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エピソード 4

 私の戸籍を改竄したという噂が、学園でまことしやかに囁かれている。それを知った私は屋敷に帰ってすぐ、制服を着替える暇も惜しんでシャノンを呼び出した。

 すぐに、服を着替え終えたシャノンが姿を現す。


「澪お嬢様、なにかございましたか?」

「私を試すのはやめて。噂の件は把握しているのでしょう?」

「ご明察です。それで、なにをご所望ですか?」

「まずは紫月お姉様に報告するわ。話があると伝えてちょうだい」

「紫月お嬢様は視察に出掛けておりますので、帰り次第でよろしいですか?」

「……いえ、それなら私がメールをしておくわ」


 言うが早いか、私は紫月お姉様にメールを送る。本文には状況の報告と、それについての判断を仰ぎたい旨を記した。


「返事を待っている間にシャワーを浴びて着替えてくるわ」

「では着替えを用意いたします」


 私の言葉に、屋敷のメイドが準備を始める。それを横目に私はシャワーに向かった。脱衣所で制服と下着を脱いで大きなお風呂場でシャワーを浴びる。

 頭から温めのお湯を浴びて、私はこれからのことに思いを巡らせた。


 戸籍の改竄は犯罪だ。財閥の力で隠しおおせれば――つまりはバレなければ犯罪じゃないけれど、バレてしまえば財閥が実行しても犯罪であることに変わりはない。

 このことがあきらかになれば、桜坂財閥への攻撃材料にもなりかねない。


 とはいえ……と、私はシャンプーで髪を洗いながら考えを纏める。

 すでに琉煌さんにも気取られている。彼はバラさなかったけど、今回と同じような状況に陥る危険はあった。それでも、紫月お姉様はこれと言った対策を立てなかった。

 つまり、今回のような状況は想定しているはずだ。


 だから大丈夫なはずなんだけど、どうして大丈夫なのかが分からない。

 噂の主を特定して、実家に圧力を掛ける、とか?

 ……違うよね。そんなことをしたら、噂の内容が事実だと気取られる。それ以前、既に証拠を押さえられていた場合、脅した事実が新たな弱味となりかねない。

 どれだけ考えても、この状況をひっくり返す方法が見つからない。本当に、紫月お姉様は対策を考えているのかな? もし考えていなかったらどうなっちゃうんだろう?

 そんな不安を洗い流そうと、私はシャワーを浴び続けた。



 しばらくしてシャワーから上がると、スマフォにメール着信の通知が届いていた。私は片手に持ったバスタオルで髪を拭きながら、もう片方の手でメールを開いて目を通す。


「……さすが、紫月お姉様」


 心配は要らないから、のんびり待ってなさい――だって。紫月お姉様がそういうのなら間違いなく大丈夫だ。胸に渦巻いていた不安がすぅっと消えていく。安堵した私はスマフォを着替えの横に置こうとして、もう一件通知があることに気が付いた。


 もう一通の通知は、ライブチャットをしたいという雫からの連絡だった。髪を乾かして私服に着替えた私は、部屋に戻って雫とおそろいのノートパソコンを立ち上げた。

 アプリで雫にメッセージを送り、いまならライブチャットできると連絡する。ほどなく、雫から通話要求が届いた。了承を押すと、液晶画面に雫の姿が映り込んだ。


「あ、ほんとに雫が見える。やっほー雫、こっちの姿は見えてる?」

「うん、お姉ちゃんが見えるよ。でも……いまどこ?」

「いま、自室だよ。部屋の内装はちょっと模様替えをしたんだぁ」


 用意していた言い訳をよどみなく告げる。

 ここは実家の数倍は広いから、偽装しないと絶対に怪しまれる。これに関してはもちろん対策済みで、部屋の広さを誤魔化せるような位置でライブチャットをしている。

 雫は少しだけ小首をかしげ、そっかぁと頷いた。


「それで、なにか用事?」

「うん、実は、その、お姉ちゃんに面と向かって言いにくいことがあって。でもライブチャットなら伝えられるかなって、そう思ったから……」

「……うん、なに?」


 内心ではびくりと震え、それでもなんでもない風を装って雫の言葉を待った。画面の向こうにいる雫は視線を彷徨わせ、それから意を決したようにこちらに視線を向けた。


「澪お姉ちゃんは、私のためにたくさん、たくさん無理をしてくれてるんだよね。でも、もう十分。もうこれ以上、私のために無理をしなくていいんだよ」

「なにを……なにを言ってるのよ。私は無理なんてしてないよ」

「これ、お姉ちゃんだよね?」


 唐突に、雫がカメラの前にファッション誌を掲げた。それはいつも雫が読んでいるファッション誌。そして今月号の表紙を飾るのは――私だった。


「それは、紫月お――嬢様の関係で誘ってもらって、ちょうどやってみたかったから」

「嘘つき。澪お姉ちゃん、人前に出るの苦手でしょ?」

「それは昔の話だよ」


 中学生に成り立てだった頃はたしかに人と話すのが苦手だった。でも、雫のためにカフェでバイトをするようになって、そんな苦手意識はとっくの昔に克服した。

 だけど、それを聞いた雫は泣きそうな顔をする。


「そっか……カフェのときから無理をしてたんだね」

「違うっ、私は無理なんてしてないよ!」

「優しいね、澪お姉ちゃんは。大好きだよ。でも……もう聞いているんでしょ? 私が、あと三年くらいしか、生きられないって」

「雫、それは……」

「だから、もう十分だよ。これ以上、私のために無理をしないで」

「しず、く……」


 馬鹿だ。私は馬鹿だ!

 三年後には雫の病を治す治療法が確立されるけど、私が失敗したらその希望は消えてしまう。だからぬか喜びさせるのが怖くて、私はその可能性を雫に伝えないでいた。


 だけど、いまの雫には絶望しかない。あと三年しか生きられないのに、生きているだけで家族に負担を掛け続けている。そんな風に苦しんでいたのだろう。

 いまの雫には希望が必要だ。だから覚悟を決めろ。ぬか喜びなんて絶対させない。私は必ず雫を救うんだ!


「よく聞いて、雫。希望は……あるから」

「なにを、言っているの?」

「詳しいことはまだ話せない。でも、海外ではいま、雫が患っている難病に対する治験がおこなわれている。それが三年以内に認可される予定なの」


 私が口にした希望に、けれど雫は悲しげに微笑んだ。


「それは、知ってるよ。でも、日本でその治療を受けられるのは……」

「うん、もう少し先なんだよね。でも、紫月お嬢様が約束してくれたの。私がある取り引きに応じれば、治療法が認可され次第、雫にその治療を受けさせてくれるって」


 そう続けると、雫は目を見張った。

 そして希望と不安をないまぜにした顔でぽつりと呟く。


「嘘……」

「嘘じゃないよ」


 信じたい。でも信じられない。

 そんな顔で視線を彷徨わせ、それから雫はボロボロと泣き始めた。


「し、雫?」

「だから、なの? 澪お姉ちゃんの様子がおかしいのは、やっぱり私のせい?」


 自分が助かるかもしれないと知って、最初にするのが私の心配なんだね。本当に、雫は優しい女の子だ。だからこそ、私は雫を助けたくなる。


「ちょっとだけ違うよ。雫のせいじゃなくて、雫のためだよ。私は雫を助けるためにがんばってる。それが私の望み。だって私は、雫のことが大好きだから」


 戸籍の改竄によって、いまの私と雫に戸籍上の繋がりはない。だけど、それでも、私が雫のお姉ちゃんで、妹を大好きなことに変わりはない。


「私は貴女を助けたい。だから、これは私がやりたいこと。私は、雫のために無理なんてしていない。私は、私がしたいことを為すためにがんばってるんだよ」

「お姉ちゃん、でも、でもぉ……」


 画面の向こうで、雫が涙を流し始めた。モニターの向こうにいる雫は手の甲で涙を拭うけれど、涙は止め処なくあふれてくる。その姿がとても愛おしい。いますぐ抱きしめてあげたいのに、画面の向こうには手が届かない。私はノートパソコンをぎゅっと握り締めた。


「雫、治験が終わったら、私が絶対に治療を受けさせてあげる。だからあと三年、三年だけがんばって生きて!」

「……いいの? 私、生きようと足掻いてもいいの? いままで、お父さんやお母さん、それに澪お姉ちゃんにたくさん迷惑を掛けてきたのに、これ以上迷惑を掛けてもいいの?」

「……ばか。迷惑だなんて、誰も思ってないよ。それに、雫は絶対によくなる。だから、貸しは元気になったら返してもらうわ。……覚悟しておきなさい?」

「うん、うん……っ。私、私……っ!」


 顔をくしゃくしゃにして口元を手で覆う。くぐもった嗚咽の声が聞こえた直後、マイクからプツリと音が鳴って音声が途切れた。

 続けてカメラの視界に雫の手のひらが映り込み、モニターが真っ暗になる。


「……雫、大丈夫だよ。私が付いてるからね」


 画面が真っ暗になったノートパソコンをそっと撫でる。どれほどそうしていただろう? しばらくして、目を赤く腫らし、照れくさそうな雫の姿がモニターに映った。


「……澪お姉ちゃん。ほんとに、ほんとに迷惑じゃない? 私……ぐすっ。諦めなくて、いいの? まだ生きたいって、そう思っても……いいの?」

「当たり前じゃない。私が必ず、雫をハッピーエンドに導いてあげる!」


 私がそう微笑むと、雫は不器用に笑った。


「ありがとう。私、お姉ちゃんの妹でよかった。私、もう少しだけがんばるね」

「ええ、一緒にがんばりましょう。ハッピーエンドを目指して」

「うん、がんばる。……それじゃ、その、今日はもう切るね」

「ええ、また明日」


 笑顔で挨拶を交わして通話を切る。

 それから一呼吸置くと扉がノックされた。「入ってください」と扉の向こうに声を掛けると、一息おいて紫月お姉様が部屋に入ってくる。

 どうやら電話が終わるのを待っていてくれたらしい。

 私はすぐにソファ席に移動して、ローテーブルを挟んで紫月お姉様と向き合う。


「紫月お姉様、お待たせしてすみません」

「うぅん。妹を励ますために費やした時間を、待たされたなんて思ったりはしないわ」

「聞こえて……ましたか?」

「少しだけね。妹さんのためにも、さっそく本題に入りましょう。貴女の戸籍の件が噂になっているのよね?」

「はい。誰かが意図的に噂を流したようです」


 現時点で分かっているのはそれだけ。

 根拠なく言っているだけなのか、証拠を摑んでいるのかは分からない。ただ、意図的に噂を流しているのなら、それは私か、桜坂家に敵意を抱く者だろう。

 後者は多すぎて見当も付かないけれど、前者なら候補はそう多くない。


「六花さんか、取り巻きの二人、あるいは陸さんか琉煌さん。考えられるのはその辺りです」

「あら、六花達も候補から外していないのね」

「はい、可能性は零ではないと思いましたので」


 六花さんはいい人だと思うし、琉煌さんも気遣いの出来る人だ。陸さんに至っては、身分を笠に着るような人間を嫌う正義感の強い人間だ。

 でも、同時に財閥の子息子女でもある。紫月お姉様や私がそうであるように、笑顔を浮かべる裏側で別のことを考えている可能性は否定できない。


「もっとも、怨恨の線で一番怪しいのは取り巻きの二人ですね」

「そうね。あの二人が噂を流しているのは確認済みよ」


 紫月お姉様がさらっと教えてくれた。

 なら、琉煌さんや陸さんの線は消していいだろう。


「取り巻きの二人が主犯か、六花さんが黒幕、ということになりますね。個人的には、六花さんは関わっていないと思いたいところですが……」

「あら、澪は六花がお気に入りなの?」

「私のことも信じてくれましたから」


 乃々歌を虐めた件で、なにか理由があるはずだと言ってくれた。友情とか、それによる絶対的な信頼ではないけれど、私も六花さんではないと思いたい。


「まぁそうね、私も六花は関わってないと思うわ。彼女は琉煌の従姉だからね。彼女が黒幕なら、琉煌が止めているはずよ」

「そういえば、罠とか言ってましたよね。どういう意味なんですか?」


 首を傾げると、紫月お姉様は「そろそろ頃合いかしらね」と呟いた。そうして、ローテーブルの上に書類を広げて見せた。私はそれに目を通す。

 それは私や家族の戸籍を纏めた戸籍表だった。


「澪、貴女は以前こう言っていたわね。戸籍上はお姉ちゃんじゃなくなったけど、それでも私は雫のお姉ちゃんだから――って」

「はい、それは、言いました、けど……」


 戸籍表に目を通していた私は息を呑む。

 そのタイミングを見計らったかのように、紫月お姉様は凜とした声で言い放った。


「澪、貴女はいまでも妹さんのお姉さんよ。――戸籍の上でも」


 紫月お姉様の言葉が示すとおりのことが書類には示されていた。


「紫月お姉様は、最初からこのことを……?」


 その問い掛けに、紫月お姉様は小さく笑った。


「澪、わたくしが張った罠に愚か者が掛かったわ。貴女はその愚かな犯人を生贄に、自分が桜坂家の娘であると知らしめ、悪役令嬢としての地位を確立なさい」


 すべて、すべて紫月お姉様の手のひらの上だった。それを理解し、ゾクリと背筋が凍るような想いを抱く。紫月お姉様が敵でなくてよかったと安堵して自分の身体を抱きしめる。


 そして、自分がなにをするべきなのかを理解して頷いた。意識を悪役令嬢サイドに切り替えて、「もちろんですわ、紫月お姉様」と、肩口に零れ落ちた髪を手の甲で払いのける。


「悪戯好きの小悪党に、本当の悪女がどんなものか見せつけてやりましょう」



 蒼生学園に行くと、そこかしこから視線を感じた。露骨な場合は、こちらに聞こえるような声で私の噂をしている。そういう人物は総じて、財閥特待生が多いように感じる。

 ゴシップが好き――というより、桜坂財閥にダメージを負わせたい人達だろう。そういう人達が、取り巻きの二人の流した噂を積極的に広めている。

 もちろん、それを理解し、噂に顔を顰める人も少なくはない。


「シャノン、それぞれの反応を纏めておいて。紫月お姉様の役に立つはずよ」

「かしこまりました」


 シャノンはそう言うと、スマフォに軽く触れた。

 ……もしかして、いまの一瞬でメモ――はさすがに出来ないよね。他の人達に指示を出した? それとも、隠しカメラとかで録画とかしているのかな?


「両方ですよ」

「怖いから心を読まないで」

「心ではなく表情を読んだだけです。澪お嬢様のように首を傾げていたら分かりますよ」


 普通は分からないと思う。

 でも、シャノンは紫月お姉様の右腕だ。それくらい出来なければ側近は務まらないのかもしれない。そう考えると、すごい人の妹になったよね、私。

 そんなことを考えながら教室へと向かった。


 教室に入ると、一気に視線が集まる。

 基本的にはさきほどまでと変わらない。乃々歌に辛く当たっている分、一般生のアタリが強くなるかと思ったけど、そういう訳でもないようだ。


 そうして見回していると、乃々歌と目が合った。

 意外にも、彼女は私に心配するような目を向けてくる。自分を罵った相手にまで気遣いを見せるなんて、さすがは乙女ゲームのヒロインだね。

 でも私は悪役令嬢だ。

 貴女の同情なんて要らないわと、吐き捨てるようにそっぽを向いた。


 そうして席に着き、いつものように本を取りだした。でも、それに視線を落とすのはお預けになりそうだ。六花さんが歩み寄って来たから。


「ご機嫌よう、六花さん」

「こんにちは、澪さん。貴女のご機嫌は……よろしいのですか?」


 六花さんの妙な気遣いにクスッと笑い、私は「そこそこ、ご機嫌ようですね」と言い直した。それを聞いた六花さんは「そこそこ……」と複雑な顔をする。

 彼女は少しだけ思い詰めた顔で口を開く。


「最初に言っておきます。今回の噂にわたくしは関わっておりません」

「……そうですか、安心しました」


 それは私の心からの声だった。でも、そんな風に返されるのは予想外だったのだろう。六花さんは「安心? わたくしを信じてくださるのですか?」と瞬いた。


「正直に言うと、六花さんも疑っていました。でも、六花さんなら証拠を残したりしない。あの二人を使っておきながら、自分は関わっていない――なんて嘘は吐かないかと」


 大抵の悪役令嬢は自分の手を汚さない。自分の取り巻きに悪事を働かせるのだ。

 だが、結果的にはそれがバレて断罪される。


 紫月お姉様ならそんなミスはしない。自分の取り巻きではなく、自分と無関係の者を動かすに決まっている。そうすれば、悪事が明るみに出ても足が付かないから。


 六花さんでもそうするはずだ。

 あるいは、あの二人を使って私を陥れ、自分の仕業だと名乗りを上げるのなら分かる。でも、あの二人に噂を流させておいて、自分は関わってないなんて下手な嘘は吐かない。

 だから、六花さんは関わってないと確信した。


「誰の仕業かは知っています。その上で、六花さんはどういう立ち位置ですか?」


 あの二人を諫める気はあるのか――と、言外に問い掛けた。


「雪城家の娘としては、中立として静観します」

「止める気はないと?」

「スマートな方法とは言えませんが、桜坂家の娘を窮地に立たせる手腕は評価しなくてはいけません。相応の価値を証明したら認めると、言ってしまいましたからね。もちろん、そう言うつもりで言ったのではなかったのですが……」


 あぁ、そういうことか。

 取り巻き二人が噂を流した理由がようやく分かった。六花さんから出された課題は、中間試験で五十位以内に入るか、それに代わる価値を証明しろと言うものだった。

 だから、桜坂家の娘をやり込めて証明しようとしたという訳だ。


「ただ、私人としては澪さんを応援しています」

「ありがとう、六花さん。その言葉だけで十分ですわ」

「……意外ですね。協力を求められるかと思っていました」

「あら、お願いしたら、協力してくださるんですか?」

「勝ち目があり、そして有益な取り引きなら応じますよ?」


 六花さんはクスクスと笑う。

 さっき中立と言ったくせに――と、私も笑った。


「お気持ちだけ受け取っておきます」

「そうですか。貴女がどのように劣勢を覆すのか、楽しみにしておりますわ」

「あら、期待してくださって申し訳ありませんが、わたくしはなにもいたしません。そもそも劣勢になんて陥っていませんし、あの二人には感謝しているんですよ?」

「それは、一体……」


 六花さんが困惑気味に視線を落とした。


「いずれ――いえ、すぐに分かります」


 教室の入り口から生活指導の先生が入ってくる。それを見た私は言い直した。

 同時に、同じように生活指導の先生が現れたことに気付いた東路さん達がニヤリと笑う。私が先生に連れて行かれるところを想像したのだろう。

 だけど――


「東路、西園寺、両名は生徒指導室に来なさい」


 先生が声を掛けたのは私ではなかった。声を掛けられた二人は「はい?」と瞬いて、他の生徒達も「澪さんじゃないの?」とざわめいた。


「な、なんで私達が指導室になんて呼び出されなくてはならないのよ?」

「そうです、私達を呼び出す理由はなんですか?」

「他の生徒の根も葉もない誹謗中傷をして風紀を乱しただろう?」


 西園寺さんと東路さんの問い掛けに、生活指導の先生が答えた。その言葉に、クラスの面々はそれぞれ違う反応を見せた。きっと、私が圧力を掛けたと思った人間もいるだろう。

 西園寺さん達はそっち側の人間だった。


「根も葉もない話じゃないわ。私は事実を口にしただけよ!」

「そうです。桜坂さんの戸籍は確認済みですわ!」


 二人が大きな声で、噂を流した本人だと白状してくれた。ここまで紫月お姉様のもくろみ通りで怖くなる。後は、私がその流れに沿って動くだけだ。


 ――さあ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。


 私は髪を掻き上げ、クスクスと笑い声を上げた。

 それに西園寺さんが反応してくれる。


「な、なにがおかしいのよ!」

「あら、ごめんなさい。貴女達の情報収集能力があまりにお粗末で、ついおかしくって笑ってしまいましたわ」

「なんですって!?」


 西園寺さん達が睨みつけてくる。

 私はそれを無視して生活指導の先生に視線を向ける。


「先生、少しお時間を頂いてもよろしいですか?」

「……かまわないが、実家のことは秘密ではないのか?」

「家族の了承は得ていますので問題ありません」

「そうか、では好きにしなさい」

「感謝いたしますわ」


 私はカーテシーをして、それから西園寺さん達に視線を向けた。


「結論から申しましょう。わたくしの母は、駆け落ちで桜坂家を出奔した男性の娘ですわ。つまり、わたくしは事実として桜坂の血を引く娘、ということですね」

「嘘を吐かないで! その戸籍は改竄したものでしょう! 貴女がもともと佐藤という家に生まれたことは調べが付いているのよ!」


 本当に、西園寺さんは私の望んでいる言葉を口にしてくれる。


「西園寺さんは誤解なさっていますわ。わたくしは戸籍の改竄などしていませんもの」

「では、佐藤という姓に心当たりはない、と?」

「いいえ、それは私が養子になるまで名乗っていた姓です」

「ほら見なさい! やっぱり、戸籍を詐称していたじゃない!」


 勝ち誇る西園寺さんに、私は意味が分からないという風に小首をかしげてみせた。それを見ていた生活指導の先生がこう口にする。


「西園寺、おまえの言う佐藤家の夫人が、桜坂の血を継ぐ者だぞ?」

「……は?」


 西園寺さんが理解できないとばかりに口を開けた。

 そんな彼女に、私は分かりやすく説明をする。


「母は庶民として暮らしているの。それなのに、実は桜坂の血縁だなんて知られると、面倒に巻き込まれるでしょう? だから、生家の名前を伏せていたのよ」

「そんなっ、出任せを言わないでっ!」

「いいや、桜坂の言っていることは事実だ。桜坂が語った理由により、その情報を非公開にして欲しいという要請が桜坂家よりあったが、学園関係者はその事実を把握している」


 生活指導の先生が私の味方をしてくれる。クラスの雰囲気が一気に私寄りに傾いた。私はこの期を逃さす、西園寺さん達にトドメを刺しにいく。


「お聞きの通りですわ。ただ、わたくしの祖父の戸籍に細工がされていたのは事実です。中途半端に調べたのなら……誤解することもあるでしょうね?」


 そう口にして、悪役令嬢らしく髪を掻き上げた。

 一部の人達が息を呑んで身震いをする。これが、桜坂家を攻撃しようとする者への罠で、西園寺さん達がまんまとその罠に掛かったのだと理解した者達だ。

 私は青ざめた西園寺さん達に歩み寄り、二人の耳元に口を近付ける。


「そう落ち込む必要はないわ。貴方達はよくがんばったもの。ただ、ほんの少し、ほんの少しだけ、わたくしの方が貴女達よりも悪女だっただけのことだから」


 私が微笑むと、二人はその場にくずおれた。



 その後、二人は生徒指導の先生に連れて行かれた。そして職員室前のボードには、両名の名前と共に『風紀を乱した罰として、三日間の奉仕活動を命じる』と書かれた紙が張り出された。

 罰自体は重くないけれど、桜坂の娘に手を出して返り討ちに遭ったという事実は、学園中に広まることとなるだろう。それは、二人の学園生活に影を落とすこととなる。


 そうして、私の戸籍に関する噂は消え失せた。戸籍の件が事実かどうかよりも、二人をやり込めたという事実が、他の財閥の子息子女を黙らせる要因だったようだ。


 まぁ、ようするに……

 ぜぇんぶ、紫月お姉様のもくろみ通りってことだよね。


 最初からすべてを明らかにしていれば、私が庶民育ちだという事実を攻撃材料にされたはずだ。でも、戸籍を改竄しているように見せかけたことで矛先をずらした。庶民育ちという部分ではなく、桜坂の血を引いていないという、より大きな弱点に目を向けるように。


 もちろん、今回の件で私が庶民育ちだということは知られてしまった。でも、戸籍には罠が仕掛けられていた。育ちにも罠が仕掛けられていないという保証はない。

 その可能性が、私を攻撃しようとする人への牽制となる。それに、私に敵対した人の末路は現在進行形で見せしめになっているのでなおさらだ。


 こうして、私は無事に雪月花入りを果たした。

 私は悪役令嬢として、本当の意味で乙女ゲームの舞台に立ったことになる。


 でも、色々と考えさせられることもあった。いまになって思えば、紫月お姉様が悪役令嬢の代役に私を選んだのも偶然とは思えない。

 ひったくり犯から紫月お姉様の鞄を取り返した私が、たまたま駆け落ちして桜坂の家を出た子息の孫娘だった――なんて可能性はどれだけある?


 それこそ、乃々歌のように、乙女ゲームのヒロインでもなければあり得ない確率だ。紫月お姉様はもしかしたら、私にも話していない秘密を抱えているのかもしれない。


 でも……紫月お姉様は、悪役令嬢として働く私に胸を痛めてくれた。そんな紫月お姉様だから信じられる。必ず、雫を救うという約束を果たしてくれるはずだって。

 だから、私のやることは変わらない。

 目指すのはみんなが救われるハッピーエンド。

 悪役令嬢の犠牲の上に成り立つ、原作乙女ゲームのハッピーエンドを目指すだけだ。

 

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