008:可愛らしい疑惑
「やはり一度目にした場所でないと腕輪の効果は発揮されないということか」
陽が落ちる頃、帰還の腕輪の起動実験に成功したデレピグレオは、ヌッヌウと共に集落への帰還を果たした。本来であれば腕輪の効果は装備している本人にしか効果を発揮しないのだが、仲間の印を併用する事でヌッヌウと一緒に帰ってくる事を可能とした。万が一、共に帰還が果たせない事態が発生したとしても、ヌッヌウは転移魔法を使う事が出来るので何の問題もない。
だが他にも今のうちにやっておきたい事がある。
「じゃあヌッヌウ、手筈通り試してみてくれ」
「ロォら」
相変わらず聞き取りにくい言葉を残して、ヌッヌウの姿が忽然とその場から消失する。そして十秒としない内に、ヌッヌウが再び元の位置へ出現した。
「りぃおベルぅ……、ぃたンず」
「そうか。ありがとう。これで懸念すべき点はなくなったな。それじゃ戻るか」
そう言ってデレピグレオ達は族長の天幕へと足を進める。
天幕の中には既に他の探索チームの代表であった各側近らが二人の帰還を待っていた。その中でも我先にとオウルが翼を動かしてデレピグレオの肩へと止まる。
「おお、族長殿にヌッヌウ。無事で何よりだ」
「ああ、皆も元気そうで何よりだ。オウルも留守番ありがとな」
「クルルァ」
よしよしと撫でるデレピグレオの指を心地良いとばかりにオウルが喉を鳴らす。だが一方でかなり不機嫌そうな視線を感じるのはデレピグレオの気のせいではないのだろう。横っ面にチクチクと突き刺さる視線が痛い。正直なところ身に覚えがないのだが、訊ねるより他あるまい。
「……あー、どうしたんだ、リザ? そんな仏頂面して」
ぷくぅと頬を膨らませ仮面の奥からは怒りの眼が窺える。ーーとでも言えば可愛らしくも聞こえるが、実際のところデレピグレオが肌で感じるのは殺気にも似た何かだった。
「……別に」
「いやいや、別にってことはないだろ。そんなに怒ってるんだから」
「怒ってない」
「……えーっと……」
どうすればいいの?
一応婚約者といつ立場上、リデスカーザの機嫌を直すのはデレピグレオの役割なのだろうが原因が分からない以上はどうする事も出来ない。恋愛経験値の高いイケメンならば原因が掴めなくとも女性の機嫌を取ることぐらい造作も無いのだろうが、泉宗吾としての経験はあまりにも浅過ぎた。
(しかしこういう時の為に頼れる側近達がいるのだ!)
救いを求めるデレピグレオの目線はその場にいたNPC達へと向けられる。しかし誰一人として目線を合わそう者などいなかった。プティッチに至っては吹けもしない口笛を奏でながら明後日の方向を眺めている。
「お前ら……」
「あー、全員揃った事だし報告会を始めるとしよう。ささ、族長殿。玉座へ腰掛けてくれ」
「……ああ」
優秀な側近達に言いたい事はあるが、リデスカーザがご機嫌斜めな理由を掴めていないのはデレピグレオとて同じこと。下手に口出ししてブーメランが返ってこぬよう一旦放置しておいても良いだろう。決して熱りが冷めるのを待つわけではない。戦略的撤退だ。
皆の前を横切り、定位置へと座る。
「さて……早速報告を聞こうか」
「では俺の方で金樹海探索チームであった三人からの報告をまとめた内容を報告しよう」
流石は族長補佐だ。言わずとも良い仕事をしてくれる。
優秀な部下の働きに満足そうに頷いて先を促す。
「まず金樹海の転移について。これは相変わらずといったところだ。特に決まった周期があるわけでもなく、完全に無作為で転移効果が発動する。転移先も同様だな。ただ数時間粘っていたが、集落に直接転移するという事は今のところ確認出来ていない。だが警戒は必要だろう」
そこで初めてその可能性を失念していた事に気付く。ガリバ族の集落も金樹海の中である以上、転移先の対象となったとしても不思議ではない。金樹海に誰かが足を踏み入れる事自体危険を生む可能性が出てくるということだ。
流石はフィットマンだ、と感心する。
「了解した。ならば今後は金樹海の入口に見張りを置くのも視野に入れるべきだな」
「それがいいだろう。幸いな事に金樹海の出入口はたったの一箇所。それ以外から進入しようとしても結界に阻まれる事になるからな。
さて次だ。金樹海に生息する獣だがこれも特に変化はない。赤毛猪や銀虎、巨大黒蜘蛛に鉄砲魚。どれも食料や衣類、武具を作る上での材料としては申し分ない。ただ無限に存在するのかという点においては少し疑問が残るな」
「ふむ。その疑問は我々ガリバ族にとっては死活問題になり得る案件だな。引き続きフィットマンの管轄の下、徹底的に検証してみてくれ」
「了解した。任されよう」
「なら次は俺たちの方からだな。まず金樹海の外の地形だが、大きく変化しているという事はなかった。一番近くが防衛都市ハッタン、その次に王都ベルンシュタイン。今回俺たちはザナドゥ帝国にあったプリミティブへの差別を考慮し、先に王都へ向かったわけだが……ちょいと色々問題が起きてな」
「問題?」
「ああ。まず始めに突飛すぎる事を言うが事実だ。心して聞いてくれて」
「なんでぇ。いやに前置きを強く置くじゃねえか」
「……それほど信じ難いという事なのだろう」
「あわわ。えぇっと……一体何があったんですか、兄様?」
「ああ。実はな……俺たちの知らない間に金樹海の外では約五百年以上も時が過ぎていたらしい」
しぃん、という擬音が静寂を生む。
だがすぐに静けさは取っ払われた。
「そいつぁ……成る程。確かに信じ難いな」
「ああ、確かに。もしそれが事実だとすると――いや、事実なんだろうが――その原因は金樹海の中にいるからなのか?」
「金樹海の中だけ時間の進みが早いっていうことですか?」
クルティの疑問にフィットマンが同意する。
だが既にその可能性は削除されていた。
「いや。俺たちも最初はそう思って転移の腕輪を使って検証してみたんだが、時の流れは金樹海の中にいようが外であろうが変わらなかった」
そう言ってデレピグレオが道具袋から取り出したのは手のひらサイズの時計であった。
「……それは?」
「時計と言ってな。ヒューマンが作った物で、今の時刻を確認できる道具だ」
「ほう。それは中々便利なものだな。一体そんなものをどうやって?」
「ちょいと王都で知り合った男に譲ってもらってな」
「成る程。情報収集だけでなく、早速ヒューマンとも繋がりを得たのか。流石は族長殿。
しかしそうなると、我々は原因不明の事象により五百年もの時を飛び越えてしまったわけか」
「その通り。だがそれについては今考えたところで答えが出るわけでもないので割愛するとしよう。それよりも問題は俺たちの今後の方針についてだ」
「ふむ。確か族長殿は前に言っていたな。共存、戦争、隠伏。どのようにするのか決まったのか?」
「まあ俺の一存で考えるべき事でもないがな。一先ず俺個人としての希望は共存を考えている」
その言葉にヌッヌウを除く全員が肩をピクリと震わせた。当然この反応から見えてくる彼らの心境は反対に近いものであろう。即座に怒声を浴びなかっただけでも少しばかりは聞く耳を用意してくれるようだ。
「ああ、落ち着け。あくまでも俺の言う共存はひとまず王国に対してのみだ。ベルンシュタイン王国は今現在、ザナドゥ帝国といつ戦争が始まってもおかしくない状態にあるらしい。
そしてザナドゥ帝国と言えばプリミティブに対する差別の激しい国であり、昔俺たちの故郷を襲った連中の出身国だ。……尤も、五百年もの時が過ぎている今、復讐すべき相手が生きているとは到底思えんがな」
だがもしもデレピグレオ同様にプレイヤーがこの世界へ飛ばされているのだとすれば、そして飛ばされたプレイヤー全員が五百年後の世界に降り立っているとすれば――可能性はある。念の為いつも頭の片隅に置いて行動する必要があるだろう。
だが彼らの前で敢えてそれを口にすることはない。NPCからするとプレイヤーという存在は朧げなものであり、理解する事は出来ないだろうと踏んでいるからだ。
「一方でベルンシュタイン王国は――といってもまだ数人程度ではあるが、俺たちの存在をかなり好意的に受け入れてくれている。彼らとなら平和的に手を取り合ってみても良いだろう」
「つまり族長殿は来たる戦争に向けて、王国側に付いて戦うという見解か?」
「……え?」
「なるほど。そいつぁいい! 久々に暴れまわりてえしな」
「うん?」
「わ、私も頑張ります!」
「いやいやいや、そんな張り切る必要ないから!」
全員の言動がそれ以上発展しないように慌てて制御する。
なんでこのNPC達はこんなにも好戦的なのか。もちろん性格に関しては泉宗吾が手掛けたもので間違いないが、こんなにも血を欲するような設定にした覚えはない。知らないうちにプリミティブとしての補正がかかっているという事なのか?
何にせよ平和的に部族を繁栄に導きたいと思っている手前、とんでもなくいい迷惑である。
「なんでぇ、戦争に加担するわけじゃねえのかよ?」
「ああ、これっぽっちもないね。考えてもみろ。俺たちは百人にも満たない少数民族。戦争では万を優に超えるヒューマンが犇めき合うというのに、その中に突っ込んだとしても激流に呑まれて終わっちまうだろうが」
戦争は物量がものを言う世界。いくら個人の武勇が優れているからといって、個が群に挑むなどただの蛮勇だ。仮に核兵器のような圧倒的破壊力を有する爆弾のようなものが存在するのならばその枠を超えることも出来るだろうが、デレピグレオの知る限りこの世界にそんなものはない。
それにここら付近での平均レベルは五百年前と変化がなければ150程度。そのような高レベルの敵を相手に、側近を除くガリバ族のNPC平均レベル100がぶつかったところで結果は目に見えているというもの。むざむざ命を散らして終わる戦場に誰が許可を下せようというのか。
「チッ。つまんねぇ」
「つまんなくて結構。とにかく俺たちは戦争とは不干渉のまま王国とは友好関係に立つというスタンスでいこうと思う」
「まあ王国との友好関係という点については、俺たちにも利点が多い事から賛同しよう。しかし万が一、王国が帝国に踏み潰されてしまった場合、次の矛先は俺たちへと向けられる可能性もあるんじゃないか?」
「う……それは――」
――なくもない。というより、冷静に考えるとその可能性の方が高いのではないのだろうか? すっかり失念していた可能性にデレピグレオに冷や汗が流れる。
「だとすると……その場合、それこそ我々だけで帝国と渡り合うのは不可能だ。いくら地の利を生かして金樹海で帝国と戦おうともな。実際過去に一度、金樹海は制覇された事があると聞く。ここは難攻不落の地という訳ではないのだから、慢心すべきではないだろう。
だとすれば王国が健在のうちに共闘するのも一つの手だと考えるが?」
つらつらと並べ立てられた理論に攻撃する余地などない。デレピグレオは自らの視野の狭さに打ちひしがれながらも、フィットマンという頭脳が存在することに深く感謝する。
「……確かにフィットマンの言う通りだな。どうやら臆病に考え過ぎていたようだ。ならフィットマンの進言を受け、戦争に発展した場合は可能な範囲で王国に手を貸すという方針で良いか?」
「おうよ。その方が楽しそうだしな」
「に、兄様の決定に従います!」
「なぁるけんどぅ……りぃずべ」
「…………それでいい」
「うむ。俺の意見を汲み取ってくれて感謝する」
反対の色は無し。
出来ればデレピグレオとしては戦いを避けたいと思っているのだが、それは彼らにとってどうやら窮屈だったようだ。改めてプリミティブという種族の習性を考えさせられた。
(彼らがそう望んでいるのならば今後は少しばかり挑戦的になっても良いかもしれないな)
「よし。ならばその方向で明日、彼らともう一度接触する事にしよう」
「だとすると……明日出向くメンバーはどうする?」
「今度は俺とフィットマンで出向こう。ヌッヌウはいざとなったときに、俺たちと集落を繋ぐ命綱になる。今回は集落で待機しておいてくれ。それとリザやプティッチ、クルティは有事に備えて拠点の護りを固めてほしい」
「任されよう」
「了解」
「がぁでばん」
「は、はいです」
「嫌だ」
順に返事をしていく中、約一名の否定する声が響く。
皆の視線が一同に集う。言うまでもない。リデスカーザだ。
「あー、理由を聞いても?」
「嫌だ」
「……えー」
駄々っ子だった。
ぷいっ、とそっぽを向いて視線を合わそうとしない。
「……あー、族長殿。やはり俺から説明しよう」
見兼ねたフィットマンが助け舟を出した。
「実はな、どうもプティッチに揶揄われ過ぎて戦士長殿はご機嫌斜めとなってしまっているらしい」
すぅ、と視線がプティッチを捉える。
「待て待て待て。んな大したことは言ってねえぞ⁉︎」
「ハァ……。で、リザに何を言ったんだ?」
「いや、言ったっていうか吹き込んだって感じなんだけどよ……」
もぞもぞと言い淀みながら、プティッチは観念したかのように小さく告げた。
「ほらよぉ、男は女のいない場所で他の女をつくるって言うじゃねえか。男の俺様から見てもお頭はさぞヒューマンにもモテるだろうし、帰ってくる頃には二、三人ぐらい他の女が出来てるんじゃねえのか〜って……。
いや、ほらよぉ、知らずに後悔するよか知って後悔した方が良いって言うじゃねえか! だから俺様は可能性の一つとしてちょいと知恵を与えてやったに過ぎねえんだって!」
あせあせと随分と保身的な言い訳を並べ立てる。戦争にウキウキしていた男と同一人物とは思えない程に。
ほんと余計なお節介である。
(だがまぁ……つまり怒りの原因は単なる嫉妬っていうことか。俺への直接的な怒りでなくて良かった)
「あー、いいか、リザ。俺は別に浮気をしにいくわけじゃない。言ってしまえば仕事にいくだけだ」
「……そういう事を並べる男に限って怪しいとコイツが言ってた」
その指先は当然プティッチに当てられる。
どこぞの浮気評論家か、コイツは。そんな冷たい視線がデレピグレオより向けられる。
「だとしても俺はフィットマンと二人で行く予定だし、言ってしまえば俺はある意味見張られて行動するわけだ。そんな心配するような事でもないだろ?」
「男同士の隠し事は女のそれと違って漏れる事がない。そう言ってた」
指を刺さなくても分かる。
目が泳いでいる山賊と詐欺師を足して二で割ったような顔をした男が吹き込んだことなのだろう。
「俺はこう見えても浮気性があるわけでもない。お前一筋だ。だから安心して見送ってくれ」
「……頑なに女を連れて行かないのは、向こうに女がいることを悟らせない為だとも言ってた」
どこまで先を見越して吹き込んでやがったんだ、この筋肉逹磨は。忌々しそうな目がプティッチを貫く。当の本人は一向に目を背けたままだが。
デレピグレオは諦めたかのように溜息を吐く。
「……分かった。ならリザもついてきてくれ。本当は俺たちにとって未開の地に戦力となる者を多く連れ出したくないってのが本音だったんだが――まあ大丈夫だろ。それでいいか、フィットマン?」
「俺としては全く問題ない。戦士長殿にいてもらえればこちらの安全面では強化されるしな」
「すまんな。リザもそれでいいな?」
「ああ! リデスカーザ、デオについていく」
先程とは打って変わって晴れやかな笑顔を見せる。
嗚呼畜生、可愛いなぁ、もう! なんて本音をクールな表情の裏に隠しながら、追加でデレピグレオは命令を下す。
「それとプティッチ。……一週間禁酒な」
「うぇ⁉︎ ちょちょちょ、ちょいと待ってくれよお頭⁉︎ 酒は俺様にとって生き甲斐であり、命の源だぜ? そいつを禁止なんてのはあんまりじゃねえか⁉︎」
「……ああ、そうだな」
「よかったぜ。分かってくれた――」
「――お前のことだ。隠れてでも酒を浴びるだろうし、ヌッヌウ、あとでプティッチ秘蔵の酒蔵の場所を教えるから、そこに魔法で鍵と結界を張っておいてくれ」
「お頭ぁーーーーーーっ⁉︎」
「それとクルティはもしもプティッチが酒に手を出すようならスキルを駆使してでもそれを阻止、あるいは直接攻撃によるお仕置きを与えてやれ」
「あわわ、分かりましたです。兄様」
「るぅでんげりど」
「待て待て、超待ってくれよ!」
「それじゃ今日の会議は以上。各自解散で」
「頼むから待ってくれーー!」
その日、プティッチの悲痛の叫びが金樹海全土に轟渡った
が、彼に慈悲を与える者は一人もいなかった。