そしてすべてが動き出した。
僕は初め、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
彼女はとても簡単な事のように言ってのけたが、それを実行することはほぼ不可能だ。
まず、王族である僕と侯爵令嬢である彼女の婚約は赤子のときから決まっていたことだ。いや、公表はされていなかったが実際は生まれる前からそのような話になっていたのだろう。王族と侯爵家のつながりを作るための重要な婚約を、そんな簡単に解消できるはずがない。貴族のパワーバランスをよく考えた上で父王と侯爵が決めたことだから、余程のことがない限りそれが覆されることはないだろう。
そして、たとえ彼女の妹に婚約者の座を譲るとなっても、妹君は王妃教育を受けていない。今から教育を施すにしてもどれ程の時間がかかるか分からない。彼女は厳しい王妃教育を乗り越えることができたが、妹君にそれができる保証はどこにもない。
それに、僕にはどうしても納得できないところがあった。
妹君の気持ちは、どうなるんだ?
彼女は駆け落ちをしたい。彼女の相手は、駆け落ちしたいと話したらとても喜んでいたらしい。
僕は妹君を愛している。では、妹君は……?
僕たちは自分の望み通りになっていいかもしれない。でも妹君だけは、自分の与り知らないところで未来を決められてしまうことになる。そんなことになっていいわけがない。
だが、彼女にそれを伝えても、
「大丈夫。絶対に全部丸く収まるから。あの子は大人しそうな見た目してるけど、案外私と似ているところがあるから」
と、笑っていた。
僕は納得できなかったが、彼女がその意思を曲げることはなかった。だから、彼女の言う通りにするしかなかった。僕も結局は自分の欲に負けたのだ、という事実に目を背けながら、その日が来るのを待った。
行動を起こすのは学園の春休みにしよう、と前もって決めていた。春休みなら万が一のことがあってもそれからの生活に支障をきたすことはほぼないだろうというのが僕たちの考えだった。というより、春休みに入るまではお互いに忙しくてその余裕がなかった。
初めに動くのは彼女だ。春休みのうちのどこかで帰省して、夜中に家を出て相手と一緒に国外へ出る。それだけと言えばそれだけだが、侯爵領から国境までは特別近いわけでもないので道を選ぶのが大変だっただろう。下手に僕が動くとバレてしまうから何もできなかったけれど。
彼女がこの国を出た後は僕の出番だ。まずは僕の婚約者がいなくなってしまったことで慌てるであろう父王に、
「そういえば、公爵家にはもう1人令嬢がいましたよね?」
と言う。
父王が僕の婚約者を決めるのに悩みに悩んでいたことを僕は知っている。もう少し幼かった頃に、母上が教えてくれたのだ。この国の貴族もやはり派閥などがあり、数少ない上位貴族の中で婚約を結んでもよさそうな家はほとんどないと言っていた。
ならば、どのみち王妃教育は施さなければならないのだから、父王は侯爵家に妹君を婚約者にしたいと持ち掛けるのではないか。半分賭けのようなものだったが、父王は上手く動いてくれた。
侯爵も王族とのつながりは欲しかったのか、父王の話にすぐに応じた。後は正式な書類を作り、それに判を押すだけだった。
その最後の段階になって、僕は彼女が言った言葉の意味をようやく理解することができた。
妹君が、失踪した。
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