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9. レイの思惑

 日が落ちて、夜空に無数の星が瞬きはじめた頃。

 カーライル家の前に、一台の馬車が止まった。

 降りてきたのは、輝かんばかりの銀髪の貴公子。馬車に灯るランプの小さな明かりを何倍にもしたようなその姿は、夜に浮かぶもう一つの月のようだ。


「お帰りなさいませ、リアム様」

「うん。今戻ったよ。出迎えご苦労、ルーカス」


 その青年――リアム・カーライルは、ポーチの下で出迎えた執事長に愛想よく微笑むと、手にした鞄を預けた。それを恭しく受け取ったルーカスとは別の使用人が、玄関扉を恭しく開ける。

 リアムは悠々とドアを潜りながら、数歩後ろをついてくるルーカスに尋ねた。


「レイは帰ってきてるかな? またどこかへふらっと行ってしまったんでなければ、一緒に食事をと思うんだけど」

「レイ様でしたら、只今ご友人をもてなしておいでです」

「うん? 友人? ケヴィン君が来ているのかな?」


 リアムは自分で言いながら、不思議そうに首を捻った。

 レイが家に招くとしたら、ケヴィン・パルトロウが一番ありそうとは思う。そう思うのは最も親しい相手だからではなく、最も立場の近い相手だからだ。

 レイと同じ戦技科の一年。

 しかし、たとえケヴィンだろうとシャーリーズだろうと、レイが誰かを家へ招待する姿なんて想像できない。兄の自分が言うのもなんだが、レイは他人に対する興味がとても薄い子だ。

 リアムが信頼する老執事は、はっきりと首を横に振った。


「いいえ。妙齢の女性でいらっしゃいます。わたくしは初めてお会いする方でございました」

「女性……だと……!? レイが!?」


 リアムの脳天に激震が走る。全身が揺れ、大地が揺れたと錯覚するほどの衝撃だった。


 レイが女性を招き入れた。ルーカスが知らない人物ということは、クラリッサやシャーリーズではない。最近友人を通じて親交のある、モレッツ商会の娘でもないだろう。だがその他に思い当たる名前など、リアムには一つもない。ほんの少しだけ、何かが引っ掛かっているような気もするが。


「はっ! まさか脅されて……!?」

「ご友人に失礼でございます、リアム様」

「そ、そうか、そうだな。レイが脅されるようなことをするわけがないな」

「そっちではございません」

「アッ、でも!?」


 脳裏に閃く。今日まさに自分が口にした一言が。


「まさか、既にポンッと孕ませて……!?」

「レイ様に限ってそのようなこと。リアム様ではありますまいに」

「ルーカス、お前まで言うのか!」


 リアムの度を越した勘違いに、冷静な執事長も肩を竦めた。リアムは、彼への信頼が一方通行だったことを知って愕然とする。

 だが今はそんなことよりも、招待客の正体を確かめる方が先決だ。

 ということで、リアムは早速現場に乗り込もうとした。


「よし、では俺も挨拶を! ルーカス、レイはどこだ?」

「なりません」

「いや、でも、この家の現在の主として――」

「なりません」

「だ、だけど……」

「リアム様」

「うっ」


 しつこく食い下がるリアムだが、執事長の切れ味鋭い視線にごくんと言葉を飲み込んだ。


「弟思いで大変結構なことと存じます。が、それとこれとは別問題かと」

「ぐ、ぐぬぅ」


 執事長の目が、余計なことをするなと真剣に物語っている。

 彼としても、レイのことは心配しているのだ。

 レイはよく他人から、冷たい人、不機嫌な人だと思われがちである。仏頂面の上に、普段人前では寡黙を通しているせいだ。その理由が、幼い頃身についた人間不信に由来すると知る者は、かなり少ない。

 そんなレイが突然連れてきた女性。残念ながら、ルーカスの目には男女の仲に見えなかったが――何か変化が訪れるのではないかと、少なからず期待しているのである。

 だからこそ、今はそっとしておくべきだ。


「うう、分かったよ。我慢するよ……」


 リアムは執事長の無言の圧力を感じ取り、とうとう諦めたのだった。



 * * *



 アルマは、好きなものは最初に食べる主義である。主菜だろうと副菜だろうと関係なく、目の前に一緒に並んでいれば真っ先に飛びつく。むしろ好きなもの以外は全部同列である。

 そして今のアルマには、白磁の皿に盛られたりんごのコンポート以外、何一つ目に入っていなかった。

 しゃくしゃくと小さな口を懸命に動かしては、ごくんと飲み込む。その繰り返し。アルマの顔は、何とも言えず必死である。

 レイはその様を真正面で観察し、ほとほと呆れるのだった。


「結局りんごしか食ってねぇじゃねぇかよ。ほら、肉を食え。野菜も。……そんな悲しげな顔すんな。何も取り上げようってんじゃねぇんだから」


 まったく、と怒りながら自分も食事を進めるが、その視線はアルマの手元に釘付けだった。おそらく、アルマがりんごだけで食事を終えようとしないか監視しているのだと思われる。


 アルマは、どうしてこの人はこんなに口煩いのだろうと思いながら、もぐもぐと顎を動かしていた。

 目の前のレイと、学校で見かけた時のレイとの間には、大きなギャップがある。記憶にあるレイはいつも斜に構えていて、他人にはあまり興味がなさそうだった。少なくとも、世話焼きのタイプでは絶対にない。

 それなのにこの状況。裏にどんな事情があるというのか。


 ここに来るまで、アルマは何か無茶な要求されるのではないかと考えていた。平たく言えば脅しだ。勘当寸前の小娘に何ができるのかは分からないが、レイには目的があって、その何かしらに自分を利用するつもりなのではないかと。

 だけど彼が何かを要求してくる兆しは一向になく、アルマに食事を摂らせることに意識を注いでいるだけに見えた。しかも割りと神経質に。野菜を摂れなんて台詞を言うのは、世間一般的には母親くらいじゃないのだろうか。

 彼のこんな一面は知らない。今まで聞いたどの噂とも違う。


 ――でも。

 レイの意図は分からなくても、確かなことが一つだけある。


「あ、あの……」

「ん。なんだ?」


 口の中のものを飲み込みフォークを置いたアルマに、レイは無邪気にも似た顔で問い返す。

 アルマは口を開き、何かを言おうとして――噤んだ。再度口を開いたものの、何度か喘ぐようにパクパクさせ、やっぱり閉じる。目は泳ぎ、手はにぎにぎして落ち着かない。

 アルマの顔は真っ赤になり、緊張に堪えきれなくなって俯いた。


「あ、ありがとうございました……」

「……何が?」

「あ、あ……あの……」


 言葉が途切れ途切れになり、なかなか上手く話せない。

 ――ああ。昔から私はこうだった。

 人と対面すると、喉に壁ができたみたいに言葉が出なくなる。怒られるんじゃないか。笑われるんじゃないか。そう思ったら、体が話すことに拒絶反応を示してしまう。

 前世の母親は娘のこの喋り方が嫌いで、特に機嫌が悪い時などはよく打った。アルマは悲鳴も上げられず、ただ耐えるしかなかった。

 けれど、前世の母だって知らなかっただろう。本当は、この喋り方を一番嫌っていたのはアルマだったことを。

 皆が普通にしていることが、自分にはできない。それで母親には怒られて、打たれて、自分でも自分を責める。誰もアルマを守る人はいなかった。彼女自身ですら。


 アルマは無理やり顔を上げた。背を押してくれたのは、胸に秘めた"確かなこと"一つ。

 財布を届けてくれた時の、あの言葉。声。そこには、誰かの優しさが篭もっていた。その気持ちが、真っ暗な闇の底に沈んでいたアルマの心を掬ってくれた。

 あの時は、声の主がレイだなんて知らなかったけれど。知らないからこそ、純粋に彼の優しさを受け止めることができた気がする。

 疑わず。怖がらず。

 今自分に必要なのは、素直さなのではないだろうか。

 目の前のものを信じる、素直さ。

 アルマはごくりと唾を飲んで、レイの目を見た。その瞳に映る感情は読めなかったが、ただ、彼が真っ直ぐにアルマを見ていることは分かった。


「財布。と、トープファ……届けて、くれて……。嬉しかった、です。ありがとう……」


 ――言った。言えた。

 達成感と充足感から、ぶわっと顔が熱くなる。同時に、取り返しのつかないことをやってしまったような焦りに襲われて、「うぅ」と呻きながら下を向く。

 赤くなった指先を、もう片方の人差し指と親指で揉み潰すという謎の挙動に出たところで、レイが少々笑い混じりに口を開いた。


「どういたしまして、かな。偶然だったが、オレもあの時動いて良かったと思ってるよ」

「……!」

「ほんとびっくりしたけどな。相手がお前で。こんな偶然、あるもんなんだな」

「……、…………」


 レイが喋るたびに、アルマはビクビクしつつ向かいの席を伺った。それをレイは可笑しそうに見つめていたが、幸いなことに、相手の興味に気付くまでの余裕はアルマにはなかった。

 やがて観察することにも飽きたのか、レイはフォークの先端で料理をつっつきはじめる。マナーの悪さを指摘する人間はこの場にはいない。どうやら、彼もアルマと同じで行儀作法は苦手のようだ。

 アルマも、おずおずとフォークを手に取り食べかけのコンポートに口を付ける。

 レイは視線を皿に落としたまま話しだした。


「考えてみれば、オレは一応殿下の友人って立場だから、お前からしたらコワイ相手だよな。そこら辺、考えなしだったわ。すまんな」

「……ぅ」

「けど、今日お前に会いに来たのは単なる気まぐれだ。殿下とは何の関係もない。他の誰ともな」


 やっぱり、気まぐれだったんだ。

 ずっと気になっていた疑問が解消されて、アルマは内心でほっと息をついた。それと同時に、彼のあだ名は本物らしいと少し可笑しな気分になる。


「ただ、お前のことが気になってたのは事実だよ。あのパーティーの夜から」

「え」


 ぱちっと瞬きしたアルマは、こちらを見つめるレイの真面目な目とぶつかった。

 あのパーティーの夜、と聞いた瞬間、心臓がバクバクと嫌な音を立てはじめる。もはや条件反射である。夢に見るほどに嫌な記憶だ。


 気になっていた? どういう意味?

 あの時、レイはアルマのことなんか興味ないという態度を取っていた。それがどうして、今になって……。


 アルマの表情から疑問を読み取ったレイは、ちょいと肩を竦めた。


「まあ言いたいことは分かる。信じられねぇよな。オレだって今回みたいな偶然がなけりゃあ、お前を助けようなんて思わなかっただろうし。ただ、ちょっと。ちょっとな、心配になったんだ」

「心配……?」

「お前の追い詰められた顔が、頭の端っこに引っ掛かってな。オレは薄情で冷たい人間だから、お前みたいな孤独なヤツのことが、却って心配になったんだと思うよ」


 そんなことを、何でもない風に言った。

 アルマは不意を打たれて呆然とレイを見上げた。

 孤独なヤツ、と彼は評した。それがあまりにも的確で驚いたのだ。


 パーティーで騒動を起こした後、アルマは自室に引き篭もった。その間、メイドたちの陰口を何度か耳にした。聞きたくはなかったが、彼女たちは結構あけすけに噂話など口にする。だから自然と耳に入ってくるのだ。

 問題児となった主人の娘のことも、当然彼女たちのお楽しみの餌食となった。


 ――自分勝手で我儘なお嬢様が、勝手に自滅して旦那様に傷をつけた。

 ――男爵家で一人出来の悪い娘が、優秀な父や弟の足を引っ張っている。

 ――旦那様は、あの愚か者を近々家から追い出すおつもりらしい。


 当然のことながら、皆アルマを遠巻きにし、直接批判することはない。誰もがアルマに背を向けて、アルマ自身はぽつねんと立っていた。その様は、まさに孤独。前世から続く因果なのか、彼女の側には誰一人残らない。いつものことだと諦めるのは簡単だった。だが、孤独はいつだってアルマを苛む。じわじわと忍び寄る寂しさから逃げることはできなかった。


 レイの言葉をどういった気持ちで受け止めたらいいのか、今のアルマには分からない。レイという人間自体、まだよく分からないでいる。ただ少しだけ、目の奥につんとしたものを感じていた。

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