051.『感動物語』 四十万沈黙
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この小説は、あなたが最も感動するものになる。
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解説──『感動物語』刊行に寄せて
作家 源藻並
私の知人に、映画やアニメーション、漫画はふんだんに摂取するというのに、小説はからっきしの奴がいる。
曰く、『小説は想像力を使う分、コストがかかる』のだそうだ。
作家としては聞き捨てならない言葉だが、何もここで紙面を割いてその主義に苦言を呈したいわけではない。普段は好き勝手やっている本の中とはいえ、今回に限っては居候の身分である。
ではなぜその友人の言を引用したのかといえば、とある映画作品を鑑賞中、それまでは全く飲みこめなかったその言葉がするすると体の中に入りこんできたからである。
稀代の映画監督にして、期待の新人作家、四十万沈黙を、まさか耳にしたことのない読者はいないだろう。厄禍にあっても日本史上最大の動員数を記録した『花焼け』は言うまでもなく、五度や六度のリピーターを量産した『クラウソラス』などは知る人ぞ知る名作である。
この解説文に目を通す人の多くは、まず間違いなく『四十万沈黙』というその名前を目にして、彼の小説デビュー作である本書を手に取ったと言っていいだろう。
そしてそれと同じくらい多くの(いや、全ての)読者が本書、『感動物語』を読み終えると一様に声を揃えて言うことになる。
「え? これだけ?」
イワタ明朝体、サイズ九.七五で綴られるわずか二十二字の本文は、勿論、代々語り継がれた名句のような含蓄を含んでいるわけではないし、芥川賞作品のように筆致にすぐれているわけでもなければ、直木賞作品のようにユーモアに富んでいるということもない。物語としての直接的な、独立した作品としての面白さという観点から見れば、道行く小学生に何かものを尋ねた方がまだ楽しめるだろう。
ここで断っておくが(これは何より先に書くべき事だったかもしれないが)、この小説作品は、何も読者をペテンにかけるために執筆されたわけではない。
この作品には日本全国、どの書店においてもビニールによるラッピングを行わないことになっている。フリーペーパーのように薄い本書を誰もが手に取って、すぐに中身を確認できるようになっている。ブラックボックスの映画館とは全く違う。
そこで本書の主題やテーマがわからなかったり、下らないと感じる人は、本書を棚に戻して何食わぬ顔で立ち去ればよいだけのことである。決して、中身も見ずに購入し、『読む』などと宣って視線を紙面に走らせただけで「クソ小説だ」、「詐欺だ金返せ」などと恥知らずに触れ回るようなことは望ましくない。電子書籍でもそれは同じである。
であるからして、読者は(私も含めて)この二十二字に四十万の狙いを見いだす必要がある。これは、彼の作品に魅了されたファンにとっては非常に辛い行程となるだろう。
なぜなら『感動物語』は、彼の発表してきたあらゆる作品と趣を異にしているからである。
シナリオを完全に撤廃し、映像表現の美しさだけに拘った『films』しかり。
上映前に配布された冊子の通りに徹頭徹尾物語が展開する『予定町は台本通り』しかり。
あるいは、冗長で簡明なモノローグによって観客に一切の考察を許さないと話題になった『ローターリズム』しかり。(これこそ、冒頭で述べた『とある映画作品』なのだが)
知名度の観点から言えば、恋愛映画の金字塔、『あなただけをアイしてる』もそれに通じるだろう。これは誰もがどこかで見たことのある恋愛映画の断片をつなぎ合わせたような作品で、一切のストレスなく、家事の合間に仕事の合間に勉強の合間に流し見するだけで感動できるという、実は他の作品群に負けず劣らずのタイトルであった。
このどれもが、映画という媒体を最大限に活用している。特に四十万映画は、音楽、映像、脚本が密接に絡み合い、観客の五感を直接刺激する、『体感型作品』と評されることも少なくない。
本書の読者は、そういった、ある種四十万の庇護から突然放り出されることになる。音楽、映像、脚本、果ては俳優たちの真に迫った演技まで一切の削ぎおとされた二十二字に、私たちはどのように向き合えばいいのか。
ふむふむ、どう向き合えばいいんだ。お前、源っていったっけ? 教えてくれよ。
本解説の読者がそう思ってくれていれば、あと一歩である。
すなわち、私たちに求められているのは向き合うことである。
無機的に降りそそぐ、あるいは有機的な顔をしてその実無機的な、独立した作品から一歩身を引くことである。
あるいは私のこの言葉の意味さえ、読者は想像する必要がある。
本書『感動物語』は、怠慢なる小説文化に対する皮肉として書かれたのだろうか。否、であろう。
この沈黙には、小説の持つ想像の可能性を切に信じる四十万の願いがこめられている。私にはそう感じられてならないのだ。
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