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第2回 恭子の場合

 聡は冒険しすぎる。


 彼と暮らし始めて、15ヶ月が過ぎた。

 学校では2つ上の先輩であった彼との、世田谷オンボロアパート生活は、同棲という所帯じみた言葉より、共同生活と言った方がしっくりくる。

 朝6時半。彼の出勤を見送った後は二度寝を貪り、8時過ぎに目を覚まし、ようやく私は行動を開始する。朝ごはんで使った食器を洗い、身支度をする傍ら、洗濯物を洗濯機に放り込み、部屋の掃除をする。一通り片付いたら、なかなか進まない卒論のための地味な作業や、各企業に贈るエントリーシートなんてものをめげずに送り続ける作業を頑張る。ちまちま細かい作業はどうにも苦手。

 集中力が切れたら、あとは録画消化とか、買ってもらったゲームのレベル上げ。9時前に聡が帰ってくるから、それまでに風呂のお湯張りボタンを押し、食事の支度をする。


 外出しないの?

 聡はそう聞くが、必要以上に出ることもない。2人で出かける以外は、食材や日用品の買い物とか、図書館へ資料を探しに行ったり、テレビの情報番組を眺めてたらたまたま映った美味しそうなものが近所にあることを知った時位しか、私は出たくなかった。

 聡とは最初こそ、お互い離れるのが嫌だという位に盛り上がっていたが、今は何となく互いの役割をそれとなく分かったフリをして、それを淡々とこなしている。

 元々ずっといつまでもべったりって好きじゃないし、彼もその方が気楽そうだから、それでいいと思う。

 不満? うーん……あるとすれば、カレーだ。


 そう、あの食べ物のカレー。


 私たちはカレーが好きで、中でもレトルトカレーが好物だ。友達に付き合い始めた切っ掛けを話すとき「別に特別なことはなくて、なんとなく」なんて格好つけていたけど、実際は2人ともレトルトカレーをこよなく愛し、3食レトルトカレーを食べていたいというニッチな性癖を共有できるから、というのが本当。

 私たちの間にはルールがある。気が付いたこと、言いたいことは何でも話し、聞く方は一旦、全て相手の言い分を聞くこと。そして、食卓には必ずレトルトカレー。この2つだ。

 私たちの食卓には、必ずレトルトカレーが1品出て来る。和食、洋食、中華問わない。必ず1品、自分の良いと思ったレトルトカレーを出す。料理当番は交代制で、料理を作った方のチョイスで、決められた器1つにカレーが入る。それを2人で分け合って食べる。

 その1品分のレトルトカレーは、絶対に作る料理に混ぜない、最初から何かにかけて出さない、といったルールも話し合って決めた。

 私がカレーライスを作って出す日も、作ったカレーのとは別にレトルトカレーの入った器は出す。他がだらしなくても、これだけを守るというのさえあれば、たとい喧嘩しても、お互いがまたそれぞれの役割について機能できるというのが、一緒に暮らし始めた当初に私が考えついて、彼に納得してもらった最適解だった。


 けど、ダメ。


 彼は冒険しすぎだ。最近ではエスカレートしている。マジでやばい。

 彼が食事当番の日に出されるのは、あまりにも奇抜で、なんだかウケを狙っているようにしか見えない。

 別に彼を嫌いではないし……むしろ好きだし、彼の出すカレーも、まぁ嫌いじゃない。イチゴのカレーなんて出された時にはちょっと顔をしかめたけど、なんだかんだで美味しかったし、普通に具沢山のシーフードカレーも出て来る時もある。

 しかし、私には少々重たい時もある。彼の出すカレーは「ご当地カレー」と言われているもので、ひとつとして同じものがないし、どれとして正解がない。だから困る。平穏無事に済むものが出た時、私はようやく安心する。私はいつの間にかそれに対し、不満を沸々と煮立たせていたのだ。

 私はスーパーやコンビニ、TVのCMで目にするような。誰もが知っているレトルトカレーを食べるのが好きだ。全国で、カレーを出す地域や会社は数あれど、世の中には王道というものがある。つまりそれは皆が認めて、ずっと培ってきて、愛されているものだ。

 聡はご当地カレーを奥深いというが、その奥深さの根幹を築いているのは、他の何でもない。よく見かけるレトルトカレーなんだ。そう私は思っている。だから、どこへ行っても手に入る。どんな時でも同じ味。この安定感こそが、私がレトルトカレーを愛している理由につながっている。奇をてらったものなんていらない。静かであればそれでいい。

 2人の食卓に、レトルトカレーを必ず1品出すというルールは、日々ドタバタと騒がしい、世間に対するアンチテーゼとして存在するもので、すぐ手の届く、平穏無事や癒し感じるためのツールだった筈だ。だから、彼の作るご飯は美味しくても、正直彼の出すカレーには、もう少し落ち着いたものを出して欲しいと、いつも思っている。

 この話はここ3ヶ月位、何度かしている。私が出した「LEE30倍」の辛さがどうにも雑だと、彼にウケが悪かったり、彼が2日続けて、「とどカレー」「熊カレー」といった、本当に食べられているのか疑問に思うものを出して来たりで、言い合いになった。笑われるかもしれないが、2人の決めた食卓のルールにあっても、互いに譲れないものがあるし、主張すべきことはしなければいけない。私たちの共同生活にとって、カレーを通じて何でも話せるのはいいことだと思う。けど、ここ最近はどうしても冷静になれないこともあり、話の節々がなんだか冷たい。

 昨日の夜もそうだった。聡は職場でちょっと嫌なことがあったらしく、苛立っていた。

 私は、冷静に話を聞いていたつもりだったけど、つい思っていることを彼にぶつけてしまった。一旦話を聞くルールを破り、2人とも互いの主張に被せて否定し、とにかく自分の話を聞かせようと声を荒げた。酷いことも言われたけど、私も負けじと応戦した。

 暫くして、彼はやっとこの争いが不毛だと気が付いたのだろう。その後、会話はなかった。こうして私は今朝、聡と顔を合わせたくなかったので、彼の顔を見ずに「いってら」とだけボソッと呟くように言った。重たい空気は苦手だ。やっぱり言いすぎてしまったかと、ちょっとだけ後悔。まずありえない筈だけど、今日またあんな感じだったら嫌だなという気持ちが、胸の中で燻っていて、やること全部が、なんとなく上の空だった。

 私の就職が決まったら、今の生活は変わるだろうし、互いにこれからの事を考えて行かなきゃいけない時期になっているかもしれない。

 けれど私には勇気がない。今までそれを話すチャンスはあった。なんでも話せていたといったが、それは結局『つもり』だった。今のこの生活を、平穏を、そんな事をしてまで崩したくなくて、肝心なことを私は触れられていないのだ。

 ふと私は、ドラム式洗濯機の中で絡まりながら踊る衣服たちを眺めながら、考えていた。

 なんでレトルトカレーを、それも1品だけ出すことにしたんだっけ。

 自問するも、その解がすぐに導き出されることはなかった。

 私はもう、論文も就活も、ゲームでさえも、すっかり面倒になっていた。


〈つづく〉


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