016.私の将来の夢は止まったおじさんを助けることです
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「こんにちは!」
「……よう」
止まったままのおじさんが言う。
『田んぼのスーパー』からさらに十分ほどあるいた先にあるお化けマンションの裏手で、止まったおじさんはずっと浮いている。私の身長が百四十センチだから、おじさんが止まっているのは一メートルくらいの高さかな。もう見慣れたけど、変なポーズだ。頭が下に、足が上にってひっくり返ってるし、生まれたての赤ちゃんみたいに顔もしわくちゃだ。カチコチに止まった黒いスーツには、鳥のフンとかがいっぱいこびりついている。
って、こんなこと見てる場合じゃなかった。
「おじさん、良いこと思いついたの」
「……宿題はいいのか」
「う…………それ止めてってば」
「こっちはお家と反対方向なんだろう。あんまり俺に構うな」
「そうだけど、そうじゃないの! 今日はおじさんを助けられるんじゃないかと思って来たの!」
私のびっくりな提案に、流石のおじさんもピクリとほっぺを動かした──ように見えた。
ふふふ。
「…………一応聞こうか」
「うん! えとね、学校のマットを引くのはダメだって話だったよね?」
「……そうだな。地面まで一メートルもない。ここにありったけマットを引いても着地の衝撃は吸収できないだろう」
「うー、ん。うん。それでね」
おじさんはよく難しいことを言う。とにかく、学校のマットじゃダメってことだよね。
「今日学校で先生に聞いてみたの。落ちちゃう人を助けるにはどうすればいいですか? って」
「おいおい……」
おじさんはいつもみたいに『アキレタ』声で「俺のこと相談してまともに取りあってくれるヤツがいるかよ。それも小学校のセンセイなんて高尚な仕事してて……」。でも、やっぱり一応気になるみたい。ジッと黙っている。
「先生が『あのおじさんのこと?』って言うから、うんって!」
「……ああ、うん。そうだな。それで?」
「先生はね、『じゃあ、深く穴を掘って、そこにもっともっと一杯のマットを敷いたらどうかな?』って! これってすごくない?」
私は先生にお願いして学校から借りてきたスコップ(大きいのもあったけど、今日は手で持てる小っちゃいヤツだ)を取りだす。早速ランドセルを置いて、おじさんのすぐ下の地面にかけよった。
「こうやって……ほら、ね? どんどん掘っていけば、テレビで見るようなでっかーいマットを入れられるよ! これでおじさんも大丈夫なんじゃない?」
私の(先生のだけど)アイデアにおじさんはびっくりしたみたいにジッ……っと黙ってたけど、最後には
「悪いが、そりゃ無理だね」
とだけ呟いた。
「えっ、なんでなんで?」
「こりゃ止まってるように見えるけどな──いや実際止まってるんだが──別にエネルギーの流れというか……そうだな、ただ止まってるってだけじゃない処理が起きてるんだ」
「う……ん」
「いや俺もちゃんと理解してるわけじゃねえんだぜ。でもこの『停止』ってのは、例えば物体の落下に関しちゃ止まってる時間に依存して俺の持つエネルギーが増えてくんで……つまり、長い時間止まってたら動き出すときの速さも速くなるんだ。わかるかい」
最後のことだけはわかった。
「じゃあ、おじさんが止まってた分もっと穴を掘ればいいってことだよ。もっといっぱいのマットを敷いてあげればいいんだ」
「……まあ、そうかもな。止まって、そうだな、一ヶ月くらいだったらそれでも助かったかも知れない」
「ほら、やっぱりできるんだよ! ね、おじさん。今度先生にお願いしてでっかいシャベルも持ってくるから! えと、一ヶ月だっけ? オーバーしないように、色んな人にお願いしてみる!」
「…………ありがとよ」
おじさんはなぜか(なんでだろ? この作戦でバッチリのはずなのに)喜んだ感じもなくそれだけ。
でも、大丈夫だ。これでなんとかなるぞ!
ようし、こうしちゃいられない。
「……おい。おい」
私がスコップで地面を掘りかえし始めると、おじさんは口を開く。
「何?」
「……今それでやっても大して掘れねえよ。今日は一旦帰って宿題やった方がいいんじゃねえか。その方が先生も協力してくれるかもしれねえ」
「……うーん」
宿題をやるってところだけが気にくわなかったけど、おじさんのアイデアも確かにその通りな気がした。足下を見ると、私が掘った穴じゃ教科書を入れるのにも足りなかった。先生なら、もっとおっきな穴が掘れるかも。
「わかった。じゃあ今日は帰って宿題する」
「よし。偉いな」
「平本さん。やっぱりここにいたのね」
う。
ギギギと振りかえると、やば、先生が宿題を忘れたときみたいな顔でこっちに歩いてきていた。すぐにランドセルを背負って逃げちゃおうかと思ったけど、昼休みの鬼ごっこを思いだしてやめた。私走るの苦手だしな……。
ぽいっとシャベルを捨ててモジモジと手を合わせていると、先生の作る影がぼおっと私を食べちゃう。
「平本さん。シャベルを持っていくのはいいけど、早く帰るようにって言ったよね?」
「……はい」
『ハルカワ先生はセイギカンがすごくって、キモト先生とかミナガワ先生と違って男子にも女子にも同じように接してくれるから好きだわ』ってママが言ってたけど、私もそう思う。先生ってかっこいいもん。
そして先生は怖い。かっこいいけど怖い。
大きな声を出してるってわけじゃないのに、体がビクってして、やっちゃったーって気持ちになってくる。約束を破っちゃったからなのはそうだけど……。
「でもね、先生」
「お話は今度聞きます。今日は帰りましょ。お母さんも心配するわ」
「……はーい」
まだ言いたいことはあったけど、先生を怒らせちゃうと今度のおじさん救出作戦が台無しになっちゃうかもと思って、私は素直に答えた。
「ん、偉いわね」
先生はポンポンと私の頭を撫でてから、地面に転がっていた私のランドセルを持ってきてくれる。
「どうもすみません。うちの生徒がご迷惑を」
「……いいよ」
よっこいしょ、とランドセルを背負いなおしていると、先生とおじさんとが内緒話をしてるのが聞こえた。
振りむくと、まるでなにもなかったみたいに先生は私に笑いかける。
「じゃあ、私と一緒に帰りましょうか。シャベルは私が学校に戻しておくから」
「うん。先生、ありがと!」
帰り際、おじさんは(小声だったけど)いつもみたいに『じゃあな』って言ってくれたみたいだった。
私はそれに応えるようにウインクをした。任せてね、おじさん。先生と一緒に絶対助けるから!
◇
「こんにちは」
「……よう」
「先ほどはすみません」
「いいって言ったろ。……お前、先生なれたんだな。こんなバッチリ夢叶えたヤツ、俺の周りにはいなかったぜ」
「全然バッチリじゃないですよ。まだ叶ってませんもん」
「おい、目標たけえなあ。どんな聖人目指してんだか。あのお嬢ちゃんはよく褒めてるぜ。お前のこと」
「……子供たちの前でかっこつけるのが精一杯ですよ」
「それが仕事だろ」
「そうかも、しれませんね」
「私、諦めてませんから」
「そうかい。その気持ちは嬉しいけどな」
「穴を掘って……水で一杯にするってのはどうでしょう? ほら、水泳の飛びこみみたいに」
「……悪いが、そりゃ無理だね」
「えっ、どうしてです」
「小学校のセンセイは勉強家だね。飛びこみ台からでも下手に落ちたら大怪我なんだぜ。俺を殺す気かよ」
「そんな、そんなつもりは……!」
「……わかってるよ。言ってみただけだ」
「また、来てもいいですか」
「好きにしろよ。お嬢ちゃんも来るって言ってたぜ」
「……またあの子は」
「はは。俺は止まって見てるだけだ。お前はどうする?」
「あの子の担任として、しかるべきことをします」
「……変わんねえな」
「では、また」
「ああ。じゃあな」
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