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WordraW  作者:
61/77

061.不完全恋愛

Wordle 281 6/6


⬛⬛⬛⬛⬜

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⚪⚪⚪⚪⚪




 恋愛の条件──釣り合うこと。

 

 ◇


 ある日少年は少女に会いました。

 青のねばこい香りが鼻を抜けていきます。少年は森の中、食べるものもなく、飲むものもなく、ふらふらとさまよい歩いていました。

 

「旅人さん?」


 突然の声にも、少年は驚く気力すら湧かず、そちらを見やるだけでした。けれど声をかけた少女の美貌に、さしもの困憊少年も少しだけ眉を上げます。

 

「……水を──」


 倒れこむ少年を秀麗の少女は抱きとめてやりました。

 少年は少女に連れられて近くの泉にやってきました。こんな場所があったなんて。少年は水をグイグイと飲みほしてからやっと、そう考えました。泉の水は太陽に照らされて真っ新に透明です。深緑に茂る木陰で少年は空を見上げました。すぐ傍にそびえる大樹のはるか枝先は、少年の暮らす村からでも見えた、あの形に相違ありません。

 記憶の景色と山々の連なりを重ねる少年に少女はにこりと笑いかけます。

 

「大丈夫そうで良かった」 


 少年は向けられた明媚の笑顔から咄嗟に目をそらして、「うん」とだけ頷きました。青白かった頬がほんのりと色づきます。

 泉の水に口をつける毎に少年はみるみるうちに力がみなぎっていくのを感じました。それまで枯れ枝のように森の中を転がっていたのがまるで嘘みたいでした。

 木陰吹く涼しげな風。自然、二人はぽつぽつと互いについて話を始めました。

 

「今日はどうしてこんなところまで?」

「いや、大したことじゃないんだ。薪拾いとか、野草採り……なんだっけ」

「そうなんだ」

「……笑ったりしないのか?」

「笑う? どうして?」

「大した理由も無いのにこんな山奥まで迷いこんだんだぜ。おっちょこちょいっていうか、なんていうかさ……」

「あら、それって私もよ」


 少女も泉の水を口に含みます。

 

「私も色々、よくわからないときがあるの」

「……例えば?」

「私、お母さんの顔も知らないの」


 死んじゃったってこと?

 少年が尋ねる前に少女は答えます。

 

「私、気付いたらここにいるの」

「気付いたらって……」

「ほんとに、気付いたら。朝目が覚めたらとかじゃなくて、最初からここにいるの」

「ううん……なんだろう。あんまりよく飲み込めないんだけど」

「……いいの」


 少女は目を伏せてしまいます。

 少年はその姿をジッと見つめて、何かに気付きます。一匹の虫が、少女の周りをうんうんとうなりながら飛んでいるのです。それはこの森でよく出る毒虫の一種で、少年もその怖さは重々承知していました。少年の顔知りも何人か、森の奥でこの毒虫に噛まれたという話でした。

 あいつらすぐに噛んでくるぞ。そう言った村人の言とは少し異なり、少女にまとわりつく毒虫はどうやらすぐ噛みつきそうにはありませんでした。しかし少女に危険が迫っていることには変わりありません。

 少年は緊張と高揚とで火照る体を奮い立たせ、一息に少女の元まで近づくと毒虫をえいと叩き潰してやりました。少女は驚き顔で少年を見上げますが、「毒があって危ない虫なんだ」、ぎごちなく言う少年を見て顔をほころばせました。

 

「ありがとう」


 少年はすでに恋に落ちていました。

 日も暮れてきて、少年は腰を上げます。こんな森の中で夜になってしまえば、命の危険があるかもしれません。少年は少女に手を差し伸べます。

 

「君も一緒に行こう。近くに僕の住む村があるんだ」

「ありがとう。でも、私はここでいいの」


「何言ってるんだ危ないよ」「でもここでいいの」「君、夜は危ないんだよ。暗いんだよ」「大丈夫だから」


 何度言ってもきかない少女に業を煮やした少年でしたが、だからといってこのまま少女を放って帰るわけにはいきません。頑なに座りこむ少女のすぐ横に腰掛けて「僕も残るよ」と覚悟を決めました。

 少女は「わかった」と静かに呟いて、夜の闇に目をつむります。

 少年の予想とは全く異なって、泉のほとりでの夜はそよ風のように何気なく過ぎていきました。村であんなに恐れられている獣がやってきたときはこれまでにないほど肝を冷やしましたが、その獣も泉の水に口をつけただけでまた夜の闇に戻っていきます。

 最初は目をかっと開いて、動くもの全てに気を張っていた少年も、明け方には少女に肩を寄せて夢を泳いでいました。

 明くる日、日が高くなってから、少年は一度村に帰ると少女に伝えました。村の人が心配しているでしょうから、今すぐにでも顔を見せに戻る必要がありました。

 しかし、少女についても心配事がありました。一晩大丈夫だったからと言って次の晩も大丈夫とは限りません。夜までにはまた帰ってくるからねと念を押して、少年は大樹を目印にして村の位置を見定めました。

 森の夜はあっという間にやってきます。全体が闇に包まれる直前に帰ってきた少年は、泉のほとりに座る少女を見つけて駆け寄りました。

 

「ただいま。大丈夫だった?」

「……旅人さん?」


 その答えに、少年はひどく狼狽えました。少女が向けてくれる瞳は、優しげで、少年が好きになったそれではありましたが、そこに少年の姿は残っていませんでした。

 少女は少年のことを覚えてはいませんでした。

 けれどそれで諦める少年ではありません。少年は月明かりを頼りに、少女と夜を語りました。昨日、少女がどのように自分を助けてくれたのか、少女と笑い合った話を引き出して、どうにか記憶が戻らないかを試していきます。

 しかし少女の記憶は戻りませんでした。

 朝焼けに無力感を覚える少年は、それに照らされた少女の顔を眺めます。白く焼ける頬と、また黒く翳るその反対の頬が少年ににこりと向けられます。

 それだけでも、少年は少しだけ報われた気がしました。

 

 少年はその後も、何度も少女の元に通いました。それは夜となく昼となく、ときに一週間以上村に帰らないこともありました。少女にふりかかる記憶喪失は、そんな間も続きます。毎日というわけではありません。一週間や、一ヶ月、半年以上、記憶喪失が起きないこともありました。

 とはいえ、「旅人さん?」と尋ねられたときの少年の傷心はいかばかりだったことでしょう。その一言で、これまでの少女との関係が無かったことになってしまうのですから、たまったものではありません。

 少年は記憶喪失のある度に少女にこれまでの経緯を伝え、またそれが今度こそ起きないように、少女の体をじっと観察しました。例えば体調不良がないか、例えば頭を強く打ったりはしていないか。

 そうやって注意深く観察する少年でしたが、なぜかそれまで気付きませんでした。

 

 記憶喪失のたび、少女の体が大きくなっていることに。

 

 最初は、それでもゆるやかな変化だったのでしょうが、今回は気付かないわけにもいきませんでした。元々少年よりも少し小さいくらいだった少女の体は、いつしか、青年となった彼の背丈を追い越していました。

 歳を取って成長した、というだけではなかったでしょう。青年も年相応に背丈は伸びていましたし、それはたまに会う村の人と比べてもわかっていることでした。

 

「旅人さん?」


 見下ろす少女に青年は少し震えて、それでも決心してこう伝えました。

 

「君のことが好きなんだ。一緒にいさせてほしい」


 少女は最初驚いていましたが、これまで青年が少女と語り合ってきたことや何度も記憶喪失に見舞われていること、その度に体が大きくなっていることを伝えると、いつもの笑顔で青年を受けいれてくれました。

 好きと青年が伝えたのは、実はこれが初めてでした。

 それからしばらくは、青年と、少女とは幸せに暮らしました。昼も夜も共にいられるのですから、青年の愛は日に日に増していき、またそれに少女も応えました。

 森を歩き、泉を眺め、夜空に歌います。

 けれど勿論、そんな日々も長くは続きません。

 

「……なんだい、それ」


 大きくなった少女の、大きくなったお腹を見て、青年は震える声を絞り出しました。


「なんだい、それ」


 必死に声を荒げまいとする青年は、もう一度少女に尋ねます。少女と愛を語り合ったことはありましたが、まさか、子を授かるようなことは。青年は拳を強く握りしめました。

 青年のそんな気持ちを知ってか知らずか、少女は「わからない」と答えるばかり。

 青年は怒りを伝えることもなく泉を後にしました。

 青年は怒っていました。

 何より、少女への愛をこんなことで蔑ろにしてしまう自分自身に、怒っていました。

 

 一晩経って、青年は、やはり間違っていたと泉に向かって森を戻りました。少女の話も聞かず、一方的に突き放してしまったのはよくありません。なにより、少女への愛が本物だったと、青年は確信していたからです。

 赤ん坊ができたのなら、それは喜ばしいことだ。僕と彼女とで育てていければ。

 青年が泉にたどり着いたときには、大きな少女の大きなお腹は、つい昨日見たものよりもずっと大きくなっていました。それはすでに少女の体よりも大きな程パンパンに膨らんで、今にも張り裂けそうです。少女は力なく地面に仰向けに倒れていて、やってきた青年に目を向けることもできません。

 

「なん……。だ。おい、大丈──」

 

 夫、なわけありません。

 青年が駆け寄ろうとした少女の体は、そのお腹は、一瞬のうちに破裂しました。

 ねばこい体液と、そして泉の水とがあたりに散らばります。耳を貫く衝撃が、青年をその場にへたりこませました。

 

「……旅人さん?」


 少女の死体から這い出ると、また一回り大きくなった少女は、そう尋ねました。

 それから、日に日に少女は大きくなっていきました。お腹を膨らませ、破裂し、彼に尋ねます。壮年となった青年は、その度、少女に愛を伝えます。何度でも。少女はお腹を膨らませ、破裂し、彼に尋ねます。中年となった壮年は、その度、少女に愛を伝えます。何度でも。少女はお腹を膨らませ、破裂し、彼に尋ねます。少女はお腹を膨らませ、破裂し、彼に尋ねます。少女はお腹を膨らませ、破裂し、少女はお腹を膨らませ、破裂し、少女はお腹を膨らませ、破裂し、少女はお腹を膨らませ、破裂しました。

 

「君のことが好きなんだ」 

 

 周囲を囲む山々よりもずっとずっと。天まで伸びる少女の足にそっと触れて、老人は愛を呟きます。何度でも。

 しかし、老人となった彼の声は、もう少女には届きませんでした。

 

 彼はいつしか、一匹の毒虫になっていました。




NYMPH

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