エピソード 1
1
雪城財閥に縁のある者の結婚式。その披露宴がおこなわれる大広間。端が霞んで見えそうなほど広い会場の中でも上位の位置には、琉煌と六花が招待客として参加していた。
新郎新婦と個人的な付き合いはない。だが、財閥の関係者同士でおこなわれるこの結婚は、いわば政略的な意味合いが大きい。雪城財閥が強固な関係で結ばれていると見せつけるためにも、琉煌や六花の参列は不可欠だった。
とはいえ――
「……最近、披露宴が多くありませんか?」
六花が隣の琉煌に向かって問い掛ける。雪城家の人間として、六花は政略結婚の重要性を十分に理解している。その披露宴に、雪城家の要人が参加する必要性も、だ。
ゆえに、六花が愚痴ったのは、参加することが面倒だからではない。
その意図を察した琉煌がすぐに険しい顔で頷いた。
「ああ。どうやら業務提携や新設合併を望む企業が増えているようだな」
それらは決して珍しいことではない。
ただ、前向きな理由もあれば、後ろ向きな理由もある。そして二人が把握する限り、最近のそれらは、どちらかといえば後ろ向きな理由が多い。
その原因について、二人は心当たりがあった。だが、まさかという思いが判断を鈍らせる。そして、ここがその披露宴の会場であることを理由に、どちらともなくその話題を避けた。
ほどなく、シャンパングラスに口を付けた六花が、一息吐いて琉煌に視線を向ける。
「ところで、澪さんについてどう思いますか?」
「……澪か。一言で表すなら‘おもしれー女’だな」
琉煌が悪戯っぽく笑う。
六花はその強調されたアクセントから、すぐに琉煌の意図に気付いた。
「まあ。琉煌が乙女のサブカルチャーに精通しているとは知りませんでしたわ。そのセリフの意味をご存じなのですか?」
いくつかパターンはあるが、イケメン男子が興味を抱いた女性に使う言葉である。
つまり、六花の問い掛けは、イケメンだという自覚がおありで? という意味と、澪さんに興味がおありで? という二重の問いを含んでいるのだが――
「瑠璃がお気に入りのマンガに書いてあった」
――と、琉煌は茶目っ気たっぷりに笑う。
雪城財閥の次期当主にして眉目秀麗で文武両道。彼にとっては自分がイケメンというのは純然たる事実なのだろう。六花がからかったことにすら気付いていない。
六花は小さく苦笑いを浮かべた。
「それで、澪がどうかしたのか? おまえも最近は妙に気にしているようだが」
「それは気になるでしょう。あんな歪な方、滅多にいませんもの」
「たしかに、な。明らかにお人好しなのに、妙に悪人ぶっている。自分を陥れようとしたクラスメイトに仕掛けた罠は見事だったが、その割に乃々歌に対する対応がお粗末だ」
「……たしかに、突き放しているようで、面倒見のいいお姉さんみたいになっていますからね。いえ、口の悪さだけは立派ですが……」
そのセリフだけを聞けば、澪が乃々歌を虐めているように思うかもしれない。
だが、その内容はしごく真っ当なものだし、結果的に乃々歌のためになっている。なにより、悪女のように振る舞いながら、時折乃々歌を気遣うような眼差しを向けている。
「なにか、目的があって悪女のように振る舞っている、ということだろうな」
「琉煌の言う通りですね。彼女がそのような態度をとる相手は乃々歌さんだけです。乃々歌さんになにかあるのではありませんか?」
「ああ。俺もそう思って調べた」
「さすが、抜かりがありませんね」
六花が感心した様子で笑い、ノンアルコールのシャンパンを呷った。そうして周囲に聞き耳を立てている者がいないのを確認し、「それで?」と続きを促した。
「まず、二人が接触したのは入試の日だ。西園寺と東路に絡まれていた乃々歌を、通りかかった澪が助けたらしい」
「あら、あの二人が澪さんを目の敵にしていたのはそれが理由ですのね」
東路と西園寺はお嬢様に分類される。だが、それは庶民から見ればの話だ。財閥関係者だけに絞ってみた場合、二人は庶民に毛が生えた程度の存在でしかない。
それを、彼女達はよく理解していた。一般生に当たる行為は感心できないが、当たる相手を選ぶ程度にはわきまえている。いくら澪が養女だからといって、彼女を侮辱することが桜坂家への敵対行為であると分からない二人ではないのだ。
にもかかわらず、二人は桜坂家の娘に敵愾心を向けた。六花はそれを不思議に思っていたのだが、琉煌の言葉でようやく理解した。
西園寺達は、不測の事態により、最初から澪と敵対してしまっていたのだ。
「一つ疑問は解けましたが、澪さんが乃々歌さんを助ける理由はなんでしょうね。最初の一度っきりなら偶然ということも出来ますが……」
「あいつは、明らかに乃々歌のことを見守っているからな」
澪が聞いたらショックを受けそうなことを、二人はさも当然のように言い放つ。
「澪さんが乃々歌さんを見守る理由……心当たりはあるのですか?」
「一つある。乃々歌は名倉財閥、現理事長の孫娘だ」
「まあ、それでは澪さんと同じような境遇ですわね。では、自分と同じような境遇だから、乃々歌さんを護っている、ということですか?」
「可能性の一つとしてはあると思う」
「ですが、同じ境遇だからというのが、そこまでする理由になるでしょうか?」
「……いや、そうは思えないな。これは俺の予想だが、誰でもよかったのだろう」
琉煌はそう呟いて、スマフォを六花に差し出してくる。そのスマフォを受け取った六花が画面に視線を落とすと、調査資料というファイルが開かれていた。
「これは、紫月さんの資料ですか? たしか、海外留学をすると聞きましたが……」
六花はそう呟いて、さっとその資料の内容に目を通す。まさに才色兼備というに相応しい資料の数々。そしてその最後に書かれている情報に六花は目を見張った。
「まさか、これは本当なのですか?」
そこに示されていたのは、紫月が投資ファンドを裏で操っているという事実。そして、それによって彼女が動かせる資金力について、である。
「……彼女が投資に長けているという噂は聞いたことがありますが、ここに示されている金額は事実なのですか?」
「巧妙に隠されているため、正確な数値は分からない。だが、その予測を下回ることはないだろうというのが分析班の出した結論だ」
「これで、ですか。……とても個人が扱うレベルではありませんね。彼女の目的は下剋上か、独立か、それとも……」
六花は薄ら寒いものを感じつつ、スマフォを琉煌に返す。
「澪を養女として迎えたのは、側近候補だろうと、うちの分析班は見ている」
「血の繋がった側近候補、ですか。では、澪さんが乃々歌さんの件でちぐはぐな行動をとっているのも、紫月さんからの指令、ということでしょうか?」
「澪を鍛えるためである可能性は高いな」
乃々歌のためではなく、澪を鍛えるためだとすれば、ちぐはぐな行動も辻褄があう。
そんな琉煌の推測に、六花はわずかに眉を寄せた。
澪のちぐはぐな行動になんらかの理由があることは分かった。だが、だからといって、悪人ぶるのを楽しんでいるはずがない。お人好しの彼女なら心を痛めていると思ったからだ。
「……彼女が嫌われないように、それとなく気を回すべきですね」
「そうだな。俺も少し気に掛けておこう」
二人は、澪が聞けば「お願いだから止めて!」と叫びそうな気遣いを始めた。
2
乃々歌はごくごく普通の女の子だ。仲のよい両親のあいだに生まれ、笑顔が絶えない温かい家庭で育った。そんな、少しだけ幸せな家庭で生まれ育った女の子だった。
だけど中学生になったある日――
「柊木さん、ちょっと」
授業中に担任の先生が呼びに来て、そのまま職員室へと連れて行かれた。なんだろうと首を傾げる乃々歌の前で、担任の若い女性の先生は黙りこくっている。
授業中であるため、残っている先生の数は極わずかだ。
だが、明らかに重苦しい雰囲気。
やがて――担任の先生が意を決したように口を開く。
「落ち着いて聞いてちょうだい。貴女のお父さんとお母さんが事故で……亡くなったそうよ」
「……え?」
「交通事故だと、聞いているわ」
「嘘、ですよね」
嘘だと言って欲しいと悲痛な声で問い掛ける。乃々歌に対して、担任の先生はそっと視線を逸らした。その瞬間、乃々歌は先生が嘘を吐いていないと理解してしまった。
「そん、な……どう、して……」
朝、二人に行ってらっしゃいと見送られた。朝まで元気だった二人が、もうこの世にいない。そんなことを言われても受け入れることが出来ない。
だからこそ――
「……病院、病院に行かなくっちゃ」
乃々歌は妙に冷静だった。少しうつろな表情で、だけど悲しい現実から目を背けた乃々歌は踵を返す。それを見て、真っ先に我に返ったのは担任の先生だった。
「ま、待ちなさい。先生が送って行くから。というか貴女、何処の病院かも知らないでしょ」
担任の先生が追い掛けてくる。それから言われるがままに先生の車に乗せられ、気付けば病院へと到着していた。そうして案内されたのは――霊安室だった。
「……どうぞ。シーツは捲らないようにお願いします」
案内された部屋に安置される父と母の姿。
身体はシーツで覆われているが、その姿は眠っているようにしか見えない。乃々歌はふらふらとした足取りで二人の元へと歩み寄った。
「……お父さん? ……お母さん?」
問い掛けるも返事はない。
「お父さん、お母さん、死んじゃったなんて嘘だよね? 眠ってるだけなんでしょ? ねぇ、冗談は止めて。じゃないと怒っちゃうよ。だから起きて、起きてよ、お願いだか――っ」
シーツ越しに母の肩を揺り動かそうとした乃々歌は息を呑んだ。
その感触が明らかにおかしかったからだ。
「……おかあ、さん?」
恐る恐るシーツを捲る。その無残な母の姿を目にした乃々歌は息を呑んだ。続けて父のシーツも捲り、いやいやと首を振って後ずさる。
とんと、彼女の肩に背後にいた担任の先生の身体が触れた。
恐る恐る振り返る乃々歌に対し、先生が悲しげに目を伏せる。そうして、これが現実だと理解した乃々歌は、ゆっくりとくずおれて膝を突いた。
乃々歌は、そこから後のことをよく覚えていない。気付いたらお葬式が終わっていて、そして児童養護施設の職員の人に声を掛けられた。
乃々歌はそのまま、児童養護施設で暮らすこととなる。
最初の三日はずっと俯いていた。みんなが敷地の中で遊んでいるときも、乃々歌は隅っこで膝を抱え、他の誰とも喋ろうとしなかった。
児童養護施設にいる子供達もまた、乃々歌のようになにかしらの重い過去を抱えている。だから、乃々歌の心の内を理解し、誰とも喋ろうとしない乃々歌をそうっとしておいた。
だけど、そんな乃々歌を観察する子供がいた。
杉浦 美優。
乃々歌から見て六つ年下、小学生の女の子だ。
彼女は不思議な女の子だった。
遠くから見てるだけなので、乃々歌も最初は気付かなかった。でもいつの間にか近くにいて、数日たったいまでは乃々歌の隣に無言で座っている。
それは、乃々歌が児童養護施設に来てからちょうど一週間が過ぎた日のことだった。ついに無言の圧力に負けた乃々歌は、その子供に視線を向けた。
「……貴女、名前は?」
「美優は美優だよ!」
「そうなんだ。じゃあ――」
「――お姉ちゃんはそこでなにをしているの?」
乃々歌のセリフを遮って、美優がつぶらな瞳で問い掛けてくる。
「……私? さぁ……なんだろう」
乃々歌は力なく笑う。両親を失って以来、乃々歌は生きる意味を見失っていた。いまとなっては、自分がどうしてここにいるのかも説明できないでいる。
「そういう貴女は、どうして私の隣にいるの?」
乃々歌は逆に問い掛けた。明確な答えを期待していた訳ではなく、自分が答えることを避けるための質問だった。だけどそのときの美優は待っていましたとばかりに胸を張った。
「美優はね、お姉ちゃんが話し掛けてくれるのを待ってたんだよっ」
どやぁと聞こえてきそうなくらい得意げな顔。
「……なにそれ?」
「あのね、ここに来る人はみんな心に傷を負ってるの。だから、自分から話し掛けるようになるまでは、そっとしておいてあげなきゃダメって、院長先生が言ってたのっ!」
「そう、なんだ……」
そういえば、院長先生を含め、ここの人達からは必要最低限しか話し掛けられていない――と、乃々歌は今更ながらに気が付いた。
「うん、だから、乃々歌お姉ちゃんから話し掛けられるのを待ってたの!」
たしかに自分から話し掛けてはいない。でも、隣で無言の圧力を掛けてくるのはどうなんだろう――と、乃々歌は苦笑いを浮かべた。
だけどそのおかげで、自分が少しだけ笑えるようになっていることにも気付く。
「……話し掛けられるようになるまで、か」
「お姉ちゃん、どうかした?」
「うぅん、なんでもないよ。それで、美優ちゃんがそこまでして私に話し掛けられるを待っていたのは、なにか話したいことがあるから、なのかな?」
「うん。あのね……」
美優はそう言って立ち上がると、乃々歌の真正面に立った。そうして乃々歌の目をまっすぐに見つめてくる。その瞳には、なにか必死な思いが宿っていた。
「……美優ちゃん?」
「あのね……実は、その、だから……っ。美優のお姉ちゃんになってください!」
「ふえっ?」
予想外すぎて困惑する。
乃々歌に向けて、美優の必死のプレゼンが始まった。小学生の女の子がプレゼン? と思うかもしれないけれど、それはたしかに彼女の想いが詰まったプレゼンだった。
「美優のお姉ちゃんは、美優を庇って死んじゃったの」
いきなりすぎる衝撃の告白。
乃々歌は思わず目を見張って、マジマジと美優を見る。
「……どういうこと?」
「事故に遭ったとき、お姉ちゃんが私を庇ってくれたの」
「それ、は……」
これは乃々歌が後から聞いた話だが、美優の乗っていた車がトラックと衝突したらしい。そして、車に乗っていた美優の一家は揃って亡くなったそうだ。
――姉に抱きしめられていた美優以外は。
このときの乃々歌はそこまでの事実を知らない。だけどそれでも、事故で自分を庇って姉が死んだという美優の言葉には同情した。ただ家族が事故で亡くなったと聞かされた自分よりも、きっと美優の方がショックだったはずだと思ったからだ。
だけど、その彼女の口から、お姉ちゃんになってと言われたことには困惑した。
「……私は、貴女のお姉ちゃんじゃないよ」
美優を庇った姉の代わりになんてなれない。というか、姉が自分を庇って亡くなったのに、また姉が欲しいという発想が怖すぎる。
自分の身代わりになってくれる人を探しているの? と、乃々歌は少し思ったのだ。
でも、それは乃々歌の勘違いだった。
「お姉ちゃんと乃々歌お姉ちゃんが違うのは当たり前だよ」
「……なのに、私にお姉ちゃんになって欲しいの?」
「うん、乃々歌お姉ちゃんとなら、仲良くなれそうだから」
「仲良く?」
なにを求められているのか分からず、乃々歌は聞き返してばかりだ。そんな乃々歌に対し、美優は「仲良くだよ」と両手を広げて微笑んだ。
「美優はいままでひとりぼっちだった。もちろん友達はいるけど……でも、お姉ちゃんはいない。だから、美優は乃々歌お姉ちゃんに、私のお姉ちゃんになって欲しいの」
「……意味が分からないんだけど。それに、なんの意味があるの?」
「寂しくなくなるよ!」
「それは、そうかもしれないけど……」
「――乃々歌お姉ちゃんも!」
美優が続けた言葉に、乃々歌は思わず息を呑んだ。
「……私?」
「うん。美優は、乃々歌お姉ちゃんがいて寂しくなくなる! 乃々歌お姉ちゃんは、美優がいたら寂しくなくなったり……しない?」
「それは、分からない、けど……」
乃々歌が気にしているのは、お父さんとお母さんが死んじゃったのに……ということだ。自分だけが幸せを求めることへの罪悪感とでも言えばいいのだろうか?
乃々歌はそういった感情を抱いていた。
だけど、美優はそんな乃々歌の内心を笑い飛ばす。
「だったら、美優のお姉ちゃんになってよ! そうしたら、美優の代わりに死んじゃったお姉ちゃんも、きっと安心してくれると思うの!」
「……あん、しん?」
「うん、そうだよ。だって、お姉ちゃんは私のために死んじゃったんだもん。私が幸せにならないと、お姉ちゃんの頑張りが無駄になっちゃうでしょ?」
「……それは」
誰かが、美優にそう教え込んだのだろう。でも、乃々歌はその言葉を否定することが出来なかった。自分のお父さんとお母さんもきっと――と、そう思ってしまったから。
「……本当にそう、なのかな?」
問い掛ける乃々歌を、美優がつぶらな瞳で見つめている。
乃々歌はもう一度自問自答して、そしてようやく答えを出した。
「美優ちゃん、私の妹になってくれる?」
「うん、乃々歌お姉ちゃん!」
3
「そうして、乃々歌と美優は本当の姉妹のように仲良くなったのよ」
紫月お姉様の部屋。乃々歌ちゃんの昔話をしてくれたのは、ローテーブルを挟んだ向かいに座る紫月お姉様だ。話を終えた彼女は私を見て目を細めた。
「……って、澪はどうして泣いているのよ? 泣くような話じゃなかったでしょ?」
呆れ口調で言われてしまった。ただ、呆れながらもハンカチを差し出してくれるあたり、紫月お姉様はとても優しい。私はそのハンカチで涙を拭って心の内を言葉にする。
「乃々歌ちゃん、そんなに悲しい過去があったんですね」
「両親が事故で亡くなったことは教えてあったでしょ?」
「それは聞きましたけど……って、あれ? たしか、親戚の家で暮らしていたんじゃありませんでしたっけ?」
「ええ。児童養護施設で一ヶ月ほど暮らした後、親戚が迎えに来たそうよ」
「じゃ、じゃあ……その美優ちゃんとは?」
「もちろん離ればなれね」
「えええええええええぇぇぇえぇえええっ!?」
あんなお話の後、一ヶ月も経たずに離ればなれになったの!? と、私はショックを受けた。
「大丈夫よ。別々暮らすことにはなったけど、その後も手紙でやりとりを続けている。いまも二人は仲良しなのよ」
「大丈夫じゃないですよ! 妹と別々に暮らすことを強要されるなんて、私なら耐えられません! もしそんなことをする人がいたら絶対許しませんよ!」
「……へぇ? ちなみに、澪と雫ちゃんを離ればなれにしたのは私なんだけど、なにか言いたいことがあったりするかしら?」
ジロリと睨まれ、私はうっと呻き声を上げる。
「い、いやですね。雫を助けるために手を差し伸べてくださった紫月お姉様には感謝こそすれ、悪感情なんて抱いていませんよ?」
「……まあ、怨まれて当然のことをしてる自覚はあるけどね」
ぼそりと呟かれた。私は本気で感謝しているけれど、紫月お姉様は罪悪感を抱いているらしい。私は思わずフォローを入れようとするけれど、それより早く紫月お姉様が口を開く。
「とにかく、二人は仲良しよ。でも、美優ちゃんは病気なの」
「――えっ!?」
妹のような存在が病気だなんて他人事じゃない。ローテーブルに手をついて身を乗り出す、そんな私の鼻先に紫月お姉様が指を突き付けた。
「治らないような病気じゃないから安心なさい」
「……そう、なんですか?」
「手術は必要だけど、手術さえすればほぼ間違いなく治る病気よ」
「よかったぁ……」
美優ちゃんが雫と同じ思いをせずに済んでよかった。そして、乃々歌ちゃんが私と同じ思いをせずに済んでよかった。そう安堵してソファに座り直す。
「それにしても、乃々歌ちゃんの妹的存在まで病気だなんて。瑠璃ちゃんも病弱でしたよね」
「あぁ、それは――っ」
紫月お姉様がはっと口を閉ざした。
「……紫月お姉様、それは、なんですか?」
「えっと……その、言ったでしょ。この世界は乙女ゲームを元にした世界だって」
「ええ、それは聞きましたけど、それとさっきの話に、なにか関係があるのですか?」
共通点が思い当たらないと首を傾げた。
「シナリオってね、面白くするためのセオリーがいくつかあるのよ。そのうちの一つに、類似性のある展開を重ねる――っていうのがあるの」
「ええっと、似たようなイベントを繰り返す、ということですか?」
「そう。人は共感できないことに心を動かされたりしない。逆に共感できることなら、人は大きく心を揺さぶられる。さっき、美優ちゃんが病気と聞いて焦った貴方のようにね」
「……ああ、たしかに」
見知らぬ女性が病気と聞かされても驚くことはなかったはずだ。知り合いが病気だと聞いたら驚いたかもしれないけれど、身を乗り出してまでは驚かなかっただろう。
身を乗り出してまで驚いたのは、雫を思う自分と、乃々歌ちゃんを重ねてしまったからだ。
「共感できることに心を動かされるというのは分かりましたが、重ねるって言うのは?」
「それは、どういうものに共感するか、ということよ。実体験が一番だけど、物語の中の出来事でも、読者として体験したことになるでしょう?」
「……つまり、共感値を上げるために、同じような展開を繰り返す、ということですか?」
「そういうことになるわね。もちろん、同じ展開ばかりだと飽きちゃうけど……」
「けど、なんですか?」
首を傾げれば、紫月お姉様はクスッと笑った。
「ゲームでもマンガでも、流行って結構長く続くじゃない? そう考えると、飽きるよりも共感値が上がっていく利点の方が大きいのよね」
「あぁそっか、他の作品でも共感値が上がるんですね」
そういえば、この世界の元となった乙女ゲームもはやりの悪役令嬢が出てくるんだった。
「……あれ? でも、私や雫は乙女ゲームの登場人物じゃありませんよね?」
「――澪、病気の人が、この世界にどれだけいると思っているの?」
雫が病気なのはただの偶然なのかなという疑問は、紫月お姉様の言葉によって掻き消されてしまった。たしかに、病人なんて数え切れないほどいるものね。
「話を戻すわね。美優は手術を受ければ助かる。でも、彼女は手術を受ける勇気を出せないの。だから、乃々歌が美優に手術を受けさせるために奔走する、と言うのが次のシナリオよ」
「手術を受けさせるように奔走する、ですか……私と似ていますね」
「そうね。それで二人は、乃々歌のクラスが体育祭で優勝したら、美優は勇気を出して手術を受けるという約束を交わすのよ」
「つまり、乃々歌ちゃんは、クラスのみんなに協力を求める、ということですよね? でも、乃々歌ちゃんのクラスって、それはつまり……」
私達、財閥特待生が仕切っているクラスだ。
乃々歌ちゃん達一般生は肩身が狭い思いをしている。
「そうね。財閥特待生、特に令嬢達は体育祭を嫌う傾向にあるわね。本番だけ適当にやっておけばいいんじゃないかしら、とか」
「……なんだか、すごく嫌な予感がしてきました」
さきほど紫月お姉様があげたセリフの例、ものすごく言いそうな人――というか、キャラに心当たりがある。言うまでもない、悪役令嬢のことだ。
「安心なさい。体育祭における悪役令嬢はモブみたいなものよ。どうしてわたくしがそんな泥臭いことを……って感じで嫌がるけど、琉煌達に挑発されて乗せられる感じね。だから貴女は、イヤイヤなフリをしつつ、裏で練習すればいいの」
「なるほど!」
真正面から協力できないのは残念だけど、美優ちゃんのためにがんばる乃々歌ちゃんの邪魔をするよりはずっといい。
私の演じる悪役令嬢が、思ったよりも鬼畜キャラじゃなくて少しだけ安心した。この分なら大丈夫そうだ――と、このときの私は思っていた。
後から考えれば、思惑通りに進んだことなんて、一度もなかったんだけどね。
財閥御用達の病院、雫が入院している部屋の前で深呼吸をする。私は扉に向かって小さく頷き、次の瞬間には満面の笑みを浮かべる。
「雫、久しぶりだね!」
ばーんと扉を開けた私は数秒沈黙して……そっと扉を閉めた。
いや、その……雫が着替え中だったのだ。
……ち、違うよ? いつもはちゃんとノックするんだよ? でも、ほら、私がやっていることを考えると色々と後ろめたくて、いつも通り振る舞おうとしたらノックを忘れたのだ。
失敗したぁ……と項垂れていると、扉が開かれた。
「……澪お姉ちゃん、なにをやってるの?」
「え、あ、その……ごめん」
「びっくりしたけど、気にしないよ。それより、お見舞いに来てくれたんだよね? 取り敢えず入ってよ。というか、今日はゆっくり出来るの?」
「うん。今日は珍しく時間が取れそうだったの」
雫が部屋に戻ってベッドの上に腰掛ける。私はそれに続いて病室に入り、そのまま奥にあるキッチンに向かい、お見舞い品として持って来たリンゴを剥く。
ちなみに、最初の頃は病室にキッチンがあることに驚いたけど、さすがにもう慣れた。
「――澪お姉ちゃん、今日は珍しくって言ったけど、最近は忙しいの?」
「え? あ、うん……その、バイトとかね?」
「バイトって、あのモデルの?」
「そ、そうそう。紫月――さんに、紹介してもらったんだよ」
危うくお姉様と言いそうになって誤魔化した。というか、紹介してもらった本当のバイトは悪役令嬢のお仕事なんだけどね――とか、絶対に言えない。
うぅ、雫に対する隠し事が増えていくよ。
私はそんなことを考えながら剥いたリンゴをお皿に盛り付けて部屋に戻った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
雫はフォークに刺したリンゴをほおばって、幸せそうな微笑みを浮かべた。
前より……少し元気になったかな? うぅん、雫は演技が上手だから油断は出来ないけど、少なくともいまは病気が治るかもって希望を持っているはずだ。
……私が絶対、助けてあげるからね。
「急に拳を握り締めたりして、どうしたの?」
「え、あ、なんでもないよ!」
誤魔化すけれど、いぶかしげに見られてしまった。
気を付けないと。
「まぁいいけど。それで、そのバイトは紫月さんに紹介してもらったの?」
「うん、服のブランドが桜坂関係だからね」
「そうなんだ? でもあのカメラマン、実力でいまの地位を勝ち取った若き天才カメラマンなんでしょ? コネとか絶対に認めないって聞いたよ」
「……な、なんで雫がそんなことを知ってるの?」
「だって、お姉ちゃんのことだから」
そう言ってそっぽを向いた。妹の横顔には、お姉ちゃんが心配だからと書いてある。あぁもう、可愛いなぁ雫は! とその小さな身体に抱きついた。
「わ、ちょっと、お姉ちゃん!?」
「ふふ、お姉ちゃんだよ~」
「ちょっと、お姉ちゃん、くっつきすぎだから!」
雫に両手で突き放される。
それでも、雫が笑ってくれるのが嬉しい。
「――こほっ! ……ごほっ」
「雫、大丈夫!?」
「だ、大丈夫、ちょっと咽せただけだから」
雫はそう言って笑うけれど、その笑顔には誤魔化しが交じっている。
「やっぱりしんどいんじゃないの?」
「……大丈夫、本当に大丈夫だから」
大丈夫だと繰り返す雫は、だけど平気だとは言わない。
雫は私に心配を掛けまいとしている。それに気付いた私は胸が苦しくなって、「そっか、もし苦しかったらちゃんと言うんだよ?」と気付かないフリをする。
そうして胸を押さえていたら、雫が困った顔で笑った。
「もう、お姉ちゃんは心配性だなぁ。本当に大丈夫。……うぅん、平気だから」
「でも――」
「平気だよ。いまは、まだ」
「しず、く……」
「ちゃんと、本当に苦しくなったら言うよ。でも、お姉ちゃんが私のためにがんばってくれてるって知って、私だけ甘えてなんていられないよ」
「私は、別に……」
「気付かないと、思ってるの?」
静かに問い掛けられて、私は口を閉ざした。
私が無茶をしているって、雫は気付いてるだろう。でも、私が養女になって、悪役令嬢として破滅しようとしている――とは絶対に気付いていない。
だから、沈黙が正解のはず、なんだけど……
「……そういえば、前も否定しなかったよね? いつも誤魔化そうとするのに……怪しい。もしかして、私が思ってるより大変だったりする?」
黙りこくる私を見て、雫があれこれ推測してしまう。この子、日に日に鋭くなっていく。どうやって誤魔化そうかと視線を泳がせているとスマフォに通知が入った。
「雫、ごめん、ちょっと出てくるわね」
雫に断りを入れ、通知の内容を確認しようと廊下に出る。休憩所へ向かおうとしたところで二人組に出くわした私は息を呑んだ。
その二人組が、私のパパとママだったからだ。
「澪――っ」
「パパ、ママ!」
私は二人に抱きついた。
「み、澪、こんなところで、大丈夫なの?」
「うん。もう大丈夫だよ」
私は桜坂家の養女となったとき、佐藤の家の生まれであることを隠すように言われた。でもそれは、戸籍を改竄したと周囲に思わせるための罠。私が佐藤家の生まれであることを明かしたいま、二人の娘であることを隠す理由はない。
そのことをざっと説明すると、二人は私のことをぎゅっと抱き返してくれた。
「パパ、ママ、こうして会うのは久しぶりだね」
「……そうだな。澪は少し見ないあいだに大きくなったか?」
「やだ、パパったら。そこまで久しぶりじゃないよ」
「そうだったか? ずいぶんと久しぶりに会った気がするよ。それで、元気にしていたか?」
「うん。パパも元気そうだね。……ママは?」
私はママへと視線を向ける。
ママは口元を手で覆い、いまにも泣きそうな顔をしていた。私が頬ずりすれば、ママはビクッと身を震わせ、それからそっと抱き返してくれた。
「澪、元気にして……いるのよね?」
「電話でも言ったでしょ? 私は元気だよ」
「……そう。よかった。本当に、よかった……」
私を抱きしめるママの手がわずかに震えている。もしかして、養女とは名ばかりで、酷い目に遭わされてる……とか思ってたのかな?
「心配掛けてごめんね。でも、私は本当に大丈夫だから」
背中をぽんぽんと叩けば、ママは一呼吸置いて私から身を離した。
「……しばらく見ないあいだに大きくなったのね」
「それ、さっきパパにも言われたよ?」
「身体じゃなくて、心の話よ。……ところで、澪は帰るところなの?」
「うぅん、メールの確認に――あっ、ちょっと確認してくるね。その後、ゆっくり話そ?」
「分かった。じゃあ、私達は先に雫のところに行ってるわね」
「うん。それじゃ後で」
ママとパパに手を振って見送り、私はスマフォを取りだした。通知は、都合のいいときに電話をして欲しいというシャノンからのショートメッセージだった。
私はすぐにアドレス帳からシャノンの携帯に掛ける。
「シャノン、メッセージを見たけど、なにかあった?」
「はい。学園のことで、気になる報告が入りまして」
学園には桜坂家の息の掛かった者が何人もいる。
今回は、そのうちの一人から報告が上がったようだ。
「それをわざわざ電話で伝えるということは、緊急性が高そうな情報なの?」
「いえ、そういう訳ではありません。ただ、澪お嬢様は巻き込まれ体質なので、早めに伝えておかないと、取り返しのつかないことになるのでは、と」
「……否定できないわね」
決して私が悪い訳ではなく、不慮の事故であるとは思うんだけど、バイト先では琉煌さんと、受験会場では乃々歌ちゃんと――といった感じでやらかしている。
念のために、注意事項を聞いておくのは重要だと思う。
……ほんとに。
「それで、報告というのは?」
「はい。東路さんと西園寺さんの二人ですが――」
4
社長令嬢というのが、庶民から見た東路 明日香に対する認識だ。普通の小学校に通っていた明日香は、周囲からそれなりにちやほやされる人気者だった。
だけど、明日香は中等部から財閥特待生として、蒼生学園に通うこととなった。理由は至って簡単で、政略結婚をするためには蒼生学園に通っていたほうが有利だから。
ただそれだけである。
明日香は、そこそこな財閥に属する、これまたそこそこな会社の社長令嬢だ。会社は弟が継ぐ予定だったので、明日香はそれなりのお嬢様として普通の暮らしをするはずだった。
だけど会社の経営が苦しくなって、このままでは会社が潰れるか、経営権が奪われるという危機に晒され、それを阻止するための打開策が必要とされた。
その打開策こそ、明日香が政略結婚をすることである。
この世界では、そこまで珍しい話ではない。
けれど問題なのは、それによって明日香の生活が大きく変わった、という事実だ。庶民から見れば雲の上の存在だった彼女も、雲の上では末席の令嬢に過ぎなかったからだ。
そうして、彼女は現実のギャップに悩むことになる。
決して、最初からわがままだった訳ではない。けれど、いままでの彼女にとって、自分の意見が優先されるのは当たり前のことだった。
それが、そうじゃない世界に放り込まれた。しかも、いつか望まぬ結婚をするために、である。彼女が一般生に当たるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
ちなみに、西園寺 沙也香も似たような境遇だ。明日香がそこそこな会社の社長令嬢であるのに対し、沙也香は比較的大きな会社の専務の娘だ。
二人は自分達が似たような境遇であることに気付き、身を護るために友人となった。そうして、自分達の存在価値を示すために庶民の一般生に辛く当たる。
そんな三年間を過ごし、高等部へと進級することになる。
二人が乃々歌と出会ったのはそんなときだった。
蒼生学園はエスカレーター式の学校だが、便宜上の進級試験は存在する。その試験が外部生が高校に入学するための編入試験と同時におこなわれるため、乃々歌と出くわしたのだ。
実のところ、一般生に突っ掛かる予定ではなかった。もともとは、財閥特待生である彼女達に警戒心を抱いていない一般生を味方に引き入れるための下見だったのだ。
だが結果として二人は乃々歌に詰め寄り――それを澪に目撃された。
日本三大財閥の第三位、桜坂家のご令嬢。彼女を敵に回したことは、二人にとって最大の失敗だった。なにより不運なのは、澪が一般生を庇うような性格だったことだ。
自分より立場が弱い人間を護る気質。彼女に味方すれば、自分達を護ってもらう未来もあったはずだ。なのに彼女達はその道を自ら閉ざしてしまった。
だから、二人は澪に対抗し得る存在である六花に頭を下げた。厳密にいえば、六花の取り巻きの一人に頭を下げて、六花のグループに入れてもらった――というのが正確なところだ。
だから、六花のグループにおける二人の立場は非常に弱かった。
そもそも、六花の友達として認められていない。
そんな状態で、六花と澪が距離を詰め始めた。もしもこのまま二人が仲良くなり、自分達のしたことを暴露されたら――そう考えると、放っておくことは出来なかった。
このままでは、日本三大財閥の序列一位と三位を敵に回すことになる。それはすなわち身の破滅だ。個人ではなく、両親にも大きな迷惑を掛けることになるだろう。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
幸いにも、二人は六花からチャンスを与えられた。友達たる価値を示せ――と。だから沙也香は明日香と協力し、澪の弱点を調査した。
そうして手にしたのが、桜坂家の血を引いているという触れ込みで入学してきた澪が、実はなんの関係もない庶民の生まれに過ぎないという情報だった。
その情報をどう使うか、迷わなかったと言えば嘘になる。
桜坂家との和解に使う――という手もあったはずだ。実際のところ、沙也香は丸く収める方向の案も出していた。けれど、明日香は澪に嫉妬してしまった。
庶民の生まれなのに、桜坂家の養子になっただけで偉そうな澪が許せなかったのだ。
だから、明日香は賭けに出た。
澪は財閥の縁者に見せているだけの庶民の娘だった。であるならば、澪を陥れても桜坂家は動かない可能性が高い、という算段を立てた。
その上で、養子の件で澪を陥れ、その功績で六花に認めてもらう。そうして大きな影響力を手に入れることで、学園生活を有利にしようと考えたのだ。
冷静に考えれば、穴だらけの計画だ。けれど、明日香はまだ高校一年生になったばかりの未熟な娘だ。彼女はそれが成功すると信じて疑わず――そして盛大に失敗した。
結果として、明日香達の行動が、澪の実力を証明することとなった。戸籍の改竄こそが罠で、明日香達はその罠に見事にはまってしまったのだ。
こうして、財界における澪の評価が大きく上がることとなる。そしてそれと反比例するように、明日香達の評価は下がってしまった。
後ろ盾もなく、実力もない。
そんな二人が、他の財閥特待生のストレス発散のはけ口に選ばれるのは必然だった。
最初は些細な嫌がらせだった。
たとえばグループで除け者にされるとか、回ってくるはずの連絡が回ってこないとか、あるいは廊下で歩いていたらぶつかられるとか、意味もなくクスクス笑われるとか。
最初は気のせいだと思っていた二人も、やがて嫌がらせを受けているのだと気付く。
だけど、彼女達にそれを止める術はなかった。
というか、一般生を虐げていた彼女達自身が一番理解していた。自分達より立場が弱い人間は、決して目上の人間に逆らうことなんて出来るはずがない――と。
先生に訴えようにも、彼女達は人を陥れようとして停学処分に処されたばかりだ。ここで訴えたとしても、また誰かを陥れようとしていると思われるだけだろう。
だから、二人は虐めに耐え忍ぶことを選択する。
結果、嫌がらせをしていた娘達は増長することになった。
なにをしても反撃してこない相手。しかも周囲の者達も止めようとしない。それどころか、桜坂の代わりに正義の鉄槌を下しているという名分がある。
そうして嫌がらせは苛烈さを増す。そんなある日にそれは起こった。隣のクラスの令嬢達が自分達の机に悪戯をしている。その現場を目撃してしまったのだ。
令嬢達は想定外の事態に動揺する。だが、目撃者が虐めの対象である二人だと気付いた瞬間、彼女達はその身に抱いていた怯えを怒りへと変換させた。
「……これはこれは。誰かと思えば、沙也香さんと明日香さんじゃありませんこと。まさか現場を押さえようとするなんて、身の程をわきまえていらっしゃらないのかしら」
高圧的に詰め寄ってきたのは浦間 椎名。軽くウェーブが掛かった金髪ツインテールが特徴的なお嬢様で、桜坂グループの傘下に属する会社の社長令嬢だ。
といっても、末端も末端。以前ならば、椎名がこのように高圧的な態度をとれば、沙也香や明日香は即座に反発していただろう。
だが、いまの沙也香と明日香は立場をなくしており……ゆえに、悔しげに唇を噛んだ。
実際のところ、椎名も不安だったのだ。これでことが大きくなれば、自分も沙也香と明日香のようになるかもしれない――と、今更ながらに気が付いたから。
高圧的な態度をとったのは、その不安の裏返しだ。自分が引き連れている取り巻き達がいる手前、弱気な態度を見せることは出来ない――と。
結果として、二人は唇を噛むだけで言い返してすら来ない。
だから、椎名は少しだけ余裕を取り戻した。
「ようやく身の程を理解したようですわね。そもそも、貴方達のことは以前から気に入りませんでしたの。たいした家柄でもないのに、庶民の者達に威張り散らしたりして」
「それ、は……」
沙也香は唇を噛み、明日香は下を向く。
一般生達は財閥特待生の特権に対するやっかみがあり、そういうマイナスの感情を財閥特待生の中では立場の弱い者に向ける傾向がある。
二人が一般生に強く当たるのは自衛の意味もある――という背景が前提にあるのだけれど。それでも、沙也香達が一般生を敵視していたことに変わりはない。
たしかに虐めは犯罪だ。
だけどこれが虐めの現場だと言うのなら、沙也香達がおこなってきたこともまた虐めでしかなく、自分達がおこなった報いを受けているだけだとも言える。
あの頃にはなかった罪の自覚が、いまの二人にはある。だから――と、沈黙する沙也香は、不意に椎名に突き飛ばされた。慌てて支えようとしてくれた明日香もろとも尻餅をつく。
「これに懲りたら、桜坂に逆らおうなんて二度と思わないことね」
椎名が得意げに言い放ち、彼女の取り巻き達が笑い声を上げる。
だが、このまま沈黙していればやり過ごせるはずだ。
そう思ったそのとき――
「ずいぶんと楽しそうね」
沙也香達が破滅する原因となった娘、桜坂 澪が教室に姿を現した。
5
シャノンから電話越しに告げられたのは、沙也香さんと明日香さんの二人がイジメの標的にされている、という情報だった。
沙也香さんと明日香さんというのは、私が桜坂家の血を引いているように戸籍を改竄したという偽の情報に踊らされ、私を陥れようとして罰を受けた二人のことだ。
奉仕活動三日間という内容で、決して重い罰を受けた訳ではない。けれど、桜坂家の娘に喧嘩を売って、見事に返り討ちに遭った二人は立場をなくした。
正直、自業自得だと言えばそれまでだ。
だけど、ここは乙女ゲームを元にした世界。そして、その乙女ゲームのシナリオにおいて、悪役令嬢の取り巻きが虐められるなんて展開はない。
放っておけば、原作のストーリーを歪める原因になるだろう。紫月お姉様と話し合った結果、私はそのイジメに介入することにした。
だから、ある日の放課後。
再びシャノンから連絡を受けた私はタイミングを見計らい、自分の教室へと足を運ぶ。そこには、沙也香さんと明日香さんを突き飛ばして笑う令嬢達の姿があった。
髪を掻き上げるルーティーンで、気持ちを一気に切り替える。
――さぁ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。
「ずいぶんと楽しそうね」
クスクスと笑い、教室という舞台へと上がる。
「み、澪様!? どうしてここに……」
驚きの声を上げたのは浦間 椎名。桜坂グループの関係者ではあるけれど、乙女ゲームには登場しない娘だ。私はそんな彼女に、感情を隠した笑みを向ける。
「不思議なことを聞くのね。わたくしが自分のクラスに顔を出すことになんの問題があるというの? ねぇ……隣のクラスの椎名さん?」
ここに居るのがおかしいのは貴女ではなくて? と、遠回しに問い掛けた。それに気付いたのか、彼女の顔がわずかに青ざめる。
「い、いえ、決して、そういう訳では……」
「あら、そう? わたくしはてっきり、貴女がイジメの現場を見られて焦っているのかと思ったのだけど、違うのなら安心したわ」
「そ、そんなことは……」
私に見つめられた椎名さんは視線を泳がせた。
……そう。表情に出る出ない以前に、嘘を吐くことすら出来ないのね。その程度で悪役令嬢を目指そうなんて無謀もいいところだ。
「椎名さん、貴女さっきこう言ったわよね。桜坂に逆らうなって」
「そ、それは、その……」
言葉を濁す彼女に詰め寄り、私は言い含めるように言葉を紡ぐ。
「いい? よく聞きなさい。わたくしはたしかにその二人を返り討ちにしたけれど、それ以上手を出すつもりはないの。だから――」
椎名さんの顎に指を添えて、その瞳を覗き込む。
「貴女がこの二人を敵に回すのは勝手だけど、それを桜坂家の総意であるように語るのは止めてくれるかしら? 正直、不愉快だわ」
「も、申し訳ありません……っ」
椎名さんは私の手を振り払うことも出来ず、震えた声で謝罪のことばを口にした。
「……それで、どうするつもり?」
「は、はい?」
私があえて分かりづらく尋ねれば、彼女は必死に私の言葉を理解しようと、縋るような視線を向けてくる。そんな彼女に対し、私は冷めた目を向ける。
「わたくしや桜坂家のためじゃないなら、貴女がこの二人にしていることは、ただの憂さ晴らしと言うことになるのだけど……もしかしてまだ続けるつもり?」
「め、滅相もありません!」
ぶんぶんと首を横に振る。
……というか、ちょっと怯えすぎじゃないかしら?
あぁでも、私が沙也香さんと明日香さんを破滅させたようなものだものね。その私に睨まれたのだから、怯えるのも当然と言えば当然かしら?
そういうことなら、さっさと問題を解決してしまおう。
「いい、よく聞きなさい。わたくしは降りかかる火の粉は払う主義だけど、意味もなく誰かを傷付けるのは嫌いなの。だから……分かるわね?」
「はい。もう二度と、彼女達に手は出しません!」
私の思惑を理解した彼女がそう言った。もう少し早く理解してくれていれば、私がこんなふうに介入する必要はなかったんだけど、それは言っても仕方ないか。
「いいわ。貴女達がもう二人に関わらないというのなら、この件はこれで終わりよ。次に貴女達が同じ目に遭っても困るし、この件は黙っててあげる。だから――もう行きなさい」
「は、はい! 失礼します!」
彼女達は自分の身を抱きしめて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それを見届け、私は沙也香さんと明日香さんへと視線を戻した。
まだ状況が飲み込めていないようで、二人とも座り込んだままだ。
「二人とも、いつまでそうしているつもり?」
「あ、その……あはは」
私が声を掛けると、沙也香さんが戯けるように笑って立ち上がり、スカートをパタパタと叩いた。だが、その後ろで座り込んでいた明日香さんは黙り込んだままだ。
「明日香さん、怪我でもした?」
「……して?」
「うん?」
「どうして、私達を助けたの? 私達は、貴女に嫌がらせをしたのよ?」
自分の身体を掻き抱いて、少し沈んだ声で問い掛けてくる。
……私に助けられるのは、プライド的に我慢できなかったのかな?
「悪いけど、嫌がらせをされたなんて思ってないの。それどころか、わたくしの目的のために踊ってくれた貴女達には感謝してるわ」
「――くっ、馬鹿にして……っ」
明日香さんは自らを掻き抱く両手にぎゅっと力を入れた。
「そうね。たしかに、わたくしは貴女達を見下しているわ。でも、だからって、彼女達が貴女達を虐めていい理由にはならない」
「それが……私達を助けてくれた理由ですか?」
そう問い掛けてきたのは沙也香さんだ。どうやら、沙也香さんの方が、明日香さんよりは冷静なようだ。それに気付いた私は沙也香さんへと視線を移す。
「そうね。それもある。でも、一番の理由は、いまの貴女達ならやり直せると思ったからよ」
「やり直せる、ですか?」
「ええ。今回の一件で分かったでしょ。理不尽に虐められる人の気持ちが」
「それは……」
沙也香さんは言葉を濁した。理解してくれないのかと思ったけれど、彼女は少しの間を置いて、「そんなこと、最初から知っているわよ」と呟いた。
……悪役令嬢の取り巻きで、やがては暴走して悪役令嬢を破滅させる厄介な存在。そんなふうにしか思ってなかったけど、彼女達には、彼女達なりの悩みがあるのかな。
「――知っているのならいいわ。ここから貴女達が更生するか、それとも同じことを繰り返して破滅するかは、わたくしにとって関係のないことだから」
私は踵を返して彼女の元を離れる。だけど教室から出た直後、振り返って彼女達に視線を向けた。悪役令嬢ではなく、私個人の想いを伝えるために。
「沙也香さん、明日香さん、出来るのならいまからでもやり直しなさい。貴女達はわたくしのような本物の悪女とは違うのだから、ね」
◆◆◆
「……なによ、偉そうに」
窓から夕日が差し込む、放課後の教室。桜坂 澪が立ち去った後、その後ろ姿を見送っていた明日香が悔しげに呟いた。それに対し、沙也香が「だけど――」と口を開く。
「助けて、くれたんですよね?」
「……結果的に、ではありませんか? 実際、彼女達を追い払っただけで、私達に謝らせようとした訳じゃありません。自分の教室で騒がれるのが目障りだっただけでしょう」
明日香が忌々しげに呟く。けれど、沙也香はそのことについて疑問を抱いていた。
たしかに、澪は椎名達を追い払っただけだ。彼女達の行動が、自分の指示のように思われるのが嫌だったのも事実だろう。だけど、それだけなら、やり直せ――なんていう理由もない。
もしかしたら――と沙也香が考えていると、明日香が溜め息をついた。
「彼女がどういうつもりだったかなんて、どうでもいいのではありませんか? それより、これをなんとかしましょう。このままじゃ、私達が怒られますわ」
椎名達の悪戯は幸いにも未遂に終わった。ただ、沙也香が突き飛ばされたときに、横にあった机が倒れてしまっている。それを放っておく訳にはいかない。
沙也香と明日香は無言でその机を片付け始めた。
「……ねぇ、明日香さん。これからどうしますか?」
「どうするって……どういうことですか? 澪さんがああ言ったからには、椎名さん達がこれ以上、私達にどうこうすることはないと思いますよ?」
「ええ、そうでしょうね。でも、だからこそ、このままじゃダメだと思いませんか?」
沙也香は自らの行いを悔いていた。だが、その言葉に明日香は難色を示す。
「……まさか、澪さんに謝ろうと言うつもりですか? 助けてもらったことは事実ですが、彼女も結局、権力で人を従えているじゃありませんか」
明日香の言い分はこうだ。
自分より権力がある人間に虐げられたから、自分より権力がない人間で憂さ晴らしをしただけのこと。そして、それを咎めた澪が反論の口を封じるのに使ったのも権力だ。
結局、澪もやっていることは変わらない、と。
「明日香さん……気持ちは分かりますわ。ですが、誰かの庇護下に入らなければ、蒼生学園でやっていくのは難しいって分かっているでしょう? これが、機会だとは思いませんか?」
「それは……」
明日香が浮かべるのは苦渋に満ちた表情。
彼女自身、このままじゃダメなことは分かっているのだ。そして、澪に対して悪いことをしたという自覚もある。だが様々な要因で、それを認められずにいた。
そして、長い付き合いである沙也香はそんな彼女の心の機微を理解する。
「では、こういうのはいかがですか? まず、六花さんに謝罪するんです」
「……六花さんに、ですか?」
「ええ。私達、やり方を間違え、六花さんに迷惑を掛けてしまいました。まずはそのことについて謝罪して……その後は、そのときになってから考えませんか?」
「ですが――」
「明日香さん、先日、駅前のアイスを食べに行くのに付き合ってあげましたよね?」
「え? そ、それとこれとは関係ないでしょう?」
「ダメ、ですか?」
沙也香が訴えかければ、明日香は呻き声を上げた。そうして視線を泳がせた彼女は、やがて根負けしたように溜め息を吐く。
「分かりました。沙也香さんの言う通りにいたしますわ」
ある日の昼休み。沙也香と明日香は食事が終わる頃を見計らい、六花のもとを訪ねた。取り巻きに難色を示されるけれど、なんとか六花と話すことに成功する。
「西園寺さん、東路さん、こうして話すのは久しぶりですわね。わたくしになにかご用だとうかがいましたが、どのようなご用件かしら?」
「はい。じつは、その……」
沙也香はそう言って、隣に立つ明日香と視線を交わす。
そうして頷きあい、沙也香は六花に視線を戻した。
「話というのは先日の件、六花さんのご期待に添えなかったことです。努力することを怠り、六花さんの言葉を曲解して、皆さんに多大なご迷惑をおかけしてしまいました」
そこまで口にした沙也香は、明日香とタイミングを合わせ、二人揃って「「申し訳ありませんでした」」と深く頭を下げる。
それを見た六花の取り巻き達は、いまごろになって……と不満を露わにした。だけど、そんな彼女達の囁きを、六花は軽く手を上げることで遮った。
「……二人とも、頭を上げなさい」
六花の静かな、けれど有無を言わさぬ口調の言葉に二人は揃って顔を上げる。
「貴女がたは、あまりに事を大きくしすぎました。わたくしは澪を友人にすると言ったのに、貴女がたはその意に反し、彼女を貶めようと攻撃した。それが、わたくしのメンツを潰す行為だったと分かっていますか?」
「はい、いまは分かっています。だから、許されようとは思っていません。それでも、明日香さんと話し合って、六花さんに謝ろうと思ったんです」
「……そうなのですか?」
六花が視線を向ければ、明日香はわずかに目を伏せた。
「……沙也香さんの言う通りです。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「そうですか。お二人の気持ちは分かりました。ひとまず、謝罪は受け入れましょう」
こう言ったやりとりにおいて、言葉のニュアンスは非常に重要になる。とくに謝罪を受けた場合の対応として、大雑把に分けると三つのパターンが存在する。
一つ目は謝罪を受け入れないことで、二つ目は謝罪を受け入れること。そして三つ目は、謝罪を受け入れた上で許すと応じることだ。
この場合は二番目。要約すると、いまはまだ許すつもりはないけれど、謝罪する気持ちがあることは理解した――といった感じである。
実際のところ、沙也香達がしでかしたのは簡単に許されることではない。ゆえに、謝罪を突っぱねられてもおかしくなかった。六花が謝罪を受け入れたのはかなり寛大な対応である。
だから、二人は再び頭を下げた。
「六花さん、寛大なお言葉に感謝いたします」
「昼休みの貴重な時間を頂戴してすみませんでした」
沙也香と明日香はそう言って立ち去ろうと踵を返す。すると、背後から六花に「待ちなさい」と声を掛けられた。二人はおっかなびっくり振り返る。
そこには、穏やかな雰囲気を纏う六花の姿があった。
「二人は、これからどうするつもりですか?」
「これから、ですか……」
それが澪に対する謝罪のことだというのはすぐに分かった。そして、沙也香自身は澪に謝罪したほうがいいと思っている。けれど、そのことについて、明日香は答えを出せずにいる。
沙也香にとって、なにより大切なのは明日香のことだった。だから、明日香の考えを無視して、澪に謝罪すると言いたくはないと言葉を濁した。
そうして明日香に視線を向ける。
そんな沙也香を見ていた六花が不意に口を開いた。
「……貴女達がしでかしたのは、蒼生学園において大きな事件です。本来であれば、停学になってもおかしくはありませんでした」
「……それは、理解しています」
答えたのは明日香だった。
六花は明日香に向かって「ならば――」と続けた。
「貴女がたは奉仕活動で済んだ理由を考えたことはありますか?」
「え? それは……いえ、ありません」
明日香にとって問題だったのは、桜坂の娘に喧嘩を売って敗北したという事実だ。だから、数日の奉仕活動で済んだことを安堵しても、その理由を考えたりはしなかった。
だけど、言われてみれば不思議ではある。
蒼生学園の財閥特待生。本来なら一般生の模範となるべき存在で、だからこそ罪を犯したときの罰は大きなものになる。なのに、どうして軽い罰で済んだのか――と。
「……まさか、澪さんが?」
沙也香がぽつりと呟いた。明日香はあり得ないと反論しようとするが、その直前に六花が小さく微笑んだ。その意味を理解した明日香は息を呑む。
そうして動揺する二人に向かって、六花はいたずらっ子のように口を開く。
「ここだけの話として聞いているので、これを貴女達に教えるのは特別です。誰がとは言いませんが、あまり大事にしないで欲しい――と、先生にお願いしたそうですよ」
自分達が軽い罰で済んだのは、澪の口添えがあったから。それを理解した明日香は、自分は彼女を陥れようとしたのに――と衝撃を受けた。
「……明日香さん」
沙也香が、なにか言いたげな視線を向けてくる。明日香は、すぐにその視線に込められた意味を理解し、六花へと向き直った。
「六花さん。この後は……澪さんに謝罪します。沙也香さんと二人で」
「明日香さんの言う通り、いまさらかもしれませんが、私達は一つずつ、やり直します」
二人が頷きあう。
それを見ていた六花は柔らかな笑みを浮かべ――
「沙也香さん、明日香さん」
二人の名前を呼んだ。
その瞬間、二人はびくりと身を震わせる。
蒼生学園は財閥の関係者が多く、同じ苗字の人間が多くいる。それゆえに、基本的には名前で呼び合うというのが通例となっている。だが、だからこそ、親しくないという意思表示に苗字で呼ぶ場合もあって……二人はさきほどまで、六花から苗字で呼ばれていた。
なのに、六花はこのタイミングで、二人のことを名前で呼んだのだ。どうして――と驚く二人に、六花は静かな口調で語りかける。
「貴女がたの過ちは消えません。でも、やり直すことは出来るでしょう。今度こそ、わたくしの友人に相応しいと証明してくださることを期待します」
いつか交わしたやりとりの焼き直し。
あのときは、澪を陥れることで自分達の価値を証明しようとして失敗した。
だけど――
「沙也香さんと二人で、六花さんに友人と呼んで頂けるように努力します」
「私も、今度は間違えません。必ず、明日香さんと二人で証明して見せます」
頷きあう二人。
それを見た六花は満足気に微笑んだ。
「澪さんはとても口は悪いですが、本当は優しい方なんです。ですから、貴女がたが心から謝れば、きっと許してくださると思いますわ」
◆◆◆
明日香さんと沙也香さんが、六花さんに許しを請うた。その噂を耳にした私は、帰路に付く車に揺られていた。そんな中、同行しているシャノンがぽつりと呟く。
「……よかったのですか?」
「あの二人のことね。正直、紫月お姉様も判断に迷っていたわ」
あの二人は乙女ゲームにおける悪役令嬢の取り巻きだ。つまり、紫月お姉様の代理である私と共に悪事を働くはずだった人間である。
そんな二人が虐められていると知り、私と紫月お姉様は対応にずいぶんと悩んだ。
二人を助けることは悪役令嬢らしくないけれど、乙女ゲームにないイジメを放置していては、シナリオにどのような影響があるか分からなかったからだ。
「その結果、助ける結論に至った、と?」
「ええ、その通りよ。でも、助けた訳じゃないから」
私はあくまで、目障りな連中を黙らせただけ。
二人が助かったのはその結果――という体を装った。ちゃんと私は悪女らしく振る舞ったので、厚意で助けたとは思われる心配もない。
このまま、彼女達が六花さんの取り巻きになるのなら問題は起きないはずだ。
「という訳で、この件はおしまい。次は体育祭の問題に取りかかるわよ」
みっともなく破滅して、みんなをハッピーエンドに導くために。
――さぁ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。
お読みいただきありがとうございます。面白かった、続きが気になるなど思っていただけましたら、ブックマークや評価を押していただけると嬉しいです。
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