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第1回 聡の場合

価値観が違う他人が暮らす。

必要なものは何があるのでしょう。

食べ物の好み、生活様式、もしかしたら言語も違うかもしれません。

そんな他人との生活を望むなら、ある程度のルールは必要だと思います。

けれどルールの意味を忘れ、ルールを守ることばかりになってしまった時はどうするか。

それを立ち止まって考える事こそ、終わりであるし、はじまりなのかもしれません。


知らんけど


※この作品に登場する人物、団体、地名、店名、商品名は架空のものであり、実在するものとの関係は一切ありません。

 恭子は冒険しない。


 彼女と暮らし始めて、約1年。

 2つ年下である彼女との世田谷の安マンション生活は、同棲という所帯じみた言葉より、共同生活と言った方がしっくりくる。

 僕は働きに出ていて、恭子は未だ就活中の学生。滅多なことがないと学校へは行かず、僕が出勤した後、恭子は部屋の中を片付け、洗濯物を干し、エントリーシートへ向かったり、学校を卒業するための論文制作に集中したり、僕が帰るまでひがな1日ゲームをして過ごしている。外出と言えば、たまに一次選考でひっかかるエントリー先の就職面接、日々の買い出し、あとはちょっとした調べもの程度で向かう書店や図書館程度。それ以外は殆ど家に籠りっきりなのだそうだ。

 最初こそ、お互い離れるのが嫌だという位に盛り上がっていたが、今は何となく互いの役割をそれとなく分かった振りをして、それを淡々とこなしている。そっちの方が気楽だから、僕は別に構わない。

 不満があるとすれば、カレーだ。


 そう、あの食べ物のカレー。


 僕たちはカレーが好で、とりわけレトルトカレーが好きだ。学生時代、仲間内に付き合い始めたきっかけを話すとき「フジロックに行って、なんだか盛り上がった先に……」なんて格好つけていたが、実際は2人ともレトルトカレーをこよなく愛し、3食レトルトカレーを食べていたいというニッチな性癖を共有できるから、というのが真相だ。

 僕たちの間にはルールがある。気が付いたこと、言いたいことは何でも話し、聞く方は一旦、全て相手の言い分を聞くこと。そして、食卓には必ずレトルトカレー。この2つだ。

 僕たちの食卓には、必ずレトルトカレーが1品出てくる。和食、洋食、中華問わない。必ず1品、自分のいいと思ったレトルトカレーを出す。料理当番は交代制で、料理を作った方のチョイスで、決められた器1つにカレーが入る。それを2人で分け合って食べる。

 その1品分のレトルトカレーは、絶対に作る料理に混ぜない、最初から何かにかけて出さない、といったルールも設けている。

 カレーライスの日も、作ったカレーとは別に、レトルトカレーの入った器は出される。他がだらしなくても、これだけを守るというルールさえあれば、たとい喧嘩しても、お互いがまたそれぞれの役割について機能できるというのが、一緒に暮らし始めた当初、お互いの出した見解だった。


 しかし、ダメだ。


 彼女は冒険しない。しようと試みない。

 出不精で、ものぐさな彼女本来の性格に起因しているのか、恭子はどんな時だって、コンビニやスーパー、テレビCMで見かける物しか用意しない。

 ボンカレーは確かに美味い。あのオレンジ色のパッケージに入った中辛の、まろやかな辛味は嫌いではない。銀座カリーの、薄い玉ねぎと牛肉が入ったクリーミーな風味も好きだ。

 しかし、僕には物足りなくなってきている。大手メーカーの出すものは確かに安定感があるし、いつでも楽しめる。それ故に、単調に思えてしまうので、僕はいつの間にかそれに不満を沸々と煮立たせていたのだ。

 僕は世に言う「ご当地カレー」を食すのが好きだ。全国でカレーを出す地域や会社は、数多ある。そこから生まれているレトルトカレーは、実に個性的だ。現地でとれる食材を推すものは勿論、奇をてらった色や味、辛さ、キャラクターとのあざといコラボだってある。ひとえにレトルトカレーと言えど、その奥深さは、水脈を求め、地の底へと伸びていく大木の根の如く深く、広く、繊細だ。自分に合う合わないというのもあるし、「これは本当にカレーとして成り立つのか?」と、パッケージから見て取れる不安を払拭する位に旨かったりする。

 何より近所で販売している確率は極めて低いため、遭遇した際の喜びはひとしおである。それを含めた意外な発見こそ、レトルトカレーを楽しむ醍醐味だと思っているのだ。

 2人の食卓にレトルトカレーを必ず1品出すというルールは、日々の繰り返しに対するアンチテーゼとして存在するもので、すぐ手の届く、最も近い非日常を感じるためのツールだった筈だ。だから、彼女の作る飯はうまくても、正直彼女には、もう少し冒険をして欲しいと、常に思っているのだ。

 この話は、ここ1月で何度かしている。僕が出した「熊カレー」の肉がどうにも彼女にウケが悪かったり、彼女が2日続けて、ククレカレー甘口を出して来たりという事で言い合いになった。笑われるかもしれないが、2人の決めた食卓のルールにおいても、互いに譲れないものがあるし、主張すべきことはしなければいけない。僕らの共同生活にとって、カレーを通じて何でも話せるのは良いことだ。しかしここ最近は、お互いどうしても冷静になれないこともあり、刺々しさが顔を見せてしまう。

 昨日の夜もそうだった。職場でちょっと嫌なことがあって苛立っていた僕は、恭子の前で平静を装っていたつもりだった。しかし実際は、職場で抱えた苛立ちは全く関係なく、つい思っていることをぶちまけてしまっただけだった。一旦話を聞くルールを破り、僕と彼女は、互いの主張に被せて否定し、とにかく自分の話を聞かせようと声を荒げた。

 小一時間程の小競り合いの後、僕たちの間に会話はなく、こうして僕は今朝恭子と顔を合わせないまま仕事に出てきた。濁った泥水のような気まずさと、多少の後悔。今日は帰りたくないという気持ちが胸の中で混ざり合って、やることすべてが、なんとなく上の空だった。

 もう1年か。彼女の就職が決まったら、今の生活は変わるだろうし、互いに、色々と見直さなければならない時期に来ているかもしれない。

 しかし僕には勇気がない。今までそれを話すチャンスはあった。なんでも話せていたといったが、それは結局『つもり』だった。互いの主張に探りを入れるだけで、肝心なことを僕は触れられていないのだ。


 そういえば――。


 今日5度目の喫煙所で、僕は残り2本となった煙草の1つに火をつけながら考えた。

 何故、2人で食事をするときに、食卓にレトルトカレーを1品だけ出すって決まりにしたんだっけ。

 頭の中に立ち込めた霧の様な不安と焦燥が、思考を邪魔する。

 ゆらゆらと揺れて消える煙はとても大人しく、今日の帰路を憂う僕に、相槌を打っている様だった。


〈つづく〉



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