エピソード 3ー4
若い女性の体育教師、千秋先生がやってきて女子を集合させる。
「今日はヒップホップの基礎を教えます。まずはペアになりなさい」
「はーい」
誰かがそう返事して、女の子達が近場の人や友人とペアを組み始める。私はすぐに乃々歌ちゃんを盗み見た。想定通り、彼女の周りに友達らしき女の子はいない。
後はあぶれた者同士で組む可能性だけど――と、シャノンに視線を向ける。彼女は私の視線に気付いて頷くと、それを切っ掛けに数名の女の子達が動き始めた。
紫月お姉様に与する一般生。彼女達が、乃々歌ちゃん以外の、あぶれそうになっている女の子を誘っていく手はず。これで、確実に乃々歌ちゃんはペアの相手がいなくなる算段。
そう思っていたら、周囲を見回していた乃々歌ちゃんと視線が合った。
彼女があぶれてから声を掛ける算段だったけど、この機会を逃す手はない。そう思ったのだけど、彼女はすぐに視線を外してしまった。
……まあ、そうだよね。私となんて、組みたいとは思わないよね。
だけど、逃がすつもりはない――と、一歩を踏み出す直前に呼び止められる。
「澪さん、よろしければペアを組みませんか?」
声の主は六花さんだ。
彼女が私を対象に選ぶのは予想の範囲内。
だけど、だからこそ、そうなりそうな場合は、シャノンが彼女を足止めする予定だった。なのになぜと視線を向けると、シャノンは申し訳ありませんとばかりに目を伏せた。
どうやら、シャノンの誘いを振り切って私の元に来たようだ。
それを嬉しくないといえば嘘になる。
だけど――
「六花さん、大変申し訳ありません。わたくし、ペアの相手は決めているんです」
「あら、そうでしたか。では、またの機会にいたしましょう」
六花さんはあっさりと引き下がり、他の女の子に声を掛けた。その子は、六花さんに声を掛けてもらったことに感激し、ぜひお願いしますと了承する。
それを見届け、私は乃々歌ちゃんの元へと歩み寄る。
既に、大半の女の子達がペアになっている。少し焦った様子で周囲を見回していた乃々歌ちゃんは、近付く私に気付いて目を見張った。
私は彼女が逃げないように視線で捕らえ、彼女の元へと歩み寄った。
柊木さん――は、他人行儀であるけれど、相手を尊重する感覚が消しきれない。これからすることを考えれば別の呼び方の方がいいだろう。
「――乃々歌、わたくしがペアを組んであげるから喜びなさい」
「え、桜坂さんがペアになってくれるんですか!」
……って、なんでほんとに嬉しそうにしてるのよ。このあいだ、庶民なんて相手にする価値もないと、私に突き放されたのを忘れたんじゃないでしょうね?
ヒロインのポジティブな性格を舐めてたかもしれない。
怯えたり、嫌がってくれれば、仲が悪いと周囲に見せつけるのは簡単だった。でも、乃々歌が楽しそうな顔をしている現状はちょっとまずい。
当初の予定通り、みんなの見ているまえで酷いことを言うしかないだろう。
覚悟を決めた私は乃々歌とペアでヒップホップの練習をする。
音楽に合わせた基本的なステップを覚え、ペアで一緒に踊るルーティン、それからソロの振り付けを覚えて、最後に二人一緒にフィニッシュを決める。
最初の授業なので、ステップは基礎的なもので構成されている。死に物狂いで予習をした私は、既に全体を通して踊れるようになっている。
乃々歌と一緒に合わせてステップを踏み、彼女が間違うたびに叱りつける。
「そうじゃないって言ってるでしょ? ここは、こうやって……こう。溜めを作って右足を下ろすと同時に、左足を後ろに滑らすのよ」
「う、うん、ごめんなさい」
「謝る暇があれば手足を動かしなさい。ほら、ステップのタイミングがずれてるわよ。って、今度は右手の動きが違うじゃない。違う、ワンテンポ遅らせなさい!」
さながら鬼軍曹。私を心と体の痛み、両方に抗って声を荒らげる。それも乃々歌にではなく、周囲に聞かせるように。私は厳しく、そして理不尽に乃々歌を叱りつけた。
ほどなくして、先生が意を決したように駆け寄ってきた。
「さ、桜坂さん、いくらなんでも言いすぎです」
「あら、先生。なんのことですか?」
まったく理解できないという面持ちで振り返る。
「なんのこと、ではありません。桜坂さんが優秀なのは認めますが、自分のレベルに付いてこられないからと、ペアの子をそのように罵るのは、い、いけませんよ!」
ジャージの裾を握り締める、先生の手が震えている。
無理もない。
財閥特待生――とくに桜坂の家は莫大な額の寄付をしている。その気になれば、先生の首を飛ばすことも不可能じゃない。そうまことしやかに囁かれている。
そして、それは事実である。
もちろん、多くの財閥特待生や、その親はまともで優秀な人間だ。子供の癇癪で教師の首を切ったりはしない。でもしないだけで、出来ない訳ではないのだ。
ましてや、いまの私は傍若無人に振る舞う悪役令嬢だ。私を怒らせればどうなるかは想像に難くない。それでも私を叱る彼女は、勇気があり、とても優しい先生だ。
だとすれば、先生とぶつかるのは得策じゃない。先生の介入を利用する形で、私が乃々歌を嫌っていると周知させてもらおう。
そう決断した私は「あら、これは申し訳ありません」と笑う。
「そ、そう? 分かってくれれば――」
「まさか、彼女がこの程度のダンスも満足に覚えられないとは思ってもみませんでしたの。やはり教養のない方はダメですわね」
「なっ。桜坂さん、言い過ぎです!」
先生が声を荒らげ、なにごとかと周囲の注目が集まる。練習をしていた女の子達はもちろん、少し離れた場所で別の授業をしていた男の子達も手を止めて注目する。
シィンと、体育館に静寂が訪れた。
その一瞬を私は待っていた。
「乃々歌。一般生は一般生らしく分をわきまえて、同じ庶民と仲良くしてなさい?」
自然な口調で発した声が、静寂の体育館に響き渡った。
次の瞬間、私のあからさまな差別発言に体育館がざわめき、乃々歌を同情するような声が上がり、暴君を蔑むような視線が私へと向けられる。
「さ、桜坂さん、謝りなさい!」
「あら、さきほど謝罪したではありませんか。わたくしの認識が間違っていたと。それよりわたくし、足を少々怪我してしまったので席を外させていただきますわ」
「~~~っ。後で職員室に来なさい。いいですねっ!」
ジャージ姿の私は、カーテシーの代わりに、右腕は胸元へ、左手は外へと伸ばす。紳士がおこなうお辞儀、ボウアンドスクレープをして踵を返した。
付いてこようとするシャノンに、視線でここにいなさいと命じて体育館を後にする。歯を食いしばって渡り廊下を歩き、中庭にあるベンチにまで足を運んだ。
「~~~っ」
私はみっともなくベンチに座り込んだ。もつれる手を動かして体育用のシューズを脱ぐと、靴下が血塗れになっていた。
靴下を脱いでたしかめるまでもない、足のマメが潰れている。
「もう少し、日頃から鍛えておくべきだったなぁ……」
素の私が弱音を吐いた。この三日間、ヒップホップの練習をしたことでマメが出来て、今日の授業でそれが潰れた。
痛い。凄く痛い。
でも本当に痛いのは、乃々歌を傷付けたことだ。
私を慕って、がんばっている子にあんなこと……最低だよね。悪役令嬢の仮面は剥がれ落ち、熱いモノが胸から込み上げ、涙になって零れそうになる。
その瞬間、パタパタと駈ける足音を聞いた。
私はとっさに目元の涙を指で払い、それから自分は悪役令嬢だという暗示を掛け直す。
「見つけましたよ、桜坂さん!」
女性の声。自分に暗示をかけ終えた私は、何食わぬ素振りで顔を上げる。声の主は、さきほど私を叱りつけた体育の先生だった。
名前は浦辺 千秋。
二十四歳、独身で、正義感が強く、若いがゆえに無鉄砲なところがあると、アプリに載っているプロフィールにあった。この行動は、まさにその無鉄砲さによるものだろう。
「……千秋先生、授業はどうしたんですか?」
「自習にして、男子側の先生に監督をお願いしてきました。それより桜坂さん、貴女の態度について話があります――って、それ……」
千秋先生の視線が私の足先に向いた。それに気付いた瞬間、私はさっと靴を履く。だけど先生は「足を見せなさい、桜坂さんっ!」と私のまえに座り込んだ。
「あら、うら若き乙女に足を見せろだなんて、セクハラで訴えますわよ?」
「そんな言葉で誤魔化されませんよ。いいから、靴を脱ぎなさい」
言うが早いか、千秋先生は私の足首を摑んで靴を脱がしに掛かった。私は観念して、千秋先生が靴を脱がすのに身を任せる。ほどなく、私の靴を脱がした千秋先生が顔を歪めた。
「血塗れじゃないですか、一体どうしたんですか?」
「マメが潰れた程度で騒がないでください」
「マメが潰れただけって、今日一日でこんなことになるはず……まさかっ」
千秋先生が私の顔を見上げる。
今日一日ではこうはならない。つまり、私が自主的に特訓をしていた可能性に気付かれてしまった。もちろん、現時点で確信はないはずだけど、疑われた時点で放置は出来ない。
……味方に引き入れるのが無難かなぁ。
無理なら他の手段を考えよう。そう思って、私は笑みを浮かべた。
「千秋先生の予想通りです」
「なら、さっき上手だったのは……」
「事前にヒップホップの基礎を学んだからです」
「ほ、本当に? じゃあ、どうして、あんなことを……」
言葉を濁しているけれど、私が乃々歌を虐めたことを指しているのは明らかだ。でも、私はその質問には答えず、「乃々歌はどうなりましたか?」と質問を返した。
「え? 彼女なら、何処かのペアに混ぜてもらっていると思います。一般生のペアがこぞって、彼女に声を掛けていましたから」
「……そうですか、安心しました」
「安心?」
千秋先生が理解できないと首を捻る。
「千秋先生は、財閥特待生と一般生のあいだに溝があることを知っていますか?」
「え? え、ええ、それはもちろんよ」
「では、乃々歌が私の関係者と目され、一般生から避けられていたのはご存じですか?」
「それは知りませんでした……って、え? えぇっ!? そ、そうだったの? って、それじゃまさか、貴女が柊木さんにキツく当たったのは……っ」
驚きと、困惑をないまぜにした瞳が私の姿を捕らえた。私は言葉は口にせず、小さな笑みを浮かべて応じる。疑念が確信へと代わったのか、千秋先生の纏う感情が困惑へと変わる。
「……どうして、そのような真似を? 桜坂さんなら、他の方法も選べるでしょう?」
「ダメです」
「だから、どうしてですか? 桜坂さんが言いづらいなら、私から柊木さんに――」
その先は言わせなかった。
私は笑みを浮かべたまま、だけど目を細め、千秋先生の肩に手を置いた。
「先生、一つだけ忠告しておきます」
「な、なにをかしら?」
「乃々歌のために介入し、わたくしを叱った先生を心から尊敬します。優しくて勇気ある、そんな素敵な先生を、わたくしを叱ったからなんて理由で首にしたりはしません。でも、わたくしの秘密を探ったり、それを誰かに話したら……分かりますね?」
私が静かに微笑むと、千秋先生はびくりと身を震わせた。
そうして擦れた声で虚勢を張る。
「こ、怖いことを言うわね。話したら、どうなるって言うの?」
「知りたければ、試してもかまいませんよ」
私が微笑むと、千秋先生はブルブルと震えて首を横に振った。これだけ脅しておけば、私が善人だなんて、乃々歌に言おうとする気はなくなるだろう。
話は終わったと判断して、私は靴を履きなおして立ち上がろうとする。
だけど、千秋先生は震える手で私の腕を摑んだ。
「まだなにか?」
「わ、私は先生です。生徒を護るのが義務です」
「……だから?」
「もし、貴女が柊木さんを虐めているのなら、私は絶対に口を閉ざしたりしないわ」
「つまり、黙っているつもりはないと、そういうことでしょうか?」
もしそうなら、少し面倒なことになる。
そう思ったのだけど、千秋先生は首を横に振った。
「イジメの扱いはとても難しいんです。加害者にそのつもりがなくても、被害者は虐められていると認識する場合もありますから」
「……そうですね。よく聞く話だと思います」
好きだからという理由で、異性にちょっかいを掛けてしまう人もいる。だけど、それで相手が心に傷を負ったらなら、それは虐めに他ならない。
つまり、私がやっていることは虐めに他ならないと言うことになる。
でも、千秋先生は私の結論とは異なる言葉を口にした。
「だけど、貴女の話を聞いて、改めてさっきの光景を思い返して思ったの。加害者が虐めているつもりでも、被害者はそう思っていない場合もあるかもしれない……って」
「なにを……」
「だから、今回のことは誰にも言いません。少なくとも、いまは」
先生はそう結論づけた。でも、乃々歌が虐められていると思っていないなんてことはあり得ない。私の言葉は確実に乃々歌の心を抉ったはずだ。
千秋先生は本気でそう思っているのか、それとも私の脅迫に屈する言い訳か。
彼女の気が変わったときの保険は必要だ。だけど、しばらく黙っていてくれるのならひとまずは問題はない。そう判断した私は「心得ておきます」と立ち上がった。
「桜坂さん、足はどうするの?」
「後で使用人に処置してもらいます。保健室には行けませんから」
「……無理しないようにね」
先生の気遣いにお礼を言って、私はその場から立ち去った。
結論から言えば、乃々歌が一般生のあいだで孤立している状況は改善された。
先日の一件で、乃々歌に対するいくつかの噂が流れた。その噂というのは、乃々歌が桜坂家のご令嬢の不興を買ったとか、最初から仲良くなんてなかったという内容だ。
後者の噂は望むところだが、前者は乃々歌に近付く者が巻き添えを食らいそうだと警戒しそうで好ましくない。よって、紫月お姉様の手の者達が、噂の方向性を誘導した。
正反対の噂を流すのは難しくとも、噂の方向性を変えることは可能だったようだ。
こうして二週間ほど掛けて、乃々歌は一般生達と打ち解けていった。問題がすべて解決した訳ではないけれど、とにかく目先の問題は解決できたと思っていいだろう。
私はそれを横目に勉強に打ち込み――ほどなくして中間試験が始まった。
中間試験は五日に分けられていて、五日目は一般教養などのテストも含まれる。入試のときは的を絞ることが出来たけれど、今回はすべての項目において目標を達成する必要がある。
初日の朝、私は自分の席に座り、これから受けるテストの内容を思い返していた。
ただし、悪役令嬢は必死に予習したりしない。そんな信念に基づき、私は雑学の本を眺めながら試験内容を思い返していた。
だから、だろうか?
「澪さんは相変わらず本を読んでいらっしゃいますわね」
不意に六花さんが話しかけてきた。彼女と話すのは、私が体育の授業中に乃々歌を虐めて以来、およそ二週間ぶりだ。正直、もう話しかけられることはないと思っていた。
「……声を掛けられるのは意外でした」
「わたくしも、試験の結果が出るまでは話しかけないつもりだったんですが、澪さんの張り詰めた空気が気になりまして」
張り詰めた空気? と首を傾げる。内心はともかく、表面上は余裕ぶってテスト前なのに読書をしている振りをしていた。緊張してるようには見えなかったはずだ。
いや、それよりも『試験の結果が出るまでは』話しかけるつもりはなかった? それは逆を言えば、最初から中間試験の結果が出れば話しかけるつもりがあったと言うことだ。
それはつまり……
「先日の約束、既に反故になったものと思っていたのですが?」
「体育の一件、貴女の行動はハッキリ言って不快でした」
きっぱりと言われる。
そのあまりのすがすがしさに、私は答えの代わりに苦笑いを浮かべた。
私だって、六花さんと同じ立場なら、同じような感想を抱くだろう。でも、六花さんと同じように、胸を張って不快だと言えるかは分からない。
さすが、雪城家のご令嬢、といったところだ。
「不快なら、話しかけずともよろしいのでは? いまなら、先日の約束をなかったことにしても、誰も不義理だとは思わないはずです」
六花さんに理解して欲しいと思う反面、これ以上踏み込んでこないで欲しいとも思う。二つの相反する感情がせめぎ合い、私は六花さんを遠ざけようとした。
だけど――
「そうしようかと迷ったのは事実です。ですが、こうも思ったんです。見知らぬ女の子を助けるような親切な方が、相手が庶民だという理由であんな風に辛く当たるものだろうか、と」
「……見知らぬ女の子?」
「瑠璃のことです」
そっちか――と、納得する。
たしかに、取り巻きの二人が、自分から乃々歌を虐めていたとは言わないだろう。
でも、瑠璃ちゃんの件なら話は早い。あのときの私は瑠璃ちゃんの正体を知らなかったけど、それは私にしか確認できない事実だから。
「見知らぬ女の子ではありましたが、身なりから財閥関係者だと予想していました。見返りを期待して、打算的に手助けしただけですわ」
「かもしれませんね。でも、打算で動ける人が、わたくしの誘いを断って、あのような暴挙に走るはずがありません。つまり、貴女の行動は矛盾している。裏があると言うことです」
そんな理由で見抜かれるとは思わなかった。
さすがとしか言いようがない。
追い詰められて沈黙する私に、六花さんが説明を続けた。
「そうして視野を広げたら気付いたんです。一般生のあいだで孤立しつつあった柊木さんが、いつの間にかみんなと仲良くなっていることに。貴女が、狙ったのではありませんか?」
完敗だった。
でも、私はその敗北を認めない。
私が認めない限り、その真実が事実には成り得ない事象だと知っているから。
「……結果論ですね」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれない。だからこそ、貴女を見極めようと思ったのです。……ご迷惑ですか?」
私は答えられない。答えられるはずがない。
私が乃々歌に酷いことをしたのは事実だ。それはみんなが見ている。それなのに、私のことを信用しようとしてくれている。そんな彼女に迷惑だなんて言えるはずがない。
そして、私が沈黙した時点で、私は白状したも同然だった。
「試験、がんばってくださいね」
六花さんは微笑みを残して去っていった。
私はその後ろ姿を見送って、それから本に視線を落とす。でも、その後は一ページもめくることなく、これから受ける試験についての準備に時間を費やした。
そうして初日のテストは無事に終了。
二日目も無事に終わり、三日目のテストが始まった。
とはいえ、準備は整っている。入試のときのように成績を急上昇させる必要はなく、後回しにしていた課目を集中的に取り掛かるだけだった。
私は特に慌てるとことなく、淡々とテストの解答欄を埋めていく。
テストが終わると、問題用紙と教科書を並べて唸っている乃々歌を見かけたけど、私が近付く素振りを見せると、一般生の女の子が乃々歌を庇うように現れた。
女の子は制服のスカートをぎゅっと握り締め、それでも私から乃々歌を隠す。どうやら、乃々歌は一般生と良き関係を築けているようだ。
私はなんでもない風を装って帰る支度をする。
ほどなく、乃々歌はクラスメイトの女の子達に、図書館で勉強をしようと誘われる。彼女は私にちらりと視線を向けると、友達の申し出を受けて教室を後にした。
それを見届け、私も帰路につく。
そうして三日目は無事に終わり、四日目、五日目のテストも無事に終わる。最後のテスト用紙が回収されるのを見届け、先生が退出するのを横目に軽く伸びをした。
直後、私の視界に琉煌さんが映って思わず咳き込みそうになった。すぐに伸びをやめて、なんでもない風を装う。そこへ近付いてきた琉煌さんが話しかけてくる。
「おまえは本当に難儀な性格だな」
「……もしかしてわたくし、喧嘩を売られているのかしら?」
憎まれ口を返しながら、なんのことだろうかと必死に頭を働かせる。
琉煌さんの性格を考えても、乃々歌の件だとさすがに遅すぎる。それとも……もしかして、六花さんとなにか話したのかな? ……それならありそうな気がする。
そんなことを考えつつ、さあ答え合わせこーい! と思っていたら、琉煌さんは肩をすくめて去っていった。って、ちょっと、私に用があったんじゃないの?
心の中で呼び止めるけど、彼はそのまま去っていった。
……ぐぬぬ。
そんな風にされると気になるじゃない。それとも、私に気にさせる作戦? それなら思いっ切り術中にはまってるけど、特に意味はない可能性もありそうだ。
なんにしても、今日は琉煌さんにかまってる暇はない。
ようやく中間試験も終わって一区切り、この機会に雫のお見舞いに行くのだ! という訳で、私は鞄に筆記用具などをしまって教室を後にした。
「雫、お見舞いに来たよ~」
「澪お姉ちゃん、今日は早いんだね。もしかして創立記念日かなにか?」
「うぅん、今日は試験の最終日だったんだよ」
「え、でも……」
雫の視線が私の服装に向けられる。
私が身に付けているのは、先日のモデルで使用した洋服の一つ。夏を先取りしたサマーカーディガンとブラウス、ハイウェストのスカート&ニーハイソックスだ。
雫は私が地元の公立高校に通っていると思っているので、制服で学校がバレるのを防ぐ必要がある。そのため、一度帰って着替えてから来た――という設定を伝える。
本当は病院の更衣室を借りたんだけどね。
「家に帰って着替えてきた?」
「うん、これを渡したかったから」
私はそう言って、手に提げていた荷物を雫のまえに掲げて見せた。
「それ、なに?」
「雫にプレゼント、ノートパソコンだよ。私とおそろいで買っちゃった」
「え、ノートパソコン? って……うわっ、これ、年末に出たモデルの高級品じゃない。ものすごく高かったんじゃない?」
「そんなことないよ。ほら、領収書」
突っ込まれると思って、用意してあった領収書を見せる。
それを見た雫が信じられないと目を見張った。
パソコンのことは分からないから、桜花百貨店の家電量販店で予算を提示して、ライブチャットが出来る手頃なノートパソコンを選んで欲しいと店員さんにお願いした。
そうして売ってもらった品なので、私のバイト代で買える程度の金額だ。
「ほんとに、ほんとにこの金額で購入できたの?」
「そうだってば。それより、これで私とライブチャットできるでしょ?」
「え、まぁ、それはもちろん、出来るけど……」
値段に納得いってないみたいだけど、私は嘘を吐いていない。
「それより、設定は分かる?」
「うん、この程度ならすぐに設定できるよ。そういう澪お姉ちゃんは?」
「私も大丈夫。友達に教えてもらったから」
本当はシャノンだけど、もちろんそんなややこしくなるようなことは言わない。私は雫がノートパソコンを触り始めるのを横目に、お見舞いのリンゴを剥くことにした。
余談だけど、雫の病室には、キッチンやリビングまである。
悪役令嬢の教育課程に料理はないけれど、佐藤 澪には必要だった技術。最近は使ってないけど……と、キッチンでナイフを手に取って、クルクルとリンゴの皮を剥き始めた。
鼻歌交じりにリンゴを剥いていると、雫が「ねぇ澪お姉ちゃん」と呼びかけてきた。
「どうかした?」
「最近、お姉ちゃんはなにをしてるの?」
「なにって……女子高生? あと、バイトもしてるよ」
「バイトって、楓さんのところ?」
「……うぅん、高校生になったから、別のところで働いてるよ」
ボロが出来ないように誤魔化す。
それを聞いた雫はわずかに沈黙して――
「変なバイト、してないよね?」
唐突にそんなことを言った。
私はびくりと身を震わせ、だけど深呼吸一つで冷静さを取り戻す。何食わぬ顔で「変なバイトってなによ?」と振り返ると、雫は裏返しになったファッション誌に視線を向けた。
「……雫、そのファッション誌がどうかしたの?」
「……うぅん。なんでもない」
「そう?」
「うん」
どうして急に興味をなくしたのか分からないけど、自分からほんとに怪しいバイトなんてしてないわよ? なんて言いだしたら怪しすぎる。話題は蒸し返さない方がいいだろう。
私は剥いたリンゴをベッドサイドのテーブルに置いた。
それから数日が過ぎ、試験の結果が発表される日になった。廊下には上位五十名の名前が張り出されている。私はそれを見るために教室を後にした。
上から見ると、十番以内に琉煌さんや陸さんの名前が入っている。
続いていくつか見知った名前が並び、二十七位に六花さんの名前があった。
それからしばらく、眺めていくと四十四位に桜坂 澪の名前があった。
結構ギリギリだけど、ミッションを達成し、六花さんとの約束も果たせたようだ。私はその事実にほっと一息をつく。
ついでに五十位まで確認すると、五十位に乃々歌の名前があった。
――え?
驚いて、もう一度見直すけれど、たしかに柊木 乃々歌と書かれている。
原作の彼女は徐々に成績を上げ、二学期くらいからここに名前が載るはずだった。なのに、一学期の中間試験から、ギリギリとはいえ名前が載っているのは驚きだ。
その事実に驚いていると、「目標達成、おめでとうございます」と声を掛けられた。振り向くと、悠然と微笑む六花さんの姿があった。
「六花さんこそ、二十七位なんてすごいじゃないですか」
「ありがとう。でも、澪さんほどじゃないわよ」
一瞬、嫌味かと思ったけれど、六花さんがこんな嫌味を言うとは思えない。そう思って首を傾げると「澪さんの入試の結果を知っているんです」と笑った。
どうやら、私が成績を大きく上げたことを知っているらしい。
……というか、入試の結果って、自分の分以外は非公開のはずなんだけどなぁ。
まあ、紫月お姉様も知ってそうだし、今更か。
「そういえば……お二人の姿が見えませんね?」
「ええ。そして謝罪もなく、名前も載っていない。そういうことなのでしょう」
見切りを付けるつもりのようだ。
悪役令嬢の取り巻きになれず、六花さんのお友達にもなれなかった。彼女達がこれからどうなるのかは分からないけど、悪役令嬢と共に破滅するよりはましだろう。
「それにしても、やはりわたくしの予想は間違っていなかったようですね」
「予想、ですか?」
六花さんの言葉に、私は首を傾げた。
「澪さんが見かけ通りではない、ということです。休み時間も本を読んでいるばかりなのに、結果はしっかりと出している。澪さんは努力を見せない方なのですね」
私はその言葉に応えない。六花さんは微笑んで「貴女が正式に雪月花に選ばれるのを、わたくしは楽しみにしております」と去っていった。
私としても、色々なヤマが片付いて一安心だ。
もちろん、校外学習でのイベントなんかが待っているけれど、雪月花入りは結果を待つだけだ。大きな問題を起こせばその限りじゃないけれど、権力を笠に着た程度じゃ雪月花入りが立ち消えになることはない。
私の意識は、完全に校外学習でのイベントに意識が移っていた。
だけど、数日後。
私が戸籍を改竄していて、実は桜坂家の血を引いていないという噂が、学園であっという間に広がった。まるで、誰かが意図的に噂を広げているように。