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WordraW  作者:
41/77

041.クラウド・イケニエ・ファンディング

Wordle 261 3/6


⬛⬛⬛⬛⬛

⬛⬜⚪⚪⬛

⚪⚪⚪⚪⚪




「本日は、贄波(にえなみ)イモレーションエンタープライズへお越しいただき、誠にありがとうございます」


 うお、やっぱすげえなあ。この受付嬢、ガリガルの杉浦美帆じゃんか。

 ひいひいじいちゃんだって知ってるくらいの超有名アイドルに促されるまま、俺は個室に入る。他にも数え切れないくらいの部屋があって、それぞれの扉に「満」と書かれている。やっぱ盛況なんだなあ。

 

「こちらで少々お待ちください。もしよろしければお申し込み必要事項をご記入くださいませ」


 ちょっと古い──って言ったら悪いんかね。平成の香りの残る美声をドアのこちらに残して永遠のアイドルは姿を消す。

 いやいや、ほんと永遠すよ。

 や、まあそういう意味じゃクラクラも負けてねえけど。

 鞄を下ろして机の上に置かれた書類に目を通す。

 

 ……うは。

 

 紙束の中、『契約書』と書かれた紙には名前とか印鑑とか、そういう見飽きたもんを書く欄は一つもなかった。代わりに生体IDを書くためだけの空白が設けられている。それも三十二(ぜん)桁分。

 

 冗談(じょーうだん)、こんなんここに命売るようなもん…………。

 

 手ひどい詐欺にあったような気持ちで席を立ちかけたが、いやいや実はそうだったと思いなおして呼吸を整える。

 今日の俺は、命を売りに来たんだ。

 

 ◇

 

 俺は正直、『開いた口がふさがらない』っていつ使うんだよって思ってた。

 

『「クラック・ラックラック」赤ゐエ、胃がんのため活動休止を発表』

 

 スマホに滴ったのは涙なんて高尚なもんじゃなくて、唾液混じりの昼飯な。──それくらい驚いてたんだよ。

 ヱの字がちげえ! ってお決まりのツッコミすら出ないまま、俺は赤ゐヱのアップユーアカウントにとぶ。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


胃がんでした。少し休みます。


13:22 3/28 ⏎

───────────

 

 虫食って腹こわしたのとわけがちげえんだぞ赤ゐヱおい。

 すでに十件ほど寄せられていたリプライに肩を並べてから、やっと俺は口の中の豚丼を飲みこんだ。卓上のナプキンを四、五枚取ってきてスマホの表面を拭う。うっすい味のウーロン茶を飲みほす。指先は検索エンジンに吸い寄せられた。

 

 ──胃がん 若い 死亡──

 

 調べなきゃいいのに、そして教えてくれなきゃいいのに。俺までつられて腹が痛みだすようだった。

 若年性は進行率が早く、五年生存率は三割を下回る……三割。だから死亡が七割。七割ったら、あれだよな。七十パーセント。零度外す確率じゃねえかよ。ふざけんなよ。

 なんだよ、こんなの。

 全然あるってことじゃねえか。

 

 俺はすぐさっきのニュースサイトに戻って続きを読み…………『「クラック・ラックラック」赤ゐエ、胃がんのため活動休止を発表』……『音楽ユニット「クラック・ラックラック」の赤ゐエが、胃がんのため活動を休止することを28日、UPYOUにて発表した。』

 …………。まあ、本人もそれしか言ってねえしな。

 落ち着かない指でまた赤ゐヱのアカウントに戻ってくる。今回の件についての投稿はさっきの一件きり。それに何が隠されてるってわけでもないだろうに、俺はすがるようにその投稿を隅から隅までながめる。リプライだって勿論だ。

 ほとんどがまるでアンチ(俺は違うが)みたいなリプライのなか、数件は真面目に心配するようなものもあった。


───────────

剰え@sae_amatsu


⏎@HAKAIyeah

絶対にNIE登録します。ファンみんなで力を合わせましょう!


14:03 3/28 ⏎

───────────

 

 ……NIE。

 俺はその三文字を指先でグッと押しつぶしながらたっぷり三秒だけ目をつむると、その足で席を立ち店を発ち、検索ウィンドウにペーストする。最寄りのNIEはどこだい。

 売り文句はこうさ──君も命のドネイション。

 

  ◇

 

 通された個室は、まあ三畳か四畳かってくらいの、真ん中に丸机と椅子だけがぽつんと置かれたシンプルなつくりだった。かといって別に質素ってわけでもねえけど。深いグレーを基調とした調度は、どことなく()()()()()()感じがした。

 

「はい、お預かりいたします……『木元 浩助』さまですね」


 俺の渡した書き途中の紙ペラを手早くファイリングしてから、セラーの男はこれまた()()()()ってくらいの礼をした。なにせ命を取り扱う職業なわけだからな。そりゃかしこまるわ。

 俺も俺で緊張していたんで座ったままでしばらく黙っていると、(五分くらい経ったんじゃねえかな?)男は深いお辞儀からようやく顔を上げて微笑む。


「それでは、今回のドネイションについてお話を伺わせていただきます。私、本日担当させていただきます、米川と申します。よろしくお願いいたします」

「うす。どうも」


 セラーと俺とは個室に一つだけ備え付けられた丸机を挟んで座る。

 ……慣れねえなあ、こういうの。


「では……今回、命を寄付されるにあたって、お相手様との関係をお教え願えますか?」

「ああ、はい。えっと……」


 しまったぜ。たっぷり三秒しか考えずここまでやってきたのもあって、俺は言葉に詰まる。赤ゐヱと俺とは……なんだ、関係。

 よく考えたら、俺は赤ゐヱと一度だって顔つき合わせたことがないことに気づく。気づくっつーか、当たり前なんだけどな。赤ゐヱは覆面活動してるわけだし。……って、そんなやつに命の寄付とか、受け付けてんのか?


「どうかされましたか?」


 やべえ、急かされてるよ。この場合、『ファンです』ってのは通るんかね。

 今度はほんとにたっぷり、机の上の書類やら、頭の上の薄オレンジの照明やら、米川サンの刻み込まれたような笑顔の上を行ったり来たりさせてから、やっと俺は口を開けた。


「クラック・ラックラックって知ってますか。自分、好きなんすけど」

「はい。もちろん存じておりますよ」


 米川サンは深く頷く。


「それで、そこの赤ゐヱっていう、あー……クラクラは赤ゐヱ一人のグループなんすけど……」


 あー、何言ってんだ俺。まとまんねえ。


「作詞作曲からボーカル、楽器、果ては映像までできちまうすげえやつで。俺、クラクラの、っつーか、赤ゐヱの大ファンなんすよ。ほんと」


 それがいなくなるなんて──今の俺にはマジで考えられなかった。


「親でも兄弟でも恋人でも友達でも、顔見知りですらねえ。……ファンだから。俺は赤ゐヱの血肉になりたいんす」

「素晴らしい!」


 俺の言葉を遮るくらいに食い気味で、米川サンは跳ねるように立ち上がった。今思えば部屋は防音なのだろう──特有の角張った静寂に拍手が弾けて消えていく。

 おいおい……なんだ、大丈夫だったのか?

 米川サンは目に涙をためていて、今にも感極まって泣き出しそうな具合だった。刻み込まれたって言ったのは悪かったな。その表情はさっきよりもずっと歪んだ笑顔になっていた。こっちが本性かい。

 米川サンはその妖怪みたいにキマった笑顔でまた「素晴らしい」と噛みしめる。


「それはまさにひとえに、木元様の愛でございます。弊社には様々なお客様がいらっしゃいます。娘息子のため、恋人のため親のため……。とりわけその中でも、私が感銘を受けるのは理性に根ざす愛なのです」


 盛り上がってきたとこ悪いけど、俺が退屈そうな顔して聞いてるのがバレちまったかね。米川サンは


「……いえ、失礼いたしました。お客様の前で」


 と興奮気味の肩を下ろしてまた椅子にかけた。

 ……ていうか、こえーよ。NIE。こんなやつらばっか働いてるんじゃないだろうな。


「それでは改めまして、弊社の提供するライフドネイションについてご説明させていただきます」


 米川サンは(さすがプロだね)さっきまでの涙を嘘みたいにひっこめて手元の端末を操作する。俺も書面に目を落とした。


「ライフドネイションは、弊社がその先駆けとなって展開しております、新時代の寄付事業であります。寄付者のお客様方からお預かりした命の欠片を、被寄付者のお客様に確実にお届けいたします。

 寄付者の方々には、安心して命を供していただけるよう。また被寄付者の方々には、供えられた命の重みを実感し、より一層めざましい生を謳歌していただけるよう、お手伝いさせていただいております。

 そして木元様。本日はなんと素晴らしい決断をされてここまでおいでになりました。契約の暁には、木元様の貴重な御命が、ご自身の尊ぶお相手様の御命となるのです」


 ああ。どうやらそうらしいな。

 ページをめくるとドネイションの科学的な仕組みがずらずらと並べられていたので見なかったことにした。どうせわかんねえし。

 

「現在臓器疾患の被寄付者に向けては、移植用臓器の作・調製、提供を主にさせていただいております。赤ゐヱ様は胃がんを患われたということで……大変いたましいことでございます。胃がんは発見が遅れれば致命的になることも少なくありません。他の臓器への転移も考えられます」


 だからその臓器を先んじて作っておくってわけだ。

 

「作成には、平たく申し上げますと、細胞の種と特殊な膜を用います。種は広く多能性幹細胞と呼ばれ、処理の方法によって様々な細胞への遷移を促すことができます。元来この種の培養には多額の費用、時間を必要とし、ややもすれば万能とさえ言えるその真価が発揮されていなかったのです。そこで登場いたしましたのが特殊な膜──脂泡膜でございます」


 …………。

 

「脂泡膜はその名の通り脂の泡の体を取ります。これを用いることで個人Aの中に個人Bの体内環境を擬似的に作りあげる手法が確立されました。種の培養にかかる状況、時間的問題を一部ですが回避することが可能となったのです。寄付者の方には脂泡膜で包まれた種を体内に移植させていただきまして、被寄付者のための仮母体となっていただきます。ここでは──」


 ああ、もう。カットだ。カット。

 

「──以上がライフドネイションの理念、理論、そして契約条項となります。何かご不明の点はございますか」

「……………………大丈夫す」


 何を考えてたかは言わねえ。

 米川サンはにっこりと笑うと、ファイルした契約書を俺の目の前に差しだす。生体IDは十六桁(はんぶん)が空白で、俺に書き込まれるのを待っていた。

 

「……お願いします」

「はい。責任を持って、御命頂戴いたします」


 今まで生きてきてされたことがねえってくらいの深いお辞儀を背にしてNIEの建物を出る。

 さみい。

 さみいけど、それだけじゃなかった。

 イヤホンを耳に入れる。

 

 ──アスを笑う日が 日が目が

 ──三角形(さんかっけい)にまわっ、り、だす

 ──ぶっ壊せ

 

「ぶっ壊せ」


 すいへいりーべーってな具合に頭の中から吐き出る歌詞は。

 それだけでどうだい。なんだか誇らしい。

 

 ◇

 

 入れてみりゃ、案外痛くはなかった。脂泡膜の入った左腕をさする。感覚はほとんど残っていなかった。

 俺たち寄付者には、赤ゐヱの体がどれくらいの何を欲しているかによってそれぞれ異なったサイズの脂泡膜が入れられる。

 

 寄付者が何千といれば内臓の隙間に。

 数百くらいになると、腕から、あるいは内臓を圧迫するように。

 十人から百人になれば、まずまともな生活はできねえ。

 

 ……解せねえ。

 いやいや、左腕が使えなくなったことに対してじゃないぜ。赤ゐヱのファンがそれっぽちしかいなかったんかってことだよ。マジに。国民全員から一円ずつ貰や……なんてこと言うが。現実はそれとおんなじで、実はちょいと厳しいらしかった。

 ま、そんな厳しい現実にも赤ゐヱはいる。


───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


胃がんの曲を作りました。

『どろどろいたいよう』

Youtube → youtube.com/watch?v=kGw8SX3c******


15:34 4/1 ⏎

───────────

 

 不謹慎とかいうレベルじゃねえけどな。こりゃ。

 リンクを踏む。

 

 曲は一度通しで聴いて、二度一時停止しながら聞き直す。

 もう三度通しで聴いて、終わったら歌詞を書き出す。

 歌詞を音読して、黙読して、一度しまって、曲を聴く。

 曲は耳で聴いて、楽譜を作る。

 主調から、ギターもベースもドラムもシンセも聞き取ってやる。

 そうやって全部を一度バラバラにしてから、その後はずっと通して聴く。

 

 胃がんの曲。

 これで胃がんの人の気持ちがわかるなんてとてもじゃねえけど言えないが。少なくともこれは、胃がんになった赤ゐヱが作った曲だった。それ以外の赤ゐヱじゃけして作れない。

 

 俺の動かない左腕を震わせる。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


散り始めた桜の曲を作りました。

『散りさしに告ぐ』

Youtube → youtube.com/watch?v=kGw878hf873c******


17:00 4/17 ⏎

───────────

 

 リンクを踏む。

 

 インストゥルメンタルに聴かせて違う。

 声に聞こえたのは広告や、動物の鳴き声、摩擦音、打撃音。しかしそれでも確かに声になっている。いつもより五度六度増しにループして歌詞を書き留める。普段よりさらに散発的で意味不明に取れる詩は、しかし確かに赤ゐヱの魂を含んでいる。

 

 俺の疼く左腕を鎮める。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


五月病の曲を作りました。

『病まない雨を』

Youtube → youtube.com/watch?v=kGwHHujifd89873c******


19:00 5/10 ⏎

───────────

 

 リンクを踏む。

 

 曇ってすらいねえ、五月晴れにかかる雲のための曲。

 ほんの一息吐きだすこともできない俺たちへ。──もしかしたら赤ゐヱへ。

 

 俺の動かない足を流れる。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


梅雨の曲を作りました。

『雨はいつかやむ』

Youtube → youtube.com/watch?v=koowHd898H3ujif7c******


19:00 6/20 ⏎

─────────── 

 

 リンクを踏む。

 

 それは梅雨の曲じゃなかった。

 でもそれは確かに赤ゐヱの声だった。

 それだけでよかった。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


夏の曲を作りました。

『キラーサマー』

Youtube → youtube.com/watch?v=Hd8Ouyh56jif7c******


19:00 7/16 ⏎

─────────── 

 

 処置室に流れる曲。

 かりそめのテーマなんて脱ぎ去れよ。

 赤ゐヱは自分の声すら失っていた。

 俺だけを恐れて叫んでいた。

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


夏祭の曲を作りました。

『鼻緒の先』

Youtube → youtube.com/watch?v=kGwHdKOuiyh56jif7c******


19:00 8/14 ⏎

─────────── 

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


戦争の曲を作りました。

『さようなら』

Youtube → youtube.com/watch?v=dsjiHkOuiyGw474c******


19:00 8/15 ⏎

─────────── 

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


浴衣の曲を作りました。

『蒸れ』

Youtube → youtube.com/watch?v=OuiyAAftHk474c******


15:00 9/12 ⏎

─────────── 


───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


二段バネの曲を作りました。

『王手大ゲイマ・トビツケ燦々』

Youtube → youtube.com/watch?v=dsHuy786f4uiyGy7w******


15:42 9/30 ⏎

─────────── 


───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


転んだ時の曲を作りました。

『そっくり世界としゃっくり宇宙』

Youtube → youtube.com/watch?v=d4047sji1lso4c******


23:52 10/17 ⏎

─────────── 


───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


大きな曲を作りました。

『ビックらこいた』

Youtube → youtube.com/watch?v=HkO4cjjkodsjiu******


2:23 11/2 ⏎

─────────── 

  

 ◇

 

───────────

赤ゐヱ@HAKAIyeah


ありがとうございました。


11:25 10/21 ⏎

─────────── 


 赤ゐヱは治療を止めた。自ら死を選んだとも言える。

 お役御免になった俺は久しぶりに目を覚ました。

 すぐに赤ゐヱの投稿を確認して、曲を聴く。

 

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 聴く。

 

 赤ゐヱに恐怖はなかった。

 最期まで。


 赤ゐヱは作りあげた。

 最後まで。



HOARD

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