見限られたら雫を救えない。
そう思った私はローテーブルに手をついて立ち上がった。
「落ち着きなさい。貴女を見限ると言ってる訳じゃないわ。ただ、貴女が悪に徹するのが無理だと言っているだけよ」
「それは……どう違うのですか?」
「覚えているでしょう? この世界は乙女ゲームを元にした世界だけど、乙女ゲームの中じゃない。貴女が挑戦しているのは、ゲームみたいに融通の利かないミッションじゃないの」
その言葉は以前にも聞いた。
成績を元となる悪役令嬢の領域にまで向上させろというミッションを受けたときだ。ゲームでは変更不可能でも、現実ではその達成条件を変えることが可能だ、と。
「目的を達成できるなら、過程は重要じゃない、ということですか?」
「そうね。幸いにして、乃々歌はクラスに溶け込みつつある。向上心も持っていて、成績も上がってる。このあいだは、お友達と服を買いに行ったことも確認したわ」
「乙女ゲームのヒロインとして、順調に成長を見せている、ということですね」
たしかに、以前より明るくなったし、所作も綺麗になった。成績も向上しているし、信頼できる友人もいる。乃々歌ちゃんがヒロインとして成長しているのはたしかだ。
でも、それって、つまり……
「悪役令嬢が破滅せずとも、ハッピーエンドを迎える方法はある、ということですか?」
わずかな期待を抱いて問い掛ける。
それに対し、紫月お姉様は透明感のある微笑みを浮かべた。
「それは、誰にとってのハッピーエンドかによるわね。正直、桜坂グループだけが、金融危機を最小限の被害で乗り越えるだけなら簡単よ」
「……紫月お姉様は未来を知っていますものね」
金融危機に合わせて、株を大量に空売りするだけで事足りる。そうすれば、桜坂家は日本のトップに上り詰めることもできるだろう。
数え切れない人々の不幸と引き換えに。
「あるいは、貴女の妹を助けるだけの方法もあるわ。私がその気になれば、治験をおこなっている企業を買収することだって可能だもの」
「でもそれは、紫月お姉様にメリットがないですよね?」
「まぁ……そうね」
紫月お姉様の目的を聞いたことはないけれど、日本全体を救おうとしているのは分かる。雫を助けようとしてくれているのは、あくまで私の仕事に対する報酬だ。
つまり、前者は桜坂家にとってのハッピーエンドで、後者は私にとってのハッピーエンド。他の人々から見れば、バッドエンドとも言える状況。
「なら、みんなで金融危機を乗り越えつつ、雫を救う方法は、他にはないんですか?」
「そんな方法は琉煌のルートしか存在しないわ。……いえ、正確にはあるんでしょうけど、それは琉煌のルートよりももっともっと険しい道になる。もしかしたら、そういう選択をする必要が生まれるかもしれないけれど、いまは考えても仕方がないでしょうね」
「険しい、というと?」
「たとえば、金融危機までに、桜坂家が日本のトップに立って、他の財閥を従えることに成功すれば、桜坂家の主導で金融危機を乗り越えることも可能でしょうね」
「……出来るんですか?」
「私には無理ね」
紫月お姉様に無理なら、他の誰にも出来ないと思う。
「後は……そうね。乃々歌を犠牲にするなら、可能かもしれないわよ」
「それは……」
「選ばないわよね。貴女は」
私は無言で頷いた。私は雫のために色々な人を騙している。雫のためなら、他人を犠牲にすることだって厭わない。私はそれだけの覚悟を持ってここにいる。
だけど、だからこそ、自分の保身で乃々歌ちゃんを犠牲にしたりはしない。私が雫のために誰かを犠牲にするのは、他に方法がなかったときだけだ。
「他の選択が難しいことは分かりました。では、結局は振り出しに戻るのですね」
「そうね。貴女はいままで通りに悪役令嬢を演じなさい」
「いままで通りだと、上手くいかないのでは?」
「いいえ、現状を含めてのいままで通りよ」
現状を含めてという部分に言いようのない不安を覚える。
「待ってください。それはつまり、『わたくしは悪人だと言っているではありませんか』と主張を続け、周囲にツンデレ扱いされる現状を続けろ、と?」
「そう聞こえなかった?」
「うぐぐ……」
言いたいことは分かる。周囲にツンデレ扱いされながらも、自分は悪人だと主張を続け、最後の最後でみんなの認識を覆すような悪事を働いて破滅する。
『騙したのね!』
『あら、わたくしは最初から悪女だと言っていたではありませんか?』
みたいな終わりを迎えればいいのだろう。
それは、たしかに考えた。というか、そういう方針を話し合ったこともある。でも、それはなんと言うか、もうちょっと悪人かどうか曖昧な立ち位置だったはずだ。
なのに――と、横目で大きなモニターに視線を向ける。そこにはいまも、いかにもツンデレですって顔で走り去る私の静止画が映し出されている。
これを……続けろと?
「ものすごく……恥ずかしいです」
羞恥に染まっているであろう顔で訴えかけるが、紫月お姉様は険しい表情だ。
「澪、重要なのはそこじゃないわ。このまま行けば、貴女はツンデレキャラとして、それなりに愛されるでしょう。でも、仲良くなればなるほど、裏切るのが辛くなるのよ?」
「……それでも、最後は裏切らなくてはいけない、と。そういうことですね」
いまですら、みんなを裏切るのは辛いと思っている。先日の一件でも一杯一杯だった。もっと仲良くなったみんなを裏切らなくちゃいけない。それは、想像するだけでも胸が痛くなる。
それでも――
「覚悟は出来ています。私は悪役令嬢として、皆をハッピーエンドに導いてみせます」
たとえ、私が破滅するのだとしても。
そう言って微笑んだ。私の反応を紫月お姉様は予想していたのだろう。彼女はことさら驚くでもなく、ただ私に気遣うような眼差しを向けた。
お読みいただきありがとうございます。面白かった、続きが気になるなど思っていただけましたら、ブックマークや評価を押していただけると嬉しいです。
また、新作2シリーズも連載中です。下にリンクがあるので、よろしくお願いします。