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エピソード 3ー3

「い、いつの間に。というか、なんですか?」

「待ちなさい。……と、うん、いい表情をするじゃない。よかったわね、貴女。今回のコンセプトにマッチしていて。いえ、だからこそ、なのかしら?」

「……どういうこと?」

「さっさと着替えなさいって言ってるの」


 どうやら、今回のモデルに私を使ってくれると言うことらしい。それなら最初からそう言って欲しい――と思うのは、私のワガママなのだろうか?

 でも、どうして急に意見を翻したんだろう――という疑問には、後で紫月お姉様が答えてくれた。今回撮影をするファッション誌には毎回テーマがあって、今回のテーマは『誰かのために、がんばるキミの戦闘服オシャレ特集』だったらしい。

 それが、自然体の私にちょうどマッチした。

 ということで写真撮影は始まり――


「ほら、さっさとさっきの表情を浮かべなさい」

「さっきの表情って、どの表情よ」

「ったく、しょうがないわね。そんな体たらくで妹を護れると思ってるの? ……そう、その表情よ。出来るじゃない。ほら、次はあっち。あっちに妹がいると思いなさい」

「え、妹?」

「そう、貴女の妹が助けを求めてるわ。貴女が出来ることはなに? そこで突っ立ってること? 違うでしょ? そう、その表情よ。いいわ、やれば出来るじゃない」


 そんな感じで撮影は続く。

 紆余曲折あったものの、なんとか最後まで無事に終わった。



「お疲れ、澪。貴女、中々面白い人材ね。また機会があれば撮ってあげるわ」

「そうね、機会があれば撮られてあげてもいいわよ」

「ふふっ、ほんと口の減らない小娘ね。なんて……それも演技よね。アタシは素の貴女の方が魅力的だと思うけど、なにか訳ありなのよね」

「小鳥遊先生、それ――」

「分かってる、誰にも言わないわ。それと、名刺、渡しといてあげる。アタシに撮られたくなったらいつでも連絡してきなさい」


 小鳥遊先生の名刺を受け取って、代わりにシャノンが用意した名刺を手渡した。背後で、他のスタッフが、小鳥遊先生が名刺を渡すなんて……と驚く声が聞こえる。

 これも後で聞いた話だけど、小鳥遊先生がモデルの名前を覚えるのは相手を認めたときだけで、名刺を渡すのはもっと珍しいんだって。どうなることかと思ったけど、ひとまずは無事に終わったと思っていいのかな?

 そんな風に考えながら、私は撮影現場を後にした。



「――あら、貴女は」


 スタジオの廊下を歩いていると、六花さんと出くわした。


「ご機嫌よう、六花さん」

「ご機嫌よう、澪さん。こうして話すのは初めてですわね」


 丁寧な口調だけど、私は嫌な予感を覚えた。と言っても、六花さんの口調に毒が含まれているとか、その表情が笑っていないという訳じゃない。

 六花さんの物腰は柔らかそうだ。


 私が嫌な予感を抱いたのは――と、彼女の背後へと視線を向ける。

 付き人のように従う顔ぶれに、見覚えのある少女が二人混じっている。それは、入試の日に乃々歌ちゃんに絡んでいた西園寺さいおんじ 沙也香さやかと、東路あずまじ 明日香あすかである。

 悪役令嬢の取り巻きであるはずの二人がここにいるのか、偶然か、必然か、必然として目的はなんなのか、圧倒的に情報が足りない。彼女達がなぜ行動をともにしているか、情報を手に入れるまで関わり合いになるのを避けるべきだろう。


「それでは、わたくしは失礼いたしますわ」


 そう言って彼女の横を通り過ぎようとする。

 だけどすれ違った直後「お待ちなさい」と六花さんが声を上げた。私は頬が引き攣るのを自覚しつつも、「なんでしょう?」と作った笑顔で振り返った。


「貴女、琉煌とはどういう関係ですの?」


 悪役令嬢の取り巻きを引き連れるのは、原作には登場しないメイン攻略対象の従姉。六花さんが私を引き止めてまで問い掛けてきたのはそんな言葉だった。

 彼女の質問の意図が掴めず、私は当たり障りのない答えを返す。


「どう、と言われましても。ご存じのように、ただのクラスメイトですが?」


 別のクラスになった陸さんはもちろん、乃々歌ちゃんや琉煌さんとも話していない。同じクラスである彼女なら、それを知っているはずだ。

 だけど、私の言葉に西園寺さんと東路さんが反応する。


「嘘を吐かないで! だったらどうして、琉煌様があなたと踊ったのよ!」

「そうですわ! それに聞きましたわよ。最近まで、桜坂財閥に澪という名前の令嬢はいなかったそうじゃありませんか。貴女、どこからか連れてこられた養子なのでしょう? それなのに、琉煌様の隣に立つなんて許されると思っているのかしら?」


 悪役令嬢の側に立ち、ヒロインを責め立てるはずの二人がいま、六花さんという後ろ盾を得て、私に誹謗中傷を投げかけている。

 二人が悪役令嬢の取り巻きに相応しい性格というのは事実のようだ。なら、そんな二人を従える六花さんは、悪役令嬢のような立ち位置にいるのだろうか?


「お止めなさい。……西園寺さん。頭ごなしに嘘と決めつけるものではありませんわよ。それに東路さんも、生まれを揶揄するような物言いはよくありませんわ」


 私の予想とは裏腹に、六花さんはやんわりと二人を諭した。


「……申し訳ありません、六花様」

「六花様、申し訳ありません」


 二人は項垂れて頭を下げた。ただし、謝罪の相手は私ではなく六花さんだ。私には謝りたくないという内心が滲んでいる。それに気付いた六花さんが眉をひそめる。


「貴女達――」

「六花さん、わたくしへの質問は琉煌さんとの関係について、ですか?」


 六花さんの言葉を遮る。

 彼女が取り巻き達に謝罪を強制しても、二人が反省するとは思えない。それどころか、六花さんのまえで恥を掻かされたと私に対して恨みを募らせるだろう。

 そんなのは私にとって害悪でしかない。だから、謝罪は必要ないと遮った。それに気付いたであろう六花さんは少しだけ困った顔をして、一呼吸置いてから頷いた。


「ええ。わたくしの質問は、貴女と琉煌の関係について、ですわ」

「返答するまえに、質問の意図を聞いてもいいでしょうか?」

「意図ですか? わたくしは琉煌の従姉で、グループ企業に属する会社の娘ですから」


 従姉というのは、従弟の相手が気になるという意味だろう。そこに恋愛感情が絡んでいるかどうかまでは、現時点では分からない。でもグループ企業という下りを考えると、私達の関係を勘ぐって、次期当主の伴侶に相応しいかどうかが気になっている、と言ったところか。


「六花さんのそれは杞憂です。先日、妹さんのお世話をする機会があり、そのお礼をしていただいただけですわ」

「……妹? 瑠璃のことですか?」


 詳しくは琉煌さんに聞いてください――と言いたいところだけど、それはそれで話がこじれそうな気がする。私は差し障りのない範囲で事情を打ち明けることにした。


「東路さんが仰ったようにわたくしは養女です。雪城財閥の御曹司と踊ることで、わたくしの立場を護ることが出来るとお考えだったようですよ」

「……やはり、琉煌さんにとってあなたは特別な相手なのですね」


 どうしてそうなるのよ! と、喉元まで込み上げたセリフは寸前のところで飲み込んだ。

 だけど、私は悪役令嬢だ。

 分不相応にも攻略対象に恋をして、ヒロインに負けて破滅するのが私の運命だ。琉煌さんが私に特別な感情を抱いていると誤解されるのは避けなくてはいけない。


「琉煌さんにそのようなお考えはないと思います」

「いまはそうだとしても、これからはどうなるか分からないではありませんか」


 いえ、原作乙女ゲームの展開と違うのであり得ません――とはさすがに言えない。と言うか話がよくない方に向かっている。ここは話題をずらしたほうがよさそうだ。


 でも、どういう方向にずらそう?

 状況的には『わたくしにその気はないのでご安心ください』の一言で解決するのだけど、悪役令嬢であるという事実がそれを許してくれない。


 立場的に、琉煌さんに想いを寄せているというスタンスを否定することは許されないけど、周囲に味方してもらうことは許されないって、結構しんどいよね。


 ……うぅん、考えれば答えは一つしかないね。琉煌さんへの想いは否定せず、だけど六花さんには応援してもらえないような発言をするしかない。


「結局、貴方はなにをおっしゃりたいのですか? そちらの彼女のように、養女のわたくしは琉煌さんに相応しくないから身を引けと、そういう話かしら?」


 挑発に乗ったかのようにして、険悪な空気へ持っていこうとする。


「あら、育ちなんてたいした問題ではありませんわ。重要なのは生まれや育ちじゃなくて、いまの貴女が琉煌の隣に相応しいかどうか、それだけではありませんか」

「いえ、それは、そうですが……」


 すっごい正論で諭された。

 と言うかこの人、普通に良い人な気がしてきた。


「もしかして、澪さんは養子であることに負い目を感じていらっしゃるの?」

「いいえ。養子と言っても、わたくしは桜坂の血を引いていますから、負い目に感じる理由はありませんわ。もっとも『養子であることは桜坂 澪にとっての負い目である』と考えている方々がいることは存じておりますけれど」


 視線を取り巻きに向けて笑う。

 揶揄する人間はいるけれど、私は歯牙にも掛けていないという意思表示。取り巻きの二人が反応しようとするけれど、それは六花さんが押さえ込んだ。

 彼女は少し考えて、「ではこうしましょう」と胸のまえで手を打ち合わせた。


「わたくしに、貴女を見極めさせてください。もし貴女が雪月花に選ばれれば、わたくしは貴女を友人と認め、一度だけ琉煌との関係を取り持つと約束しましょう」

「……はい?」

「心配しないでください。雪月花に選ばれずとも力にならないだけで、琉煌さんと貴女の仲を邪魔したりはいたしませんわ」


 そんな心配はしてないよ! と、心の中で悲鳴を上げた。

 だけど、私が雪月花になるのは予定調和だ。いまから停学になるような問題を起こすとか、成績を大きく落とすなどしなければ、雪月花になることは決まっている。


 つまり、私を見極めるというのはほぼ口実。私が自分の生まれを揶揄する人間を歯牙にも掛けていないと口にしたことで、逆にそれなりに煩わしく思っていると判断。口さがない者達を黙らせるために自分が味方になる――と、そう言ってくれているのだ。


 ……この人、すごく良い人だ。

 でも、困った。この状況は私の望む状況じゃない。

 悪役令嬢は琉煌さんに想いを寄せているけれど、それを周囲の誰も快く思っていない。それが原作乙女ゲームの展開的に理想な状況なのに、六花さんに味方されると困ってしまう。


 でも、私にはこの提案を断る口実がない。

 悪役令嬢として振る舞う私が、ここでこの提案から逃げるなんて真似は出来ない。シャノンになにか良い案はないかと視線を向けるけれど、彼女は無言で首を横に振った。

 困った、どうしよう。誰でもいいから助けて――と、心の声が聞こえた訳ではないだろうけど、東路さんが「お待ちください、六花様」と待ったを掛けた。


 さすが悪役令嬢の取り巻き! ヒロインの邪魔をするはずの貴方達が私の邪魔をしているのがちょっと気になるけど、とにかくこの状況をぶち壊して!

 内心でエールを送ると、それに背中を押されたかのように東路さんが捲し立てた。


「彼女が雪月花に選ばれるのは既に決まっていることではありませんか。その条件は、いくらなんでも彼女に有利すぎますわ!」

「そうです、六花様。六花様のご友人と認めるなら、もっと条件を厳しくするべきです」


 ここだ――っ! と、私は口を開く。


「そうですわね。雪月花になれるかどうかで見極めると言われても困りますわ。わたくしが雪月花に選ばれるのは必然ですから」


 傲慢に、悪役令嬢らしく笑う。

 これで性格の悪い私は琉煌さんに相応しくないと判断して、私を試す気を失ってくれれば最高だ。そう思ったのだけど、六花さんは少し考えた後に視線を取り巻き達に向けた。


「では、二人はどのような条件ならいいと思うのですか?」

「それは……」


 と、西園寺さんと東路さんがヒソヒソと話し合う。

 さすがに、前言を撤回してはくれないか。でも、二人に任せたのは良い判断だ。ここで私が絶対に達成できないような無茶振りをしてくれれば、私が断る口実になる。

 がんばれ~、無茶な条件をひねりだせ~と念を送っていると、ほどなくして話し合いは終わり、東路さんが「それなら、こういうのはいかがでしょう?」と条件を口にする。


「六花様にとって重要なのは、いま現在、その地位に相応しい能力を持っているかどうかなのですよね? であるならば、それを証明するのはやはり成績でしょう」

「雪月花に選ばれるなら、成績も相応のはずですが?」


 六花さんは首を傾げた。


「それじゃ足りません。六花様にご友人として認めていただくのですから、今度の中間試験、総合成績で五十位以内に入るくらいは出来て当然でしょう」


 したり顔で口にする東路さん。少し考えた六花さんは「そうね。そういう考え方もあるかもしれないわね」と、同意した。それを見た取り巻きの二人は小さく笑う。

 雪城財閥のご令嬢を味方に出来ると考えれば、破格の条件と言えなくもない。けど、基本的に一般生は成績優秀なので、財閥特待生が五十位以内に入るのは大変だ。

 東路さん達の提案は、完全に私に対する嫌がらせだろう。


 だけど、私は元から中間試験で上位二十%以内に入れというミッションを受けている。一年の生徒数は二百五十人程度なので、五十位以内は元々の目標と変わりない。

 そう思っていたら、六花さんが口を開いた。

 ただし――


「それでは、貴方達にも達成していただきましょう」


 取り巻きの二人に向けて。


 西園寺さんと東路さんは「え、私達ですか?」と顔を見回せる。その瞬間、六花さんの瞳が冷たく光ったのを私は見逃さなかった。


「わたくしの友人には相応の成績が必要なのでしょう?」

「い、いえ、それは……」

「なにかしら? 澪さんに条件を突き付けて、自分達は突き付けられないとでも? まさか、澪さんが養女だからと、差別している訳ではありませんわよね?」


 六花さんの問い掛けに二人は言葉を返せない。

 それを認めれば、六花さんの忠告を無視して私の生まれを差別していることになるし、認めなければ自分達も厳しい条件を満たさなければいけないことになるからだ。

 そうして二人の反論を封じた六花さんは淡々と言葉を紡いだ。


「自分の発言には責任を持ちなさい。西園寺さん、東路さん、次の中間試験で、五十位以内に入るか、それに代わる価値を証明しなければ、わたくしは貴方達を友人と認めません」

「それ、は……」


 二人の顔色が真っ青になっている。おそらく、現時点の成績から相当厳しい条件なのだろう。でも、六花さんは条件を緩和したりしなかった。


「いいですね?」

「わ、分かり、ました」

「が、がんばります」


 震える声で了承する二人に「では、今日はもう帰りなさい」と六花さんは突き放す。二人は私をきっと睨みつけ、それから逃げるように走り去っていった。

 その後ろ姿を見送り、六花さんは私に向き直り――深々と頭を下げた。


「澪さん、わたくしの連れが失礼いたしました」

「いえ、気にしていませんわ」


 取り巻きを従えるのなら、その者達の行動にも責任を持つ必要がある。その考え方は財閥関係者の中ではある程度浸透している考え方なので、貴女に責任がないとは言わない。


 ただ、彼女達は悪役令嬢の取り巻きだ。私が六花さんに押し付けたようなものなので、さすがにこの件で六花さんを責める気にはなれない。


「それより、さきほどの言葉は本気ですか? あの様子を見るに、二人が条件を達成するのはかなり難しいのではありませんか?」

「そうですわね。でも、彼女達が言いだしたことです」


 前言を翻すつもりはないようだ。残っているお付きの人達も頷いているので、あの二人の暴走は今回が初めてではないのかもしれない。


「友人という訳ではないのですか?」

「雪城家の後ろ盾目当てで近付いてきた方々ですから、お友達になった覚えはありませんわ」

「では、最初から切り捨てるつもりだった……と?」

「いえ、そういう訳ではありません。ですから、自分達の言葉に責任を持って条件を達成するか、あるいは貴女に謝罪するくらいの誠意を見せるなど、わたくしのお友達に相応しい価値を見せるのなら認めるつもりです」


 能力の証明か、善良であることを証明する。そのどちらかを成し遂げられれば友人と認め、どちらも成し遂げられなければ切り捨てる、ということ。

 さすが大財閥のお嬢様、判断基準が興味深い。

 それよりも、問題は私の件だ。


「それで、わたくしも同じ条件を課せられるのですか?」


 おいたをした取り巻きをやり込めるために利用されたようなものだ。それが少しだけ不満だという感情を滲ませる。もちろん本心ではなく、交渉のためのブラフだけど。


「澪さんはなにをお望みですか?」


 六花さんはすぐさま、私が不満を滲ませた意図に気が付いた。すごいよこの人、もしかしたら紫月お姉様に匹敵する能力の持ち主かもしれない。


「条件を変えてください。わたくしが五十位以内に入り、無事に雪月花のメンバーに入ることが出来たのなら、一度だけ、六花さんが無条件でわたくしの味方になってください」

「それは、私個人の力が及ぶ範囲、ということでよろしいでしょうか?」

「もちろん、親の会社を動かせなんて無茶は申しませんわ」


 琉煌と私の仲を取り持つという条件を、私の味方をするという内容に変えただけ。その、条件が変わっていないようで変わっている。その差異に気付いたかどうか――

 果たして、六花さんは了承の意を示した。


「いいでしょう。貴女が条件を達成したら、わたくしは貴女を友人と認め、わたくし個人の力が及ぶ範囲に限り一度だけ、無条件で貴女の味方になると約束します」


 上手くいった。

 これで軌道修正が楽になった。

 紫月お姉様から与えられたミッションを淡々とこなす。それだけで私は六花さんに認められ、乃々歌ちゃんと琉煌さんの仲を取り持つための切り札を手にすることが出来る。


「その言葉、忘れないでくださいね」


 私は肩口に零れ落ちた髪を手の甲で払い、悪役令嬢らしく微笑んだ。



 紫月お姉様から与えられたミッションを淡々とこなす。それだけで私は六花さんに認められ、乃々歌ちゃんと琉煌さんの仲を取り持つための切り札を手にすることが出来る。

 ――と、キメポーズまで取った私だけど、成績は目標達成ギリギリだ。


 家では必死にレッスンを受け、学園では余裕の表情を作って必死に授業を受ける。休み時間はもちろん、教養を身に付けるための読書に費やす。

 そんな日々が続く。

 おかげで、学園が始まって一月以上が過ぎたのに、私にはいまだに友人と呼べる人物がいない。ぼっちの悪役令嬢ってどうなんだろう?

 悪役令嬢は友達がいないって書くと、なんかラノベのタイトルっぽいよね。


 そんな風に現実逃避をしながらも、必死に勉学に励む日々が続く。ある日の夜、レッスンを終えて部屋に戻ろうとすると、紫月お姉様が待っていた。


 だけど、紫月お姉様にいつもの覇気が感じられない。私のまえに立っているのは普通の、進むべき道を見失い、迷子になった女の子だった。


「……なにかあったのですか?」

「ええ、また、原作と違う方向に話が進んでいるの」

「分かりました。なら、どうしたらいいか教えてください。私が元に戻します」


 紫月お姉様を励ましたくて、わざと強気に言い放った。だけど、紫月お姉様は元気を取り戻すどころか、ますます悲しげな顔をした。

 そうして、俯いたままぽつりと呟く。


「……乃々歌が孤立しているの」


 私は思わず瞬いた。彼女は原作乙女ゲームのヒロインで、人懐っこくてポジティブな性格の持ち主だ。そんな彼女が孤立するなんて訳が分からない。


「柊木さんが孤立って、どういうことですか?」

「彼女が名倉財閥理事長の孫娘だと言うことは知っているわよね? その上で、貴女のように養子になるのではなく、柊木の名で一般生として学園に入学したって」

「はい、もちろんです」


 だからこそ、悪役令嬢の取り巻きに目を付けられるようなことになった。その代わりとして、一般生のあいだでは人気者になるのが原作乙女ゲームの設定だったはずだ。


「財閥特待生から、一般生として見下されているのは原作通り。だけど現実では、一般生からも避けられているの。財閥特待生と繋がりのある人物だと目されて」

「財閥特待生との繋がりですか?」


 そんな相手いたかなと首を傾げる。

 陸さんは……違うよね? たしかに彼は一般生として学園にいる財閥の子息だけど、それは原作乙女ゲームの設定通りだ。乃々歌ちゃんが一般生に敬遠される理由にはならないはずだ。

 だったら……


「澪、貴女のことよ」

「私、ですか?」

「新入生の歓迎パーティーで、乃々歌が貴女と親しげに話していたのを多くの生徒が目撃してるわ。だから、乃々歌は貴女の関係者だと思われているのよ」

「待ってくださいっ! 私は、彼女を突き放したんですよ?」


 私がどんな言葉で乃々歌ちゃんを傷付けたか聞いていれば、私達が仲良しだなんて間違っても思わないはずだ。……待って、聞いて、いれば?


「そう。貴女はたしかに冷酷な言葉を浴びせて乃々歌を突き放した。でも、それは一瞬のことだったから、周囲で見ていた生徒は貴女達が仲良く喋っているようにしか見えなかった」

「……私のミス、ですね」


 周囲に乃々歌ちゃんを虐める浅ましい姿を見られたくなくて、端的な言葉を選んで乃々歌ちゃんを突き放した。だから、周囲の人はそれに気付かなかった。私がもっと悪役令嬢らしく振る舞っていたら、乃々歌ちゃんは孤立しなかった。

 私の半端な行動が、よけいに乃々歌ちゃんを傷付けている。


「私……ダメですね。失敗ばっかりです」

「いいえ、貴女は悪くないわ。悪いのは、原作乙女ゲームの展開ばかりを気にして、周囲への影響を予測して指示を出さなかったわたくしよ。だけど――」


 紫月お姉様はきゅっとスカートの裾を握り締め、私をまっすぐに見つめた。


「情報操作も試みたけど上手くいってない。だから、これは貴女が修正するしかない。貴女には乃々歌と仲良くするつもりなんてないと、みんなのまえで証明しなくちゃいけない」

「……はい」

「しばらくは傷付けなくてもいいと言ったのに、こんなことになってごめんなさい。心から申し訳ないと思うけど、それでも……」

「大丈夫、分かってます」


 原作乙女ゲームのハッピーエンドと同じ展開を迎えることで、未曾有の金融危機を乗り越えることが出来て、雫の病を治す治療法も確立される。そして、その治療を雫が早く受けるには、桜坂家の破滅回避が必要だ。だから、私は原作乙女ゲームの展開通りに物事を進めるしかない。どんなに厳しくても、他の道を選ぶ訳にはいかないんだ。

 だけど――


「紫月お姉様はなぜ、原作乙女ゲームの展開にこだわるんですか?」

「なぜって……その理由は説明したはずよ」

「たしかに聞きました」


 金融危機を乗り越えるためには、ヒロインの元に財閥の子息達が結束する必要がある、と。

 日本の三大財閥が手を取り合うことで、金融危機を乗り切るという原作のシナリオは理解できる。でも、紫月お姉様はその未来を知っているのだ。


「でも、紫月お姉様なら他の解決策も選べたはずです。なのに、どうして、そんな辛そうな顔をしてまで、私に任せるしかないって言うんですか?」


 雫を救う道を示してくれたこと、私は心から感謝してる。

 でも、紫月お姉様なら、私という代役を立てずに、金融危機と桜坂家の破滅を回避することだって出来たのではないか――と、私は思うのだ。


「……そうね。金融危機を乗り越え、桜坂財閥を護るだけなら、もっと簡単な手はいくらでもあるわ。でも……放っておけなかったから」


 紫月お姉様は誰を、とは言わなかった。だから、それがヒロインのことか、攻略対象のことか、あるいは原作乙女ゲームに登場するみんなのことかは分からない。

 だけど、罪悪感を抱きながら、それでも誰かのために前に進む。

 その理念は私と同じだ。

 紫月お姉様が迷う必要はない。


「……私も、私も護りたいです」

「雫ちゃんのことね」

「はい。私は雫のお姉ちゃんです。……もう、戸籍の上ではお姉ちゃんじゃなくなってしまったけど、それでも私はお姉ちゃんなんです。だから私は必ず雫を助けます」


 そのために必要なことならなんだってする。

 だって――


「これは私が望んだことなんです。だから、紫月お姉様が罪悪感を抱くことなんてない。紫月お姉様はただ、必要だからやれって、私に命じてくださればいいんです」

「……貴女は、こんなときでも人の心配をするのね」

「紫月お姉様の妹ですから」


 紫月お姉様は愁いを帯びた瞳を揺らし、それからこくりと頷いた。


「……分かったわ。三日後の体育では、ペアでダンスの練習をすることになるわ。乃々歌はおそらく孤立する。いいえ、必ず孤立するように仕向けるから、貴女が乃々歌のペアになりなさい。その上で彼女を突き放し、仲良くないって周囲に知らしめるのよ」

「はい。必ず、柊木さんの環境を改善して見せます」

「お願いね。それと、怪我をさせたり、立ち直れないような心の傷を負わせてはダメよ」

「もちろん、分かってます」


 今度の目標は乃々歌ちゃんを傷付けることじゃない。周囲に私が乃々歌ちゃんを虐めているよう見せかけ、私と乃々歌ちゃんは仲良しなんかじゃないと周囲に思い知らすことだ。


 だから少しだけ、ほんの少しだけ気持ちは楽だ。

 乃々歌ちゃんを傷付けるのが目標よりは、だけど。


「……貴女を信じているわ。それと、《《誰がなんと言おうと》》、貴女はいまでも雫ちゃんのお姉ちゃんよ。雫ちゃんのために突き進む貴女を、私は尊いと思う。だから――胸を張りなさい」

「――はい!」


 イジメは犯罪だ。

 私のしていることは悪いことだ。

 それでも、後悔はしない。

 いつか断罪されたら、胸を張って罪を償おう。


「……あぁ、それと、ダンスはヒップホップだから、ちゃんと予習をしておきなさい」

「はい。……はい!? ダンスの授業って、ワルツじゃないんですか!?」


 必死にワルツの練習はしたけど、ヒップホップなんて習っていないと悲鳴を上げる。


「財閥関係者はワルツを踊れて当然だし、一般生はワルツよりヒップホップの方が馴染みやすいでしょ? だから、ダンスの授業はヒップホップよ」

「待って、ちょっと待ってください。まさか、三日後までに覚えろって、そう言ってます?」

「大丈夫、優秀な先生を呼んであるわ」

「だからって、三日で出来るものじゃないですよね!?」

「大丈夫、雫ちゃんのためなら出来る出来る」

「――ぐぬっ。あぁもう、分かりました。やればいいんでしょ。やってやりますよっ! 雫のためなら、ヒップホップくらい、すぐに覚えてやりますから――っ!」


 こうして、私は必死にヒップホップの基礎を学んだ。

 後から考えたら、悪役令嬢がヒップホップに詳しい訳じゃない。目標値までステータスを上げればいいだけなので、ヒップホップが得意である必要はなかったはずだ。

 そもそも、ヒップホップの授業にこだわる必要はない。それなのに、三日で詰め込もうとしたのはきっと、私が思い悩まないようにするためだろう。

 ……ほんと、紫月お姉様の優しさは分かりにくい。



 三日後、登校した私はいつも通りに授業を受け、休み時間は教養を身に付けるための読書に力を入れる。ふと気になって乃々歌ちゃんを見ると、やはり孤立気味のようだ。

 人当たりがいいヒロインのはずなのに、休み時間に一人でいることが多い。もし私が普通の生徒だったのなら、彼女と仲良くなれただろう。

 想像するだけで、それは楽しそうな光景だ。


 でも、私は悪役令嬢だ。

 私は彼女を突き放さなくちゃいけない。そして、それはいまじゃない――と、本に視線を移す。そうして黙々と本を読んでいると、不意に気配を感じて顔を上げる。

 私のすぐ目の前に六花さんが立っていた。


「ご機嫌よう。澪さんは読書がお好きなのね」

「ご機嫌よう、六花さん。本は様々な知識や、異なる人の考え方を知れて楽しいですから」


 その言葉に嘘はない。

 ただし、本が好きだとは言ってない。


 もちろん、本が嫌いな訳じゃないけど、本音を言うともう少し別の、ラノベのような大衆向けの物語が読みたい。悪役令嬢モノは――さすがにいまは遠慮したいけど。


「ところで、わたくしになにかご用ですか?」

「いえ、ずいぶんと余裕そうだなと思いまして」

「ご安心を。出された条件は必ず達成して見せますから」


 六花さんと交流を持つことはかまわないと、紫月お姉様から許可を得ている。六花さんは基本的に原作に関わってこないので、どうするのが正解というのはないらしい。


 それでも、不測の事態は避けたいと少しだけ警戒する。

 ……というか、少し離れた場所で、取り巻きの二人が物凄い目で私を睨んでるんだけど。貴方達、私を睨んでる暇があったら、勉強した方がいいんじゃないの?

 なんて、煽ることになるだけだから言わない。

 けど、六花さんは私への視線に気が付いたようだ。


「貴女を睨んでいる暇があるなら、勉強をするべきだと思うんですけどね」


 ぽつりと呟いた言葉に私は目を瞬いて、それからクスクスと笑った。


「実は、わたくしも同じことを考えていました」

「まぁ、気が合いますわね」

「そう、思っていただけると嬉しいですが……」


 幸か不幸か、六花さんは善人だ。財閥の子女らしい冷酷な判断が出来る人間だけど、その本質はやはり善人だ。乃々歌ちゃんを虐める私を、彼女はきっと許さないだろう。

 ……それでも、条件を満たせば、一度だけ味方になるという約束は守ってくれるはずだ。騙すような形になって申し訳ないけど、自分の見る目がなかったと諦めて欲しい。

 そんなことを考えながら、当たり障りのない会話を交わした。


 そうしてその休み時間は終わり、再び授業が再開される。それからいくつかの授業と休み時間を経て、ついに体育の授業がやってきた。


 蒼生学園には男女ともに更衣室がある。それだけでなく、財閥特待生専用の更衣室があり、私はその中でも専用のスペースを使って着替えを始める。

 体操着の上にジャージを羽織り、下はスパッツの上にジャージを穿いた。

 有名デザイナーがデザインした体操着には蒼生学園のロゴ、ジャージはシンプルながらもスマートなデザインとなっていて、体操服とは思えないほどに肌触りがいい。


 そうして向かうのは体育館。

 体育は男女で別れて授業を受けるため、隣のクラスと合同でおこなう。ただし、今日は男女ともに体育館で授業をおこなうようで、体育館には多くの生徒が集まっていた。

 財閥特待生の私が足を踏み入れると、体育館の空気がピリッと張り詰める。その視線を受け流して視線を巡らせれば、クラスメイトとお話している陸さんを見つけた。

 彼は一瞬だけ私を見て――すぐに視線を外した。


 ……ま、あんなこと言ったんだもん、嫌われて当然だよね。

 そして、今日はもっと嫌われることになる。

 ごめんね、みんなのことを傷付けて。


 心の中で謝罪する。

 そうして顔を上げると、私の目の前に琉煌さんがいた。


「……琉煌さん、私になにか用かしら?」

「おまえは、どうしてそのような……」

「そのような……なんですか?」


 コテリと首を傾げると、彼は頭を振った。それから呼び止めた口実を探すように視線を巡らすと、私の姿に視線を定めた。


「おまえは、なにを着ても似合うのだな」


 ふえ? っと、素の声が零れそうになった。

 落ち着け、私。いまのは本題を隠すために口にしただけで、その言葉が本心だとは限らない。それにいまの私は悪役令嬢。その程度のお世辞は聞き慣れている――設定!


「ただの体操服とはいえ、手掛けたのは東京ガールズコレクションにも顔を出す、若者向けブランドのデザイナーですもの。わたくしに似合わないはずありませんわ」


 髪を掻き上げようとして、体育の授業に合わせて後ろで束ねていたことを思い出す。とっさに髪の房を摑んで、肩口から前面へと引っ張った。

 そうして胸の下で腕を軽く組んで、挑戦的な笑みを浮かべてポーズを取る。


「ふっ、似合って当然、か。そういう傲慢な女は多く見てきたが、実際に似合うからたちが悪い。中学のおまえはそういう性格ではなかったそうだが……高校生デビューか?」

「――こっ!?」


 高校生デビュー!? と、思わず咳き込みそうになった。

 でも、そっか、そうだよね。紫月お姉様がそうだったように、琉煌さんがその気になれば、中学時代の私がどんな風に過ごしていたかだってすぐに調べられる。

 私の性格が大きく変わっていることも分かるはずだ。

 でも、まさか、高校生デビューと思われていたなんて……っ。


 ……いや、大丈夫なはずだよ。高校生デビューだと認識されていても、いまの私が悪役令嬢として認識されれば問題はない、たぶん。


「琉煌さんが、そこまで熱心にわたくしのことを調べているとは思いませんでしたわ。もしかして、わたくしに興味をお持ちなのかしら?」


 悪役令嬢として、攻略対象の琉煌に興味があるというスタンスは崩さずに揶揄して笑う。こうすれば、琉煌さんが嫌がるだろうと予想しての行動だ。

 これで気分を害して去ってくれることを期待したのだけど――


「そうだと言ったらどうするつもりだ?」


 彼の問い掛けに対して、どうして? という疑問が真っ先に浮かんだ。

 琉煌さんはたしかに、妹の瑠璃ちゃんに気に入られた私に興味を示していた。でも、私は悪役令嬢として浅はかに振る舞った。それを見た彼は幻滅したはずだった。

 なのに、どうして私に対する興味が失われていないの? と混乱する。


「……澪」


 彼は私の顔に手を伸ばすと、親指で頬に掛かった髪を払いのけた。もしもこれが夕焼け空の下だったのなら、映画のワンシーンになりそうな光景。

 だけど、いまは日中で、ここは体育館。

 なにより、私は悪役令嬢だ。いつか彼に振られ、その手で断罪される運命にある。想いを寄せている振りはする必要があるけれど、本当に惹かれる訳にはいかない。

 そう自分に言い聞かせているとチャイムが鳴った。

 琉煌さんは「時間切れだな」と一歩下がった。


「答えは、いずれ聞かせてもらうとしよう」


 彼はそう言って、他の男子生徒の元へと向かう。私もまた、精一杯の虚勢でなんでもない風を装って、女子生徒達の集まる方へと足を運んだ。


 いけない、取り乱しすぎだ。気持ちを切り替えよう。

 私は一度足を止めて目を瞑り、自分の精神状態をリセットした。


 耳を澄ませば、あちこちでおしゃべりしている声が聞こえてくる。誰々が可愛いなんて男子のやりとりや、誰々の筋肉が素敵という女子のやりとり。

 そして、乃々歌ちゃんが孤立していることを心配する女子の声と、あの子は財閥特待生と仲良しだから近付かない方がいいと答える女子の声も聞こえる。

 乃々歌ちゃんが孤立しつつあるのは本当のようだ。

 なら、私がやることは決まっている。

 さあ――悪役令嬢のお仕事を始めましょう。

 

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