011.浮遊層と浮浪者
Wordle 231 5/6
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回る。回る。
私が回る。
高層ビルを足蹴に回る。
都会の喧噪を天に回る。
空を海に。海を空に。回る。
回る。回る。
◇
『それではスタジオにお呼びしましょう。重量子力学研究の第一人者にして、株式会社フロウアロフト取締役。河野昌幸さんです! どうぞよろしくお願いします』
よろしくお願いします、と頭を下げた私は紹介された歳の割には若映りしていただろう。コーディネータに勧められるままに着た紫紺のスーツは、こうして見ると意外と悪くなかった。
『河野さん。この度はおめでとうございます。ついに学会から業績が認められたということで』
『ええ。科学を進めるのは人ですから、ときにこういったことも起こります。優れた内容が世に出ないことがね。けれど、それも仕方ないことです。空を自由に飛び回るというのは、現代を生きる私たち人類のみならず、有史以来の悲願なのですから』
『本当にそうですねえ』
気のない返事で私の言葉を流すと、急いでアシスタントが安っぽいフリップを持ってカメラの前に現れる。
『ここで今一度ご紹介いただきましょう。河野さん。今回新たに商品化を発表されたのは、どのようなものなのでしょうか?』
『ええ。以前から予想されていた重量子力学効果を元にしたものです。重量子、以前までは重力子、グラビトンと呼ばれていましたが、装置に封入したそれらのスピン因子や存在確率を周囲の軽量子との相互作用でもって──あっはは、ええ、そうですね。単刀直入に申しましょうか。ズバリ、浮遊装置です』
簡潔に、とだけ書かれたカンペが丁度目に入って、苦笑を漏らした私はただそれだけを告げる。
それまで難しい顔で首をひねっていたスタジオがおおお、とざわめいた。
『浮遊装置! ついに完成したんですね』
『えー、私も早く使いたーい』
『僕たちもついに鳥人間ですわな!』
話題のインフルエンサーや、今年M-1を勝ち抜いた芸人がややオーバーリアクションでそれに応じる。画面下を流れているSNS連携のメッセージ欄も大きく揺れた。
『ええ。実際皆さんのお手元に届くのは、まだまだ先のことになると思いますがね。社運をかけて、全力で取り組みたいと思っています』
『十何年もかかったら、ワシは死んどるかもしれんの』
『やだな、師匠』
スタジオが湧く。
『フロウアロフト社と言えば、飛行機、無重力産業ですでに大きな功績を持つ会社です。売り上げは年に数兆円ということも珍しくない。新たにこの浮遊装置が日の目を見ることになれば、我が国の最先端を負って立つ大々企業となることは間違いないでしょうね、河野さん。河野さんは『バリバリ働く大富豪』としても知られ、世界の富豪ランキングにも名を連ねようかという話もあります。これで河野さんのワーキングライフも、一旦落ち着きを見せるのでしょうか』
『あはは、まだ試作機の目処が立ったというだけですから、落ち着くには気が早いですよ。繰り返しになりますが、社運をかけて取り組ませていただきます。浮遊装置──スカイアロフトの実現に向けて』
会場からはドッと拍手が起き、私のインタビューは終わる。CMに移ったテレビを消して、私はすっかり冷めてしまったコーヒーをすすった。
件の浮遊装置、スカイアロフトはもう幾多の実験を終え、商品化の最終段階まで入っていた。しかしいかんせん問題なのは重量子の取り出しにかかるコストで──いや。
…………。
頭に浮かんできた記憶を振りはらう。私はいかに利益を上げるかだけを考えていればいい。
それ以外に考えることなど──。
◇
「なんだ。お前は」
ふわりふわりと私が浮かぶのは、長野県の盆地にこしらえた我が社の実験施設だった。周囲を山々に囲まれ、アクセスが弱い。周囲の村も大方地上げした。残っているのは話の通じない奇人変人物好き共で、張り巡らせた金網を越えてまでどうこうしようという者もいない。ここなら、情報漏洩の心配なく実験をすることができる。
──と思っていたのに。
スカイアロフトの最終調整を自ら手がけていた私の前では、浮浪者然とした一人の男がふわりふわりと浮いていた。齢は五十ほどか。伸ばし放題で汚らしい髪の毛を後ろで一つにまとめている。こんなところで見なければ、すわ迷いこんだホームレスかと見まごうほどだった。
勿論、スカイアロフトは着けていない。当然だ。まだこれは世界に一台しかないのだから。
浮浪者然としたその男は、私の問いかけに体をよじると欠伸をして「あー、どうも」と応えた。
「ああどうも、じゃない。どうしてここにいる。どうやって入ってきた。なにより──どうやって浮いている」
私は背負ったスカイアロフトの位置を確かめながら(スカイアロフトはドでかいリュックサックのような形をしている。大きさは乗用車ほどだ。自身も浮かせる浮遊装置だから、重量を気にしなくていいのだ)、男と視線を合わせる。
山が左手に、空が右手に。
「あー、いえ、別に」
「…………」
警備に通報して男を捕らえるのは簡単だったが、私は男の体を眺め回すのに必死だった。
なぜ、そのなりで浮いていられる?
今にも粉々になりそうなそのボロキレだけで、どうして私と目線を合わせていられる?
「もう一度聞く。何者だ、お前は」
「んー、どうも」
「どうも、じゃない。質問を変えようか。なぜ浮いていられる。お前は」
「あれ、自分浮いてます?」
舌打ちが漏れる。
男は無精ひげをもさもさと掻きむしると、体の浮くに任せてその虚空でくるくると回る。
「重量子の分野では重力波動方程式の数値解すらまともにわかっていない。量子コンピュータを何年も回してやっと暫定の数値解が得られたのだ。それだっていくらでも改善の余地がある。そのデータも無しに、人がそんなふうに浮けるはずがない」
「研究者さんですか、道理で難しそうな機械を背負ってるわけだ」
何やら間違った研究者観を披露しつつ、男は「じゃーまあ、そうですねえ」。
「結構わかってきてる感じですか、世界って」
「……なんだと?」
「いやだから、真理とか、たどり着けそうなものかなって」
「……真理は、たどり着くためのものじゃないよ」
私は久しぶりに、その言葉を口にした気がした。
「真理は目指すためのものだ」
「……ちょっといいこといいますね」
「どうも。……なあ、一つくらい私の質問に答えてくれないか」
「例えば──」
男は相変わらず聞く耳持たず、ふわふわ浮かびながら世界を回す。
「自分はここに立ってるんですよ」
「…………立っている?」
馬鹿なことを。男は明らかに宙に浮いていた。私共々、浮いていた。
「立ってますよ。研究者サンにはわからないですかね、逆に。真理を目指す研究者サン」
幾重にも考えることが積み重なっているのに、私の頭はさらに男の言葉を解しようとしてズキズキと痛み始めた。一体こいつは何を言っているんだ。
言動はまさに精神異常者のそれだが、それだけでは説明がつかない。
「客観的な事実とかって、やっぱり重要ですよね」
「……勿論だ。科学とは、それに基づく営みだ」
「だからですかねえ、どうも合わなくて」
合う合わないの問題ではない。それは、この世の理なんだぞ。
「ねえ、研究者サン。あなた、なんで自分が浮いているか考えたことあります?」
「…………何を、言って……」
浮遊酔いをした私は体勢を整え、吐瀉物を遙か彼方の地面に向けて落とす。
「げほっ…………なあ、おい……」
顔を上げると、男の姿は消えていた。
◇
私は浮いていた。
取り巻く世界に見守られ、見捨てられ、浮いていた。
空高く舞い上がる自分の夢を忘れて、ふわふわと浮いていた。浮かれてもいたのだろう。
「…………」
デスクトップパソコンの、スカイアロフトのデータをまとめたフォルダを繰っていく。商品化案、航空法関連フォルダ、コスト、材料の見積もり。工場の手配に、企業買収の契約書。
回る、回る。
私が回る。
社会の利益に回る。
人の幸せに回る。
世間の期待に…………回る──?
なぜ私が浮いているのか。
それを考えたことは、実は無かった。
なぜならばそれは、私が私だから。否、あるいは──私がそう認識していたからなのではないか。
自分のせいで、自分が浮いていると思わされてきたのではないか。
違うんだ。本当に浮いているのは。
本当に、回っているべきなのは──。
◇
回る。回る。
世界が回る。
私の代わりに世界が回る。
私はここに、立っていた。
回る。回る。
ALOFT




