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WordraW  作者:
74/77

074.螺旋階段で踊ろう

Wordle 294 4/6


⬛⬛⬛⬛⬛

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 男の昇る螺旋階段はアメリカ、ニューメキシコの北部、「聖なる信仰の町」、サンタフェの中心部から、地上のあらゆる淀みをそそぐように、はるか摩天の彼方まで延びている。それは奇しくも、かの「奇跡の階段」を擁するロレット・チャペルから数キロも離れていない小麦畑の中程に突きささっていた。

 奇しくも、も何も──その螺旋階段は、他ならぬ「奇跡の階段」への偽造(mimic)としてその場所に据えられたのだと叫ぶ声も当然あったが、それらの声は、また、そのお巫山戯(mimic)の主を問う声に沈黙せらるるのが常であった。

 なぜ建っているのかがわからない。

 誰が建てたのかがわからない。

 そして、どこに続いているのかがわからない。

 はるか天上までそびえ立つその螺旋階段は、これまでに人類が創出してきたあらゆる建造物の比類にさえなれず(一体誰が、鯨の巨体と少女の産毛を俎上に載せるだろうか?)、それゆえに人間不卒たる六十億の目玉はただそれを眺めていることしかできなかった。

 そんないかにも曰くつきな背景様相とは異なり、その外見こそは、尤も普通の螺旋階段である。両脇に据えられた手すりには見慣れぬ、しかし細やかな意匠が施されている。幅は一メートルに及ばない。知られざる木材で設えられた蹴上は二十五センチ、踏面は四十センチ。その一周に十三の段を抱き込む。

 それゆえに、その螺旋階段が、唯一、新たに固有名詞としての地位さえ得る因みへと結びつく所以は、ひとえにその巨視的視点への転換さえ許さぬその巨躯にあろうことは疑いようがなかった。

 そして男は、つい一年前の朝方、まるで奇峭絶壁たる山峰にでも挑むかのような出で立ちで、その階段への一歩を踏み出したのだった。そこに理由などを求めるのは、いかに不卒の人間にも損じることのできない愚行であろう。

 その行軍は世界最長の階段として名高いスイス、シュピーツ近郊のニーゼン鉄道に付設された一万千六百七十四段をはるかはるか、ゆうゆうに越えていた。今や伝説上の英雄もかくやという這々の体でもって、男は背嚢から取りだした最後の乾燥保存食をもそもそと頬張る。次いで水筒から常温の組成水を流し込んだ喉で溜息をついた。


「螺旋とは、いかにも心を倦ませてくれる。退屈の同義語である」


 何やら哲学めいた調子のその言を馬鹿にすることは控えるべきだろう。なにせ人類の未だ誰一人として、男に匹敵するほどの階段を一度に昇ったものはいなかったのだから。

 誰の目にも触れぬ偉業を密やかに達成した男は、それでもなお螺旋階段のその先に待ち受ける無形の靄たる好奇の穴埋めへと歩を進めることに弛まなかった。

 昇る。

 ときに戻る。

 また昇る。

 昇って、戻って。

 昇る。

 踏みしめる木の段がことこと、とつとつ。男が螺旋を繰るのをジッと見つめている。

 男がその、光なき視線に気付いたかどうかは定かではないが、居心地悪そうに首元をさすったのは偶然にもその折であった。けして暑いのではない。はるか眼下に雲を見据えて、今更寒暖の感覚が残っているという方が奇特というものである。

 ならば当然、男はその俗生に残された最後の力を振り絞って、今し方流し込んだばかりの最後の食料を手すりからはるか白みそびえる地表へと嘔吐した。その一滴一滴はすぐにばらばらこなごなに散り刻まれ、畑や人家に霧雨として降りしきるだろう。成層にそびえ立つ冷気に触れた吐瀉物はすぐにそれら自身としての性質を失い、であるからして、男に残された唯一の俗生はこの一瞬の間に永遠に失われたのであった。

 鼻をつく酸い生の残り香が引いていくのに合わせて、男は手すりの向こうに地球の本質である水平を見て取った。

 上半分が天の黒に、下半分が空の青に。

 その境界である大円弧は産まれ出る文脈を取り違えたように、どこか優しげに沈黙の成層を守っていた。

 男は俗生を──元来、彼が人間として生を受けた際に得た──得たと、勘違いをしていた、人間に特有の種々の性質を失い、全く形而上の昇階者(riser)として生まれ変わっていたと言ってよい。十分な温かみもなく、生きるに必要とされていた空気もなかったが、それは彼の昇階になんらの影響も及ぼさない。

 男の生に残っていたのは、「昇ろうとする意思」と、「昇られるもの」だけ。

 本来、それらで完結してしまってもなんら問題はなかったのだ。

 天球のように自分を取り囲む靉靆たる星々の光を、男は視覚と視覚以外の全てで感じとった。


 男が昇るその先に待ち受けているものが、ただ全く素朴な死であったとしても、それこそ全く不自然ではない。

 無限のように思える螺旋に支配され、男たちは生きている。

 踊ろう。

 ここに踊り場はないけれど。




STAIR

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