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古代文明人の生き残り  作者: 十良之 大示
第1章:生き残った一族
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007:ウォルターという男

 王の偉大さは物によって知らしめるものではない。かといって権威を体現する何かは必要だ。


 王都ベルンシュタイン。その中心に聳え立つ巨大な城こそ王の象徴であると言って良いだろう。

 白を基調とした造りは単調であるからこそ美しく、生けられた草花も美しく映えるというものだ。当然の事ながら清掃も行き届いているので汚れが目立つということもない。

 敢えて粗探しするとすれば、雨風で汚れてしまう高所の外装部分くらいだろう。勿論そこに関しては掃除する手立てもないので、例え汚れていようと目を瞑るしかないのだが。しかし高さが高さ故に下から覗き込んで汚れが目立つということはまずない。間近で見ればダメ出しの一つでもあるかもしれないが、そこまで気にかける者は皆無でろう。


 つまり、傍目から見ても美しいのだ。

 太陽が曇り空を追い払っている内は特に清々しい気分になれる。


 だが彼の場合、理由はそれだけではなさそうだ。


 飾り気の少ない廊下――と言っても王が住まう場所としては比較的控えめという程度だが――を、男は床を鳴らしながら闊歩する。

 白、白、白――。男を一言で表現するならば「白」の一言に尽きる。

 服装は至ってシンプルだ。白のタキシードに白のシルクハット。手袋や靴も当然のごとく白であり、胸ポケットに刺さる薔薇の花でさえ白という有様。

 背景が白なだけにかなり視界が煩い。しかも城の白と違ってより光沢に満ちている分、その存在感はある意味城以上と言えるだろう。

 唯一白でないのは左眼の眼窩に装着された黒の片眼鏡(モノクル)(ブルー)の瞳。それと琥珀色の髪ぐらいであろう。


 ウォルター・リューネット。彼こそが“王国の天秤”とまで謳われている男である。


 白のステッキを片手に遊ばせながら、鼻唄まじりに歩を進める。

 ウォルターがここまで気分が高揚していることは珍しい。普段であれば作り笑顔を常に浮かべているものなのだが、この玩具を与えられる子どものような顔は、これから待つ喜びに本気で胸を高鳴らせているようだった。


 というのも彼の唯一の趣味――いや、もはや生き甲斐と言っても差し支えないのだが、歴史を探求する――これが起因している。彼の言う歴史に差別はなく、虫であれ動物であれ物であれ、未だ解明されていない歴史を紡ぐ手掛かりを発見することこそ彼の至上の喜びなのだ。


 しかしながらここ最近、彼の胸をときめかせるような遺物や文献とはすっかりご無沙汰であった。王国全土は隈なく彼の唾がついた状態で、これ以上目新しいものは出ないだろうと予測している。その為近隣国である帝国へと足をのばそうとしたのだが、タイミング悪く王国と帝国は意見の相違により緊張状態となる。

 いっそのこと帝国へ鞍替えしようかとも本気で考えたが、流石に王への忠誠心の方が僅かに勝ったので王国に残留する次第であった。いざとなれば帝国を滅ぼした後にでも探査に当たれるだろうと強論にも至っている。もちろんそれが言うは易く行うは難しの典型例だということは彼も重々自覚してはいるが。


 しかし自分の選択は間違っていなかったと彼は胸を張って言えるだろう。


 王都に巣食う盗賊集団――溝鼠(ブラウンラット)。何世紀も前に殲滅されたはずの犯罪者達だが、ウォルターは彼らの存在を黙認している。というのも、彼らのリーダーであるマル・クラネシャスが取り引きを持ち掛けてきたからだ。


 盗賊といっても、彼らは無作為に盗みや強盗を働く真似はしない。あくまでも標的(ターゲット)は私利私欲にまみれた貴族であったり、犯罪者であったり、あるいは未開の場所を探索して財宝を発見するといった義賊にも似た仕事をする連中だ。しかしながら義賊と違って貧困層に施しを与えるような真似はしないので義賊というには程遠く、どちらかと言えば目標(ターゲット)に選ぶ連中に近い存在と言えるかもしれない。


 ウォルターが彼らを見逃しているのも、彼らの活動が民を傷付けるような真似をしていないという点と、取り引き――つまり彼らが貴重品を手にした時には真っ先にウォルターのもとへと献上するという契約を設けているからだ。


 ただ、この献上というのも正確には正しくない。ウォルターはあくまでも知識欲の一環として遺物に触れたり見たり嗅いだり聞いたりと、とにかくそこに紡がれる歴史を垣間見たいだけなのだ。しかしながらそれらをずっと手元に置いておきたいかと問われるとそうでもなく、一通り探求し尽くしたらまた別の何かを求めてしまうので、溝鼠(ブラウンラット)から受け取った品々も最終的には彼らに返品している。なので溝鼠(ブラウンラット)にとってのデメリットを挙げるとすれば、物品の換金に少し時間を要するという事だけ。目を瞑ってもらうメリットを考えればお釣りがくる。


 そして今日、そんな彼らからウォルターの元へと連絡が来た。またウォルターにとって興味が湧くであろうものが見つかったらしい。彼らが持ってくる物にウォルター目線でのハズレはなく、彼らからの連絡が来るといつも期待に胸が踊ってしまう。すっかりご無沙汰であった分、高揚感も今までの比ではない。


 古の器か、武器か、化石か、本か――。


 妄想に欲望を重ねながら、いつもより少し大きな歩幅で待ち合わせ場所へと向かう。


 彼らとの待ち合わせ場所はいつも決まって王城の中にある一室。“王国の天秤"に与えられた仮住居と言っても良い部屋だ。


 もちろんウォルターの住居は別にあるが、その場所は王都ではなく一つ離れた街にある。基本的に王の側近である彼が王の側を離れる事は殆どないので、こちらの方が住居として利用している頻度は多いだろう。


 だが見慣れた扉も今日ばかりは違って見える。何気無い装飾も神秘さを感じさせ、扉全体に後光が差したかのように輝いていた。あくまでもウォルターの網膜にフィルターが掛かっているだけに過ぎないが。


 心音の高まりを抑えるつもりはない。取っ手に手を伸ばすと、一呼吸だけ愉しんで一気に扉を開け放つ。



「お、どーも。リューネットはん。忙しいとこ来てもろてすまんなぁ」



 来客は既に部屋の中にいた。

 昼時にも関わらず寝起きのような跳ねた髪に、少し大きめの丸眼鏡。溝鼠(ブラウンラット)のリーダー、マル・クラネシャスだ。いつもであれば挨拶の一つでも返して早々に目当ての物をお目にかかるところなのだが、ウォルターは用意していた言葉を喉の奥で詰まらせる。

 何故かマルが手ぶらでであったからだ。付け加えると、マルの隣にフードを被った二人の人影。


 ウォルターは天井知らずの微笑みから一転、不快そうに眉を顰める。



「構わないとも。嗚呼、構わないさ。キミがいつものように私の望む物を持って来てくれていたのならね」



 明らかに声の上に不機嫌がのしかかっている。もしもこれで彼が目的の物を持参していないのならば、すぐにでと盗賊共を殲滅してしまおう、そう逡巡する程に苛立ちが目に見えて分かった。


 その不穏な空気を感じ取ったのであろう。マルが慌てて言葉を続けた。



「ちょちょっ! ちょい待ってーな、リューネットはん。ちゃんとあんさんが喜ぶようなものは持って来とるさかい!」



 そうマルが発した瞬間、先程まで部屋にのしかかっていた重圧が嘘のように霧散する。



「嗚呼、ならば構わないんだ。それで? 見たところ手ぶらのようだけど……? それにそこの二人。用意してくれたお土産に関係ある者なのかい?」

「モチのロンや。というよりもここのお二人がメインって言ってもええ」

「うん? それはどういうことだい?」

「お二人さん。マントを取ったって」



 マルの声に合わせて、ローブを羽織っていた二人組が外套を取り払う。そこから顔を覗かせたのは二人の男の姿だった。


 一人は片眼を包帯で覆っている男。目線を下にやれば喉元には深い傷痕があり、さらに視線を動かすと片方の腕も包帯で包まれているのが確認出来た。包んでいるといっても腕全体をではなく、存在しない腕の先――つまりは断面を塞ぐようにして、だ。

 ただの怪我人――ではない。王を守護する実力者としての勘なのだろう。ウォルターは男の放つ存在の大きさにつぅ、と汗が垂れる。


 次に外套をとった男へと視線を移す。隣にいた男はその者と違い健康体だ。四肢も健在で、体幹も目に見えてしっかりしているのが分かる。顎髭が三つ編みされているのは何の冗談かとも思ったが、ウォルターの目が止まったのは彼の服装であった。

 目を見開き、擦り、もう一度目玉をひん剥かんばかりに大きく開けると、制御出来ない心の声が溢れ出る。



「嗚呼……っ、嗚呼……! これは、まさかそんな……⁉︎」



 ウォルターの瞳にきらりと光る潤いが見えた。鼻腔も急激な湿気に襲われて熟々とした不快感を得るが、もはやそんな事はどうでも良かった。

 一歩、また一歩と、自分の意識から離れて脚がひとりでに前に出る。気付けば手を伸ばさずとも触れ合える距離にまで接近していた。


 そしてスゥっとその両手はまず男の首元に巻かれていた白の毛皮へと伸びる。直接触れなかったのはギリギリのところで自制が働いたからだ。流石に初対面で人様の物に触れるなどという無礼は許されない。かといって、ウォルターは大金をはたいてでもそれに触れたいという欲求に(さいな)まれており、自我を保つのでいっぱいいっぱいの状態だった。何とか理性を保つ為にも人間らしく言葉で男に詰め寄る。



「も、申し訳ない。不快にさせたのなら謝罪しましょう。だが聞かせて欲しい。貴方の肩にあるその毛皮……もしかして雪色狼の毛皮ではないかい?」



 ウォルターは食い入るようにその白い毛皮を凝視する。


 雪色狼とは雪原地帯にしか生息しない希少性の高い狼のことだ。通常狼は群れをなして獲物を狩るものだが、雪色狼は単独での狩を得意とし、更には〈凍てつく息吹(コールドブレス)〉という人一人容易に氷漬けにするような強力な吹雪を吐く恐ろしい生物である。

 しかし雪色狼の目撃情報は数年前から途絶えたままで、専門家によると既に絶滅したという事になっていた。となれば男の肩に乗っているソレはウォルターにとって重要歴史物であり、喉から手が出るほどに欲しい一品なのである。


 だが男は簡単にそれを否定した。



「いや、違う」



 ぶん殴られたような気持ちだった。まさか研究に研究を重ねているウォルターにとって、昨今の歴史物となった毛並みを見間違うとは思いもしなかった。だが確かによく見ると雪色狼と違い完全なる白の毛皮だ。濁りがなく、むしろまだ生きているのかの如く艶が見られる。


 ではその毛皮は一体何の毛皮だというのか。ウォルターが知らないだけで、現存する生物のものだというのか。そう考えれば確かに可能性としてあり得る。


 しかし歴史家にとって現存する森羅万象と比較すべきは至極当然のこと。自分で言うのも何だが、ウォルターは博識だ。ベルンシュタイン王国付近に生息する生物のみならず、世界の端々に生息する生物にも精通していると自負している。

 だがそんなウォルターの知識を持ってしても、雪色狼以外に心当たりがない。



「これは白狼の毛皮だ」

「はく……ろう?」



 ウォルターは一瞬ぽかんと呟くと、次の瞬間には目に溜めていた涙を解放した。咽び泣くわけでもなく、ただ静かに涙が流れる。



「まさか……だがしかし……いや、たしかに……でもそんな…………そんなまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか」



 ブツブツブツブツ……。


 壊れた人形のように言葉を繰り返す。



「りゅ、リューネットはん? だ、大丈夫でっか?」



 マルが心配そうに顔を覗く。



「……『大丈夫か』? 嗚呼、大丈夫なわけがないでしょう!」



 ウォルターは嬉々として声を荒げた。



「 白狼ですよ⁉︎ 二百年以上も前に絶滅したはずの! 嗚呼、なんて私は浅はかだったのか……。雪色狼と比べるまでもない。純粋な白、生命力を感じさせる毛並み。一本一本の繊維のきめ細やかさ。まるで何もかもが違う!」

「そ、そうでっか……。まさかメインと違うとこに食いつかはるとは思わんかったけどお気に召してもらえたんなら何よりやわ」

「何⁉︎ ――今、『メインと違う』と言いましたか?」



 ぐるんとウォルターの視線がマルを射抜く。



「いや、まて。そういえばこの服、この籠手、この靴……嗚呼、嗚呼あぁああぁあああ……っ、何という……!」



 感激に咽び泣くとはこういう事を言うのだろう。神秘の片鱗を目の当たりにしたウォルターの心は歓喜の二文字に埋め尽くされていた。床に這い、子どものように泣き噦る顔は、およそ王国を支える者の顔ではない。

 暫し呼吸が困難になる程に顔面をくしゃくしゃにした後、ハンカチで軽く拭って三人へと向き直る。



「……初対面で見っともない姿を晒してしまいましたね。失礼しました」

「い、いや。気にしないでくれ」

「ありがとうございます。そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名はウォルター・リューネット。この国では宰相に当たります」



 先程のこともそうだが、マルはいつもと違うリューネットの対応に少し驚いた。

 彼が敬意を払うのは自らが仕える王と歴史物のみ。それ以外は興味がない、もしくは敵意にも似た感情を抱くだけの男だ。そんな彼が敬語を使ってまで自分から自己紹介するという事はマルの時ですら無かった事だ。

 それだけ男が持つ物――ひいてはそれらを持つ男に興味を抱いたという事だろう。



「宰相……それはそれはご丁寧に。俺の名はデレピグレオ。こっちはヌッヌウ。声を発する事は出来るが、見ての通り喉に受けた傷痕のせいで会話を交わすことは難しいので注意してくれ」

「そうでしたか。嗚呼、これは何と不幸な」



 目と腕だけでなく声までとは。ウォルターは彼の悲痛な叫びを代弁するかのようにして嘆いた。



「……リューネット殿の気遣いに感謝しよう。それよりもあんたと話がしたくてここへ来た。アポ無しだったが構わないか?」

「嗚呼、もちろん構わないとも! ささ、そこにかけてくれたまえ」

「あー、リューネットはん。あっしは?」

「嗚呼……君はその辺で立っていたまえ。座りたければ床にでもどうぞ」

「仲介したのに⁉︎」



 辛辣な言葉に項垂れるマルを無視して、デレピグレオとヌッヌウ、そしてウォルターが向かい合うようにしてソファーに腰掛ける。



「さて、私に話があるということですが、一体どのようなご用件で?」

「簡単な話だ。俺たちは最近外に出てきた部族の代表でな。近隣国と友好関係を築くために出向かせてもらった次第だ」

「ほう、部族ですか。しかし近隣に貴方がたのようなヒューマンがいれば私の耳に入っている筈なのですが……?」



 ウォルターは怪訝そうに首を傾げる。

 歴史探求家としてウォルターは世界中の地理や歴史もある程度は頭に入っているし、当然の事ながら近隣であれば全てに精通しているといっても過言ではない。だがそんなウォルターをもってしても彼らのような部族がいるなど聞いたことがない。


 だがしかし、そう呟いた後で脳内に閃くものがあった。



「いやまて、もしかして金樹海の中から……?」



 唯一、彼が近隣で全容を把握出来ていない場所があるとすれば金樹海と呼ばれる不可侵の山だけだ。帝国、そして王国の国境と隣接する森林地帯で、そこに入ったが最後二度と出て来る事はないと言われる魔の森。親が小さい子どもへの脅し文句として使われるような場所である。


 当然ウォルターも一時期金樹海にご執心だった時期もあったが、出てこれる保証がない為、渋々研究を後回しにしていた場所だ。つまりそこならば――という可能性。


 そしてウォルターの推測は正しかった。



「正解だ。俺たちは金樹海の中心から来たガリバ族という部族だ」

「ガリバ族……聞いたことがありませんね」

「はぁ、あんさんらそんなとこから来てたんや。あっしもないなぁ」

「しかし金樹海といえば、それこそ白狼が絶滅するよりも前から特一級危険区域として閉鎖されていた場所。なぜ今になって外の世界へ?」



 そんな当たり前の疑問に、デレピグレオは何故かきょとんとした顔をウォルターへ向けた。



「はて、どうかしましたか?」

「いや……自分で言うのもなんが疑ったりしないのか?」

「嗚呼、成る程。そういう事ですか。別に疑う必要もありませんしね。むしろそうでなければ納得がいかない。それに彼も否定していませんし」



 ウォルターの言う「彼」というのはマルの事だ。当然の如く、ウォルターはマルが〈嘘感知〉のスキルを保有していることを知っている。つまりはそういう事だ。ただ、この場にマルが居なくともウォルターはデレピグレオの言葉を信じて疑わなかっただろうが。



「……そういえばそうだったな。じゃあ話を戻すか。別に今になってという事でもないんだが――ただ俺がそう望んだからというだけの話。外の世界の情勢や、料理、娯楽、流行。知りたい事は山ほどある。知的好奇心を満たすのは人の生き甲斐というものだろ?」

「嗚呼、全く同感だね」

「あとは部族の発展という意味でも外の世界との繋がりは必要だと考えている。これもガリバ族としてではなく、俺個人の考えというのが大きいが」

「ふむ。部族という事は少人数で構成されている、という認識で間違っていないかい?」

「その通りだ」

「だとすると確かに病気にかかった時や、食糧難に陥る可能性もあるし、そうなった場合の手助けは欲しいと考えるのが自然だね。それに見たところ……失礼だが文化レベルが高いとは言えなさそうだし」

「それは否定しない。あ、否定と言えばもう一つ。さっきあんたが言っていた言を一つ否定しなければならない」

「はて……なんだい?」

「俺たちはヒューマンではなくプリミティブだ」

「……………………」



 絶句した。

 まるで時が止まったかのようだと表現してもいい。ウォルターの微笑みの表情は凍りつき微動だにすることもなく、ただただ沈黙がその場を支配した。


 だが時の流れを人が支配出来るはずもなく、徐々にぴくぴくとウォルターの頰や眉や腕が痙攣を始める。そして何とか口に出来たのはたったの一言であった。



「嘘……かい?」



 目線だけをマルの方へと動かす。



「嘘やったらリューネットはんとこまで連れてこおへんよ。さっきも言ったやろ。この二人がメインやって」



 確かにそんな事を言っていた気がする。

 しかしそれはあくまでも二人が身に纏っている服や装飾品のことばかりだと思っていたし、実際彼らが身に纏っているものはウォルターが貯金全額叩いてでもお目にかかりたい物ばかり。勘違いしてしまうのも仕方がない。



(だが彼らの装備品はおそらく全てが絶滅した動物や虫、植物等から織り成された物。だがプリミティブという種族はその遥か昔より生きていたので、それらを所有していても極々普通と言える。つまり――)



 ――それが真実だとすれば。



「嗚呼……嗚呼、嗚呼ああぁあぁああああ……っ! 素晴らしい! 素敵だ! 愉快だ! 痛快だ! 最高だ!」



 ウォルターは笑った。

 大粒の涙を頬で転がしながら、それを気にすることもなく嬉々恍惚と。


 何せ化石や文献といったものでしかプリミティブという存在は今まで確認出来ていない。歴史を紡ぐにもその程度。いくらウォルターが憶測に臆測を重ねようとも真実を見出す事は出来なかった。だというのにそれが今、心臓の音を鳴らして目の前に座っている。これに勝る(よろこ)びはないだろう。


 理性は弾け、“王国の天秤”などという二つ名や宰相という肩書きすらも忘れて、ウォルターは無邪気な子どものように大声で笑った。



「あー、リューネットはん?」

「……嗚呼、すまない。マル・クラネシャス、感謝するよ。彼と引き合わせてくれた事を。謝礼も後日用意しよう。だがすまない。ここからは彼らと三人だけで話がしたい。キミはここらで席を外してくれないか?」

「……了解。そんじゃここいらであっしはお暇させていただきやす。あんさんらもまた機会あったら遊びに来たってな」



 彼の目的は達成されたからだろう。それだけ残すとマルは特に拒む事もなくさっさと部屋を去っていった。


 ぱたんと扉が閉じられ、残されたのはウォルターの望んだ通り三人だけ。泣き跡を拭う事もなく、早速とウォルターは話し始める。



「さて、たしかデレピグレオ様とヌッヌウ様でしたね」

「ああ。合っている」

「良かった。それでは改めて尋ねよう。貴方達の要望はこのベルンシュタイン王国と友好な関係にある事。距離的に近いはずの帝国へ向かわなかったのも、過去にプリミティブが差別されていたという事が関係しているんだよね?」

「凄いな。説明せずとも理解するなんて」

「伊達に歴史探求を趣味にしているわけじゃないからね。それで……貴方達の言う友好関係とは具体的にどういった繋がりを求めているのか聞かせてもらっても?」

「そうだな……。正直ここまで事が運ぶのが早いとは思ってもいなかったからまだ草案しかないな。具体的には今度外交官を寄越すから、その時に話を擦り合わせて貰えればいい」

「分かりました。では今貴方の頭に浮かんでいる草案だけでも聞かせてもらっても?」

「あー、そうだな。まずは俺たちが住まう金樹海への侵入・攻撃の禁止。ガリバ族に対する安全確保だな」

「勿論。それは私としても望まぬ事。全力で進言致しましょう」

「あとはガリバ族全員分の王都への通行証が欲しい」

「なるほど。ですがそれは少し難しいかもしれないね」

「……その理由は?」

「まず大きな障害となるのが王国の現状によるもの。今王国が敷かれている状況をどこまで把握していますか?」

「帝国と緊張状態にある事ぐらいだな」

「然り。今は何とか対話を重ねて戦争に発展しないよう取り組んでいるけど、それも時間の問題。その為来たる戦争に向けて王都内部で問題が発生しないよう外部からの入国に規制をかけている状態です。つまりまだ身分不確かな相手に通行証を発行出来るかと言うと――」



 その先は言わずとも分かるよね、とウォルターは二人を見た。



「なるほど。確かにその通りだな」

「それに交渉ごとには互いにメリットが必要になる。私たちが差し出せるものはきっと多いだろうけど、失礼ながら貴方達が差し出せるものは何があるのかな?」



 その問い掛けにデレピグレオは口を閉ざす。



「相手が私だけであればその服や貴方を観察させてもらえればそれで済みますが、一国と交渉するのに対価を比べるとなると軽すぎますね」

「それは……その通りだな」



 恐らくそこまでは考えていなかったのだろう。文献によればプリミティブとはヒューマンと違い知能指数が低いとされている。目先の事を追うばかりで、それに伴う過程を考えていなかったのだろう。それにここまで来れたのは偶然とも言える事を先程話していた。交渉のカードを用意していなかったとしても仕方ないだろう。正直なところ交渉する人物としては浅慮であると言わざるを得ない。

 だがプリミティブということを鑑みるに彼の反応は自然であると言うべきだ。ウォルターは特に不快に思うこともなく、むしろ御し易いと微笑んでみせた。



「金樹海を生きて出られる方法――でも大丈夫ですよ?」



 金樹海。誰一人として生きて出られることの出来ぬ死の森。一歩でも足を踏み入れればそこでおしまい。どんな屈強な男でも、神に祝福されし聖人であろうとも、そこに区別はなく皆平等だ。だが彼らはそんな森の中から姿を現しここに至る。そしてまた金樹海の中へと帰るという。

 つまり金樹海の中から出られる術を有しているという事に他ならない。もしそれを知る事が叶えば王国は帝国との戦いで大きな地の利を得る事になるだろう。


 だがそれは流石に望み過ぎというものだ。

 それを他者に伝えてしまえば彼らの住居が襲撃されてしまう可能性が跳ね上がる。今はその気がなくとも、今後そうなったとしてもおかしくあるまい。もしもそれを軽々と口にするようならば、そいつは大局を見ることもできぬ大馬鹿者だ。


 勿論ウォルターも冗談のつもりで口にしたに過ぎない。


 しかし目の前にいた男はあろうかとか、その大馬鹿者とも言える発言をしてしまう。



「ああ……そんな事でいいのか?」

「…………え?」



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