026.ヴァン・ダインの欠番
Wordle 247 4/6
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その日、四十七川順が気がかりな夢から目をさますと、事件はもう佳境にさしかかっていた。
ドンドンと部屋の扉を叩く音で目を覚ました私は、慌てて乱れた服を整えながら「はあい」と返事をした。思えば、自分がいつから眠ってしまっていたのか曖昧だった。朝かと思って外を眺めると、なんだ、もう日は高く昇ってしまっていた。
出てこない私を急かすように、また、ドンドン。悔し涙を流しながら机を叩いた稲島峰光の姿が脳裏に浮かぶ。警察が来るまではもう会わないという約束をしていたのに、どうして──?
扉の前までやってきて、「あの、稲島さんですか。なんの御用でしょうか」。耳を扉に添える。
返ってきたのは稲島さんの声ではなかった。
「四十七川さんですね。私、探偵の番代と申します。どうか扉を開けて、お話を聞かせていただけませんか」
私は手に力がこもるのを感じた。冷たく乾いたノブにかかる手。ノブの造りはなめらかで、遊びがかなりある。そのすぐ上にガチリと下ろされた錠の堅牢さと全く対照的なそれの表面を、私は一旦撫でてから、震える声を抑えて尋ねた。
「探偵さん。……ありがとうございます」
「ええ。ではドアを」
「ちょっと、待ってください。稲島さんは、奥の部屋の稲島さんはご一緒じゃないんですか。その、私たち、警察が到着するまでは互いに顔を合わせないようにって、決めていて……」
扉の向こうから、これまた聞き覚えのない声が返ってくる。
「パパも、パパも死んじゃったの」
それは幼い女の子の声のようだった。
「あたし、マイっていうの。稲島マイ。最初はあたしも一緒にここに来る予定だったの」
私が混乱したまま固まっていると、探偵だという男の声が続ける。
「私がこの館に到着したとき、玄関の前でうずくまっていたのです。人里離れた山奥ですから、女の子一人でやってくるのはさぞ大変だったことでしょう。『パパに会いに来たの』と青ざめた顔で言うものですから、軽食をともにし、事情を伺いました。館の捜査もおおむね終了し、奥の部屋からは峰光さんの遺体が発見されました。
……そうですね。これだけ凄惨な事件のあった後だ。突然やってきた探偵を信じて扉を開けろというのも酷かもしれません。それでは……そうだ。マイさん。写真がありましたね」
「……うん、あるよ」
「四十七川さん。聞こえますか。扉は開けていただかなくても大丈夫です。その代わり、扉の下の隙間から、ほら、マイさんが持ってきた家族写真をお見せします。この右側に写っている男性が稲島峰光さんで間違いありませんか?」
生きているように扉の下から差しだされた写真を慎重に受けとる。
写真には、確かに稲島さんの姿が映っていた。家族写真のようだった。愛用と言っていた深緑のキャンプジャケットを羽織って、奥さん、娘と思しき二人と一緒に笑っている。この娘がマイ、ちゃん? 稲島さんは今より少し若く見える。……彼が亡くなったと聞いても、この部屋の中でジッとしている私には、どうしても実感が湧かなかった。
確かに稲島さんですと応えて写真を返すと、探偵は「結構です。それでは、そのままでお聞きください」と写真を受けとった。
「四十七川さん、推理小説は読みますかな?」
「……は?」
「──いえいえ失敬。私、恥ずかしながら『安楽椅子探偵』の自負がありましてね。様々な事件をその話から解決することができるのです」
…………。
お姉ちゃんみたいなことを言う人だな。
そう思った。
安楽椅子探偵って言うと、あれだ。自分では現場に足を運ぶことなく、刑事や鑑識、容疑者の言から事件を解決するっていう……。あんまり読んだことはないけど……『謎解きはディナーのあとで』とか、ああいう。
……。
私も推理小説は読む方だ。とくに叙述トリックものには目がない。カバンには読みさしの本が入っているけれど……さすがに実際人が亡くなってるときにそれを読む胆力はなかった。そして扉の向こうの彼は、そんなフィクションよろしく事件を解決することを自負しているらしいのだ。
大丈夫だろうか。主に探偵能力。
私は嘆息を悟られないようにゆっくりと深呼吸をしてドアにもたれかかる。
「……四十七川さん?」
「……はい」
「ですから、是非とも私にお話をお聞かせください」
お話──。
…………。
この館でおきた、連続殺人事件のお話。
残ったのは五人の、いや六人の空席と私だけ。
それを語るのにためらいはあれど、悲しみはなかった。悲しみだと私が思っていたものは、この堅く閉ざされた砂上の楼閣によって、いつのまにかすり切れるように、私の中からそげ落ちてしまっていた。
あるいは、ためらいすら、今の私には残っていなかったとも言える。七人の宿泊者のうち六人がい亡くなって、あと犯人はと言えば私しかいないというのにも関わらず、だ。
それは稲島さんを除いた少なくとも五つの殺人がその場の誰にも実行不可能の密室殺人だったから。
鍵のかかった部屋で、もつれるようにして亡くなっていた川本さん。
地下室の倉庫で転落死していた平川さん。
またその地下室で『背勾型ヒューマンホール』によって膜死していた木元さん。
たった三分間で自然死した葉山さん。
磔にされていた地月さん。
部屋は完全な密室で。
地下室は天井までたった二メートルしかなく、扉も一つしかない、まさに牢獄。
目を離した三分で、誰とも争わずに亡くなることも、大の大人を磔にすることも、たった一人の犯人にできることとは到底思えなかった。
私は覚えている限り、現場の状況を精細に探偵に伝え、「でも、こんなの、解決できるわけがないですよ」と締めくくった。
「ふむ……」
探偵は悩ましげに息をついて沈黙する。当然だ。
さらにこれに加えて、『凍結式時差昇降機』で駆動する館全体に張り巡らされた『背勾型ヒューマンホール』の説明は…………いや、これは今でもできそうになかった。世界で唯一操作できると豪語していた川本さんは一番最初に亡くなってしまっていた。
もしくは全員の盤石なアリバイを披露したって良い。
唯一木元さんだけはアリバイが無かったけれど、それも消えてしまえば犯人にはなりえない。大体私は膜死が何かすらわかっていない。
……小説と現実とは違う。作者の想定した答えへの筋道が用意されているケースなんて何百分の一にすら満たない。こんなものに筋の通った答えを返すなんてこと、どんな凄腕探偵にもできやしない。
どんな凄腕探偵にも。
だからそれは──お姉ちゃんを除いてってことになるわけだけど。
「良いでしょう。私にはこの事件の真相がつかめましたよ」
は?
自分がそんな声を出していたことにしばらく気付かなかった。
「ほ、ほんと?」
扉の向こうからマイちゃんの驚いた声が聞こえる。
「ええ。四十七川さんも、どうぞお聞きください。この私の素晴らしい推理をね。今、この場で私が犯人を指摘してしんぜましょう」
キャラ付けのおかしくなった探偵は、自慢げにそう宣言した。
どうせ無理だ。
そうわかってはいても、こうまで自信ありげにされると気になるものだ。私は扉に耳をあてて、探偵の次ぐその先を待った。
「いいですか。私たちは広い視野を持たねばなりません。ホームズも言っています。『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる』とね。
四十七川さん。最後にお尋ねしますが、この館に生魚と襖はありましたか?」
……? 何を聞かれているのかわからなかった。
生魚と、襖? それがトリックに関係しているっていうの?
…………。
……?
「四十七川さん」
痺れを切らしたように探偵が再度尋ねる。
私は混乱したままで「いえ」とだけ応えた。洋風のこの建物に襖があるとは考えづらいし、冷凍庫の中は全て空っぽになっていた。
「では大丈夫です。呪い除けの護符や、加護のかかった袈裟などもありませんね」
「なんです、それ」
「いやいや、いえね……ふふふ。これがあったらどうしようかと思いましたよ。何より堅い盤石のアリバイになってしまいかねない。あるいはだから……それを持ちこむためにやってきたのでしょうか?」
扉の向こうで探偵が笑う。
マイちゃんが不安げな声で尋ねた。
「探偵さん……? その、それと殺人事件とに何の関係が」
「犯人はあなたですね。稲島マイさん」
「なんっ……!」
マイちゃんはほんの少しだけ声を上げてから、歳に似合わない声色で「証拠は、あるんですか」と返した。
「証拠が、要るんですか?」
「……要るに決まってます。それで私を警察に突きだせるわけが──「ああいえ、そういうの良いですから。…………ふふ、こりゃ向いてねえな」
探偵は乱れた声を整えた。
「今のところ、証拠が無いのが証拠と言いますか……話に聞く限り、どうも不可能犯罪の気がしたものですから」
「…………ほんっと、何言ってるかわからないんですけど。不可能犯罪でも、私ならば犯人だと?」
「ええ。不可能は不可能でも、常人には不可能というだけですから。呪い師のあなたにならば、造作も無いことでしょう」
私は扉に鍵がかかっているのを確かめて、部屋の奥に身を引いた。
────は?
勝手に動く体は私の言うことを聞かなくなっていた。部屋の前には、にらみ合うようにして探偵とマイちゃんとが相対している。
探偵の方は二メートルに迫ろうかという大男だった。探偵といえばこれ、と皆が思い浮かべるブラウンのトレンチコートがはちきれそうになっている。こんな肉体派の探偵もいないだろう。どちらかといえば刑事という出で立ち。
マイちゃんの方は写真で見たとおりの女の子だ。歳は十代半ばといったところで、登山用ウェアに身を包んでいる。端々から覗く肢体は、不健康なほど青白く、光っているようでさえあった。
とりわけ、私はマイちゃんに目を奪われた。比喩でなく、目が離せなかったのだ。
だからこれは──そう。
視界を操作されている。
…………。
気付いたときにはもう遅かった。マイちゃんはそのくりっとした瞳で私を呪い、そしてそれと全く同時に探偵が彼女と私との間に入って、その呪いを受けとめた。
「なんだ……男の体は要らねえよ」
さきほどまでの不安げな声とは打って変わって、マイちゃんは掻きむしるように吐きすてた。
「先に呪い殺してやってから、で、し……」
マイちゃんの声が途切れた。それは、明らかに何かに不具合をきたした途切れ方だった。自分でそう切ろうと思ってもできない、そんな断絶。
「……んだ。゜う、お、した」
「いえね。こんなこともあろうかと、というやつですね」
探偵は私にその大きな背中を向けつつ、コートの合わせを解いた。
「先日中国に行きまして。三年ほどかけて仙人から教わってきたのですよ。反呪の異法。呪いは、だからお返ししました」
「な、ざ、*,アシ. だ」
マイちゃんは驚くほどあっさりと事切れた。
探偵の股の奥に、その矮躯が倒れこむ。
「知らないだろうから教えとくわ」
探偵は振り向きもせず、独り言のように呟く。私に向けて話しているのだろう。
「危なかったぜ、順。あたしがもうちょい遅かったら、順じゃなくなっちゃうところだったな」
探偵は私を下の名前で呼んだ。
「移し身の呪いってやつで、体を乗り換えるんだ。それを返してやったから、呪いの返報原理と合わせて体がもたなかったんだな。ただでさえ六人も呪い殺してたわけだし……」
私は黙っていた。
「あー、そういや。動機とか、聞き忘れたな。重要だよな? これって」
呪いとか、そういうものに理解が追いついていなかった──
「ていうか、そろそろ出た方が良いよな。この建物、やけに入り組んでるし……ほら、ここに来るまえにマイちゃんがこっそり館に火をつけてたんだよ。証拠隠滅ってやつかね?」
わけじゃない。
「ほら、行くぜ。荷物もって出るぞ」
そんなことより、もっとどうでもいいことを、私は考えていた。
「…………くく。なあ、これさ。これってこれってさ。ちょっとおもろいかもしれないんだけど」
私を守ってくれるこの背中も、暖かくかけてくれる言葉も、きっとつまらないこの冗談も。
「これ、呪術トリックってやつなんじゃねえの?」
私の大好きな、お姉ちゃんみたいだなって。
「なあ、順」
◇
OTHER




