027.ノックスの順列
Wordle 246 5/6
⬛⬛⚪⬛⬛
⬛⬛⬜⬛⬛
⬛⬛⬛⬜⬛
⚪⬜⚪⬛⬜
⚪⚪⚪⚪⚪
私の双子の姉にして探偵にして超能力者、第六感は子供の頃から視覚よりも優れ、変装させたら誰にも見破れない四十七川番は浮かない顔をしてすぐ後ろを歩く私に振り返った。どうも何か言い残したことがあるらしい。
「なあ、順」
「何、お姉ちゃん」
「あたしってさ、『暗黙の了解』ってのが嫌いなんだよな」
ふうん、そうだったんだ。暗黙の了解、どころか公然の理解すら飛びこえてゆく姉にそんなことを言われるとは思っていなかった。つくづく、どうにもならないときにどうでもいいことを言うお姉ちゃんだった。どうにもならない──お姉ちゃんは一度言いだしたら聞かないのだ。
変装を解いたお姉ちゃんは、屈強な探偵姿から一転、中学生の頃から伸びていない身長を恨むように、ん、ん、と伸びをする。
「テスト中に超能力使ったらズルだって言われるんだぜ」
「そりゃ」
「周りの浮遊霊にカンニング頼んでもズル」
「そう」
「業者に変装して職員室に忍びこんでもズル」
「……でしょ」
お姉ちゃんは私が一度否定する間に三度嘆いた。
「やっぱ駄目か」
悪びれるふうもなく溜息を吐くお姉ちゃん。その異能に犯行を暴かれてきた容疑者たちに思いをはせた。こんな探偵がいたら推理小説も看板じまいだ。『早すぎる』どころじゃない。
「でも『試験の注意』ではなんも言われてねえのに」
「……まあ」
空想変装霊能不正を想定してルールを組む教師は少ないだろう。食品衛生法に琴の奏法を記載する役所がないように。
あきれ顔の私は部屋から持ってきた旅行鞄を肩にかけて、姉の後に続く。この事件もこれでおしまいだ。窓の向こう、灰色に落ちた冬の空が見える。見ているだけで身震いしそうなその景色と裏腹に、こちら側はひどく熱かった。
「何かあるなら言ってごらん、じゃねえよ。言っても叱られて言わなくとも叱られて、挙げ句の果てには向こうの言ってない規則で縛られる。例えばそんなこと、警察がしてきたらどう思うね? 大バッシングだぜ、世界からよ」
「それは……」
それはそういうものだから。
私もさんざ言われてきたように、そうやって対話を拒否することは簡単だった。でも、簡単なだけだった。
「お前がしこしこやってた就活でも、そういうのばっかだったろう」
「……就活の話は止めて」
私は鞄の中に入っているエントリーシートと、そして不採用通知を思う。にわかに湧きあがってきた頭痛を押さえるようにこめかみに手を当てる。こんなもの、真っ黒に燃やし尽くしてしまいたい。もういっそこのままここに捨てて行ってしまおうか。
……。
やめよう。
私たちは追い立てられるように足を速めた。
「ほら、就活解禁日、だっけ? ウケるよなあ。それまでに内定持ってる奴がどれだけいるかって──「止めてったら」
「はいはいよ……お前もわかってんじゃねえか、暗黙の了解の気持ち悪さがさ。明文化された決まりだけをみてても損ばっかする世界だ」
「…………それは否定しない」
寂しげに笑う姉の姿を見て、それ以上の反論はできなかった。けして、就活が気持ち悪すぎて思いだすだけで吐き気を催すからじゃ絶対にない。
お姉ちゃんは──今聞き直しても全く理解できない、館全体に張り巡らされた『凍結式時差昇降機』を巧みに操作して、さらにもっとわからない『背勾型ヒューマンホール』の束を適当な位置にセッティングする。これがなかったら事件も起きなかったのかもしれないけれど……同時に、これがなかったら私たちも助かっていなかったんじゃないかと思うと複雑だ。
高校生の頃に一度体験したことがある防災滑り台の要領で、私たちは館のすぐ横を滑りおりる。
ろくに道も通っていない山の中だ。近くに人気もないし、火事の発覚は当分先になることだろう。私はお姉ちゃんに支えられながら立ちあがる。さすがのお姉ちゃんは、人一人殺した後だというのに疲れた様子など微塵も感じさせない。
下りしな、カバンの中の推理小説を思いだした。
「意外と悪くないときもあるよ」
「どんなときだ?」
「推理小説とか。作者と読者の暗黙の了解のうえに成り立ってるっていうか」
「ああ、そりゃそうかもな」
お姉ちゃんと歩くのは、きっとこれが最後になるだろう。私と寸分も違わない歩幅。声、姿形。
私は自分の感覚がずっとさらにもっと遅くなるのを感じる。鈍く脆く、スローモーションになる。お姉ちゃんは私の小さくなった歩幅に合わせるようにその足取りを緩めてくれた。
「ていうか、私もそういうの人に求めちゃうかもな」
「マジかよ。身内から犯罪者が出たみたいな気分だぜ」
「…………笑えない冗談かも」
「そうか? ……で、どんな暗黙の了解を求めるって?」
「『双子は仲良し』って。何も言わなくても、そう思ってる」
そういや破り忘れたか。そう言ってお姉ちゃんは笑った。
冬の日は低く尾根をなぞるように沈みかけていた。私たちはやっと山間の国道に出て、久しぶりのアスファルトを足の裏に感じながら一番近いバス停に向けて歩いていた。お姉ちゃんは相変わらず疲れた様子もなく、スイスイと先を行く。時々出来の悪い妹を振りかえっては、気を紛らわせるための軽口を交わす。
「あとは……ふふ、おい順、おもろいこと思いだしたぜ」
「……多分面白くないけど。何?」
「小説って言えばよ。お前、昔あたしに聞いてきたことあったよな。小説の地の文に載ってる『*』とか『◇』を見てさ、『お姉ちゃん、なんで突然宇宙人が話しはじめたの?』って、お前」
「ちょっ、と!」
「うははは! 場面転換だっての! あたしゃ笑っちまったね。それが今じゃ作者と読者の暗黙の了解だの言ってるわけだ」
むっつりと黙った私を気にして、そして同時に気にしないで(お姉ちゃんはいつもこんなだ)、涙笑いを浮かべる。
無言の行軍はついにバス停までやってきた。錆でできたような時刻表はスカスカで、それでもあと一本だけを大事そうに抱えて静かに私たちを迎えいれた。座ったら壊れそうなプラスチックのベンチに私が腰掛けるのを見届けて、お姉ちゃんは「じゃああたしは行くから」と、いつものように口を噤んだ。
理由も理解も、暗黙の了解も。
結局お姉ちゃんには追いつけなかった。
もしもこの世界が小説だったら、多分作者も読者も追いつけない。そしてだとすればこれはきっとだから、推理小説ではないのだろう。暖かくて居心地の良い、ハートフルな姉妹愛小説だ。
それだけわかっていればいい。
追いつかなくていいことだって、この世にはある。
お姉ちゃんの後ろ姿を引き止めはしなかった。その代わり、最後かもしれない言葉を交わす。言われなくても、その止まってるみたいに遅い歩みを見れば、お姉ちゃんが私と話したがってるってことくらいわかる。
「お姉ちゃん。ありがとう」
「……おう」
「また会える?」
大好きだと、口にはしなかった。お姉ちゃんも。
なんだ。お姉ちゃんだって使ってんじゃん。
「……さあ。会えるかもな。過去か未来かはわからねえけど」
それはお姉ちゃんなりの冗談だったと思う。気休めのための冗談。いくら推理小説破りのお姉ちゃんでも、時間移動なんてできやしないはずだった。
それでも、このときの私はちょっとだけ、それを信じてみたかった。
「うん。番お姉ちゃん。きっとね」
「うん。またな、順」
お姉ちゃんは、バス停から少し離れて、虚空に消えた。
寂れたバス停はお姉ちゃんがいなくなったことに気付いていないみたいだった。そこに緩やかに閉じこめられた空気はおざなりに私を抱きとめた。
時刻表に標された次のバスを待つ間、私が考えていたのはお姉ちゃんのことだった。
お姉ちゃんのこと。
今回、私が巻きこまれた事件のこと──。
◇
TACIT




