020.クウキなんかよりあたりまえ
Wordle 240 4/6
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明日、世間はバレンタインらしい。
僕たちはいつの間にか、自分のことを自分で決めることすらままならなくなっている。気付いているか? なあ。自分の喜びすら管理できないうつろな人々。そういったものを見る度に、僕は頭を痛めている。
「おうい、たすく、あんたいつまで起きてんだ」
暗い部屋に廊下からの光が差しこむ。僕の双子の姉であるあすかがエプロン姿で仁王立ちしている。小学校の頃作ってそのままのエプロンにはクルミ色のシミが点々と付いていた。
「もう二時過ぎだっての、なあに死にそうな顔してボンヤリしてんの」
あすかは部屋の中に入ってくると、軽く僕の頭を叩く。ほのかなチョコレートの香り。僕は無言で立ちあがると、憎み愛する彼女の肩を押して部屋から追いだす。
万が一にでも──姉があのうつろな人間たちの一員になっているところを想像して、その顔がどこまでも僕とうり二つなところも想像してしまって、僕はこの心に嘆きよりも寂しさが色濃く浮かびあがるのを感じた。
「さてはお前バレンタイン前だから落ちこんでんだろ。残念だったねえ。しかしあたしらの顔は中学生としちゃ可愛げが──」
バタリと閉めた扉であすかの言葉をかき消す。
頭の奥がぼんやりと痛みをうったえていた。それが嘆きに痛めた頭なのかを勘案しているうちに、夜が明ける。
バレンタインの一日は、他の一日たちと比べて空気が明らかに違っている。
まず通学路の空気が違う。男子はどことなく身だしなみを気にしているし、念のためと朝早くから学校に行くから通学路がガラガラになる。一方女子は……変わらないか。
クラスに入ればわかる。女子の空気も違う。そうだ。これもまた明らかに雰囲気の違う下駄箱を過ぎて(というか、下駄箱にチョコレートが入ってることなんてあるのか?)クラスに入れば、いつもよりも忍び笑いが多いのにすぐに気付くし、ときにはあえて大きな声で男子たちの気を引こうとする。
ああ、この一分一秒が息苦しい。
そもそも、今日に限ったことではないのだ。
クラスの教卓では、吹奏楽部の女子がさあ義理チョコだよとチョコ菓子の包みを配りはじめていた。興味なさそうに教卓へと足を向ける男子たちの眼差しがこれ以上なく憎たらしい。それに続かんとする(勿論、実際に立ちあがったりはしない。するもんか)僕の体を押しつぶしてしまいたい衝動に駆られる。
今日という日を免罪符にする一切合切全てが寂しいんだ。どうしようもなく。
それに取りのこされている自分が惨めに感じることも否定はしない。勿論。人はむしろ、僕のことをそうとしか認めてくれないだろう。ここで僕がクラス一の美少女から渡されたチョコレートを断りでもしない限り、僕はただの偏屈者で終わってしまう。それでもいいと強がることしか僕にはできない。
なんの取り決めでもなく、誰の取り締まりもないのに、人は今日という日に何かを期待している。
その空気が、僕の未熟な胸を締めつけるのだ。
思えば、バレンタインだけじゃない、僕はイベントというものが嫌いだった。イベントが抱く、特別な空気が、大っ嫌いだった。
クリスマス、嫌いだ。
朝の教室に焚かれたストーブに、耳のすぐそばをぴくぴくと、僕たちを順に巡っていくあの喜びに満ちた静けさが嫌いだ。
夏祭り、嫌いだ。
耳をすませば聞こえてくる、祭り囃子に喧噪。浴衣に甚兵衛、草履に下駄。カタ屋やクジ屋が並ぶ出店。美味くはない、みじめな食べ物。その断片断片が嫌いだ。
運動会も合唱祭も、嫌いだ。
顎のすぐ内側にじわりと染みだしてくるあの緊張感が嫌いだ。くすぐったくなる高揚感が、なぜか同時に悪寒に変わる。
人は、何時によらず何処によらず、その喜びにわくわくに高揚に身を委ねてもいいはずなのに、いつの間にか僕たちは特別な日の特別な空気だけにそれを求めるようになってしまった。
僕はそれが悲しい。
寂寥感に、押しつぶされそうになる。
ホームルームのためにやってきた担任の先生が女子を窘めると、やっとその圧迫感はなりをひそめる。けれどそれもつかの間だ。今日という日は、僕がいかにこの空気から目を背けられるかにかかっている。僕の首を真綿よろしく絞め殺す空気から。
特別はいたるところに仕掛けられている。
教室移動、給食、昼休み、掃除。ずっとだ。
「おうい、たすく。帰るぞ」
やっと開放された僕を、あすかが迎えに来てくれる。その目は、うつろに染まってはいない。
「ほら、たすくにチョコレート」
勿論、疑っていたわけじゃない。
畑道の帰路を、あすかと僕とはいつものように歩く。
このチョコレートは、昨日の夜、あすかが僕に渡すためだけに作っていたのだ。そこに含みは一切無い。
例えば、好きな男子に断られたチョコを僕で処分しているなどという愚考は誰にも許されない。
どうしてわかるのか?
そう聞くのだろう。うつろな人々。
「あんた、クラスの女子からのチョコレートも断ってたらしいじゃん。イベント嫌いもほどほどにしなよね」
憎み愛する双子の姉との、全くいつもの、全く普通の帰り道。この憎しみもこの愛も、日々交わされる僕たちの日常だ。
唯一の僕の同位体に、どんなうつろも感じとることはできない。
なぜなら、彼女は特別ではなく。
瞭然に彼女は当然だから。
「……美味くなかったらなんかおごれよ」
「あんたこそ、ホワイトデーのお返しちゃんとしなさいよね」
ちょっぴり憎たらしい、当然の自分との戯れ。
今の僕たちにはこれだけがあればいい。空気なんかより空気な二人だけ。
なあ、うつろな人々。
たまには、たまにはなんて忘れてみたらどうかな。
CYNIC




