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5. 気まぐれの騎士

 明くる朝、アルマはクローゼットを前に、生まれて初めての悩みを抱えていた。


(服……新しいの買った方がいいのかなぁ)


 尖らせた唇に人差し指を当てて、うーむと唸る。

 今ある服が古いわけでも、汚れたり破れたりして着られなくなったわけでもない。

 問題は、デザインだった。

 仕立て時期は古くない。

 が、デザインは明らかに古臭い。キノコが生えていそうなくらい、時代遅れと言っていい。今時の若い娘は、肩も袖もぴっちりしたブラウスを好まない。かと言って、どのような衣服が流行っているのか、アルマには見当もつかない。貴族令嬢のドレスならともかく、今のアルマが望むのは町娘が着る衣装だ。町娘には町娘なりの好みというものがあるだろう。

 考えても分からないので、結局、問題は先送りとなった。



 * * *



「ああ! 愛しの若様! その麗しきアズールの瞳! 貴方様の瞳に、私はどのような姿で映っているのでしょうか? 涙の如き清らかな心で、思わずにはいられないのです――願わくは、貴方様の最愛の姿であらんことを、と!」


 何かを掴むように、天井へ伸ばされた手。赤い絨毯に両膝を突くと、白いフリルエプロンがふわりと舞う。恍惚とした女の顔は、うっすらと涙に濡れている……。三秒後にその涙をひょいと引っ込めると、女中は無言で万年筆を動かし続けるアルマの文机に飛びついた。


「こんな感じでどう!? どうかしら!? ウケる!? 若様にこれウケるわよね!? 絶対行ける! 行ったるー!!」

「…………」

「あ! でもちょっと待って。姿で"映って"じゃなくて、"囚われて"の方がいいかしら? その場合は無実の罪とかけて――」


 女中は無言のアルマに構わず、改良案を次々と思いつき次第口に出す。アルマはそれらをいい具合にまとめ、破綻のない文章を編んでいく。


 恋文を依頼するのは、九割方が女性だ。アルマが女だからという理由もあるかもしれない。一応、男性らしい書体も書けるけれど、基本的に男性の恋文は男性代筆士が請け負うことになっているようだ。


 そして、恋文を依頼する女性は、概ねテンションが高い。たまに内容が支離滅裂で、何を言っているのか分からないこともある。分からないからと言ってそのまま文章に起こしても、受け取った方は困惑するだけだ。だから、ある程度代筆士が手を加える必要がある。それはそれは気を使う、大変な作業であった。

 それと比べれば、今日の依頼人はかなりマシな方だ。おそらく、身分の高い家の女中なのだろう。

 宛名は――。


「リアム・カーライル様、と。……リアム・カーライル?」


 アルマはつい筆を止め、きょとんとして自分の書いた文字を見つめた。女中は彼女の様子に気付いて、


「あら、代筆士さん、うちの若様をご存知?」

「え、ええ。たぶん……」

「まあ! それは奇遇ね!」


 嬉しそうに笑い、ぱんっと手を叩く。一体何が喜ばしいのか分からないが、彼女によると、リアムの素晴らしさを一人でも多くの人間が知ることは、より良い世の中の発展と貢献に繋がるのだそうだ。

 ……聞いても意味が分からなかった。

 学園パーティーの王子たちもこんな気持ちだったんだろうかと、ずんと沈み込むアルマである。


「リアム様はね、トールス伯爵家の次男なの。魔道具の生産で有名なところよ。将来は、跡を継ぐお兄様の補佐をするんですって」

「今は、サントレナ学園の先生……です、よね?」

「そうそう! そうなの! 魔術を教えてるんですって。素晴らしい風魔術の使い手なのよ! ま、私は一度も使ってるとこ見たことないんだけどねっ」

「そうなんですか」


 アルマは見たことがある。理由は単純。彼の授業を受けていたからだ。


 魔術を使える人間は生まれつき限られていて、貴族は魔術の才能を持って生まれる確率が平民より高い。けれども、中には使えない貴族も大勢いる。

 アルマは水と癒やしの魔術が得意だ。他の要素も使えないわけではなく、その気になれば浴槽を温かいお湯で満たすこともできる。ただし、火魔術は苦手なのでやらない。苦手な属性の魔術を使うと、やたらめったら疲れるのだ。


 それはそうと、リアム・カーライル。

 輝くような銀色の髪に、群青色の瞳をした美青年。

 彼のことを覚えていたのは、授業を受けていたからというのもあるが、前世の動画サイトで見た、この世界を舞台にした乙女ゲームの攻略対象だったからである。

 リアムは魔術の教師なので、攻略ルートに乗らなくてもたびたび授業で登場する。その分、ハッピーエンドに辿り着くのは難しいそうだが、今のアルマには全く関係のない情報だ。


 リアムはモテる。赤子から大人、老婆まで、ありとあらゆる女性を虜にする。そして、その全てを拒まない。彼に思いを寄せる女性全員に、等しく愛を捧げる――それがリアム・カーライルという男だった。

 この世界でもその設定は生きていて、学園では彼の噂が絶えなかった。


(カーライル……なんだか、他でも聞いたことがあるような)


 彼を知る者に巡り合ったことで、再び恋の炎が燃え上がったらしい女中が、さらなる改良案を弾丸のごとく撃ち出していく。アルマはその勢いに遅れまいと必死になり、ふと思い浮かんだ疑問は、あっという間に頭の中から弾き出されてしまったのだった。



 * * *



 ――ここは王立サントレナ学園の一室。明るい銀髪の男が、美しい群青色の瞳をキラキラと輝かせ、数枚の便箋を窓の光に翳している。


「おお! なんて素晴らしい字だろう! とめ、はらい、角度、バランス、適度な字間! 全てにおいて完璧じゃないか! これほどの美文字は見たことがない! それでいて情熱的で……頽廃的で……なんという、なんという奇跡的な字だ……!」


 形のよい唇が紡ぐのは、彼いわく、情熱的で頽廃的な手紙ラブレターへの賛辞。

 それは、昨日アルマが女中に依頼されて代筆した恋文だった。宛名には〈リアム・カーライル様〉と書かれている。手紙を受け取ったこの男こそが、攻略対象の一人でありサントレナ学園の魔術学教師でもあるリアム・カーライルである。


 彼は感動の涙で目を潤ませながら、美文字で綴られた愛の言葉を声に乗せる。やがて最後の一文字まで読み終えると、重厚感のある黒檀の書斎机にそれらを置き、自身はどっしりと椅子に腰を下ろした。物憂げに頬杖をつき、やがて。


「ふぅ……。感動。いや、感服だ。潔く負けを認めよう」

「何の勝負だよ、兄貴」


 部屋の中から、呆れを隠さない青年の声がした。

 リアムが顔を上げてみれば、質問に来た生徒用に置いてある椅子に、七歳年下の実弟が足を組んで座っている。行儀の悪さは、今更指摘することでもない。


 レイ・カーライル。

 リアムよりも若干濃い、シルバーグレーの髪。群青色の瞳は、カーライル家の血を引く証みたいなものだ。顔立ちは美しいというより精悍で、リアムとの血の繋がりは感じさせるものの、タイプが異なる。近くの壁に彼の剣を立て掛けているが、貴族が持ち歩くような装飾がたっぷり施されたファッションとしての剣ではなく、無駄のない実用的な剣である辺りに、持ち主の立場が表れていた。

 整った容姿と高い身体能力から幅広い層に知られているものの、圧倒的な付き合いの悪さと、貴族としては妙なとある癖のせいで、生徒や教師からは変わり者だとされている。


 ともあれリアムは驚いて目を瞠った。


「なんだ、レイ。お前いたの」

「いたの、じゃねぇよ。オレがその手紙を預かって兄貴に渡したんだよ」

「うん? そうだった? うーん。そう言えば、そうだったな」

「教師とは思えない記憶力の悪さだ」

「なーに、お前よりはマシさ。ははっ」

「……確かにそうだけど」


 剣術は得意なレイだが、座学の成績はよくて真ん中といったところである。なので記憶力が悪いのは事実なのだが、この兄に言われるとなんか腹が立つ。それでも一番上の兄よりは遥かにマシか、と気を取り直すと、レイは先程リアムが褒めちぎった手紙に視線を移した。


「今度のはやけに評価が高いな。そんなに気に入ったのか?」

「うん……。いや、俺は貰った恋文全て気に入る覚悟だけど。しかしまあ、この手紙は格別かな。今まで受け取った中で、一、二を争うかもしれない」

「そう言う割には、文字しか褒めてなかったようだが」

「分かっていないな、レイは」

「何がだよ」


 リアムは「チッチッチ」とテンポに合わせて人差し指を振る。レイは、演技臭いが様になるのがムカつくなと思いながら、兄に短く問い返した。


「何がって。女が愛を綴った恋文だよ? この中には、比べることの出来ない宇宙の真理が詰まっているんだ。見た目以外の何で優劣をつけようと言うんだ? そんなもの、暴挙以外の何物でもない。たとえ国王が許しても、この俺が絶対許さないね。ああ、死んでもさ! 死んでも!」

「二度はいいよ。言わなくて」


 愛が真理ときたものだ。

 拳をぐっと握って声を張り上げる兄を見ていると、やはり部屋のどこかに演出家が潜んでいるとしか思えない。演技指導の真っ最中なのではないだろうか。

 リアムは自分の言葉を全く理解していない様子の弟に、落胆の溜め息を零した。


「まったく。これだから初恋もまだのお子ちゃまは」

「お子ちゃま言うな。そういうのは腹いっぱいだからいいんだよ、オレは」

「ふむ。セドリック殿下とクラリッサ様か。あのお二人は、昔から仲がよろしかったからなぁ。さんざめく恋愛波に当てられて、感覚が麻痺してしまってもおかしくない、か」

「さんざ……何? いや、やっぱりいい。言わなくて」


 反射的に疑問を挟もうとしたレイは、すんでのところで思い直して首を振った。待った、という風に掌をリアムに向け、説明したそうに口を曲げる兄を牽制する。


「別に感覚が麻痺してるわけじゃねぇよ。ただオレには無理だなって思うだけで」

「そういうこと言ってるヤツほど、いざ好きな子ができると激変するんだよなぁ」

「けっ」


 説明させてもらなかった腹いせか、訳知り顔でレイに揺さぶりをかけるリアム。しかし、そんな兄の攻勢に今更動揺するレイではなく、ただ単につまらなそうに吐き捨てるだけだった。

 リアムはにやにやと弟を見守っている。


 レイには、誰か一人に入れ込む自分なんて想像もできなかった。もちろん、兄のように複数の女性を同時に相手取りたいという意味ではない。そんな願望、断じてない。

 それは、本当に愛し合う二人を長年近くで見続けてきたせいかもしれなかった。


 レイがあの二人――セドリックとクラリッサに初めて出会った時、彼らは幼いながらも既に思いを通じ合わせていた。

 忘れもしない、レイが八歳の頃だ。

 三人の中で、セドリックだけ年が一つ上になる。だが、一番精神が成熟していたのはクラリッサだった。


 今の姿からは想像もできないが、セドリックは幼い頃、王子としての重責にかなり苦しんでいたと言う。なまじ聡明な人だから、周囲の期待を早くから敏感に感じ取っていたのだろう。そういうところは、容易に想像できる。

 鬱屈していた彼の心を解きほぐしたのが、他でもないクラリッサだ。どうやったのかは知らないが、おそらく相性の良さが大きかったのだろう。

 年下とは思えない寛容な心の持ち主であるクラリッサと、他人の心の機微に敏感で、無意識に気遣ってしまうセドリック。

 二人とも優しい人だから、傍から見ていてお似合い以外の感想が浮かばない。まあセドリックの方は、一部優しくない面もあるけれど。主に反クラリッサの連中に対して。


 彼ら――主にクラリッサを見ていると、世の中は本当は美しいんじゃないかとさえ思えてくる。

 虐待や強請なんかなくて、利己心の強い連中は、実は家族や領民思いの良い人なんじゃないか。皆が正しい行いをして、思いやりの心を持った国に自分は住んでいるんじゃないかと。まあそんな錯覚は一瞬で消えるのだが。


 もしそんな錯覚を起こさせる現象が"恋"なのであれば、やっぱり自分には無理だと思う。

 そしてあの少女――アルマ・ヘンレッティも、恋などしていなかったなと確信できるのだった。

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