31. 好きと好き
「好きだ」
放たれた言葉は、思考を射止めるのに十分な威力を持っていた。
群青色の瞳が一途にアルマを見つめる。
アルマはぽかんと口を開けたまま、脳内の空白地帯に立ち尽くした。両手はがっしりとレイに握られている。掴まれていると言った方が正しいかもしれない。第一アルマには、嬉しいとか恥ずかしいとか感じる余裕もない。肩を竦めようとして初めて、腕がある程度から先へ動かないことに気が付いたが、それを見てもレイは手に篭めた力を緩めようとはしなかった。
次第に硬直が解けていく。次にやって来たのは混乱の波だ。
「……え。えっ? ちょ、ちょっとよく分からな――」
「なら何度でも言う。お前が好きだ。一人の男として、お前に恋してる」
「…………」
アルマは呆然とするしかなかった。何もかも、理解の範疇を越えている。夢を見ているか、冗談を言われているとしか思えない。だけど、彼がアルマを欺くような真似をするなんてそれこそ信じられない。
だから、これは現実だ。信じがたい現実なのだ。
「な、なんでそんな、突然……」
「迷惑だったか?」
アルマはハッとして激しく首を横に振った。驚きはしたが、迷惑であろうはずがない。その意思は届いたらしく、レイは安心したように頬を緩める。
彼は、繋がったままの二人の手に視線を落とした。手袋をしていないため、体温や指の感触が直に伝わってくることに、アルマはその時改めて思い至った。反射的に手を引こうとする彼女に対し、レイはしっかりと握って離さない。それどころか、まるで宝物を扱うように、両手で大事そうに包み込んだ。
「ビビリで後ろ向きで自尊心の低いアルマが好きだ。周囲の目が怖いからって顔隠して、却って注目集めてる間抜けなところも、ちょっと褒めただけで真っ赤になって恥じらうところも大好きだ。涙目で縋られた時なんかゾクゾクする」
「ぞく……!?」
「ははっ。ドン引きする顔も可愛い」
レイは笑いながら、額同士をこつんとぶつけた。
アルマは思わず息を止める。顔が茹でダコみたいに真っ赤だ。隠してしまいたいくらい恥ずかしかったけれど、両手が封じられていて解くこともできない。群青色の真摯な眼差しに見つめられると、金縛りに遭ったみたいに動けなくなった。
「頑張ってるアルマが好きだ。苦しくても藻掻いて、這い上がろうとしてるアルマが好きだ。応援したくなる。でも、それだけじゃ満足できないんだよ。気付いたんだ。アルマに触れたくて触れたくて仕方がないんだよ。なあ、この気持ち分かる?」
切ないほどに。
形容できない感情が波のように押し寄せてきて、アルマの胸はきゅっと締まった。
この感覚を痛みとするならば、アルマの心は今泣いているのだろう。
レイが、自分と同じ気持ちでいることを知って。一人と一人ではなく、二人一緒に、同じ陽だまりの中にいることを知って。
嬉しくて、アルマの世界は涙で滲んだ。
同時に、心底レイがずるいと思った。今までそんな素振り一度だって見せたことないのに、なんだこの変わり身の速さは。呆れているのに、可笑しくてつい笑いそうになる。
「分かります。私だって、レイ様が……レイが好き」
口にしてから数拍、アルマとレイは見つめ合った。大きく見開かれた群青色の瞳は、今初めてこちらの気持ちを知ったに違いなくて、やっぱり気付いてなかったかとますます可笑しさが込み上げる。
なんでだろう。
温かい。
笑い声を口に乗せた瞬間、アルマの体は勢いよく引っ張られた。抗う隙もなく、大きな腕に閉じ込められる。その力はとても強くて痛いくらいだったが、同時に温かく安らぎもあって、アルマは夢中でしがみついた。
いつまでも続くかと思われたひと時。耳元で小さく名前を呼ばれ、胸が離れた。アルマは温もりが名残惜しくて、レイを見上げる。彼の背後には月があった。真っ白に光り輝き、いつの間にか降りはじめた雪をキラキラと照らしている。
その月を背にしたレイが、もう一度名を口にした。アルマは、はいと答えて身震いする。次第に彼の顔が近付いてきて――やがて、二人の唇が重なった。
それから二人は、長い時間語らった。雪は冷たく、身を切るような寒さだったが、そんなことはお構いなしに、二人は終始笑顔だった。
月はすぐに雲の中へと隠れてしまったので、彼らを照らすのはランタンの灯りのみだった。
蝋燭が短くなり、そろそろ帰らなければならない頃合いになると、交わす言葉は少なくなった。その代わりに、絡めた指先で思いを伝えあった。最初は恥ずかしがるアルマだったが、レイを思う気持ちには変えられない。辿々しくレイの指を掴むと、彼は嬉しさのあまり、蕩けるようなキスを返した。そのせいでアルマは腰が抜けてしまい、帰りの階段をレイに抱えられて降りる羽目になってしまうのだった。
* * *
明けて翌朝。欠伸をしつつ玄関を出たアルマは、そこで一足先に待っていたルイスと合流した。
昨日の灯夜祭では、アルマたちの住むアパルトマンでも飾り付けを行った。祭りが終われば、片付けが待っている。本日は代筆の仕事もお休みなので、ルイスと一緒にランタンの後始末をする約束だった。
アルマは慌てて口を閉じたが、ばっちりルイスと目が合ってしまった。彼女は妖しく微笑んで、
「おはよう、アルマちゃん。朝早くから手伝わせることになって悪いわね」
「お、おはようございます。私もこのアパルトマンの一員ですから、気になさらないでください」
「フフフ……」
な、なんだろう。この含み笑いは……。
得体の知れない威圧感に怯えつつ、アルマはルイスの隣に立つ。
ともあれ、作業開始だ。
片付けの手順は簡単で、ポールや柵に括り付けたランタンを下ろし、ゴミ捨て場に持っていくだけ。ランタンは全て燃やせる材料で出来ているので、分別する必要がない。楽なのはいいのだが、夜のうちに火事が起きたらどうするのだろうと不安になる。祭りの日は衛兵が夜通し巡回するということで、衛兵とは大変な仕事だとつくづく有り難く思う。
高いところにあるランタンは脚立に上って、固く結んだ紐と悪戦苦闘。大した数ではなかったため、三十分足らずで全てのランタンを撤去し終えた。
あとは持ち運びやすいように潰して、ゴミ捨て場へ運べば完了だ。
「アルマちゃん。疲れたでしょう。もう部屋に戻って休んでいいわよ。運ぶのは私がやるから」
「え? いえ、全然平気ですよ。起きたばっかだし」
きょとんとして答えれば、ルイスは頬に手を当てて何故か照れ笑い。
「いいわよぉ。無理しなくて。若いとは言え、初めてでしょ? 体、労ってあげなくちゃ」
「えっと……はい、初めて、ですけど。でも、気遣っていただくほどの重労働では……」
「重労働よ! 初めては特に! それともレイ君って淡白なの? 体鍛えてそうなのに。まあ、優しそうではあるわね。ユアンはああ見えて意外と奥手で、私がリードしないと……って、あはは、何言ってるのかしら」
「レイ? 淡白?」
何故そこでレイが登場するのか。奥手? リード? 徹頭徹尾、意味が分からない。アルマは本気で首を傾げた。それを見たルイスもまた、「あらら?」と困った顔で首を傾げる。
「昨晩、玄関ポーチで彼と話してたわよね? 腰は大丈夫かーって」
「ああ、そう言えば、帰りに鉢合わせしましたね。えへへ、恥ずかしながら、私、腰を抜かしてしまって……。途中まで、レイ様におぶってもらったんです」
時刻は二十二時を過ぎていたが、祭りの夜だからか通りにはまだ少なくない人がいた。その中を――人目を避けたとは言え――いい年して背負われて進むのは、かなり恥ずかしかった。しかも、腰をやった理由が理由だ。あの時は本気で、二度とお天道様の下を歩けないと涙したものである。
もちろん、レイは大笑い。彼には本当に恥ずかしい姿を見せてしまった。
「なぁんだ。じゃあ、レイ君とは何もなかったのね。例のジンクスの話したから、少しは進捗あったのかと思ったんだけど」
「…………」
「ん?」
ルイスは訝しげな声を上げた。唐突にアルマが俯いたのである。覗き込むと、アルマは白い頬を真っ赤に染めて、口をきゅっと結んでいた。
にやり、と唇を歪ませるルイス。いつものおっとりした表情からは想像がつかない変わりっぷりだ。
「詳しく聞かせてもらおうかなぁ」
彼女の背後に、獲物を狙う肉食獣を幻視したアルマだった。




