030.時香
Wordle 250 5/6
⬜⬛⬛⚪⬛
⬛⬜⬛⬛⬛
⬛⬜⬛⬛⬛
⬛⚪⬛⚪⚪
⚪⚪⚪⚪⚪
私たちは壊れた窓ガラスの破片からできている。
私たちは過去、割れた窓ガラスの破片から。
囲われた窓ガラスの破片から。
小学校の頃のこと、あなたはどれくらい覚えてる? 修学旅行とか、運動会とか、部活やゲームセンター?
ふふ、うらやましいな。私はほら、体が丈夫じゃなかったから、そういう思い出ってあまりないの。
だからあるのは、リノリウム張りの廊下の記憶。ちょっぴりガタつく引き戸の記憶。節くれだった教室の棚、水槽、半紙。机と椅子との鼻の奥に籠もった振動。砂っぽい遊具に、掠れたゴムタイヤ。いつまでも呼んでいるような校庭の残響。日に焼けた通学路。
もう無い『オバケじむしょ』。
「おいミヨシ、なんかやってるぜ」
ひょろひょろとした私の腕を引いて、ナイトウ君はざりざりと先を行く。ひび割れた地面に足をひっかけないように気を付けながら、私は彼の手の温さを思った。
通学路の長い坂の途中に『オバケじむしょ』はあった。坂に向かって開けた駐車場の奥に、こじんまりとした二階建て。黒ずんだ壁面には、室外機から千切れたホースがテラテラと揺れていた。その奥には開けた駐車場が広がっていて、春の日射しが建物全体を勘違いしたようにボンヤリと照らしていた。
ナイトウ君の行く先には二人の男子がひそめ笑いをしながら立ち話をしている。背の高い人と、ちょっと太った人。通学帽に付けられた紫色の校章リボンがやけにスッキリと浮き上がって見えた。六年生だった。
「なにしてんの?」
「四年か。見てろよ」
言葉少なに太り気味の一人が室外機の上に飛び乗った。ランドセルを背の高い方に渡して、ぐいぐいと腕を回す。
あっ、と声を上げる間もなく、その握りこぶしはすぐ目の前の小窓をたたき割った。
ずっと奥まで抜けていくように思えた春の空に、ほんの軽くだけの乾いた音が鳴る。すぐ後に砂っぽい音が剥がれ落ちていく。
「うはっ」
「おいおい、やったぞこいつ」
室外機から下りてきた方の肩を抱いて、六年生二人はこらえきれないように笑った。私とナイトウ君は互いをみやってから、ジッと割れた窓の方を眺めていた。
記憶のずっと彼方からジットリと湿った香りがやってきた。一寸吸いこんで、すぐにそうとわかるようなあの香り。それには時間が閉じ込められていた。きっとそれは、私が生まれるよりもずっと前からの時間。流れていく時間から、ほんのひとかけら、ほんのひとさじ、削り取って、撫で取って、やっと積もった香り。
それが私の鼻先と別れを惜しむようにひゅうと飛んでいってしまうと。いやさ、「やべえやべえ」というせっついた声と、鉄の臭いに押しやられたのだ。
「お前ら、バンソーコー持ってねえ?」
「シモ、やべえって」
シモ、と呼ばれた太っちょは手の甲から血を流しながら薄笑いを浮かべていた。
私は慌ててランドセルからポーチを取りだしてありったけの絆創膏を渡した。ナイトウ君の視線は細っちょの六年生と一緒になっておろおろと私と『シモ』の方を行ったり来たりしていた。
──覚えている。
丸みを帯びた指先と、絆創膏の隙間から覗く傷口。ベタベタと適当に貼り付けたからか、絆創膏の上にもすりきれたような血の色がついていた。
「ありがとうな」
砂っぽいコンクリートから立ちあがった彼はナイトウ君と私と一緒に帰った。彼の家は私たちの家の丁度間ぐらいにあったようで、玄関の扉の向こうでナイトウ君と一緒に手を振っていた。
この思い出は、これだけ。
あのやんちゃな六年生二人組を見かけることもあったけれど、向こうから話しかけてくることはなかった。こちらから話しかけることもなかった。
ともすればそれは、あの日、何もなかったようにさえ思えたけれど。いつの間にか取り壊されてしまった『オバケじむしょ』だけは、私の中であの日を象徴してやまなかった。
「古かったものね。なくなってくれて良かったわ」
お母さんは言う。それが正しいのだろうと、頭ではわかっている。けれど一方で私は、『オバケじむしょ』は勝手になくなったわけではなく、私たちが壊したのだとも思っていた。
勿論、思い違いではない──あの日窓ガラスを割ったのは私ではない。けれどひび割れた窓と、砕け落ちたガラスと、その向こうからやってきた時間の香りとが私にそう告げるのだ。
私が自分の過去に刻みつけたあの記憶。あの記憶こそが時間なのではないかと、今では思う。
BROKE




