前編
「エミリオ殿下、マリー様。お二人に大事なお話がございます」
政務副長官のゾーイから呼び出しを受け、王城の政策会議室へ出向いたのは夏の終わりのことだった。
一つ歳上のエミリオはこの国の第一王子で、私は公爵家の長女だ。
家同士の付き合いが密で、私たちは小さい頃より婚約関係にある。
政務副長官のゾーイは優秀な女性で、長い黒髪を引っ詰め、きりっと吊り上がった眉をしている。
その眉を一段と吊り上げて、ゾーイは私とエミリオの前にどんっと分厚い書類の束を置いた。綴じ紐で纏められたその表紙には、【報告書】と銘打ってある。
私たち、何か怒られるようなことをしただろうか……?
「近年、諸外国の王家で頻発しているお家騒動をご存知でしょうか?」
「いえ……」と私とエミリオは声を揃えた。
エミリオは王子なのに政治に関心がなく、森林公園大好きな虫オタクだし、私は私で図書館大好きな本の虫だ。しかし読むのはもっぱら古典文学で、最新情報には疎い。
ゾーイはこほんと咳払いした。
「では説明いたします。近年、諸外国では『王子の卒業パーティーが婚約破棄を言い渡す場となる現象』が巻き起こっているのです」
「何ですかそれ」とエミリオが尋ねた。
「諸外国の王子には皆、殿下と同じく婚約者がいらっしゃいました。ご幼少時に婚約され、良好な関係を築いてきたお相手が。しかしそこへ突然現れた女が割り入り、王子を誘惑し、そそのかし、婚約破棄を実行させたのです。これは一国や二国の話ではございません。そのどれもこれもが似通ったパターンで、『王子の卒業パーティーで婚約破棄を申し渡し』までが共通事項なのですから、これはもはや異常事態としか言いようがございません。私たちこの世界の人間ではとても太刀打ちできない、神の領域めいた力が干渉しているのだろうと。我が国の魔術師たちも皆口を揃えて申しております」
「分かった。気を付けるよ」
早々に話を終わらせて帰ろうとするエミリオにゾーイが噛みついた。
「お待ちください、殿下。自分には関係ない、自分に限っては大丈夫だ、その過信が命取りなのです。まずは一度、ここにある報告書に全てお目通し願います。諸国の王子も最初は殿下と同じように、自分は絶対大丈夫だと思ってらしたのです。しかし、突如現れる図々しい魔性の女は、神の干渉を受けた者。油断していると、嘘のようにころっとほだされてしまうのですよ。報告書をよくお読みになって、事の顛末がいかに悲惨か、胸にお刻みください。諸国の王子たちが反面教師となるでしょう。今後殿下が突然現れた女にころっといかれそうになったときには、報告書の内容を思い出してくださいね」
押し付けられた分厚い報告書に、エミリオはげんなりした顔をした。
「ゾーイ。それは私も読んでいいのでしょうか?」
「ええ、勿論です。マリー様。こちらの報告書を魔法複写したものが一部ありますので、こちらはマリー様へ。どうぞ」
そういってゾーイは分厚い報告をもう一束出した。
「お読みになって、あまり気分のいい物ではございませんが……。予測可能な事態の傾向を知っておくことで、対策を立てられます。お二人とも読まれたご感想をうかがいますのでまた来週の水曜日、この時間にこちらで」
読書ノルマを課されてしまった。私はワクワクしているが、エミリオは顔に「面倒くさい」と書いてある。
エミリオは動植物の図鑑なら何時間でも眺めていられるが、物語は苦手なのだ。
しかしあのゾーイ副長官からの課題となると、手を付けない訳にはいかないから仕方なく読むのだろう。
「いいなあ、マリーは楽しそうだな」
「ええ、もちろん。どんな物語が紡がれているのか、ワクワクするわ。『事実は小説よりも奇なり』っていうものね。きっとものすごく波瀾万丈なお話よ。さっきゾーイがちょっと気になるネタバレを口にしていたわね。事の顛末が悲惨だって。何かしら、怖いわね。ドキドキしちゃう」
家に帰って早速報告書をめくり、夢中で読んだ。
ゾーイから言い渡された読書期限は一週間だが、二日で読めてしまった。
感想を述べるための下準備として、要点を整理してレポートに纏めてみた。
「王子の卒業パーティーが婚約破棄を言い渡す場となる現象」が実際に起こった場合、言い渡された側ーー王子の婚約者の反応は大まかに分けると三パターンだ。
【Aパターン】冤罪を訴えて王子に縋りつくも、言い訳に言い訳を重ねて見苦しいと一刀両断されて、罰せられる。
補足……Q.冤罪とは?そもそも何の罪? A.王子を横取りした女に辛く当たったり、嫌がらせをした罪。
Q.どういう罰が下るの? A.身分剥奪の上、僻地へ飛ばされる。酷いと死刑になる。
【Bパターン】そもそも王子なんて愛してなかったし、渋々の政略結婚でしたから、婚約破棄してくれてむしろありがとうございます。
僻地へ飛ばす?あらぁ結構なことで。田舎でのスローライフに憧れてましたので、むしろありがとうございます。
【Cパターン】婚約破棄してその女と結婚したいですって?ええ、結構なことで。どーぞどーぞ。でもあなた方に国政が務まるのかしらぁ?
内助の功の私がいたからこそ、そのお馬鹿さんでも何とか立場を守れたんですよ。
高みの見物しておくんで、後から泣きついて来ても知りませんよ?
Q.本当に後から泣きついてきた場合はどうなるの?
A.知らないって言ってるでしょ。でもどうしても私が次期王妃として必要なら、旦那のほうをすげ替えてください。弟王子を王太子にして、めでたしめでたし。
本当に色々な事例があって読みごたえがあったが、共通して言えるのは、フィアンセよりも王子が不幸になっている率が高いということだ。
だからゾーイはエミリオにああ言ったのだ。これをよく読んで王子の悲惨さを胸に刻み、反面教師にしろと。
うーん、でもやっぱりこれらは遠い世界のお話で、私とエミリオには関係がないと思ってしまう。
一週間後の感想発表会で、私より先にエミリオが同じことをゾーイに言った。
「読んだけど、やっぱり僕には関係ないと思うなあ。この王子たちには共通点がある。皆とてもかっこいいってことだ。目が合っただけで女性が恋に落ちる。僕は全然かっこよくないから心配いらないよ。虫とマリーしか眼中にないし」
虫と同列なのは嬉しいような嬉しくないような。エミリオの虫への愛情は凄まじいから、嬉しいってことにしよう。
エミリオは十歳のときに新種の蝶を発見して学会へ発表した。その蝶をエミリオは「マリーエミリオ」と命名した。
ゴールドとトパーズ色の模様が鮮やかな美しい蝶だ。後の誕生日には、マリーエミリオをモチーフとした指輪を贈ってくれた。
そういうキザなことをしないように見えて、さらっとできる、エミリオはとてもいい男だと私は思う。
確かに本人の申告どおり、外見が飛び抜けてかっこいい訳ではないけれど、真のいい男とはエミリオのような人を言うのだと私は思う。
「甘いです、殿下。蜂蜜のように甘いです。ご自分に限って大丈夫というお考えはお捨てくださいと申し上げたはず。敵は人智の及ばぬ領域で干渉された魔女なのですよ。呼称があった方が呼びやすいので、仮にXと致しましょう。報告書にもある通り、Xは身に余る幸運を使ってターゲットに近づき、するりと入り込み、ターゲットを内から腐食させるのですよ。マリー様、マリー様は報告書を読んで、どう思われましたか?」
急に矛先がこちらへ向き慌てた。
「は、はいっ。ええと……頂いた報告書を読んだ限りでは、王子がXに腐食されていく過程において、婚約者がいくら抗っても、大抵は空回りしていくことが分かりました」
「そうです。Xにまともに注意や警告をしようものなら、手酷く虐めたと受け取られてしまいますから、何もしない方がマシでしょう。しかし無関心を貫けばそれもまた『俺に関心がない、冷たい女だ』と王子に無駄に嫌われるのです。まさに理不尽の極み。しかし、そこはどうか大目に見ていただきたい。何しろ、人智の及ばない領域で神の干渉が働いているのですから、その間の王子は催眠術にかかっているような……そう、洗脳状態です」
「ではそうなった場合、私はどうすれば。追放などされたくありませんし、田舎暮らしにも憧れていませんし……何より、ずっとエミリオのそばにいたいのです。エミリオと手を取り合って、生きていきたいの」
「ええマリー様。マリー様はその揺るぎないお気持ちで、どっしり構えてらしてください。殿下がXに洗脳され、マリー様に婚約破棄を突きつける時が来ても。Xは必ずやそこまで持ち込むでしょう。卒業パーティーで婚約破棄宣言。それを達成しない限り、神の干渉は続くのです」
とても怖い話だ。不安に思い、隣のエミリオを見た。
「備えあれば憂いなしとは言うけど、ちょっと不安を煽りすぎだよ。僕の卒業までもう半年しかないのに、まだXに出会ってもないんだから」
あくまでも悠長なエミリオだったが、嵐の季節と共にXはやって来た。
Xは孤児だったが、怪我をしている迷い猫を保護し治癒魔法を使って助けたところ、その猫は男爵家の大事なペットだった。年老いた男爵はいたく感動し、Xを心優しい聖女だと確信した。
そして男爵に養女として引き取られたXに、さらなる幸運が訪れた。王子の通う学園にたまたま一名の空きが出たのだ。海外留学していた生徒が、そのまま向こうの学校へ編入したらしい。Xを引き取った男爵は学園校長と個人的な付き合いがあり、その力も働いたようだ。
Xはこの秋から私とエミリオの通う学園へ転入してきた。Xの名はシャロン。ゆるふわウェーブのピンク髪の聖女だ。
シャロンが転入して来る前から、学園は彼女の噂で持ちきりだった。
何しろこの学園は王族と上位貴族の子息令嬢ばかりが通っている。平民出身の娘の入学は前代未聞だ。
しかも治癒魔法の使い手だという。
生まれついて魔法を使える者は珍しくないが、その大半は「使うと人類滅亡の危機が訪れるほどの」危険な魔法のため、皆生まれてすぐに力を封印される。そのため結局一度も魔法を使わず仕舞いで一生を終えるのがこの世の常だ。
人を滅ぼす悪しき魔法しか持たない私たちは、人を癒す魔法が使える稀有な人間をどうしても特別視してしまう。
大抵は「聖女様!」と神格化する派と、「ちょっとした傷を治せるくらい何だって言うの?」と鼻で笑う派に分かれる。
学園では圧倒的に後者が多かった。気位の高い上位貴族が多いのだ。皆、やって来る彼女を馬鹿にする気満々で待ち構えていた。
どうしよう、おかしな事にならないといいけどと私は気を揉んだ。
エミリオにもちらっとその話を伝えたけれど、相変わらず虫と私のこと以外には興味がなかった。
私の心配とは裏腹に、転入してきたシャロンは人気者になった。主に男子生徒にだけど。
見た目がとても愛くるしく、物怖じせず誰にでも話しかけ、鈴のようにころころとよく笑う少女が異性にモテるのは納得だ。
しかしモテすぎて、同性のひんしゅくは大いに買ってしまったようだ。
学園内を歩けば、あちらこちらからシャロンの陰口が聞こえてくる。
「さっきのアレ見た? 鼻につくぶりっ子ぶりだったわね」
「アルフレッド様が通るタイミングを見計らって、『いやぁーん、取れなぁーい』でしょう? 踏み台使って取りなさいよね。『小さくて非力だから高い棚に手が届かない可愛い私』をアピールしてたわねぇ」
「アルフレッド様もあんなのに易々と引っかかるとはねぇ。鼻の下伸ばしてデレデレしてたわよね」
「アルフレッド様のご婚約者、ミモザ様がご存知になったら何と仰るか」
「でもアルフレッド様はまだマシよ。ロバートとフレディなんて、下僕よろしく聖女様の荷物持ちをしたり、カフェテラスの席取りをしたり。平民に使われて、貴族のプライドないのかしら。恥ずかしいったらありゃしない」
「言えてる。あの女調子に乗りすぎよね。卑しい出のくせに。擦り傷治せるくらいで何が聖女よ」
人の悪口を聞くのはしんどい。
なるべく耳に入らないようにと図書館へ籠る頻度が増えた。
元々社交が苦手で本の虫である私は、そうやってやり過ごした。